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霧雨のまどろみ  作者: metti
第三章 帝国グラジア
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6.ちびっこ盗賊、参上




チチチ、と、小鳥の鳴く声と梢が揺れる音。


ぼんやりと瞼を持ち上げれば、カーテン越しに淡く照らされた天井が見えた。

体を包むふわふわと柔らかな毛布は、二度寝するのに最適な温もりを伝えてくる。

少しだけその魅力に思いを馳せてから、キリは幾度かの寝返りと共に誘惑を振り切った。


ふあ、と欠伸をして起き上がる。



無事国境を越えたキリは、数日前にアルシータの首都に入っていた。

連泊で取った宿屋の一室で寝泊まりしつつ、図書館で魔法に関する文献を漁る日々だ。


追々仕事も探そうと思っていたのだが、幸運なことに宿泊している宿屋で夜だけ仕事をさせてもらえる事になった。

なんでも従業員が急に怪我をしてしまったらしく、働ける人物を探していたらしい。

元の世界ではバイトを掛け持ちしていたくらいなので、給仕くらいはお手の物だ。

なんだか懐かしさを覚えつつ、無事に数日を過ごしている。



そんなこんなで、今日でグラジアの砦を出て一週間――つまり、定時連絡の日だ。

またあれと話すのかと思うと正直気が乗らないが、実は今回ディアノスに確認しておきたいことがあった。


丁度二日前の夜、とある卓を囲んで夕食を取っていた傭兵たちが、気になる話をしていたのだ。


――ティンドラの砦が落ちたらしい、と。


残念ながら給仕をしていたので詳しい情報は聞けなかったが、どうやら数人が捕虜として捕らえられたとの事だった。

あくまで噂の域を出ない程度の話だが、火のないところに煙は立たない。


……真偽を確認したところでキリにできることはないが、思うところはある。

自分勝手でも、安否を確認したい気持ちは抑えきれなかった。



通信の時間は指定されなかったが、昼過ぎにでも連絡すればいいだろう。

午前中はまた図書館か、少し街を見て回るのもいいかもしれない。


そんなことを考えつつ、キリは朝食をとるために部屋を出た。

















「おう、ミスト」

「おはよう。なんか騒がしいな」


階下に降りたキリに話しかけてきたのは、この宿を切り盛りする獣人の男性だった。

獣人特有の鋭い目つきに最初はたじろいだが、話してみれば気さくでいい人だ。

料理も美味しいし、嫁さんがいないのが不思議なくらいだった。


閑話休題。

キリの問いに、主人は「ああ」と宿の外に視線を向ける。


「一区画隣の研究者さんの家が魔法の失敗で爆発したんだとさ。それで騒いでるようだ」

「へー」

「ま、いつもの事だ。……でな、朝から悪いんだがひとつ頼みがある」


と、彼が言うには、どうやら従業員が一人風邪で休んでしまったらしい。

店は何とか回すから、メモにある物の買い出しだけお願いしていいか、とのことだった。


別段急ぐ予定があるわけでもないキリとしては、断る理由はない。

快諾し、当初の予定より二品ほど増えた朝食をたいらげて、宿屋を出た。



木漏れ日に目を細めながら、近くの市場へと続く街路を歩く。


アルシータの町並みは、奇妙な形の建物が並んでいるのが特徴だ。

瓢箪のような形をしている建物の隣では、煙突が三つも四つも突き出ていたりする。

キリが一番度肝を抜かれたのは、壁からいくつもトゲが突き出ている家だった。

あれにうっかり馬車でも突っ込んだら大惨事だろうな、と思いながら前を通り過ぎる。


ふと顔を上げると、そう遠くない場所から黄色っぽい煙が上がっていた。

公務員っぽい制服の人たちが数名、そこへ向かってばたばたと隣を駆け抜けていく。


この数日ですっかり見慣れてしまった光景であるが故に、キリも慌てず騒がず道を譲った。

大変だなーと頬をかきつつ、のんびりした足取りで歩みを進める。



露店が並ぶ円形の広場を通り抜け、たどり着いた市場は大層な賑わいを見せていた。

アルシータは魔法の研究が盛んだが、それに伴って魔法を学びに訪れる亜人の数も多い。

視界の隅で揺れる大きなしっぽにちょっぴり目を奪われつつ、キリはメモの買い物を済ませていった。


食料は生ものもある上に量があるから後回しにして、日用品を買い揃えていく。

露天で石鹸を選んでいると、にわかに背後が騒がしくなった。


「ん?」

「何だ……?」


振り返ると、空に立ち上る煙が二本に増えている。

爆発音はなかったが、もしかして本日二箇所目の魔法事故だろうか。


