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霧雨のまどろみ  作者: metti
第三章 帝国グラジア
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9.彼がしてくれやがったこと




その言葉が紡がれた瞬間、緩んでいた部屋の空気が凍りつくのを感じた。

心の準備をする暇もなく、再び訪れる沈黙。


聞き覚えの有りすぎる名前に思わず固まっていたキリが、呆然とした声で言葉を繰り返す。


「アシュトル?」

「ああ、ティンドラの王城で働いている、宮廷魔術師のアシュトルだ」

「友人……?」

「言葉の通りだ。アシュトルとは、彼がまだ学生だった頃からの付き合いでな」


もう十年になるか、と続いた言葉に、キリは信じられない思いで目を瞬いた。


あいつ捕まったのか、とか。

フォミュラがわざわざ助けに行くほどの仲なのか、とか。

一体どこでどうやって仲良くなったのか、とか。


色々と言いたいことはあったし聞きたいこともあった。

が、まず率直に思ったのは、


「あいつと十年って、どんだけ忍耐力あるんだよお前」

「……誤解を受けやすい質なのは私も知っているがな。そう言わないでやってくれないか」


苦笑を通り越してため息を吐くフォミュラに、キリは無言で応える。

キリの知るアシュトルがあれである以上、これ以上は何も言わないのが最良だろう。

とりあえず、フォミュラの交友関係が微妙に掴めないものであることだけは分かった。


緩んだ空気を切り替えるかのように、こほん、とフォミュラが咳払いをする。



「そういうわけで、君さえよかったら、手を貸して欲しい。……これは竜人族とは関係なく、私個人からの頼みだ」



頭を下げるフォミュラは、どう見ても冗談を言っているようには見えない。

真剣な頼みを前にして、キリは目を伏せた。



今まで散々振り回してお世話になってきた、フォミュラの言葉だ。

力になってやりたいと思うし、手を貸せるなら貸したい。


けれど、それは、つまり。

望んだことではないとはいえ、現在後ろ盾としているグラジアに、剣を向けることになる。

しかも恐らく、正々堂々と真正面から喧嘩を売るようなやり方で。


あのクソ皇子を裏切ることに抵抗はないが、かと言って再び顔を突き合わせたい筈もない。

それに、戦争に再び頭を突っ込むことを即決できるほど、キリはアシュトルを好いてはいなかった。


ぎゅっと奥歯を噛む。



「……ごめん。即答できない」

「ああ、今すぐ返事が欲しいとは言わない。……そう長くは待てないが、考えて答えをくれ」



目を逸らしたキリに静かに頷いたフォミュラは、それ以上その件については口にしなかった。

代わりに、次の用件に移ろうと言葉を紡ぎかけ、


「それともう一つ、」


そこで言い辛そうに口篭る。

珍しい言動に眉を寄せて顔を上げるキリの前で、彼はまず一つ断りを入れた。


「……謝罪の件についてだが、話す前に言っておこう」

「うん?」

「これから話すことは真実だが、私は今回のことで君に強制はしたくない。タイミングは悪いかもしれないが、いつか話すべきだと思っていたことだ。そのことを解って聞いてほしい」


突然何を言い出すのかと、キリは何度か瞬きして首を傾げる。

何のタイミングかはよく解らないが、とりあえず聞いてみないことには始まらない。

頷いたキリに、フォミュラは一つ息をついて。


躊躇うように、言葉を選びながら口火を切った。



「実はな、キリ。半年前、君が崖から落ちて死に掛けていた時、私が君を見つけたのは偶然じゃない」



落ちる沈黙。

まるで時が止まったかのように静かな部屋の中、キリは間抜けに聞き返す声を上げるのが精一杯だった。


「は?」

「キリ・ルーデンスが生死不明となった事件。あれは、全部仕組まれ、計画されたことだった」


咄嗟に言葉が出てこなかった。


仕組まれていたって、どういうことだ。

言葉は聞こえているはずなのに、頭が付いてこない。


乾いた舌を動かし、何とか言葉を紡ぐ。


「だ、って、え?計画って、崖崩れも落石も、私が御者を助けたのだって、偶然じゃ」

「多少の偶然は否定しない。ただ、あの状況は意図的に演出されたものだった」

「意図的って……」


困惑を隠さず、また今ひとつ信じきれていない反応を返すキリに。

フォミュラが、例えば、と例を出した。


「あの時、君たちは危険を承知で雨上がりの旅を強行したんだろう?理由は?」


コーネルを主とした他の隊員がそう主張したからだ。

……いや、あの面子でキリとコーネルが対立すれば、彼らはコーネルを支持したはずだ。


考えてみれば、故意を偶然に見せかけるにはうってつけの状況だ。

では、コーネルも協力者だったのか?


