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霧雨のまどろみ  作者: metti
序章
5/92

5.さて、これからどうしようか



少し考えさせてください、と告げた。

キリの返答に頷いた彼は、湯浴みと食事の用意をさせるとだけ言い残して部屋を出て行った。


再び静けさを取り戻した部屋の寝台の布団の中で、キリは沈黙を保ったまま丸くなっていた。



口にしてしまえば、それは簡単なことだった。

キリがしたいことなんて、たった一つ、それ以外にありえなかったのだ。



元の世界に帰りたい。

家に帰りたい。

お母さんやお兄ちゃんや妹に会いたい。

学校の友人に会いたい。先生に会いたい。


こんなふっかふかのベッドじゃない、少し硬いけれど使い慣れたベッドで、泥のようにぐっすり寝たい。

炊き立ての白いご飯に生卵と醤油をぶっこんで、行儀悪くかっこみたい。

もうすぐ発売日だったゲームもやりたいし、完結してない漫画の続きも読みたい。

点数が下だった方がラーメン奢ると約束していたあのテストの結果はどうなったんだ。

家で育てていたサボテンのナルサス(命名:友人F)は、無事に花をつけているのだろうか。


帰りたい。


…否、帰るのだ。

何があっても。



今更それを迷うなんて、ありえない。

あの時帰りたいと願った思いは、この程度で揺らぐものではない。


だから。



こんな場所で立ち止まっている場合ではないのだ。


…そんな場合ではないのに。




「……っ」




ぐったりと力が抜けた身体で億劫そうに寝返りを打ち、キリは溜め息を吐いた。


寝起き早々に腹の探り合いなんて、勘弁してくれと言う外ない。

慣れているからといって、疲労を感じないわけではないのだ。

難しいことを考えるのだって、もっと後にしたい。


こればっかりは仕方ないよな、と自分でも思う。

この短い期間に、色々ありすぎたのだ。



だから、できれば。

今はただ。


何も言わず、何も聞かず。

休ませてほしかった。




――けれど、寝転がって息を吐くと、ぐるぐると頭の中を回るのはこれからのこと。

休みたいのに、何も考えていたくないのに、休めない。



それはきっと、頭を空っぽにすると、その分が思い出したくないことで埋められてしまうからだ。

思い出したくないから、蓋をしていたい。

その蓋がきっと、これから先について考える事なのだろう。



それに、この件に関しては、返答を引き伸ばせば引き伸ばしただけキリに不利になる。

王都に戻るなら戻るで、噂が広まる前に帰ってしまわないと、帰った時の騒ぎは大きくなるばかりだ。

戻らないなら戻らないで、さっさと身の振り方を決めないと、フォミュラに迷惑をかけるばかりになってしまう。


だから今は、億劫なことに代わりはないけれど、零れる思考を止めることはしない。



微かに吐いた溜め息が、静かな部屋に響いた。

目元を腕で覆い、視界を閉ざしながら、キリは自然と回り始める思考を追っていく。



――結局、どちらを選ぶにしても。


元の世界に帰るためには、帰還のための魔法陣を完成させ、術者が起動しなければならない。

帰還のための魔法陣は、呼び出してくれやがった魔法使いの言うとおり存在しないと考えるのが妥当だ。

その上、魔力のないキリに魔法の発動は不可能だし、そもそも魔法についての知識もない。


王女の元で婚約者をやっていた頃には、例の魔法使いがその研究をするという約束だったが、正直この数ヶ月間、そんな気配は微塵も見られなかった。

キリはお世辞にも好かれているとは言えなかったし、よしんば王都へ帰ったとしても、彼を当てにしてはならないだろう。


とすると、魔法を専門にしている協力者が必須になるのは間違いない。

自分で帰還の魔法陣を研究するにしても、陣を作ってもらうにしても、起動できなければ意味がないのだ。

そんな協力者を作り、魔法陣の研究をして、いつか元の世界に帰るために、有利な立ち位置はどこだ?