だが、それにしても随分と広場に近い。

一体どこから上がっているんだろうかと、キリがそちらに目を凝らした――その一瞬。


するりと掠めるように、小柄な影がキリの脇を過ぎ去っていく。


その手が、キリが腕に引っ掛けていた荷物袋の紐に引っかかった。

かと思うと――そのまま奪い去っていく。


ふっと失せた荷物の重さにキリが視線を戻した時には、その背は人ごみに消え去ろうとしていた。



「あいつ……!」


財布もそうだが、荷物の中には例の魔法陣と今まで調べた文献のメモ、ついでにキリの勉強用の手帳が入っている。

魔法にあまり縁がないグラジアではともかく、あれがアルシータに出回るのはまずい。

条件が厳しいので発動の心配はあまりないとはいえ、悪用されでもしたら大変なことになる。


よってキリの取った行動は迅速だった。



「ごめんおっちゃん、これ預かってて!」

「お、おう」



買い物袋を露天商人に放り投げ、人並みを掻い潜って小さな背中を全力で追いかける。

どうやら地理には詳しいらしく、細い路地へと入っていく姿に眉を寄せた。


だが、何分速さには自信がある。

小柄なだけにすばしっこくはあるようだが、追いつくのはそう難しくない。

人が少ない路地へと逃げ込んでくれたのは、障害物が少ないという点では僥倖だった。


そう時間をかけずに再びその後ろ姿を捉え、キリは僅かに目を瞠った。


小柄な――少年かと思ったが、恐らく少女だ。

走るたび揺れる帽子の隙間からは、小さなツインテールが見え隠れしている。

年の頃も、十代半ばもいかないくらいだろう。


日常的に物盗りをしているにしては、随分小奇麗な格好だ。

アルシータの治安も別に悪いとは聞いてなかったんだけどな、と思いつつ、走る速度を上げる。


後を追って路地を曲がった先は――行き止まり。

自分の背丈の倍くらいはありそうな壁を前に、少女はこちらを振り返った。


「……?」


地理には詳しいんじゃないのだろうか、何故自らこんな所へ?

内心首を捻るキリを尻目に、少女は盗んだ荷物袋を抱えた手とは反対の手で、


「ていやっ!」


唐突に魔法を放った。

詠唱も予備動作もあったもんじゃないそれに目を瞠ったが、それはキリとは見当外れの方向へ飛んでいく。

虚空へと消えていくその行方を追いもせず、キリはとりあえず少女を捕獲しようと歩み寄り、


その上に、ふっと影がかかった。



「うぇっ!?」



慌てて後ろに飛び退ると同時、大きな音を立てて上からガラクタが降ってきた。


ぶわりと舞い上がる砂埃、積み上がる古い机やら椅子やらオブジェやら。

キリの目の前の高さまで積み上がったそれに、チッと舌打ちした。


どうやら路地横の民家に積んであったものを、魔法で移動させたらしい。

手が込んでいる上、手口が随分と鮮やかだ。

この分だと、広場を騒がせた二本目の煙の出処も彼女なのかもしれない。



こりゃ逃げられたかな――と半ば諦めつつ、煙が晴れるのを待つ。

が、晴れた煙の向こうに、椅子と机を積み上げ、壁をよじ登って逃げようとする少女の姿を見つけ、キリは目を瞬いた。


てっきりどこかに逃げ口の一つも作っているのかと思ったが、そういう訳ではないらしい。

確かにこれだけの高さが積み上がれば、大体の追跡者は追うのを諦めるだろう。

が、残念なことにキリの前では障害にすらならない。


少し下がり、助走をつけて瓦礫を飛び越える。

ついでにちょっと悪戯心が湧いて、勢いそのままに壁を蹴り、少女が登ろうとしていた壁の上に降り立ってやった。


「よう」

「うわああ!?」


案の定手を滑らせてべちゃりと下に落っこちた少女は、鼻を抑えつつ逃げ場を探す。

が、元来た方は自分が落としたガラクタで埋まっているし、背後はキリに取られている。


慌ててガラクタを乗り越えようとする少女にため息を吐いて、キリは路地に飛び降りた。

ここまで追い詰めれば、もう走る必要も急ぐ必要もない。


ガラクタの上を這い上っていた少女を、ぐいっと襟首を掴んで持ち上げる。



「はー、やっと捕まえた」

「離せ馬鹿ぁ!ボクに何かしようなんて百万年早いんだからー!!」

「お前な、他人の荷物盗っといてそれは……」

「すけべ!変態!降ろせって――ばぁ!!」

「って、え」


襟首を掴まれてきゃんきゃんと喚いていた少女の手元が、淡く光る。

思わず目を瞠ったキリが行動をとる前に、光は収束し、弾けて、


ぼふん、と珍妙な音がして、目の前が煙に包まれた。




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