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霧雨のまどろみ  作者: metti
第三章 帝国グラジア
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11.二兎追う者はすっころぶ




白い頬に幾筋もの血の跡。

普段しっかり纏めている髪はほつれ、くすんだ白銀が石床に散らばっている。

返り血か怪我をしているのか、幾つものシミが浮かんだ制服。

キリが廃棄したものと同じくらいボロボロになったそれを纏い、彼女は目を閉じていた。


大きく重そうな足枷が、投げ出された足首を繋ぎとめている。



足を止めたキリに気付き、少し先を行っていたフォミュラが戻ってきた。


「どうかしたか、キリ」

「あ……」


急いで後を追わなければ、と思うと同時、それをひどく躊躇う自分に気づいて、キリは戸惑った。


そもそも、フォミュラは彼女のことを知らないはずだ。

何と言っていいものか、と悩んでいるうちに、アシュトルが小さく呟いた。


「……ああ。一緒に捕まったと聞いていましたが、こんな所にいたとは」

「ではアシュトル、彼女が」

「ええ、そうです。……第二王女親衛隊の隊長、イージス殿」


思う所でもあるのだろうか、アシュトルの声音はどこか複雑そうだった。

キリの視線の意味を悟ったのだろうか、フォミュラが痛ましげに眉を顰める。


「キリ。助けたいのは山々だが、今は無理だ」

「彼女は現在のティンドラにとって最重要人物です。黙っていても助けは来ますよ」


それ、暗に自分は見捨てられると言っているようなものじゃないのか。

ちらりとアシュトルに視線を向けるが、真顔のまま無視された。


……まあ、実際フォミュラがわざわざ動いて助けに来ている時点で、お察しか。

ティンドラにそこまでの余力はない。


けれど。

それはつまり、最重要人物らしい彼女でさえ、助からない可能性があるということではないのか。

躊躇いなく捕虜の指を折るような輩だ、何をされるだって定かではない。


無言のまま、キリはぎゅっと拳を握る。


助ける余力は、ない。

そもそも脱出に使うため用意した船は、現在だって定員ギリギリだ。

助けられたとして、連れ出すには他の手段が必要になる。

――もしくは、誰かが代わりにここに残り、別のルートで逃げるか。


どちらにせよ、危険な橋を渡ることになるのは事実だ。


このままでは助けられない。

ならば行かなければならないと解っているのに、どうしても足は動いてくれなかった。



罪滅ぼしか。

恩返しか。


自分でもよくわからない。

ただ、「おかえり」と言ってくれた人を失うかもしれないと思った時。


生まれたのは、恐怖だった。



一向に足を動かせないキリに、アシュトルが不快感を隠しもせずに眉を顰めた。

わざとらしく大きなため息。


「前々から馬鹿だとは思ってましたが、どこまで馬鹿なんですか?何しにここへ来たんです?足を引っ張りに来たんですか?」

「……アシュトル」

「さっさとどちらにするか決めなさい」


目を見開いたキリに、「ほら早く」と急かす声。

視線をずらすと、やれやれとばかりに笑みを浮かべるフォミュラと目が合った。


それは、つまり。

ぽかんとしたまま、やっとのことで言葉を紡ぐ。



「……ありがとう」

「お礼言ってる暇があるならさっさと動いてください」



これには流石に言い返せなかった。


手早く牢の鍵を開け、足枷を壊してイージスを担ぎ上げる。

この時ばかりは規格外の膂力に感謝しつつ、キリは急いで牢を出た。


随分と時間を食ってしまった。

険しい顔の傭兵に神妙な思いで頭を下げ、地下を後にする。


「少し予定は変更になるが、何とかしよう」

「うん」


一度歯車が狂えば、全てがずれ込んでくる。

多少なら計画のうちとはいえ、焦りが生まれるのはどうしようもない。


背中の重みを感じながら、キリは一つ深呼吸をしてフォミュラたちの後を追った。
















砦の後門にたどりついた所で、背後から怒声と罵声が聞こえてきた。


どうやら、牢が空っぽになっていることに気づかれたらしい。

そもそも見張りが起きたらそれまでなのだから、これでも時間は稼げたほうだろう。

手引きしてくれた傭兵も最低限の偽装だけしてさくっと逃げた筈なので、仕方ない。


流石に時間稼ぎも限界か、と苦笑するフォミュラの隣を走りながら、キリは申し訳なさに眉をひそめた。



当初の計画では、脱出の際には砦のすぐ近くにある洞窟から船を使う予定だった。

船の準備は出来ているが、乗り込んで港を離れるには多少時間がかかる。

できれば追っ手を撒いてから船に乗りたいところだったが、遮蔽のない荒野では中々難しかった。


