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霧雨のまどろみ  作者: metti
第三章 帝国グラジア
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10.飛んで火に入るなんとやら




冷たい壁にひたりと身を寄せ、キリは耳を澄ませていた。


吹き抜ける風の音、僅かに生える草木が擦れ震える音。

その中に紛れて、土を踏みしめる音が僅かに響く。


規則的に近づいてきていた足音は、ある程度のところで反転し、遠ざかっていく。

僅かな隙間から見えていた鎧姿が消えたのを確認して、キリはそっと息を吐いた。


無人となった出入り口から視線を離さず、小声で隣に語りかける。


「先に潜入してるって人から連絡は?」

「つい先ほど。もう交代のはずだ」


そりゃ重畳、と呟き、キリは目の前にそびえる鈍色の砦を見上げる。



空には星がまたたき、荒野は未だ闇に沈む時間帯だ。

岩棚と宵闇に紛れながらも、その建物が醸す重厚な存在感は隠しきれていなかった。

作りの堅牢さは、それだけこの場所が重要であることを示している。

そしてその警備も相応に厳しいことを、中をうろついたことのあるキリはよく知っていた。


――そう、奇しくもアシュトル達が捉えられたという砦は、キリが数週間前に旅立った砦だった。


場所を聞いたときは協力するという発言を撤回したくなったが、先に忍び込んでいる者たちによると、現在どういう理由か第二皇子は留守にしているらしい。

ティンドラに対し攻勢に出るため最前線に出たという説が有力らしいが、真偽は定かではない。

キリにすれば、不幸中の幸いというやつだった。


だがそれ以上に重要なのは、指揮官不在の状況と、それを狙って忍び込むための準備だ。


幸いなことに、フォミュラが協力を要請した人物の中には、その道のプロも数名いたらしい。

キリ以外にも協力者がいるのは当然として、考えていたより多くの人間が動いていたことには驚くばかりだった。

潜入、脱出経路の確保と、内部の情報収集、物資の確保。

綿密に練られた計画を見た後では、アシュトルは本当にいい友人を持ったと言わざるをえない。

どんなポカミスをやらかして捕まったかは知らないが、キリの感覚では土下座して然るべきレベルだ。


無事に助け出したら、嫌味の一つも言ってやりたいところだった。





さて、そんな訳で。

既に内部に入り込み、手引きの段取りを取っていた傭兵に情報を引き継いでもらって、キリとフォミュラは無事に砦の内部に侵入していた。



今回救出作戦を行うにあたって一番の懸念は、機械人の有する高機能な感知能力だ。

フォミュラが言うには、半径10m以内であれば羽虫一匹逃さず感知できるらしい。

ついでに、体の半分が機械である恩恵を受けて、やろうと思えば気配を完全に絶てるのだそうだ。


つまり、隠密行動、それに対する監視という点において、あちらは完全に優位に立っている。

ひでえチートだ、と思わないでもなかったが、言われてみればキリにも心当たりがあった。



ティンドラの森の中、盗賊に扮した軍人たちとの追いかけっこの最中。

唐突に気配もなく背後から出てきたディアノスに驚いたのは、実はそう昔のことではない。


――今考えてみれば、あれは完全な罠だった。

拙い陽動にわざと引っかかったと見せて、キリが油断したところを捕まえる、実に有効な手段だ。

知らなかったとはいえ、見事に罠にはまっていたことには、キリも頭を抱える他なかった。



閑話休題。


そんな訳で一筋縄ではいかない彼らだが、弱点が無いわけではない。

彼らを誤魔化すのに必要なのは、少しの機転と僅かな魔法だ。


機械人は基本的に、理論立て、秩序立てて物事を把握し、考え、行動する。

もっと簡単に言えば、融通が利かない。

半分は生身である以上、機械のような頑なさはないが、それでもそういう傾向があるのは事実だ。


そして、魔法に関する知識が全くと言っていいほど、ない。

魔力を有してはいるものの、機械人のそれは他の種族に比べはるかに少ない。

故に機械文明が発展してきたわけだが、それは魔法に対する無関心にも繋がった。


そんな弱点をうまく突いてやれば、彼らとて判断ミスを起こす。

例えば、彼らの感知能力が熱源感知であることを利用して、魔法で別の場所に熱源を作り、囮にしてやるだとか。

逆に、熱源を遮断したり小さく誤魔化して、無害なものと認識させてやるだとか。


長期間であればともかく、一瞬、数秒であれば誤魔化すのには十分事足りる。



そうして包囲網をすり抜け、近くを通る巡回の目を盗み。

手引きに従って、二人は牢屋へと降りていった。















並ぶ鉄格子、湿って澱んだ空気。

地下特有の雰囲気に眉を顰めつつ、キリは目的の人物を探す。


並ぶ鉄格子の中は、空っぽか、傷まみれの人間が死んだように眠っているかのどちらかだ。

