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霧雨のまどろみ  作者: metti
第二章 王都ティンドラ
45/92

21.サビ……に入る前に



人知れずこぼれた溜息が、賑やかな喧騒に溶けた。


踏み固めて作られたのだろう舗装もされていない道に、ろくに手入れもしていないのだろう並木道。

里へ来るのに通ってきた森よりはマシなものの、ファリエンヌがこの里を歩くには相当の努力と注意が必要だった。


「竜人の人たちの装飾品って面白いですねえ」

「ほんと。ただの紐がこんなにお洒落になるなんて」

「編み物ができれば自分でも作れますよ!里の外では、きっといろいろな材料が手に入るんでしょう?」


普段は決して聞くことのない、はしゃいだ侍女たちの声。

つい先日顔を知ったばかりの、竜人の少女。


その少し後ろを歩きながら、ファリエンヌの表情は浮かなかった。


そもそもファリエンヌにしてみれば、今回の交渉の顔役に選ばれたのは降って沸いた面倒だった。

出番は舞踏会だけだからと言われていたものの、たったひと晩のくせに日程は長い。

退屈を紛らわすためにお気に入りの侍女を連れては来たものの、二人ともどうもそわそわしっぱなしだ。

キリはキリで、朝食を食べたら一人でどこかに出かけて夕方まで戻ってこない。

その上、さて今日も今日とて部屋で暇つぶしか、と思っていたところを突然世話役の亜人に連れ出され、よく知りもしない亜人の里の中を歩き回らされるハメになって。


機嫌も悪くなろうというものだ。



侍女たちも気を使ったのか、最初のうちは何度か「大丈夫ですか?」「お疲れなら戻りますか?」などと声をかけてくれていたが、今ではすっかり露店に夢中だ。

メイも声をかけてくれてはいたが、それはやはり侍女を含めて三人平等。

特別扱いされないことに対してはさほど腹は立たないものの、話が弾めば輪の外だ。


王女という立場も相まって、今までこちらから他人に雑談を始めることなどなかったファリエンヌにしてみれば、こんなことは初めてだ。

振られた話題に関する受け答えは完璧でも、それは教育の賜物に過ぎない。

興味がないわけではなくとも、どうやって話の輪に入ればいいかもよく解らない。


結果、足元に気をつけながら前をゆく三人の話に耳を傾けるだけの歩みが続いていた。




「……あ」



ふと。

顔を上げると、ファリエンヌの前を歩いていたはずの三人が見えない。


慌てて辺りを見回しても、歩いていたそこは露店の通り。

人も多ければ見通しも悪い。



歩みを止めて少し遠くを見やれば、ファリエンヌの滞在している城が佇んでいた。

なだらかな坂になっていたのか、随分と高い場所にあるように見える。


あんな所まで歩いて登るのか、と思うと、それだけで疲れて身体が動かない。


ああ、もうこの場でへたりこんでしまおうか。

王女としてはあるまじき行為だが、そうしていれば誰かがきっと助けてくれるだろう。


……誰かって誰だ、と頭の中で声がする。

周りを歩いているのは、皆この里に暮らす亜人たちだ。

しかも、世界でも屈指の力を持つ、竜人。


そう考えるとひどく心細くなって、それだけで身体が強張るのがわかった。

みるみるうちに指先が冷たくなるのを感じて、ファリエンヌは狼狽する。


――怖い。

誰か、



「あー!いたいた、よかったぁ!ファリエンヌさーん!」

「……っ」


大声で名前を呼ばれて、びくっと身体が震えた。

見やれば、遠くで大きく手を振りながらこちらに向かってくる、竜人の少女。


彼女も竜人だ。

竜人だが、……それでもその姿を認めて、いつの間にか詰めていた息をそっと吐く。


走り寄ってきたメイは、ひどく申し訳なさそうに頭を下げた。


「ごめんなさい、つい二人とお話するのに夢中になっちゃって」

「……二人は?」

「先にお城に戻られました。三人だとまたはぐれるかもしれないし、二人だけで探すのはやっぱり怖いからって」


侍女のくせに、という思いが一瞬よぎったが、今はどうしようもない。

帰ったら覚えてろと内心思いながら、実際ファリエンヌはそれどころではなかった。


知り合いに会えてほっとしたら、本格的に疲れが襲ってきたのだ。


「大丈夫ですか?」

「……ごめんなさい。少し疲れてしまって」

「そうですか?じゃあ休憩してから戻りましょうか」


日が沈むにはまだ時間がありますし、と続けた彼女は、近場のベンチにファリエンヌを座らせた。

黙って息を吐くファリエンヌの隣に腰を下ろしたメイは、伺うようにそっと話しかけてくる。


「あの、怒ってます?」

「え?」

「一人にしちゃったこと」


至極申し訳なさそうな言葉に、目を瞬く。

そして、伺うような上目遣いでこちらをじっと見つめるメイに、慌てて首を横に振った。


「そんなことありませんわ」

「うー、でもごめんなさい。私、キリさんにちゃんと見ているようにって頼まれたのに。すみません」