「私は計画の全容を知らされたわけではないが、共にいた人間の中には計画の協力者もいたはずだ。特に、魔法に長けた者がな」

「そんな覚え、ないけど」

「では君が助けたという御者かもしれないな。城のお抱えだろう」


静かに分析するフォミュラの前で、キリは戸惑いを隠せずにいた。


雨上がりで、土砂崩れや落石が起こってもおかしくない状況の中。

土の魔法に長けていれば、それを引き起こすのはさして難しくないはずだ。


解らなくはない。

解らなくはないが、それは、つまり。



キリ・ルーデンスを殺したい人間がいたということか?

コーネルがその協力者で、他にも協力者がいて、


――そして、フォミュラはそれを知っていたということか?



じりじりと背筋を蝕んでいく焦燥。

言いようのない不安に襲われて、知らずキリの声は叫びに似たものになっていた。



「そもそも、誰が何のためにそんなこと仕組んだっていうんだよ!?」



思わず立ち上がった衝撃で、カップの水面に映る天井が揺れる。

キリを見据えながら、フォミュラは静かに答えた。


「アシュトルだ」


机に零れた雫が、白い布に赤い染みとなって広がっていく。

言葉を失ったキリからすっと視線を外して、フォミュラは窓の外を見た。



「何故――と言えば、恐らく君を自由にするためだったのだろうな」



風に梢の擦れる音、鳥の鳴き声。

ばさりと飛び立つ翼に枝が揺れて、白い花弁が散った。


それを眺めたまま、フォミュラは回想するかのように言葉を続ける。


「私が伝えられたのは、三つ。自分が異世界から召喚した人間がいること、その人間を表向き生死不明の状態にしたいこと」


一つ、二つ、告げながら指を折っていたそれは、「そして」と三本目が折られる寸前動きを止めた。

窓の外へと向けられていた視線が、キリの方へと戻ってくる。

静かな光を湛えた瞳が、立ち尽くすキリを射抜いた。



「その人物をこちらで助け、竜人の里で客人として迎え入れてほしいこと」



三本目。

指を折りながら告げられた言葉が、静けさに包まれた空間に響く。


沈黙の帳が落ちた部屋の中、小さく息を吐く音が聞こえた。


「その頼みを受け入れ、私は君を助けた。……その後のことは、もう言うまでもないだろう」


フォミュラがゆっくりと目を伏せ、キリから視線を外す。

そこでようやく、キリは言葉を絞り出すことができた。



「……な、んだよ、それ」



ただし、ようやっと出てきたその声は、酷く掠れていたけれども。



――どうしようもなく、告げられたその事実とやらが信じ難かった。

けれども、心のどこかで納得する自分がいることにも、キリは気づいていた。


顔見知りですらなかったフォミュラが、あんなにも良くしてくれた理由。

限られた人物しか知らない筈のキリの事情を、最初からまるっと把握していた理由。

元の世界に帰ろうと奮闘するキリを、複雑そうにしながらも見守ってくれた理由。


……ティンドラに戻ったキリに、アシュトルがわざわざ嫌味を言うためだけに訪ねてきた理由。



まるでパズルのピースが嵌るがごとく鮮明になっていく事実に、キリは頭を抱えた。

力が抜けて、へなへなと椅子に座り込む。


「なんだよそれ……!!!」

「本来は話すなと言われていたことだ。今更だが、秘密にしていたこと、話すのが遅くなったことについて、謝罪しよう」

「それは別にいいよ、いいけど」


いいけど、それより。

そんなことより。


「意味わかんねー。無理やり呼び出しといて、どういうつもりだよ!?」

「……真意が気になるなら、本人に直接聞いてみたらどうだ?」


本人に。


……会って話せば、この胸のもやもやも少しは解消されるのだろうか。

この、酷くやりきれない、怒りにも呆れにも似た、この感情も。


煩悶するキリの耳に、ぽつりと紡がれる声。


「……まあ、再び生きて会えたらの話ではあるが」


知ってか知らずか煽るような言葉に、キリは頭を抱えて大きくため息をついた。


タイミングの悪さについては彼も口にしてはいたものの、前置きは確かにあったものの。

それでもやっぱり、この話を聞いてしまった後では、キリの答えは一つだった。



「……分かった。協力するよ」



ああ。

やっぱり、結局、――こいつに交渉事で勝てる気はしない。




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