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霧雨のまどろみ  作者: metti
第二章 王都ティンドラ
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24.不協和音ってこういうことか



見上げれば、そこだけ丸く切り抜いたかのような二つの月が、ぽっかりと宵闇に浮かんでいた。


遠くから、人々の喧騒と楽器の音が響く。

真っ暗な廊下には所々に蝋燭があるものの、灯りは消えたままだ。


仮面をかぶってマントを羽織ったまま、キリは月明かりが照らす廊下を歩く。


城内に、おそらく人はいない。

当然だ、今は夜中――しかも、祭りの最終日、広場で踊りが行われている真っ最中なのだから。



『二人で話したいことがある。最後の炎が灯る頃、赤い竜の絵の前で待ってる』



昼食時、すれ違いざまにアゲートに渡したメモに書いたのは、それだけだ。

来てくれるかどうかは多少不安だったが、同盟に関係することくらいは推測してくれるだろう。

あとは信じる他ない。



窓の外、遠くにぼんやりと炎が灯ったのは、ほんのついさっきだ。

あと十分ほどは時間に余裕もあるだろうが、時間が経てば経つほど、広場に集まった人々も方々へ散ってしまう。

心なし足を早めながら、キリは廊下の角を右へ曲がる。



その先の壁際では、赤い竜が翼を広げていた。



当然額縁の中に収まっているそれを見ながら、歩みを止める。


余計なものがない廊下に飾られたその絵は、暗闇に少しだけ浮いて見えた。

誰が描いたものかは解らないが、竜を信仰しているというくらいなら竜人が描いたのだろうか。

角のあたりとか少しヴィーに似てる気がするな、と小さく笑って、絵を眺める。


この場所を選んだのは、わかりやすい目印があったのと、人気がほとんどない場所だから。

ついでに言うと、魔法陣のある広間へ行くのに廊下をまっすぐ走るだけでいいのも好都合だった。


けれどその他に、少しだけこの絵に惹かれたというのも、あったのかもしれない。



――まあ、これからしようとしていることを考えると、それはこの絵に対する冒涜にしかならない気もするけれど。



一つ息を吐いて、キリは絵画の隣の壁に背中を預けた。

腰に佩いた剣の感触を確かめながら、目を閉じる。


さて、後はアゲートが姿を現すのを待つだけ――




「キリー!?」




だったはず、なのだが。


ここに居るはずのない人間の声に、思わず心臓が飛び出そうになった。

慌てて壁から離れて振り向くと、声の主が廊下の角を曲がってくるのが見えた。


仮面とマントはしているものの、フードが取れているため、誰なのかは容易に想像がつく。

彼女はキリに気づくと走り寄る速度を早め、あっという間にこちらにやってきた。


「あんた足早すぎるのよ!何処へ行ったのかと思ったわ」

「ファリエンヌ様?」


驚くことに、侍女も連れずに走り寄ってきた王女は、息を切らしている。

時間帯的に周囲に人がいるわけではないとはいえ、口調も態度も普通に素。

普段の猫かぶりを知っている身としては、挙動不審に過ぎる。


……というか、もしかして、広場を出たあたりから追いかけられていた?

