26.ゆめのなかで
一旦遠のいた意識は、身を切るような寒さで無理やり引き戻された。
まず感じたのは、浮遊感。
次に、風を切るような感覚と、何かに身体をわし掴みされているかのような圧迫感。
何事かと焦ったが、風の強さが半端なく、ろくに目も開けられない。
たが、その感覚はそう長くは続かなかった。
吹き付ける風が弱くなったと思ったのを皮切りに、重い音があたりに響く。
続いて体が地面に触れ、そのまま身体をわし掴んでいた感覚が消える。
重力に引かれてだるさを訴える身体に、どこかへ降ろされたらしいと知った。
ぼんやりした思考で、キリはなんとか周りの状況を把握しようと試みる。
もたれ掛かっているのは、どうやら岩肌か何かのようだ。
そして、何かは解らないが、近くに何かがいる。
身体は思うように動かないが、目を開けて確認するべきか?
少しの躊躇の後、キリは重い瞼をのろのろと開ける。
赤い何かが視界に入ってくるが、ぼやけた視界では全体像が見えない。
瞬きしながら何となしにぼんやりと上を見上げ、
そして、自分の目を疑った。
「りゅ、う……?」
ヴィーのような手乗りドラゴンとか、そんな可愛いものじゃない。
まさしく、竜だ。
見上げた首が痛くなりそうなほどの体格。
剣も通らないほど硬そうな鱗に、広げればキリ四人分はありそうな大きさの翼、炎の灯る尻尾。
そして何より、額に生えた柘榴色の透き通った角。
それはまるで、絵の中から出てきたのではないかと思うほどの、美しい竜だった。
寒さも痛みも忘れてぽかんと竜を見上げていたキリだったが、竜がぱたりと尻尾を動かしたのをきっかけにはっと正気に戻る。
同時に戻ってきた寒さが身に染みて、身震いした。
――そうだ、河に落ちたんだった。
ずぶ濡れなのも、ひどく寒いのも、きっとそのせいだ。
まとまらない思考で今までのことを思い出しながら、キリはぼんやりと竜を見上げる。
相変わらず動く気配はないが、尻尾だけが時たまゆらゆら揺れていた。
よく見れば、泥水でびしゃびしゃなキリに負けず劣らず、竜の周りにも水たまりができている。
まさか、
「助けて、くれたのか?」
一体どうして、と。
問いかけたところで答えは返ってこない。
美味しく食べるためじゃないだろうな、なんて考えが一瞬よぎったが、それならとっくに食べられていておかしくない。
踊り食いが趣味じゃない限り、その線もあまりなさそうだ。
少し様子を伺ってみたが、竜はどうもそれ以上動く気配がないようだった。
このままでも襲われることはなさそうだが、ずっとこうしているわけにもいかない。
そう思ってなんとか起き上がろうとしてみるものの、思うように力が入らない。
ひどく身体が重くて、動かなかった。
河に流された時にあちこちぶつけたらしく、少し動くだけで痛みが走る。
それでも五体満足なだけ、ましなのだろうけれど。
ついでに全身濡れ鼠なのが災いしたのか、身体が冷えて感覚が失せてきている。
驚きで一時覚醒した意識もだんだんと朦朧としてきて、再び視界がぼやけてくる。
「……っ」
まずい、このままではまた気を失ってしまう。
こんなずぶ濡れで夜風に当たるような場所で気絶したら、体調を悪くするのは自明だ。
朝方の気温によっては、最悪二度と目覚められない。
なんとか意識を保とうと頭を振るが、奥から響くような頭痛が強まるだけだった。
思わず顔を顰めるキリの隣に、明るいものがすっと差し出される。
炎。
尾の先に灯ったそれは、周囲の湿り気にも関わらず煌々と光を放っていた。
しかも、一体どういう不思議現象か、燃えるものがないのに存在し続けている。
小さな炎の意外な暖かさに驚いて、キリは力なく数度瞬いた。
温めようと、してくれている。
「……お前、竜人の皆が崇めてる、神様じゃないのか」
竜を崇める一族の祭典。
その最後の夜に現れた、幻みたいに美しい、大きな竜。
そんな連想でぽつりと呟いた言葉だったが、口にすればそれが真実であるかのように感じられた。
竜の方は相変わらずそれ以上動こうとしないが、満月みたいな色の大きな目は静かにキリを見下ろしている。
知らず、くしゃりと顔が歪んだ。
のろのろと力の入らない腕を持ち上げる。
それだけのことが、ひどく億劫だった。
それでも、そうせざるをえなかった。
「……いいのかよ、助けて」
お前を慕う人たちに、ひどいことした奴を。
冷え切った身体と対照的に、熱を持つ瞼。
泥水で汚れた頬を流れるそれを、見られてはいけないような気がした。
……ごめんなさいなんて言えるほど、無責任なつもりもなかった。
それでも傍らにある、暖かな温度。
そのことに、身勝手にも少しだけ安堵する。
それと同時に、容赦なく襲ってくる疲労。
滲んだ視界に、星空を背景に佇む真っ赤な竜。
その光景を最後に、持ち上げていた瞼が落ちる。
半分気絶するような形で、キリは再び意識を飛ばした。