どちらかというと、空っぽの牢の方が多い。

ティンドラの幹部が捕虜として捕まったのなら、もう少し牢が埋まっていてもおかしくはないが――考えないほうがいいのだろうか。



生きた人間の気配が感じられない、嫌な静けさの中。

隣を行くフォミュラが、静かに足を止めた。


その背に隠れて中は見えないが、どうやらアシュトルを見つけたらしい。

かすかな囁き声と衣擦れの音がして、かしゃりと金属音が鳴った。

僅かな音とともに牢の扉が開き、中から人影が姿を現す。


泥がこびり付いてボロボロになった服、血を被ってそのままだったのか赤黒く固まった髪。

所々破れた服の間から覗く肌には、幾つもの切り傷と痣。

殴られたのか頬は腫れているし、足を痛めているのか歩みはひどくゆっくりだ。


キリがこの砦へやってきた時と同じか、あるいはもっと酷い状態。

戦場からそのまま出てきたかのような姿に、キリはぎゅっと奥歯を噛み締めて言葉を噛み殺した。


アシュトルの姿を目にしたフォミュラが、眉をひそめる。


「歩けるか?」

「何とか。すみませんが指は折られてますので、魔法は使えないと思ってください」

「喉を潰されなかっただけマシだろう」


ここを出たらきちんと治してやるからしばらく我慢してくれ、とため息混じりの言葉が発されて、あえかに光が灯る。

目に見える効果は痣が薄くなった程度だが、痛みは随分マシになったらしい。


ようやく周囲を見る余裕が出来たのか、アシュトルが顔を上げる。

そこで初めて、フォミュラの肩ごしに、キリと視線が合った。


蒼氷の瞳が剣呑に眇められる。


「……フォミュラ」

「ああ、話した」


簡潔な会話。

それでも何を指すかは伝わったらしく、彼からは小さくため息が漏れた。


キリがかけるべき言葉を探す中、この場を満たすのは沈黙だ。

アシュトルはというと、しばらく睨むような鋭さでキリを見据えたあと、頭を振って視線を外した。


沈黙が破れる。



「……本当に貴方は、人の好意を無にするのが得意ですね。わざわざ逃がしてあげたというのに」



のこのこ戻ってくるとは思いませんでしたよ、と、呆れたような声。

随分と久々に聞く声は、流石に幾ばくかの疲れが滲んでいる。

それでも憎まれ口はしっかり叩けるあたり、流石と言うべきか。


それはともかく。


わざわざ逃がした、ということは、つまり。

フォミュラの告げたことは、真実で。

あの事故は、実際にキリをティンドラから脱出させる意図で行われたということか。



……正直に言って、キリにはアシュトルの考えがよく分からなかった。

フォミュラに真実を聞いてからここへ乗り込むまで、色々と考えてはみたものの、どうしても納得できなかった。


どうしても、キリが行方不明になることで、そこまでメリットがあるようには思えないのだ。

確かに、実際キリがそこにいなくとも、婚約者が死んだという事実だけで縁談を蹴る理由にはなる。

実際にファリエンヌはそんな理由で縁談話を蹴っていたらしいが、結局は戦争という状況がそれを許さなかった。

やっぱり、実際に婚約者がその場にいる方が牽制できるに決まっている。


考えれば考えるほど、まるで、キリを婚約者という役目から解放したかっただけのような。

……その印象が、錯覚なのか現実なのかさえ、段々わからなくなって。



こんな所で時間を食っている暇はない。

分かっていても、今、問わずにはいられなかった。


「……何で、あんなことしたんだよ」

「理由なんて聞くまでもないでしょう。その方がこちらにとっても都合が良かったからですよ」


馬鹿にしたように告げられる理由は、簡潔でいて抽象的だ。

即答、というよりも言葉を食い気味に発せられたそれは、それ以上の詰問を拒否していた。

話す気がないのか、それとも隠しておきたいのか。


すげない拒否に口を噤んだキリの横では、フォミュラが呆れたようにアシュトルを一瞥していた。

溜め息を隠さないまま、まだ足元の覚束無いアシュトルに肩を貸して立ち上がる。


「言いたいことは山ほどあるだろうが、後にしよう。今は急ぐぞ」

「……了解」


短く返事を返し、とりあえずここを脱出するまでは保留にしておこうと頭を振る。

今はここを無事に出ることを考えよう。


先程鍵を奪った看守は、薬を使って眠らせただけだ。

起こさないように注意しながら、手早く脱出しなければならない。


からっぽになった牢の扉をそっと閉め、フォミュラたちの背中を追う。



その視界の端を、白いものが掠めた。

隣の牢の中、鉄格子越しに見える、投げ出された両足。


そういえば、他にも捕まった人がいると聞いていた。

助けてあげられないことに少しの罪悪感を持ちつつ、ちらりとそちらに視線を投げ、


三人を追おうとしていた足が凍りつく。




「隊、長……」




力なく壁に凭れて目を閉じるその人に、見覚えがあったからだった。







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