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霧雨のまどろみ  作者: metti
第二章 王都ティンドラ
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25.ぐだぐだな終演




月明かりは、相変わらず静かに三人を照らし出す。



なんで、と漏らした声は、多分震えていた。


「私が呼んだのは、アゲートじゃ」

「そうだな。同盟の話もまとまったし、晴れて公的に会える状況になったから、この時間は譲ってもらったんだ」


聞きようによっては、ひどくのんびりした台詞だ。

問いかけへの答えにもなっていない。


けれど続いた言葉に、キリは目を瞠る。



「きっと、君に会えるのは今夜が最後だろう?」



そして、理解した。

フォミュラは、――キリが何をしようとしているか知っている。


知っていて、ここに来たのだと。



言葉に詰まるキリの背後で、状況を把握できないファリエンヌが眉を寄せる。


「貴方は?」

「ファリエンヌ王女、でしたか。――初めまして。竜人の里のフォミュラと申します」

「……キリの、お知り合いですの?」

「ええ。崖下で少し」


その意味するところを悟ったのか、ファリエンヌは次の言葉を見失ったようだった。


再び静けさを取り戻した廊下で、キリは奥歯を噛む。



どうして。

どうすればいい?


……違う。


どうするべきかなんて、本当は解ってる。

解っている、けれど、



「……っ、あんた」



どうして来たんだ、とは、言えなかった。

キリが何とか絞り出した声は、ひどく低く響く。


「外交官だったんだってな」

「まあ、こんな時くらいしか仕事らしい仕事はしていないがな」

「……ティンドラとの同盟を、考え直す気はないのか」

「え……?」


背後から響くファリエンヌの困惑した声。

それはそうだろう、彼女は何も知らないのだから。



これは多分、悪あがきみたいな問いだった。

結末なんてわかっているのに、それでも問わずにはいられない問いだった。


キリの気持ちを知ってか知らずか。

フォミュラは、相変わらず穏やかな表情を崩さないまま、緩く頭を振る。


「ない、な。これは竜人族にとって必要な同盟だ」

「……そうか」

「どうしてもやめさせたいなら、そうするしかないだろう」


静かな声を聞きながら、キリはゆっくり瞼を落とす。



この人は。

本当に、何もかもお見通しだ。


それでも止めることはしないんだな、と思いながら、キリはマントの裾を払った。



月明かりに涼やかな金属の音が響く。

鈍く光を反射するそれを見て、ファリエンヌが息を呑む音。


背後でそれを聞きながら、キリは真っ直ぐにフォミュラを見据え、剣先を向けた。



「ごめん。それなら私は、こうするしかない」



キリの答えを眺めながら、フォミュラは目を眇める。

それはどこか、悲しそうな。



「……そこまでして、帰りたいか」

「…………帰りたいよ」



言いながら、震える切っ先も、揺れる視線も。

多分、あちらからは見えているだろう。


それでも、キリは前を見る。




「帰る」




こんなところで、立ち止まっている暇はない。

だから、





――地を蹴る。



フォミュラは避ける素振りさえ見せなかった。






鈍い感触、だった。

真っ直ぐに吸い込まれた剣先は、彼の脇腹を貫く。


そのまま背後の柱に当たり、石を砕く硬い音を立てた。



僅かに頬に飛んできた液体が、ぴしゃりと弾ける。

元々赤い制服は、多分このまま乾かしたら黒い斑点に染まるだろう。


彫りの深い端正な顔が、苦悶に歪む。



「ぐ……っ」



耳元で僅かなうめき声。

吐血はない。


そのことに少しだけ安堵しながら、剣の柄から指を外した。



じわじわと床を侵し始める血液を踏まないように、キリはゆっくりとフォミュラから身体を離す。

そして、突き立てた剣をそのままに振り返った。


青ざめて言葉を失っているファリエンヌを通り越して、見据えるのは廊下の奥。

さて、そろそろ来る頃だ。


予想通り、耳を澄ませば軽い足音が向かってくるのが聞こえた。

その音は段々と近づいてきて、人影が視認できるくらいの距離でこちらに声がかけられる。



「あ、いたいた!キリさーん、用事って……」



そしてかけられようとした声は、途中で途切れた。

暗闇であろうと、床を濡らす赤は月明かりに照らされて酷く目立つ。


その中心にいる者が見知った顔であることに気づいたのか、フォミュラの名を叫んで、駆け寄ろうとするメイ。

横を通り過ぎようとした彼女の腕を、キリはぱしっと掴む。


涙目でおろおろとキリとファリエンヌ、フォミュラを見比べながら、彼女は疑問を口にする。



「どうしたんですか!?誰が、いったい何で――」



そして、それに対する答えが返ることはない。


無言のままぐいっと腕を引いて、キリはメイの小柄な身体を抱え上げる。

そのまま走り出せば、肩の上で悲鳴が上がった。


「やだ、何するんですか!?離してくださいっ」


返事をしている余裕なんてない。

人気のない廊下を、ただただ広間めがけて疾走する。



そして、魔法陣のある広間に入った所で、キリは足を止めた。


光を失った陣の前に、一つの人影。

窓から入り込んだ月明かりでそれが誰なのか視認して、キリは乾いた笑いを漏らした。



「……ほんと。何でこんな所にいるんだよお前」

「……人の部屋の手前で騒いどいて何だよ、その言い草」

「へえ。そりゃ失礼」


この辺に客室なんてあったのか、そもそもこいつ城に泊まってたのか?

