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霧雨のまどろみ  作者: metti
第三章 帝国グラジア
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8.再会と願い




アルシータに入国して、二週間ほどが経過した。


図書館での調べ物も随分進み、召喚陣の解析自体はだいぶ終わりが見えてきている。

何が書いてあるのか、どんな条件で呼び出したのか、そういった情報は何となくわかってきた。


――ただ、目下一番の問題である協力者の当てさえ見つからないことには、どうしようもない。

生半可な魔力量ではどうしようもない現実には、そろそろ目を向けなければならないだろう。


だが、幸いここは魔法大国アルシータだ。

夜に盛り場で情報を集めていれば、そのうちに有益な情報も出てくる――と信じたい。


ただでさえ、キリの持つこの魔法陣は禁術に属するものだ。

焦りは禁物、と自分に言い聞かせつつ、キリはこの二週間を過ごしていた。



さて、ある朝。

いつものように着替えを済ませ、朝食でも食べに行こうかと荷物を纏めたキリの耳に、こんこん、と扉を叩く音が響いた。

朝食を運んでほしいなんてお願いはしていないし、部屋の掃除を始めるには早い。

首を傾げつつ、キリは扉を開く。


立っていたのは、今日も毛並みが美しいこの宿屋の主人だった。

わしわしと頭を掻いてその毛並みを乱しつつ、「よう」と声をかけてくる。


「急にすまんな。ミスト、お前に客だ」

「客?」

「ああ、お前より多少年上くらいの兄ちゃんが一人」


……誰だ。

わざわざアルシータまで訪ねてくるような知り合いなんていただろうか。

一瞬この間の少女かと思ったが、男なら違うだろう。

ディアノスの奴はわざわざ訪ねてくる理由がない。


眉を顰めて怪訝そうなキリの反応に、主人も窺うような声色になる。


「部屋で話したいってことだったが、入れてもいいか?」

「心当たりないんだよな。……一人って言ったよな?」

「ああ」

「なら、多分大丈夫」

「んじゃ呼ぶぞ。……おう、登ってきな!」


吹き抜けになっている廊下から、親父さんが階下に向かって叫ぶ。

続いて、階段を上ってくる音。


ややあって現れた、予想だにしなかった姿に、キリは自分の目を疑った。


「やあ、……ミスト」

「……フォミュ、ラ」

「久しぶりだな。――中に入っても構わないか?」


問いの形を保ってはいたものの、その声音は有無を言わせぬものだった。

思わぬ事態に戸惑っていたキリとしても、まさか門前払いにできるわけもなく。

混乱した頭のまま、とりあえず頷いて部屋の扉を開いた。


「――おい」


中に入ったフォミュラを追って扉を締めようとして、キリは心配そうな視線が注がれていることに気づく。

気遣わしげに掛けられた声に、小さな声で「大丈夫」と告げて、部屋の扉を閉めた。
















部屋に備え付けのカップでお茶を出すと、彼は「ありがとう」と口をつけた。


「探すのに少し手間が掛かってしまったよ。偽名を名乗っていたんだな」

「……ああ」


何でもないような風に紡がれる言葉に、戸惑いながら頷きを返す。

勧められるままに椅子に座ったフォミュラは、あまりにも普段通りで、違和感も感じさせなかった。

……まるで、何もなかったかのように。


座ろうとしないキリの物言いたげな視線に気付いたのか、フォミュラが小さく笑って目を伏せた。



「……何か言いたいことがあるなら言うといい」



ぎゅ、と握り締めた手のひらに爪が食い込む。

噛み締めた奥歯が小さく音を立て、肩が震えた。


深呼吸を一つ。

意を決して、息を吸い込む。



「一回殺されかけた相手のところに、何しに来たんだよ」



罵倒を覚悟の言葉だった。


けれど、

失望でもなく。

詰問でもなく。


返ってきたのは、苦笑。



「あれで死ねるわけがないだろう。殺したつもりだったのか?」



そんな訳がない。


殺すつもりなら、どうしてわざわざ脇腹なんて刺したりするものか。

抜かずに剣を残してきたりするものか。


致命傷にしたくなかったからこそ、そうしたのに。



どんな顔をしていたのか。

まともに視線を合わせられもせず、目を伏せたまま、キリは歯を食い縛る。


言いたいことがあるのに言葉にならない。

今にも叫びだしたいのに声が出てこない。


この状況をなんとかしたい気持ちと裏腹に、身体は動かない。



そうして何もできずにいるキリに痺れを切らしたか、フォミュラの手が伸ばされる。

そこに宿っているであろう温もりが怖くて、けれど逃げることもできず。


握り締めた拳にそれが触れそうになった頃、キリは何とか声を絞り出した。



「……例えあの夜からやり直せたとして、私は何度だって同じ選択をする」

「ああ」

「帰りたい気持ちも変わらない。……自分で選んだ結果だってわかってる」

「ああ」



これは、

この状況は、

あの選択は、


他ならない自分の、私自身のわがままだ。



「……謝るなんて、卑怯なこと、したくないんだよ……!」



許して欲しいなんて、言えるわけがない。

その程度の覚悟で、この選択をしたわけじゃない。


……この決意が罪と一緒にあることを、知って選んだのは、



私だ。





言葉の余韻が消えて静けさを取り戻した部屋の中。


沈黙を破ったのは、小さく息を吐く音。

張り詰めた空気を、紡がれる穏やかな声が満たしていく。


「キリ。私がここに来たのは、謝罪を受け取るためじゃない」

