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霧雨のまどろみ  作者: metti
第二章 王都ティンドラ
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17.片道切符を切りました



通信が切れた後、どう取り繕って城まで帰ったかは覚えていない。

ただ、何とかかんとかキリが衝撃から立ち直ったのは、一晩寝て起きた翌朝のことだった。



とりあえず、今から最悪のことばかり考えていたってどうしようもない。


要は、竜人族との同盟を結ばせなければそれでいいのだ。

同盟の話が竜人族に一蹴されてしまえば、あの命令自体なかったことになる。


であれば、なんとかできる限りの手を打って、同盟が上手くいかないよう祈るしかない。


もし必要なら、多少竜人族に悪印象を与えるような行動だって厭わない。

後々ティンドラの側の人々とやりにくくなるだろうが、仕方ない。

さくっと使い捨てられて死ぬ or 魔法陣なくして帰れません、で詰んでしまうよりマシだ。



できればフォミュラ辺りと連絡を取りたかったが、それをするにはあまりにも時間がなさすぎた。

せめてこんな急でなければ動きようもあったものを、と頭を抱えるキリだったが、今更どうしようもない。

与えられた時間の中で何とか頑張るしかない、だろう。




さて、誰が望まずとも、夜が来れば朝が来てまた夜は来る。

竜人族の里へ出発する日は、あっという間にやってきた。


竜人族に指定された合流場所へ行くには、ティンドラの王都から馬車で数時間ほどかかる。

昼過ぎに王都を出て、夕刻頃に合流場所に着く予定だ。


予定通りの時刻に動き出した馬車の中は、奇妙な静けさに包まれていた。



キリ、王女、外交官。

別の馬車には王女付きの侍従も二名乗っているが、この馬車の中にはこの三名だけだ。


王女は何だか考え事でもしているかのように窓の外を見ているし、キリも外交官とは特に面識があるわけではない。

外交官だって、表向き恋人である二人(しかも片方はやんごとなき身分の人間)に対し、下手に口を利くことはできないだろう。


ちなみに、なんだか場違いであるかのように隅っこで身を縮めている彼は、一件優しげで穏やかそうに見えてやり手、と外交官の中でも名高い人物だ。

恐らく30代に乗るか乗らないかくらいの若さだが、ちょっと丸い体型に生来の愛嬌もあって、キリはこの外交官が嫌いではない。

同盟の話が全部己の肩にかかっているとあってか、だいぶ緊張した面持ちで資料を捲っている。


このまま揺れる馬車の中で無言を貫いてもいいが、キリは今回の件について殆ど説明を受けていない。

ここぞとばかりに、キリは同盟の話を聞いた時から気になっていたことを話題に乗せた。


「なあ、外交官殿。ちょっと気になってたことがあるんだけど」

「はい、何でしょう?」

「今回の同盟の件なんだが……誰がどう竜人族と話をつけたんだ?」


同盟の話が出てから交渉の日時が決まるまでが随分早かったよな、と付け加えると、外交官は困ったように眉を寄せた。


「竜人族との交渉に関しては、先方からの要望によって国家機密事項となっています。同行するとはいえ、あまり情報を漏らさぬようにと、言われているのですが……」

「とはいえ、私たちは国の代表として行く訳だろう。確かに私たちは交渉の場に関係ないかもしれないが、舞踏会では竜人族の方々と話をする場面もあるんじゃないか?代表が何も事態を把握していないのはまずいと思うんだけど」


なあ、とファリエンヌ王女に視線をやると、彼女は思案するかのように首を傾げた。

やがて、「そうね、私も気になりますわ」と一言、キリに賛同する。


恐らくあの沈黙の中身は、『興味はないけど一蹴する理由考えるのも面倒だし何か話しててくれるならそれでいいや』程度のものだろう。

それでも、王女の同意はキリの発言を多少は後押ししてくれる。


多少の沈黙を挟み、外交官は渋々といった体で頷いた。


「……まあ、最もですね。最低限ではありますが、説明いたしましょう」

「頼むよ」


資料を捲る手を止めて、外交官はゆっくりと語りだす。


「今回、竜人族とどうやって話をつけたか、でしたね。……これは少し信じがたい話になりますが」

「信じがたい?……まあ、竜人族と話をつけられること自体、まず突拍子のない話だけど」

「それに加えて、という話ですね。実は今回の接触は、竜人族から言い出したことなんですよ」


思わず「は?」と声を上げたキリの隣で、王女も目を丸くしていた。

ちらりと横目でそれを伺いながら、自分の聞き間違いではないか確認する。


「……つまり、こっちから同盟の話し合いを打診したんじゃなくて、竜人族の方からお呼びが掛かったと?」

「ええ。といっても勿論、あちらから同盟を申し出たとか、そういうわけじゃありませんよ」


もしそんなことになっていたら、きっと天変地異か何かの前触れだ。

世界規模の策略謀略とか、伝説級の魔法とか、そういうものが世界のどこかで蠢いているに違いない。

ああ、世界は今日も平和なようで何より。


衝撃の事実から現実逃避しかけるキリを他所に、外交官は話を続ける。


「これは行けば解る事なのでお話しますが、実は今回の日程は、竜人族の間で年に一度行なわれるお祭りと重なっているんですよ」

「お祭り、ですか?予定では五泊ですが、そんなに長い間?」

「前日に行って翌日に帰る日程ですから、正確には三日ですね。……長さはともかく、規模は王都のお祭りと比べてはいけませんよ、ファリエンヌ様。竜人族は少数民族ですから」