「…なんか、掌で転がされてるようで癪だけど…」



後腐れなく表舞台から退場できること。

交友関係を好きに作れるようになること。

加えて、時間を好きに使えるようになることも考えると、選ぶべきがどちらかは明白だ。


ただ、力のある魔法使いと知り合いになるには、身分がある方が便利だ。

ついでに自分でするにしろ他人にしてもらうにしろ、研究にはお金が必要になる。

時間を好きに使えるようになるとはいえ、ここで暮らすなら生計は自分で立てていかねばなるまい。

ついでに、うっかり自分がキリ・ルーデンスだとばれた日には大騒ぎになるだろう。



そんなことを考え考え、問題点を洗い出し、

翌日尋ねてきたフォミュラを見上げ、キリは口を開いた。



「幾つか聞きたいことがあります」



例えば、ここで生活するにあたり、自分はどういった扱いになるのか。

魔術の知識を手に入れたいが、ここで過ごすにあたってそれは可能なのか。

この里の情報は秘匿されているのか、勝手に外へ出て行っても問題ないのか。


一通りキリの言葉を聞き終え、彼はふむと腕を組んだ。


「まず君の最低限の生活についてだが、こちらの心配は要らない。この里では私の客人として扱われるから、衣食住に関しては保障する。魔術に関しては、我らの得意分野だ。情報を収集する程度なら問題なかろう。この里は森や鉱山も近いので、魔法陣の材料を採取するにも都合が良いはずだ」

「…随分気前が良いんですね。この里はそんなに潤っているんですか?」

「そもそも外との交流があまりない里だから、ものの需要や供給が里の中だけで完結しているんだ。手に入らない物は全然手に入らないが、余っているものは膨大に余っている。人一人増えたところで困るような生活はしていない」

「…つまり、資源は豊富だと」

「ああ。消費しないと腐ったりするものは、私が時折外に出た時に金に変えたり、その金でここらじゃ手に入らない珍しい物を買ってきたりするがね」


彼が里の外に出ていくのは、そういった意図もあってのことらしい。

まあ、ずっと閉ざされた里の中では退屈もしようというものだろう。

彼が持ち込んでくる珍しい物は、そんな刺激のない生活をしている人々の慰めになっているようだ。


「で、この里の情報についてだが。お察しの通り、ここは隠れ里だ。無闇に情報を流されると大変困る」

「…では、外出は許されないのですか」

「基本的には、な。まあお目付け役でもいれば別だろうが、ここの者はあまり外へ出たがらないからな…」


つまり、よっぽどのことがなければ外出はできないってことか、とキリは解釈する。

他にも細々とした2、3の質問に答えてから、彼は「で」と身を乗り出した。


「どうする?」

「…客として遇されているだけなんてのは耐え難いので、何かお役に立てればと思ったのですが。私が誇れるのなんて剣の腕くらいです。この里で過ごすなら、狩りくらいしかできることはないと思います」

「ふむ」

「それでもいいと仰っていただけるのなら、…お言葉に。甘えたいと思うのですが」


相手の出方を窺いながら、視線を上げる。

降ってきたのは苦笑いだった。


「君は、貴族として勉強を積んできた割には、随分腰が低いんだな」

「…前に住んでいた場所では、謙虚さや礼儀正しさが美徳とされていたので」

「いや、悪いと言っているわけじゃないんだ。驚いただけで。…しかし、そうか」


君からそう言い出してくれるとは思わなかった、との台詞に、キリはああやっぱりと思った。

美味しい話には裏がある。

薄々感じていた嫌な予感が、とうとうここで現実の物となるらしい。


「実は、旅の間の連れが欲しくてな」

「……は?」

「竜人の一人旅というのは、色々辛いんだ」


曰く。

数多存在する亜人の中でも、竜人というのは比較的珍しい種族らしい。

数が少ない上に、そもそも人里に出てくることが殆どないのだそうだ。

それ故歩いているだけでも好奇の視線に晒されるし、宿を取るのも一苦労。

最近は名前が売れてきてしまったお陰もあって、望まない騒動に巻き込まれることも増えてきたらしい。

それに、この里から物を売り捌きに行く時の荷物持ちも必要だったのだが、他の竜人たちが外に出たがらない上に常識に疎いので、外の世界を知っている人間を探していたそうだ。


「毎回じゃなくていい。人間である君と一緒にいる時ならば、居心地の悪い思いもしなくてすむだろう」


人間は人間でも異世界人ですけどね。

とは言わず、キリは黙ってその条件について考えてみる。


「…折角隠れて暮らしているのに、貴方と一緒に旅をしていては顔が売れてしまうと思うのですが」

「大丈夫だ。君と一緒の時はティンドラにはなるべく近づかないようにしよう」

「そういう問題じゃ…」

「それに、私と一緒なら外出もできるだろう。寄り道くらい全然構わない。悪い話じゃないはずだ」


何でこんなに必死なんだと思わず身を引くキリと、キリが引いた分身を乗り出す彼。

じりじりと近づく距離、無言での視線の応酬。



そして、最終的に。


「…まあ、そんなことでいいのでしたら」

「決定だな。それではよろしく頼むぞ」


根負けしたキリが頷いたことで、契約は交わされた。




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