これから行う事に意識が向きすぎていて、気付かなかったのか。


うわあ、と自分の迂闊さと不注意を後悔するも、時は既に遅い。


ちらりと王女を伺い見ると、彼女はひどく気まずそうな顔をしていた。

何事かを言いよどむように口を開きかけては閉じ、やがて意を決したようにキリを見上げる。


「ちょ……ちょっと、付き合ってくれない?」

「……踊りですか?こんな人気も曲もない場所で」

「そうじゃなくて!」


どうやら違ったらしい。

「じゃあ何ですか」と問うと、王女は言いづらそうに口ごもる。

それから、意を決したように顔を上げた。



「……話したい、ことが。あるの」



え、ここで?とキリは目を瞠る。

多分もうそんなにしない内に、アゲートが来てしまうのだけれど。


「え、ええと、今?」

「す、すぐだから!あの、私」


自分でも、ひどく焦った声が出たのがわかった。

それでもどうやら、このお姫様にはそれが伝わらなかったらしい。


というか、必死でそれどころじゃないように見える。


「だから、その、……っ」


一体何にそんなに必死になっているのだろうか。

状況に置いてけぼりにされたまま、キリは王女の言葉を待った。




「……っわ、悪かったと!思っているのよ!!」




目が丸を通り越して点になったキリには、気づいているのかいないのか。

華奢な体躯に似合わぬ大声をお出しあそばされた王女は、羞恥か興奮か、頬を染めて拳を震わせながら言い募る。


曰く。

王女たちの都合で家族と離れ離れにしてしまったこととか。

無理やり男装させて婚約者の振りをさせていることとか。

そのせいで、ひどく危険な目に合わせてしまったこととか。


つまりは、何も深く考えずキリを呼び出したことについて謝罪したいのだ、と。



唐突な謝罪にぽかんとしつつ、キリはなんとか言葉を捻り出す。


「……えーと、ほんと今更だな?」

「あ、あんたが帰ってきてすぐ、部屋を訪ねてきた時も、謝ろうと思ってはいたのよ?ただ、あんまりにもあんたがいつも通りだから……」

「いやいや、会って初っ端皮肉をぶつけられた身としてはどうも素直に受け取れないんだけど」

「それは……」


あんたがあんまり普通に帰ってくるから、とごにょごにょ口ごもる王女。


要領を得ないままではあったものの、とりあえずなんとか頭の中で話をまとめてみる。

要は、キリが死んだと聞いて後悔していた所に、当の本人がひょっこり何でもない顔で顔出したから謝るタイミングを逃したと。

その後もなんやかんやで二人きりで会う機会がなく、謝罪が今まで伸びたと。


だいぶ意訳も混じっているが、まあそんなとこだろう。



「……あー……」



さて、一方のキリとしては。

どうにも、「いまさら謝られてもなあ」感が拭えない。


いや、本当に今更なのだ。

それに対する恨みつらみは、この半年間でいろんな場所にぶつけて消化した後だ。

今はもう、そんなことよりどうやって帰るかのほうが重要で。


だから今湧き上がるのは、居心地の悪さとか、約束の刻限が迫っていることへの焦燥感とか、

――これから行うことに対する罪悪感、とか。



とりあえずは、この出来の悪い妹を見ているようなむず痒さをどうしようか。

ぽりぽりと頭を掻きながら、「とりあえず」とキリは口を開く。


「言いたいことはわかった」

「……」

「聞きたいことは一杯あるけど、一つ。それで許してもらえるって思ってないよな?」


はっと顔を上げた王女は、戸惑ったように視線を逸らす。

謝罪が贖罪そのものであるかのように考えてでもいたのだろうか。


沈黙を挟んで彼女が返した答えは、唇を噛みながらの首肯だった。

以前ならば「謝ってるじゃない!」とキリの言葉に反発しただろう彼女が、沈黙を選んだ。

そのことに少しの驚きを感じながら、キリは柔らかく目を眇める。



「……解ってるならいいよ。別にもう、怒ってない」



黙ってキリの言葉を聞いていた王女は、こくりと頷いた。

それを眺めながら、キリは小さく息を吐く。




しかし全く、どいつもこいつも。


今更過ぎるんだよ、本当に。

なんで、もっと、早く。


こんなことになる前に。



こんな、


後戻りできない場面になる前に。






……伝えてくれなかったんだよ、ばか。






背後から、こつん、と足音がした。

王女が顔を上げ、驚いたように目を瞬いている。


あーやっぱり間に合わなかった、と半ば諦めながら、キリは振り向かないまま声をかけた。



「悪かったな。本当は二人きりで話せたらと思ってたんだけど」

「……謝ることはないさ。こうして話す時間を取れただけでも十分なのだから」



耳朶を打つ声に、キリはこれでもかと目を見開いた。

予想していた声と違うどころか、この声は、


そんな。

まさか、だって、



信じられない思いでばっと背後を振り返って、



「……な、んで」

「久しぶりだな、キリ」



苦笑しながら佇むフォミュラの姿に、キリの思考は完全に止まった。






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