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霧雨のまどろみ  作者: metti
第三章 帝国グラジア
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3.急がば回れ



「なるほど」と頷いたディアノスが、満足げに言葉を続ける。



「つまり、お前はあの姫の我侭に巻き込まれただけの、哀れなただの異世界人だと」

「……もう洗いざらい吐いたからな。これ以上は叩いても揺すっても出ないぞ」

「結構。ここまで分かれば十分だ」



物的証拠と誘導尋問に次ぐカマかけ、言葉尻を捉えた追求の数々。

終いには黙秘権の行使すらも許されず、立場と密室をいいことに脅迫されたキリは、最終的にこの先の安全よりも目先の安全を選んだ。



途中から虚勢を張る気力も失せ、ぺたりと執務机に突っ伏したまま、キリはくぐもった声でぽつりと言葉を零す。



「もうやだ……ほんとお前なんなの……」

「そうへこむな。取って食おうという訳でもなければ、実験に使おうという訳でもない」

「もう放っといてくれ」

「これだけの技術を持っているとなると、そういうわけにもいかなくてな」


うわ、なんだかまた厄介事に巻き込まれる予感。

顔を上げて心なし距離を取るキリの動きに気づいたのか、対面に座るディアノスがくつくつと声を上げて笑い始めた。


「心配するな、監視だの監禁だのという話ではない。ただ、何の対策もなく野放しにもしておけないのでな」

「……具体的にどうするつもりだよ」

「まあ、いくつか選択肢はあるが……その前にお前、これからどうするつもりだ?俺が声をかけるまでは、どこぞで薬でも作っていたようだが」

「え」


いやまあ、間違ってはいないけれど、なんで知ってるんだ。


「里にいた時、誰かとそんな会話をしていただろう」

「……ああ、イシュか。ほんと何もかも筒抜けだな」

「ちなみに盗聴器は川に流されてしまったようだから、心配するな」

「するか。いつくっつくか解らないからな、もう」


ちなみに発信機は、と問うと、剣帯にくっついているとのこと。

服と一緒に新調しよう、と心に決めつつ、キリはとりあえずで決めた計画を思い出す。


「アルシータに行こうと思ってるけど」

「路銀と関所はどうするつもりだ。特に関所、開戦前のようにはいかんぞ」

「え、なんで」


目を瞬くキリの純粋な疑問に返されたのは、ため息。


「難民が発生するだろう。それらの流入を防ぐため、アルシータ側が入国審査を厳しくしているからな」

「ああ、なるほど」

「ついでにお前、今は身分証明も何もない状態だろう。このままではこの街から出るのにだって苦労するぞ」


考えてみれば、確かにキリは正規の手続きを踏んで入国していない。

不法入国にあたるのかこれって、と頬を引きつらせるキリの前に、ひらりと揺れる一枚の紙。


「さっさと出て行きたがっていたようだが、約束の保証くらいは大人しく受けておくことを勧めるぞ」

「……変に特別なもんじゃないだろうな」

「何だ、俺の印章でも欲しいか」

「要らん!!」


青ざめて叫ぶと、楽しげな笑い声が返ってきた。


「安心しろ、グラジアの一般市民が持っているのと同じ、普通の身分証明だ。……ただ、アルシータへ行きたいのであればこれでは不十分だな」

「……つまり?」

「軍属ということにしてやろうか?国内でも動きやすくなるぞ」

「遠慮する。お前の下につくのはもう懲り懲りだ」


そもそも、戦場にわざわざ飛び込むような身の程知らずな真似はしたくない。

剣だって、できれば使わないで済むほうがありがたいのだから。


そんなキリの渋面を眺めつつ、ディアノスは腕を組む。


「そう言うがな。この話を蹴った場合、アルシータへ行けるのは随分先になるぞ」

「戦争が終わればすぐだろ。お前らがさっさとカタをつければいい話だ」

「何を言う。戦後処理が始まれば国境が変化して、それに伴ったいざこざも増える。警戒が解けるのはそれこそ随分先の話だぞ。一年は見るべきだ」


いちねん、と口の中で呟く。


この間で、呼び出されて半年だ。

一年なんてあっという間に過ぎ去ろうとしている。

そこに、あと、一年。


「他の方法は」

「有名な商家の後ろ盾でもあれば別だろうが、グラジアには少ないからな。薬師の国家間共通資格でも取るか?どこの国でも無条件で迎え入れてくれる筈だ。取れればの話だが」

「……独学で取れるような資格じゃなさそうだけど」

「まあ、通常は何年も専門の師のもとに就いて取る資格だな」


その返答を聞いて、キリは黙り込んだ。

商家の知り合いなんていないし、薬の知識だって里の畑で採れる程度の範囲に過ぎない。

誰かに師事して資格を取っている暇などないだろう。


たっぷり数分の沈黙を挟み、声を絞り出す。


「軍属って、立場的にはどうなるんだ」

「俺の直下だ。ティンドラに潜り込んでいた時と同じだな」

「徴兵や命令に従う義務が生じたりはしないんだな?」

「直下だから俺の命令以外に義務はない。面倒事に巻き込まれたくないなら、国境を通った後に証明書を燃やせばいいだけの話だ」


どうする、と重ねて問うてくる声を聞きながら、キリは目を閉じる。