「……」

「謝罪を、するためだ」


耳を疑う言葉に、ばっと顔を上げた。

目を瞠り、呆然とフォミュラを見上げる。


「竜人族に少なからず有利な状況にするため、君を利用した。そのことを謝罪に来た」

「……どういう、ことだ?」


聞き返す声は掠れていたけれど、彼の耳には届いていたらしい。

目を伏せ、すうと息を吸い込む。


「祭りの間に行っていた交渉の件は、君も知っているだろう。……あの件、竜人族としては、表立った戦争への介入をしたくはなかった」

「そうなのか?」

「ああ。秘密裏な協力はともかく、援軍として竜人族の名を声高に叫ばせるわけにはいかなかったんだ」


だが、こちらとしても同盟が破談になるのは避けたくてな――と続けるフォミュラ。

恐らく例の魔力騒ぎのせいだろうと当たりをつけながら、キリは続く言葉を待つ。


「お互い譲歩はしたものの、ティンドラの外交官は竜人族の名を出さないという所ではどうしても折れなかった。最終的にこちらが折れなければならない段階に来たところで、君がアゲートに手紙を出してきた」

「……」

「理由はともかく、日時からして追い詰められているであろう事はすぐに解った。同盟に関して何かしら物騒な手段を用いてくることも、予想がついた」


だから、申し訳ないとは思いつつもそれを利用させてもらった、とフォミュラは告げた。


確かに、代表の一人が刃傷沙汰を起こしたとなれば、ティンドラの立場は相当落ちる。

一度締結した同盟とて、覆すことは容易だ。

竜人族にとっては願ってもない機会だったろう。


そう言われてしまうと、複雑な表情にならざるを得ない。

どう反応するべきか迷うキリの前で、フォミュラが頭を下げた。


「つまりは、そういうことだ。すまないな、あの場に私がいたのはそういう理由だ」

「……それは、別に……」

「仕方なかったとはいえ、あんな風に君に剣を使わせたことは、許されないことだ」


まるでキリの言動の責任が全て自分にあるかのような言い方だ。

思いもしなかった言葉に驚いて、キリは慌てて声を張り上げた。


「違う、あれは私が、」

「そうさせない事もできた。……君一人に背負わせた罪はこちらにもある」


だが、予想に反して。

それを遮ったのは、責任の全てを掻っ攫っていく強引な手ではない。

一度奪った重りを少しずらして置き直してくれる、優しい手のような言葉だった。


目を瞠るキリをまっすぐに見つめながら、フォミュラは「だから」と続ける。



「もし君があのことを気に病んでいるのなら、その必要はないと知ってほしい。私がここに来たのは、それを伝え、少しでも償えればと思ったからだ」



その言葉が信じられなくて、キリは唖然と目を瞬いた。


償いに来た?

謝罪に来た?

……それは、つまり、


もう一度、手を伸ばしてくれるってことか?



何も言えずにいるキリの少し上から、駄目押しのような声が降ってくる。


「……私の謝罪は、受け取ってもらえるかな?」


あくまで穏やかな、伺うような声音。

耳に届くそれが耐え難くて、キリは手のひらを握り締めた。




そして、

一瞬のような、一時間のような、

長くて短い沈黙をはさんで。




視線は床に落としたまま。

キリはぽつりと告げた。


「まだ、それは受け取れない」

「……そうか」


感情の読めない静かな声。

それが次の言葉を紡ぐ前にと、キリは腹に力を込めて声を上げた。



「受け取る前に、私からも、謝りたいことがある」



言いたいことは、それこそ山のようにあった。


たくさん心配かけてごめんなさい。

あんな選択しかできなくてごめんなさい。

素直に謝ることすらできなくてごめんなさい。



……また、手を繋ぎに来てくれて、ありがとう。



目もろくに合わせられない、拙い謝罪だ。

それでも、震える声で紡がれるそれを、フォミュラはきちんと聞いてくれた。


そして、俯いたままの茶色の髪を、ぽんぽんと暖かなものが叩く。

まるで子供相手にするかのように、頭を撫でる温もり。


あんなに怯えていたそれはもう、怖くはなかった。



「お相子。……そういうことではダメか」

「……そんなんでいいの?」

「私は問題ないと思うが」



顔を上げる。

交わる視線。



……気づいたら、二人して笑っていた。


眉尻の下がったキリのそれは、ちょっと情けなかったかもしれないけれど。

ほっとしたようなフォミュラのそれも大概だったから、お相子ということで一つお願いしたい。




さて。


張り詰めていた空気は緩み、力も抜けて。

すっかり温くなってしまったお茶を啜りながら、キリは改めてフォミュラに問うた。


「それにしても、よくここが解ったな」

「職業柄、冒険者へのツテは多くてな。それでも随分かかったが」

「見つけられただけ凄いって。むしろ、この為にわざわざこんな所まで探しに来たのか?」

「いや、それだけじゃない。今日ここに来たのは、もう一つ君への謝罪と――頼みごとがあるんだ」


謝罪はともかく、頼み?

キリが役に立てる事などそう思いつかないが、竜人の里で何かあったのだろうか。


目を瞬くキリの眼前で、フォミュラが居住まいを正した。

一変して真剣な眼差しに、キリも知らず背筋を伸ばす。



「先に頼みごとについて話そう。先日、ティンドラの砦がグラジアの襲撃を受け、数人が捕虜となった。その中に私の友人がいるのだが、そいつを助け出したい」






「……名を、アシュトル・フォートという」






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