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霧雨のまどろみ  作者: metti
第三章 帝国グラジア
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4.まるで氷水を浴びたかのような



不意打ちについて、キリに一頻りの罵倒を連ねられた後。

思い出したように告げられたのは、また盗聴器の一つも付けてないだろうな、という言葉だった。


否定すれば、不満げにしながらもキリはそれ以上追求してこなかった。

それよりも、これ以上一緒にいる方が危険だと判断したのだろう。

「武器貰うぞ」とだけ告げて逃げるように部屋を出ていったキリの背を見送り、ディアノスは一つ息を吐いた。



「失礼します」


ほぼ入れ替わりに入ってきた部下の顔を一瞥し、そのまま書類に視線を落とす。

顔を上げぬまま、投げかけるのはただ一言。


「どうだ」

「同盟は破綻。キリ・ルーデンスは任務中、賊の襲撃から王族を守って殉死と」


簡潔に告げられた報告を、ディアノスは鼻で笑った。


「表向きにはそう収まったか。まあ、同盟の話こそ機密だから当然だが」

「交渉に有利な材料ができた訳ですから、当然竜人族は騒ぎません。ティンドラ側も、キリ・ルーデンスのしたことを公にできる案件ではありません。妥当なところではないでしょうか」

「これ幸いと何らかの汚名を押し付けて追放することもできた筈だがな。第二王女が動いたか」


机に備え付けていた端末を操作し、顎に手を当てる。

立体映像で浮かび上がった地図を眺めながら、ふむ、と言葉を続けた。


「竜人どもの介入はなし。キリ・ルーデンスは死亡。アルシータは相変わらず沈黙」

「背後の国々に対しては、まともな軍隊を持つ国を中心に網を張らせています。後はティンドラ国境を通る物資に注意しておけば問題はないかと」

「予定通りだな。距離があるから、他は動き始めてからで間に合う。このままなら一月かけず落とせるだろう」


面倒な人物が指揮を執っている最前線の砦は、何度かの衝突を通して攻略の目処がついている。

あそこさえ落ちれば、後は時間の問題だ。


一週間といったところか、と頬を掻き、


「元老院のジジイ共には一応一月半と報告しておけ。予定が早まって怒る奴はいないだろう」

「はっ。……彼の件については」


先ほど出て行った『彼』についても、一応報告はしておかねばなるまい。

元老院のゴリ押しがあったからこそ、あそこまでさせたのだから。


「結果こうなったんだ、文句はない筈だ。何か言われたら、紐付けて泳がせてるとでも言っておけ」

「……泳がせておくおつもりですか」

「少なくとも、戦争が終わるまでは利用価値が残っているからな」


先ほど聞き出したキリに関する情報は、全てディアノスの所で止まっている。

あれだけの技術、知識を持つのであれば、本来ならば議会で処遇を決定する事案だ。

――とはいえ、あれはまるごと元老院にくれてやるには少々過ぎた獲物。



「すぐ始末するには惜しい。その見解だけ伝えておけ」

「ご随意に」



手元でうまく利用すれば、第一王子を抑えて継承権を奪える可能性だってある。

頭を垂れ、部屋を退出する部下の背を見送り、ディアノスはゆるりと目を細めた。
























部屋を出て窓の外を見れば、星が瞬いていた。


廊下は人通りもなく静かだが、しっかり照明が灯っている。

キリのような他所者が活動するには、ちょうどいい時間帯だ。


散歩がてらに砦を彷徨いながら、キリは時間をかけて武器庫へと辿りついた。

さすが軍事国家というべきか、武器庫はきちんと管理されていて見張りも立っている。

武器が埃をかぶっていたティンドラとは大違いだ。


見張りに立っていたのは、クレイズより幾らか年上程度の少年だった。

ディアノスに許可をもらったことを告げると、彼はすんなり脇にどいてくれる。


どうやら、キリがふらふらのんびり砦の中を見物している間に連絡が届いていたらしい。

仕事が早くて結構なことだ、と思いつつ、キリは扉を開く。


その際、ひどく好奇心を宿した目で見られていることに気づいたが、あえて無視した。

第二王子殿下が個人的に引っ張ってきた人間、それも機械人ではなく普通の人間とくれば、好奇の視線に晒されるのは至極当然だ。

だからといって、一々それに対応してやる義理もない。



重い音を立てて締まる扉を背に、中を見回す。


無機質な灯りの中、ずらりと並ぶ武器たち。

見たこともないような機械鎧から見慣れた長剣まで、何でもござれだ。

圧巻だな、と暴力の発露に顔を引きつらせつつ、キリは長剣が並ぶ壁へと歩みを進めた。


迷う必要はさしてない。

使い慣れた武器が一番だ。


ティンドラで支給されていたものと同じような長さ、重さの長剣を目測で探す。

壁に剣を固定している革ベルトを外し、重さを確かめようと何の気なしに柄を握って、



蘇った感触に、体が硬直するのを感じた。



月明かり。

石造りの柱を穿つ音。


鉄臭い匂い。

喉の奥の、苦みばしった酸っぱさ。



……人の肉を裂く感触が、まだ、手から離れてくれない。





「……っ」





丸一日ぶりの食事を無駄にしてたまるかと、せり上がってきたものを無理やり飲み下す。


誤魔化すように服の裾をきつく握り締めて、キリは背を丸め蹲った。




帰る。

帰らなきゃ。


だから。


剣を握らないと。

きちんと食べないと。

眠れるときに、眠らないと。


……生きて、帰るんだから。




ややあって、なんとか吐き気を抑え込み、息を吐く。

扉が閉まっていてよかった、余計な心配をさせるところだった。


ゆっくり一つ深呼吸をして、キリは立ち上がる。



歯を食いしばり、もう一度、柄に手をかけた。


触れた指の先から、すっと冷気が昇ってくるような感覚。

ぞくりと背筋が震えるのを無視して、キリは握り締めた柄を手元に引き寄せた。


ぞわぞわと肌を這う氷のような感覚、手足が他人のものになったような感覚の遠さ。

お世辞にも、重さの比較なんて出来る状態ではなかったのは事実だ。



ただ、掲げたその剣がひどく重く感じて、手を離した。





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