と疑問には思いつつ、そんなことを話している余裕もない。

今はただ、急がなければならない。


「聞いてたな」

「……まあな」


先ほどのやりとりだって、別に遠慮して小声で行っていたわけではない。

身体能力の高い竜人なら、聞き取れていて当然だ。


それでいてあの場に乱入してこなかったのが、ひどく不思議ではあるが。

ファリエンヌの前に姿を現すのが嫌だったのだろうか?

――それはともかく。


「じゃあ、私がどうしてここに来たかも分かるよな」

「魔法、使えないんじゃないのか」

「そうだな」

「……どうやって逃げるつもりだよ」


ああその通り、魔力は持ってない。

だから魔法も使えない。

結界を破ることもできないし、外につながる魔法陣も発動はしない。


だから、――誰かにお願いするしかないんだよな。

最初は"目撃者"も兼ねて、メイにお願いしようかと思っていたんだけれど。



「なあイシュ。……それ、動かしてくれないか」



ああでもこいつ魔法使うの苦手だったっけ、というのは後から思い出した。

魔法陣を示されたイシュは、抱えられたままのメイとキリを見比べ、少しの躊躇を挟んで。


「……目的地は」

「ティンドラの森の中」


答えながら、メイを床へ降ろす――もちろん、拘束を解かないまま。

それを見て、イシュは魔法陣の隣に膝をついて目を閉じた。


絶賛大混乱中のメイはといえば、拘束を振りほどこうと必死になっている。

力の差はほぼない筈だが、後ろ手に手首を握られた状態では、どうすることもできないようだった。


「ちょ、ちょっと待ってください!?キリさん、一体どういう」

「見たままだよ。それ以上を話す気はない」


キリの態度にか言葉にか、紡ぐべき言葉を失うメイ。

淡く光り始める魔法陣の横で、イシュが振り向いた。



「……準備できたぞ」



そう告げる彼の表情は、闇に紛れてあまり読めない。

けれどもその声音には、何かを堪えるような静かな響きがあった。


……まあ、当然だろう。

本当なら今すぐにでも襟首掴まれて責め立てられたっておかしくない状況だ。

里でお世話になった恩人を刺すなんて、気がふれたとしか思えないはず。


できるだけイシュから視線を逸らしながら、キリは魔法陣の中央へ立った。

イシュはメイを離さないことに多少戸惑った様子を見せたが、やがて魔法陣に手を突いて魔力を注ぎ始める。


段々と強まる光の中で、キリは腕の中のメイに視線を落とす。

訴えるように見上げてくる濡れた瞳に、キリは柔らかく目を眇めた。



「ごめんな、メイ」



発動の瞬間、とん、と肩を押して魔法陣の外へ押し出す。

一瞬遅れて、視界が白く染まる。



数拍の浮遊感。



次に瞼を開いたとき、キリは森の中にいた。

見覚えのある森は、濃い闇と静寂に包まれている。

そこには、灯りも、人の気配もなかった。


不安定な魔法で飛んだせいか。

くらくらする視界を必死に見据え、キリは持てる限りの力でその場を走り出す。


視界を遮る仮面を捨てて、木々に引っ掛けそうなマントを脱ぎ捨てて。









キリがまだ森を出ないうちに、後ろから幾つもの足音が追ってきた。

森の中だから翼が使いづらいのだろう。


それでも十中八九、森の出口は先回りされているはずだ。

それをふんで道なき道を走っているキリだが、打開方法があるわけでもない。


とりあえず追っ手を振り切って、なんとかグラジアに乗り込む、くらいしか計画がないのだから、ある意味当然か。

早いうちになんとか森を抜けて、竜人たちが大っぴらに出てこられない場所まで逃げるしかない。



そうして無我夢中で暫く走り、木々の枝を抜けて。


「げ……」


キリが出たのは、森の入口の反対側。

つまり奥へ向かって走ってきたことになるが、その先は――崖だった。


慌てて急ブレーキをかけたが、踏みとどまったのも束の間。

足元が大きく揺れた。


「うっわ!?」


思わず声を上げてしまい、手で口元を塞いだキリだったが、次の瞬間その一瞬を無駄にしたことを後悔する。



今の振動が切欠になったのだろう。

足元の岩が崩れた。



落ちる前に慌てて崖っぷちを掴んだものの、揺れはまだ続いている。

なんとか必死でしがみつくキリだったが、これでは動けない。


なんだこの都合のいい地震は、とぶち切れたくなったキリだが、はっと気づく。

恐らくこれは、竜人たちの使った魔法だ。

翼がある自分たちには影響せず、キリを足止めできる。



おまけに、キリたちが里にいる間、いつの間に雨なんて降っていたのだろうか。

掴んだ崖っぷちに生えている草と土は湿っており、ずるずると滑るばかりだ。

ついでに足元では、切り立った崖の間を流れる濁流が、全てを飲み込むかのような泥水のあぎとを開けている。



「……はは」



最低だ。

ほんと世界ってままならない。


けれど。



ここまでやったんだ。




「……くそ」




死んで、たまるか。





思いとは裏腹に、岩を掴む手の力はどんどん失せていく。

雨で濡れた岩肌は滑りやすく、また、脆い。



そして再び起こされた揺れに、とうとうキリの手は滑り落ちる。

なんとかつかまれる物を探すも、揺れが続く世界でそううまく見つかるはずもなく。




濁流に強かに身体が打ち付けられて、


キリの意識は塗りつぶされた。






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