7.たまにはこんな日もある
そして現在。
「つまり、世話になってる人の病気を治すために薬代が欲しかったと?」
「はい……すみませんでした……」
土下座真っ最中である。
結局先程の煙は、ただの目くらましだったようだ。
咳き込みつつも決して手を離さなかったキリに、少女は結局為す術なく捕まった。
むしろ自分の手元から発生した煙を盛大に吸い込んだらしく、涙目で咳き込み続ける少女が落ち着くまで背を撫でてやったくらいだ。
それが収まる頃にはもう怒るのも馬鹿馬鹿しくなっていて、生温い視線を注ぎつつ捕まえた少女から事情を聞くくらいの余裕が出来ていた。
しょんぼりと肩を落としつつ、少女は涙目でキリを見上げて謝罪を紡ぐ。
「本当にごめんなさい……師匠が倒れちゃって、ボク、もうこれ以外に思いつかなくて……」
「……謝るくらいなら、最初からするなよ」
苦々しい声が出る。
こめかみを押さえてため息を吐いたキリの足元で、少女の目がきらりと光った。
「と見せかけてぇ!」
「逃がすか阿呆」
「ぎゃひんっ!!」
華麗なスタートダッシュを決めようとした少女の襟元を、がしっと掴んで引き止める。
首が絞まったらしい少女から奇妙な悲鳴が上がった。
全く、油断も隙もない。
「う、うぐぇ……」
「まずは荷物を返せ。話はそれからだ」
「う、ううう」
おずおずと返された荷物袋を覗き込み、中身が全て揃っていることを確認する。
それから、座り込んで涙目になっている少女を見下ろして。
少しの躊躇を挟み、キリは口を開いた。
「その病気ってのは、数回分薬を飲んだくらいでよくなる程度の物なのか?」
「え?」
目を丸くする少女に、キリは沈黙をもって返す。
先ほどの態度からして、告げられた言い訳が嘘の可能性は十分にあった。
だが、小奇麗な格好、詰めの甘い手口、不完全な魔法。
何よりこうしている間に助けが来ない――つまり一人きりであることが、見捨てることを躊躇わせた。
嘘なら嘘で構わない、病気の人間はいなかった。
が、真実であるならば。
無言で続きを促すキリに、少女は戸惑ったように視線を逸らす。
ややあって、ぼそぼそと言葉を紡ぎ始めた。
「……そのう、一回分あればいいんだ。普段から飲んでる薬なんだけど、急に必要になっちゃって」
「普段から飲んでるのに、買えないのか?」
「すっごく高いんだよ。材料になる花が、危険な獣が住んでいる森にしか生えてなくて」
「幾らするんだ?」
帰ってきたのは、親衛隊で貰っていた給料の半月分というとんでもない額だった。
ただでさえこの世界の薬は高いのに、その十倍はしている。
これは確かに、普通の生活をしていたら払えないかもしれない。
「知り合いに薬を作れる人がいるから、普段は師匠と材料を取ってきて作ってもらってたんだけど」
「今回倒れてるのがその師匠って訳か」
「うん……魔法使いは魔法使いだけどボク見習いだし、一人で行っちゃダメって言われてて」
「……そこはここから近いのか?」
「え?そんなに遠くはないけど……ねえ、もしかして行くつもりなの?」
期待半分、恐怖半分。
そんな顔で少女は恐る恐るお伺いを立ててくる。
「ほ、ほんとに凄く強いんだよ?お兄さん一人じゃ危険だよ」
「一応聞くけど、そいつって足は速いのか?」
「え……あんまり」
「じゃあ大丈夫だ、会ったら逃げるから」
流石のキリも、足手まといを連れた状態で猛獣とタイマン張ろうなんて無謀なことは考えていない。
完全に逃げることを前提にしている。
彼女一人では逃げきれなくとも、キリが全速力で走れば何とかなるだろう。
目の前の少女も、キリの身体能力を見た後だからだろうか、躊躇いながらも止めようとはしない。