「キリが?」


一人でどこに出かけているのかと思ったら、どうやらこの少女と仲良しこよししていたらしい。

主を放ってそんなことをしていたなんて、とも思ったが、キリに関してはファリエンヌがどうこう言える立場ではない。


……そう、ファリエンヌが口を出してはいけないのだ。



口を出す資格など、ありはしない。



「婚約者さんなんですよね?かっこいい人ですよね」

「そ、そう……かしら?」

「そうですよー!気も利くし優しいし!ファリエンヌさんもすっごく綺麗だし、お似合いのお二人だって思います」

「……そうかしら」

「はい!キリさんだってファリエンヌさんの傍にいられて幸せだと思いますよ」


ファリエンヌには、こんな事を誰かに言うつもりなど、涙のひと雫ほどもなかった。

そもそもこんなことを気軽に話せる相手もいなければ、詳しい話だってできやしない。


それはだから、きっと。

本当に些細な綻び、だったのだろう。



「……そんなこと、」



ないわ、と。

ぽろ、と漏れたらしいその言葉を、メイは聞き逃さなかった。


「何かあったんですか?」


落ちるのは沈黙。

暫く、周囲の喧騒と風の音がふたりの間を満たす。



それでもメイは、根気強くファリエンヌの言葉を待っていた。

そのことに、ファリエンヌはほんの少し戸惑う。


こんなふうに沈黙が続けば、大抵は沈黙を好きなように察して、適当に話を切り上げてくれるものではないのだろうか。


そう考えてから、ああそうか、と思い至る。

それは多分、メイが自分に遠慮していないからだ。

取り入りたいとか、気に入られたいとか、無難にやり過ごそうとか。

そういう意図なく、普通に接してくれているからだ。


まるで、友人にするかのように。



流れていた沈黙が、ほんの少し和らぐ。


広場の方で、夕刻を知らせる鐘の音。

道を行き交う人々の足元をじっと見つめていたファリエンヌは、そこでようやく口を開いた。


「……私、キリにとても酷いことをしてきましたの」

「酷いこと?」

「色々。きっと、数え切れないくらい」

「……どんなことをしてしまったんですか?」


言葉に詰まって、視線を彷徨わせる。

それでも言葉を待ってくれるメイに少しだけ感謝しながら、ファリエンヌは言葉を震わせた。



「……キリを、家族や友人と離れ離れにしてしまったのは、私ですわ」


「多分、もうきっと、二度と会えない。それくらい遠くに、連れてきてしまったのです」


「それなのに、その時の私はそのことに気づきもしなかった」



相槌を挟みながらそこまで話して、ファリエンヌは一つ息を吐いた。

そして、メイが口を挟む前に、急いで言葉を続ける。



「だけど、そのはずなのに、……帰ってきたキリは、いつもどおりで」

「……ファリエンヌさんが思うほど、怒ってないんじゃないですか?」

「怒らないなんて、そんなはずありません。……私だったら、絶対に嫌ですもの」



だけど怖くて聞けなくて、

話をするのが怖くなって、

だんだんと会うのも苦しくなって、



「……顔を見るのが、辛くなって」



勝手ですわね、と。


ぽつりと零された言葉たちを聞き終えたメイは、「そうなんですね」と小さく呟いた。

そして、うーん、と小さく唸ったあと。


「不安なら、謝っちゃえばいいんじゃないですか?」

「え?」

「悪いことしたって思ってるんですよね?」

「……それは、そうですが」


とは言うものの、ファリエンヌの表情は戸惑いに満ちている。

そんな彼女には構わず、メイは言葉を続けた。


「じゃ、もやもや考え込むよりきちんとお話した方がいいですよ。言わなきゃそういうのって解らないものですし」

「でも、……でも、キリがあんまり、普通にしているから……」

「取り越し苦労ならそれでいいじゃないですか。キリさんって、ちゃんとそういうお話も聞いてくれそうに思えますけど」


あっけらかんとした答えを当然のように導くメイ。

それに対し、ファリエンヌは言いづらそうに視線を逸らす。


「……王族は、下の者に対してむやみな謝罪をしてはならないのですわ」

「うちの族長は悪いことしたら謝りますよ?」

「いえ、その、竜人の方はそうなのかもしれませんが……一応キリも、ティンドラの貴族ですし。その、謝られた側もひどく面倒なことになりますから」

「二人っきりの時にすればいいことなんじゃないんですか?」


きょとーん、という擬音が似合いそうな顔で首を傾げるメイ。

真っ直ぐな視線に、ファリエンヌは戸惑ったように視線を逸らす。


「お二人ってこう、身分違いの恋?なんですよね?それって、最初は身分とか何も関係なく、お互いのことを好きになったんですよね?」

「……え、ええ。そうですわ」

「だったらきっと、解ると思うんですけどねえ。王族が婚約者に、じゃなくて、ファリエンヌさんが、キリさんに謝ればいいんですよ」


黙り込むファリエンヌ。

