1.努力の方向音痴と、言いたければ言うがいい
そうと決まれば、とフォミュラは早速とばかりに里の案内を買って出た。
キリが寝ている間に既に幾らかの準備は整えてあったらしく、生活用品さえ揃えばすぐにでも住める状態の家まで用意してあるのだという。
…あまり考えたくはないが、彼はもしかしたら最初からそのつもりでキリを拾ってきたのかもしれなかった。
そうだとしたら見返りは絶対に『旅の連れ』だけでは済まないな、という半ば確信にも似た予感を持ちながら、キリは鈍痛と軽い痺れの残る足を動かす。
目覚めた時に感じた『城』という印象に違わず、広く長い石造りの廊下。
本調子でないキリに合わせてゆっくりと絨毯の上を歩きながら、フォミュラはよく喋った。
「ああそうだ、敬語は要らない。竜人族にも他国で言う王族はいるが、身分の差はさほど重要視されていないからな」
「…とはいえ、これからお世話になる相手にそれは失礼じゃ」
「私の旅の道連れにもなるわけだろう?遠慮は要らない」
そう言われてしまえば、言い返す言葉はなかった。
そもそもキリが最初に敬語を使ったのは、『キリ・ルーデンス』が取るべき態度として、他人にぞんざいな態度を取るわけにいかなかったからだ。
キリが実際にはルーデンスの子息でないことを知っているのであれば、敬語を使う必要はない。
ましてや、こちらの事情を一方的に知られているというのなら、尚更に。
「はあ…じゃあまあ、よろしく」
「私の事もフォミュラでいい。…そういえば、本名はキリでいいのか?」
「ああ。偽名は使ってない」
そうかと頷き、フォミュラはこの里について軽く説明をしてくれた。
ここは高山の頂上付近に位置していて、自分達と高山に生息する獣以外は殆ど訪れない場所であること。
二十人ほどの竜人が暮らすだけの小さな集落で、竜人族のものを含め、他の集落との交流はあまりないこと。
資源は豊富なのでそれでも困っていないが、手に入らないものはよっぽどでなければ手に入らないこと。
そして先刻説明したとおり、隠れ里であること。
「慣れない場所で一人暮らしというのも心細いかもしれないが、この辺りに凶暴な獣はそう多くない。心配するような危険はそうないだろうと思う」
「別に一人暮らしくらい何とでもなるよ。用意してもらってむしろありがたい」
「そうか。まあ、慣れるまではこのままあの部屋に住んでもらっても、私は全く構わないんだが…。流石に君も、嫌だろう?」
「嫌?」
意味が解らず問い返すと、彼はどうも形容しがたい顔をした。
暫く何と言っていいのやらと迷っていたようだが、少しして口を開く。
「…かねがね不思議に思っていたのだが、君は親衛隊に入っていたんだったな?寮暮らしは辛くなかったのか?」
「辛い?まあ嫌がらせだの何だのは面倒だったけど…」
「そうではなくて」
そこで一度言葉を切ってから、彼は言い辛そうにキリを指差した。
王都で仕立てられた、仕立てのよい男物の親衛隊の制服ではなく、彼の用意した落ち着いた色合いのワンピースに身を包む、キリを。
「男のフリをしていて辛くなかったのかと聞いてるんだ」
指を差されたキリはというと、一瞬目を丸くしてから、何ともいえない笑みを浮かべた。
正直、喚び出されて最初に話を聞いた時の返答は、「絶対無理」の一言に尽きた。
少々色気に欠けるという自負はあるものの、普通に女の子として育ち、普通に女子大生とやらをやっていたキリにとって、周囲に気取られる事なく男性のフリを貫くなんて芸当ができるわけがない。
声だって低いわけではないし、身体の線の細さや骨格だって、見る人が見れば隠し切れない。
そもそも王女様の婚約者を探していたなら男を呼べ、男を。
どう聞いても正論にしか聞こえないキリのそんな主張は、王女様の一言で全て切り捨てられた。
『だから一ヶ月時間をあげるって言ってるんですわ。素材は悪くないんですから、やってできないことはないでしょう』
…かくして始まる、一ヶ月の地獄のような日々。
周囲のしごきに耐えに耐え、ほとんどストレス発散の形で剣を振り回す毎日が続いた。
一ヶ月を終えて顔を見せに言った時の王女様の満足げな顔が、今でも脳裏に焼きついて忘れられない。
その辺りでもう、感覚は麻痺してきていたのだろう。
親衛隊に入ることが決まった時点で、既にキリは開き直っていた。
どうせなら完璧に男として生きてやると変な方向にスイッチが入り、故郷で言う英国紳士を踏襲する日々。
老人や女性や子どもには優しく、周囲への人当たりは柔らかく、物腰はスマートに。
そのお陰か、街の女性の間で、気位の高い親衛隊の中では珍しく紳士的だと評判だったらしい。
流石は貴族というべきか、表立って下品な話がなされる事はなかったが、万一あったとしても笑って流せただろう。
少し前、性悪魔法使いに『生まれてくる性別間違えたんじゃないですか?』と嫌味を言われた時は、勝ったと思った。
…決して虚しくなってなんかいない。決して。
静かに笑みを浮かべたまま反応がないキリに冷や汗を浮かべながら、フォミュラが腰を屈めて顔を覗き込んでくる。
「……キリ?大丈夫か?」
「…いや。女の子扱いされたのとか久々で、今ちょっと感動してた」
その一言だけで、彼は何となく察したのだろう。
視線を逸らし、「ああ、うん。そうか」ともごもご呟いて、ぽんぽんと頭を撫でてくれた。
何となくくすぐったい気持ちでそれを受けていたキリは、はたと大変なことを思い出し、ちらりと隣を見上げる。
「…あのさ、一応聞くんだけど」
「なんだ」
「何でわかったんだ?女だって」
考えてみれば、一番最初に目を覚ました時に違和感は感じていたのだ。
あんな場所にいて落ちたのだから、埃まみれ砂まみれになっているのが自然。
何日も寝ていたと聞かされて風呂には入ったが、起きた時の状態からして、絶対にその前に一度身体を清めてもらっていたはずだ。
…では、一体誰がそれをしてくれた?
キリの言いたいことが解ったのか、フォミュラは「ああ」と苦笑を浮かべた。
「心配ない、途中で気付いた。風呂や手当ては女性を呼んで頼んだよ」
「途中って」
「服を着ていれば解らないかもしれないが、流石に20歳を過ぎた人間の男性騎士がそんなに華奢なはずがないからな」
つまり途中までは見たんだなという言葉はぎりぎりで飲み込んで、キリは一瞬の間の後、「そうか」と視線を外した。
気恥ずかしくて穴に入りたくなったが、手当てをしてくれたと思えば文句も言えない。
深く考えないことにして、他の話題へと話を逸らそうと、手近にあった窓に視線を向ける。
「…そういえば。高山って言ってたけど、ここ、どれくらい高いんだ?」
「この辺りは山が連なっているが、その中でも最も高い山だな。…話を聞くより見たほうが早いと思うが」
「そうなんだろうけど。あの部屋も、この廊下の窓も、中庭しか見えないからさ」
「外に出れば自ずと解るさ。――ほら」
そう言って、彼は歩いていた廊下の先を指差した。
「行ってごらん。きっと驚くものが見られる」
細く長い指が示す先は、外へ続く大きな扉だった。