「ほんとに行くの?」
「目的の花がどんなものかは解るんだな?」
「う、うん。一緒に行って採ったことあるから、大丈夫」
「よし。それじゃ」
行くか、と言いかけて、言葉を切る。
立ち上がった少女を見下ろすと、不思議そうに首を傾げられた。
「なあ、行く前に一つ確認するけど」
「う?」
「私の他に誰かから荷物取ってないだろうな?」
「……とってない」
信じてもらえないかもしれないけど、とか細く続いた声と、逸らされる視線。
じっと視線を注ぎ続けると、泣きそうな目が訴えるように見上げてきた。
必死に縋るような目の奥に恐怖を見つけて、キリは軽く目を眇める。
……まあ、キリとしては実際やったかやってないかは結構どうでもいい。
その花とやらを本当に必要としていることが分かれば、それでよかった。
俯きがちになった額に指を当て、ぴしりと弾く。
「分かった。すぐは無理だけど、用事が済んだら付き合ってやるよ」
「あ……ありがとう!!」
ぱあっと表情を明るくしてお礼を言う少女を促し、ガラクタを乗り越えて路地を出る。
とりあえず頼まれた買い物だけ済ませ、一旦宿屋に戻って装備を整えて。
キリは少女と共に、その花が生えているという森に向かった。
――結論から言うと。
少女は、例えようもないほど、ドジだった。
森に入って早々、木の根に躓き、垂れている葉に顔を突っ込み、ぬかるんだ土に足を突っ込んで泥だけになり。
こりゃ実力が伴ってないとかそういう問題じゃねーな、とキリが気づく頃には、頬にいくつもひっかっき傷を作り、服は所々ほつれ、帽子はどこかに落とした後で、ツインテールはぼさぼさで。
最初に会った時の小奇麗な感じは面影もなく、そりゃもう見てられない状態だった。
慌てて助けに入ったキリも巻き込まれているので、決して人のことを言えた状態ではなかったが。
それでも何とか花を見つけた時の喜びようは、半端なものではなかった。
岩の隙間に生えている、黄色い蕾を膨らませた花を見つけ、
「あ、あれだよ!」
と叫ぶなり喜色満面で走り出し、案の定足元の岩につまづいてすっ転び、危うく川に落ちかけて。
それでも負けず、擦り傷だらけになりながら岩を登り、花をむしって戻ってくる時にも岩から転げ落ちそうになり。
そんな状態でも痛いの一言も言わず、地面に頭を擦りつける勢いでお礼を言われた時には、キリも流石に苦笑するしかなかった。
その上、その時の叫び声で獣が集まってきてしまい、全速力で逃げ出す羽目になって。
何とか逃げ出したものの、街に帰ってきた時の少女の格好はそりゃもう酷いものだった。
それでも、大事そうに両手で花を包み込む少女は酷く安心した顔をしていて。
彼女を助けるために駆けずり回って疲れきった身体も、軽くなったような気がした。
沈む夕日に照らされて、街は真っ赤に染まっている。
シャワー浴びる余裕くらいはあるかな、と土だらけの服を払っていると、「あの」と声をかけられた。
キリが視線を落とすと、背筋をぴんと伸ばした少女がこちらを見上げていた。
「あの、……本当に、ありがとうございました」
改まって頭を下げる姿は、決して育ちの悪さを感じさせない。
この少女が師匠と呼ぶ人の人柄が垣間見えたような気がして、キリは頬を緩めた。
「もし次に同じようなことが起こって、誰も頼れなかったらさ」
「……うん」
「あんなことせずに、最初から頼りにおいで」
元々大きな目が更に丸くなったかと思うと、そこからぼろりと大粒の雫がこぼれた。
ごめんなさい、と繰り返しながらごしごし目を擦る少女の頭を、ぽんぽんと叩く。
多分、恐らく、としか言い様がないが。