応えが返らないことに少し気恥ずかしくなったのか、メイが照れたように笑う。


「……あはは、なんだか恥ずかしいこと言ってる気がします。要はほら、不安ならちゃんとお話してみればいいってことですよ。ふたりっきりで」

「……ふたりっきりで」

「そうそう。キリさんだって大人ですもん。ちゃんと解ってくれますよ」



そして、


そうかしら、と呟いた小さな言葉は。


そうですよ!と元気な声に肯定されて。



何度もそんなやり取りを繰り返し、


メイの熱心な言葉にファリエンヌが小さく頷く頃には。


山の向こうに見える陽は、もう殆ど沈みかけていた。
















さて、その少し前。


キリが昼食後の散歩から戻ると、室内では外交官が本を読んでいた。

今日は彼も暇をしているらしく、朝からずっとこんな感じだ。


キリに気づいて視線を上げ、彼は意味ありげに笑う。


「ファリエンヌ様なら侍女たちとメイさんと共にお散歩に行かれましたよ」

「本当か?」


メイに誘ってみたらどうかとは言ってあったが、どうやら早速行動に移したらしい。

これでちょっとは動きやすくなるかな、と内心ほっとしているキリ。


「キリ殿がメイさんにばかり構うから、嫉妬なさったんじゃないですか?」

「……女性同士で弾む話ってのもあるんだろう」


こいつはこいつでしつこいな、と半笑いになりつつ、適当にあしらう。

あちらとしては粋な話題を振っているつもりなのかもしれないが、正直対応に困る。


「まあ、ファリエンヌ様はこういう時でもないと外を出歩けませんからね。安全であれば私としても文句はないのですが」

「メイがいるなら大丈夫だろう。息抜きになればいいんだけどな」

「そうですね。今日は衣装の露店なんかもあるとのお話でしたし」



ふうん、と鼻を鳴らしつつ、キリは窓の外を見る。

今日もお天道様の機嫌はいいらしく、青空に映える緑が美しい。

絶好のお祭り日和だ、うまくメイが引きずり回してくれれば夕方まで帰ってこないだろう。



緑が描く綺麗なアーチの下に行き交う、たくさんの人影。


今日はともかく、明日あたりは里に行ってみるのもありかもしれない。




昨夜の話を聞いたアゲートの動向も気にならないではなかったが、正直これ以上の接触は本当にボロが出そうで怖い。

それに、蒔いた種に水をやりたいと思うなら、次に働きかけるべきはこっちだろう。


さりげなさを装って、彼を振り向く。


「そういえば、今回の同盟の話なんだけど」

「はい?」

「一番最初に持ってきたの、アシュトルの奴だったよな。知らなかったんだけど、あいつって外交室に顔利くのか?」

「いえ、そんなことは……?」

「ん……?じゃあ、おかしくないか?一介の魔導師でしかないあいつが、なんでティンドラの代表が祭りに招かれてるって知ってたんだ?」


呼ばれた理由も公にできないくらいの極秘事項だったんだろ、と続ける。


思ってもみない質問だったのか、彼はぱちぱちと目を瞬かせた。

――が、やがて眉間にしわを寄せて目を閉じる。


「……確かにそうですね。相手が相手だけに、我々も対応を慎重に行わなければならない案件でした。それだけに、公にして騒ぎにするわけにもいかなかったのですが」

「完全に騒ぎになったよな。今回」

「本当ですね。結果的にこんな状況ですから、あまり気にしていませんでしたが……一体どこから知ったんでしょう」


さあ、と肩を竦める。

この辺に関しては実際どうなのか分からないから、振っておいて何だが適当に流すしかない。


ただ必要なのは。


「案外とその理由とやらに関わってたりしてな。普段から、人知れず変な研究してるだろ。魔術塔の奴ら」

「……はは。縁がないからといって、あんまり偏見を持つものではありませんよ」

「そうか?私はこの間頭から獣の耳生やして魔術塔から出てきた人間を見たが」


何ですかそれは、と呆れた声が返ってくる。


……ちなみにこの話は本当だ。

どうやら姿を変える術を研究していて失敗したらしいが、実にこう、その筋の人たちが喜びそうな失敗だった。

耳を生やしていたのが白い長髭の生えたおじいちゃんでなければの話だけど。



呆れていた外交官は、気を取り直して咳払いを一つ。


「……まあとにかく、その件に関しては帰ってから確認するべきでしょうね。真相がどうであれ」

「ま、放っといて何かあっても困るからな」


と、ここで会話が途切れる。



少ししてからちらりと見やれば、ページをめくっていた外交官の指は完全に止まっていた。

再び窓の外に視線を投げながら、キリは小さく息を吐く。




さて。

疑惑の種は蒔いた。

あとは芽が出るのを待つだけだ。

根腐れするも枯れるも、未来のことはわからないけれど。




でもできれば頑張った分くらいは認めてくれると嬉しいな、神様。






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