フォミュラの背で難しい顔をしていたアシュトルが、前方に見える岩が立ち並ぶ地帯を示す。


「……一旦あの岩石地帯に入って二手に別れましょう。引きつけて時間を稼いでくれませんか」

「いいけど、何するんだ?」

「きちんと準備して魔法を使えば、フォミュラの魔力でも自力で走れる程度には回復できます」


そこのが起きてくれればもっといいんですが、との言葉に、キリはちらりと自分の背に視線を向けた。

残念ながら、起きる気配はない。


見通しの悪い岩石地帯は、荒野にあって格好の遮蔽だ。

谷間を流れる急流や高低差のため危険も多いが、キリの身体能力を持ってすればそこまで苦にはならない。

唯一の懸念は背負っているイージスだが、まあここまで運んでも起きないのだからきっとこのまま寝ていてくれるだろう。


仕方ないとばかりに息を吐き、フォミュラが言葉を引き継いだ。


「では、一度あちらに。少ししたら船から少し北の川のほとりで落ち合おう」

「了解」


その言葉を最後に二人は地を蹴り、速度を上げて岩石地帯へと突っ込んだ。
















ややあって。

何とか追っ手を撒いたキリは岩石地帯を迂回して川のほとりに出ていた。

駆け上ったり駆け下りたりと移動しまくったため多少疲れてはいるが、幸いまだ動けそうだ。

イージスも、あれだけ暴れたにも関わらず起きる気配はない。


様子を伺いつつ船の方へ進んでいた所で探していた二人の姿を見つけ、キリはほっと胸を撫で下ろした。

どうやら時間稼ぎには成功したらしく、アシュトルは危なげなく走っている。

ただ、やはりフォミュラの速度には敵わないようで、二人の歩みは多少ゆっくりだった。


「いっそ背負ってもらったらどうだ?」

「もう少しですし、走りますよ。最悪の場合はそうするしかありませんが」


機動力の問題もあったが、どうやら背負われたままでいることを彼の矜持が許さなかったらしい。

フォミュラの溜息はそういう意味か、と今更ながらに思いつつ、とりあえずは船に向かってひたすら走る。

今走っている場所は周囲に岩が多いため、周囲から見えづらいのが幸いだ。


だが、もう少しで洞窟の入口が見える、そんな場所まで差し掛かったところで。



「いたぞ!」



舌打ち一つ。

行くしかないか、と小さな呟きが聞こえてくる。


ここまで近くに来てしまったのなら、撒くのはもう諦めるしかない。

船を先に見つけられては本末転倒だ。

頷き合い、キリ達は速度を緩めずに船を繋いである洞窟へ向かって走り出した。


フォミュラが有無を言わさずアシュトルを担ぎ上げるのを横目に、反響する足音から距離を逆算する。

湾に繋がる地下道を走りながら、自分たちの速度と船への距離を目測して。


「……間に合わないかな」

「恐らく」


あと少し、足りない。

誰かが足止めに残れば、なんとか船は出せるだろうが――


そこまで考え、キリはちらりとフォミュラを見やった。


この優しい友人は、きっとそれを言い出せないでいる。

キリが責任を感じて拒否できないことも予想しているだろう。


人のことは言えないけど、肝心なところで甘いよなあ、と、キリは僅かに笑った。



この作戦の将はフォミュラだ。

彼を基点とした人脈から成り立つこの作戦は、彼が無事でなければ成り立たない。

彼が捕まることは、即ち作戦の失敗とも言える。


例えアシュトルを助け出したところで、代わりに彼が捕まっては意味がない。

つまり、この場で足止めが可能なのはキリしかいないのだ。


近づいてくる足音に、覚悟を決める。


「フォミュラ」

「!」


立ち止まり、未だ意識の戻らないイージスを背から下ろしてフォミュラに差し出す。

行って、と視線で示すと、少し先で足を止めた二人から大きな溜息が返ってきた。

もしかしたら文句の一つも言われるかもな、と考えたところで、



「二日、待て」



代わりにかけられた言葉に、はっと顔を上げる。


ぐったりと力の抜けたイージスの身体を背負いながら、フォミュラがこちらを見ていた。

呆れ切った顔のアシュトルが、ふっと馬鹿にしたような笑みを浮かべる。


「その間に死んでたら笑ってやりますよ」

「……死ぬかよ」


死んでたまるか、とは思いつつ、答えながら目が泳ぐ。


恐らく、口封じされてもおかしくないキリがまだ生かされているのは、ディアノスの一存だ。

砦にディアノスがいないという今、捕まったが最後、躊躇いなく殺されたって文句は言えない。


それでも、皆をこの状況に追い込んだのは自分の我侭だ。

責任は取らなくちゃな、と腰に吊った重みを確認して、一つ頷く。



「行って」



一瞬の後、翻る外套。

船に向かう後ろ姿を見送って、キリは足音に向き直った。




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