急いでいる、わけではない。

この世界に来て既に半年以上が経過している。

間に合わないことはどう足掻いても間に合わないだろうし、多少のことなら諦めもついて――


――いや、それでもやはり、諦めきれてはいないけれど。


けれど、いつまで経っても訪れないいつかに、意味はない。

帰るのは、できるだけ早い方がいいに決まっている。



握り締めた拳をゆっくり開きながら、キリは目を開く。


「……わかった。軍属にしてくれていい」

「いいだろう。ああ、名前だけは直筆で頼む。関所での本人確認も筆跡で行うからな」


頷き、キリは机の上の紙面にペンを走らせる。

名前の後に手癖でルーデンスと続けそうになって、慌てて手を止めた。

この世界で名字を持つのは貴族だけだし、空欄で構わないはずだ。


書類を机の向こうへ押しやると、ディアノスはちらりと名前を一瞥して頷いた。


「服と一緒に、明日の朝には手元に届くはずだ。それまではゆっくりするといい」

「どーも」

「それと、路銀の件は」

「そこまで世話になるつもりはない」


続けられようとした言葉を、キリはきっぱりと遮った。


現在、荷物の奥に入っている革袋は十分に重みがある。

最悪を想定して、里へ来る際に多めに持ち合わせていたのが功を奏した。

川に落ちた時に流されなかったのは、僥倖という他ないが。


これ以上借りを作ってたまるか、という意地もある。

交渉の余地がないのを見て取ったか、ディアノスは「そうか」と肩をすくめるだけで済ませた。


「なら、旅装と剣の一本くらいは支給しよう。軍属の者を武器も持たせず出立させたとなると、俺の沽券に関わる」

「要らん。どうせまた盗聴器と発信機付いてるんだろ」

「……好意は素直に受けるものだぞ」

「お前のそれは好意じゃない」


とはいえ、確かに剣のような武器は値が張る。

そして、いくら使いたくないとはいえ、武器の一つも持たず旅ができるほどこの世界は安全ではない。


少し考えて、キリは「じゃあ」と妥協案を示した。


「砦なんだし武器庫の一つくらいあるだろ。後でそこから一本もらってく」

「……まあ、それでいいなら構わんが」

「うん。じゃ、そういうことで」

「待て待て。まだ途中だ、対策なくお前を野放しには出来んと言っただろう」


立ち上がったところで制止され、この話になった経緯を思い出す。

渋々座り直し、机に頬杖をついて。


「……で、結局どうするって」

「そうだな、まず盗聴器と発信機が嫌なら定期的に連絡を入れろ」


自分でもあからさまに顔が歪んだのがわかった。

こいつと連絡取り合うなんて確実に厄介事フラグだろ、というのが一つ。

そして、恐らくそれに足るだけの理由をあちらは用意しているのだろうというのが、もう一つだ。


「解りやすく嫌そうな顔だな」

「当たり前じゃねーか」


ようやく解放されたと思ったら、またこれだ。

これから先と引き換えに目先の安全を取ったのは自分だが、忌々しいことに変わりはない。


「一応こちらは身分を保証する側だぞ?保護者に連絡ぐらいするべきだろう」

「うわ、そうなるのか……今更だけどさっき名前書いたの早まった気がしてきた……」

「取りやめるか?」

「…………くそが。続けろ」


舌打ちと共に促すと、ディアノスは満足げに頷いて言葉を続けた。


「離れていても会話できる機械を貸してやろう。頻度は、そうだな……」

「半年に一回でいいだろ」

「生存確認含め、月二回といった所か」


ち、と舌打ちするも、キリは文句を挟まなかった。

だいぶ譲歩してくれたのだろうその数字に文句をつければ、期間を短くされる可能性もある。


「すぐ用意できるものでもないからな。明日出発前に執務室に来い。使い方もその時教えよう」

「……わーったよ」


嫌々ではあったが了承の返事をすれば、彼は腰を上げて近くの棚の引き出しを開けた。

机の上に身を乗り出して、キリの手元に小さな印章を寄越す。


「砦を出歩くなら付けておけ。身分証明のようなものだ」

「ふーん」

「ああ、そうだ。それと」

「は、何――」


顔を上げ、続けようとした言葉が、文字通り食われた。

一瞬ではあったものの、光彩が見える程近くでにやりと笑った灰色に、思わず目が据わる。


反射的に平手を食らわせようと動いた右手は、計ったようにいなされてしまった。

ならばと左手で拳を作ったものの、宙に浮いた右手をそのまま引かれてバランスを崩し、慌てて机に手を付いた。

机の下から脛でも蹴ってやろうかと思ったが、残念ながら脛当てが付いている。

蹴ったところでこちらが痛いだけだ。


そうこうしているうち、ディアノスは元いた席に戻ってしまった。

右手は解放されたものの、机を挟んで、場は膠着する。



油 断 し て た … … ! ! !


貞操守ったからって安心するんじゃなかった……!

駄目だ、いくら疲れてるからってこいつの前で隙を見せちゃいけない。

食われる。



「少しは人に頼ることを覚えるんだな」

「……頼るにしてもお前だけは断固お断りだ」



椅子から立ち上がりながらぎろっと睨みあげると、ひどく愉快そうな笑い声が部屋に響いた。






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