今回倒れたという師匠以外に頼れる大人がいれば、彼女だって盗みなど考えなかっただろう。
キリとて立派な大人ではないが、できることなんて限られてはいるが、一応成人している。
少しでもその不安を和らげてやるくらいは、きっとできるはずだ。
暫く響いていた嗚咽は、ややあって小さくり、やがて消えていった。
涙は止まったらしく、ぐすぐすと鼻を啜る少女に声をかける。
「後はその薬屋とやらに依頼するだけか」
「う、うん。お店に行ったことはないんだけど、ボクも顔見知りだから大丈夫」
「場所は分かるのか?」
「うん。住所のメモだってちゃんと持って……」
と、彼女はポケットに手を突っ込む。
そして、さっと顔を青ざめさせた。
おいおいまさかと思う暇もなく、再び雫を湛えた瞳が見上げてくる。
「……メモがない……」
「ははは」
今度は、さすがに笑うしかなかった。
結局、その薬屋さんとやらを探して街中駆け回るはめになった。
そう時間もかからず見つかったから良かったものの、疲れは蓄積するばかりだ。
くたくたになって帰ってきたキリは、最低限の汚れだけ落としてそのまま仕事に入らざるをえなかった。
部屋に戻ってきたのは、もう街灯も消えるような時間だ。
脇目も振らずにお風呂に入り、火照ったままの身体を寝台に投げ出し、そのまま眠りにつこうとして。
――そういえば定期連絡してないや、と重たい身体を寝台から起こす。
正直明日にしたかったが、今日掛けなければまた酷い目にあう気がする。
渋々とボタンを押すと、微かな音で呼び出し音が鳴り始めた。
数度鳴ったあたりで音が途切れ、ノイズ混じりの声が流れ出す。
『随分遅かったな?』
「今日は色々あったんだよ……」
ああもう本当、色々と。
乾いた笑いを漏らすと、『ほう?』と多少興味ありげな声が返ってきた。
『充実した日々を過ごしているようで何よりだな』
「うっせーよ。……そういうわけで眠いんだけど切っていい」
『まあ待て』
そう告げて、ディアノスはいくつか質問を投げかけてきた。
アルシータの街の様子はどうか、傭兵の様子はどうか。
そして、キリの体調はどうか。
最後の質問に思わず「はぁ?」と低い声が出たが、ディアノスは至極真面目に言葉を続けた。
『魔力を持たないということは、魔法への耐性もないということだ。アルシータは特に魔力の影響が強い街だから、何か体調に変化があるかと思ってな』
「強い魔力なんてこっちに召喚された時に死ぬほど浴びてるわ」
『ほう。その時は何か変化はあったのか?』
「変化?」
こっちの世界に来て変わったことなんて、身体能力くらいだ。
……え、何、まさかもっとチートになるとかそういうの?
便利ではあるかもしれないけれど、正直人間をやめる覚悟はない。
黙り込んだキリに、ディアノスが『まあ』と言葉を続ける。
『変わりないなら構わんが。また何かに巻き込まれでもした時は、気にかけておけ』
「それは……気をつけるけど」
『ああ』
と、ここで、ザザ、と入るノイズ。
聞き取りづらくなった声が、多少口早に言葉を告げる。
『そろそろ時間だ。一週間程度ではこれが限界のようだな』
「ん。じゃ、また」
プツ、と軽い切断音。
何の反応も示さなくなったそれをじっと見つめてから、
「……あ、結局聞きそびれたな」
確認しようと思っていたことを思い出し、ぽつりと呟く。
どうやら充電(充魔?)も十分ではなかったようだし、かけ直すことはできないだろう。
まあ仕方ないか、と通信機を荷物に放り込み、キリは疲労でいっぱいの身体を寝台に投げ出した。
体の重さと、それに反比例するかのように軽くなった心。
深い眠りに誘うそれらに抵抗することなく、キリは目を閉じた。