「わかっています」


小さく唇を尖らせて頬を膨らませる王女に、外交官はすっかり騙されている。

確かに可愛いんだけど多分内心「とっとと話せよハゲ」とか思ってるんだろうなと見ていると、視線に気付いたのか、彼女は微笑んで小首を傾げた。

その笑顔に含まれた毒を感じ取って、キリはそっと外交官に視線を戻す。


「それで、そのお祭りと今回の件に何か関係が?」

「関係というほどのものではないですが、祭りといえば人が集まりますからね。多少竜人族以外の者が混じっても解らない、ということではないでしょうか」

「……つまり、お祭り騒ぎに乗じてその裏で交渉ごとをしようって腹か」

「まあ、そういうつもりなんでしょうね。もしかしたら我々以外にも、竜人族でない人たちが招待されているのかもしれません」


そうなると、舞踏会に出席するだけのはずだったキリと王女にも若干の仕事が出てくる。

他国の重鎮と接触する機会ができるなら、そこからの情報収集も大切だ。


……まさかグラジアが呼ばれてるなんてことはないよな、とちょっと嫌な想像をしたが、それはないだろうと思いなおす。

そうであれば、グラジア側が――あの皇子がキリにあんな命令をする事もなかったはずだ。



とりあえず今はもう少し情報を集めてみるかと、キリはもう少し深く突っ込んでみる。


「で、うちとの交渉事ってのは?」

「その辺りについては機密です。竜人族の方からティンドラに対して交渉したい事があるということだけ把握しておいてください」

「……その見返りとして、同盟案を呈示する。そういう形にするってことか」

「ええ」


そんな会話をしながら、キリは内心眉を顰めていた。


竜人族からティンドラに対する交渉ごと。

それはつまり、竜人族がティンドラにお願いする立場であるという事だ。

元々ティンドラが優位な交渉である以上、交渉はこちらに有利に進む可能性が高い。


ただ、元々の力関係としては竜人族のほうが上だ。

竜人族が交渉したい事案に対してこちらの望みがあまりにも過分であれば、それは流石に一笑に伏されても仕方ないだろう。

竜人族が交渉したい事とやらがどんなものかは知らないが、中立である彼らが戦争同盟をよしとするかといえば、恐らくしない。


少々懸念しておくべきかもしれないが、危惧するほどでもないか――と口元に手を当てるキリの横で、外交官と王女が会話を続けていた。


「まあ、お二人はそう気負う事もありませんよ。竜人族の里に行けるなんて滅多にない経験ですし、珍しい経験ができると思うくらいでよろしいのではないですか」

「……でも私、亜人の方とお会いするのは初めてで……竜人の方は一人一人がとてもお強いのでしょう?そんな所へ行くのだと思うと、なんだか怖くて」

「私たちは招待された側ですよ?取って食われるわけじゃないんですから。……それに、いざとなったらキリ殿が守ってくださるでしょう」


気でも利かせたつもりなのか、ちらりとキリを見てくる外交官。

王女は相も変わらず、貼り付けたような笑顔でそれに応える。



「そうね。頼みますわ、キリ」

「……はいはい、お任せください」



投げやりな茶番を背に、馬車馬は順調に歩みを進める。


やがて馬車が動きを止めたのは、ティンドラ国内の北方に位置する深い森。

そこで馬車を降り、キリたちは森の中へと踏み入れた。


傾き始めた陽が梢の影を落とす道を、一行は歩いていく。

道と言っても、当然きちんと舗装されているわけもない。

人々が踏み固めて作ったそこには、木の根や小石が所々に転がっている。



歩き慣れない道を顔を顰めながら歩く王女の斜め後ろを行きながら、キリは里に入ってからの事を考える。


竜人族との交渉に必死になる外交官とは違って、恐らくキリとファリエンヌは五日間のお祭りの間時間を持て余す事になるだろう。

交渉の場に付き添ってもいいが、それでも口を満足に挟むことなく終わりそうだ。

それくらいなら、ただちんまりと椅子に座っているよりは自由に動いていたい。


そしてできれば、その時間を使って同盟の阻止に動きたい。



と。

一行の一番前を歩いていた外交官が、声を上げた。


「ああ、見えてきました。あそこですね」

「え、どこ……きゃっ」

「おっと」


顔を上げた弾みで木の根に足を引っ掛けた王女を、慌てて後ろから支える。

全く、こんな場所に踵の高い靴で来たりするから、と内心溜め息を吐きながら、


「お気をつけてください」

「……あ、ありがとう」


ぱちぱちと目を瞬かせる王女は、その後何か物言いたげに口を開きかけたが、後ろの方からキリを押しのけてきた侍女に阻まれて口を噤んだ。

ご無事ですか、と王女の隣を陣取る侍女たちの声を聞きつつ、キリは行く手へと視線を投げる。


小道を抜けた先は森が開けて、小さな広場のようになっていた。

とはいえしっかり整備されているわけでもなく、ただ木を切って場所を開いた、という程度のものだったが。


沈みかけた陽に照らされたそこには、数名の人影があった。



「お待ちしておりました。ティンドラ王国のご一行ですね」



微かな笑みと共に口を開いたのは、竜人族独特の草木染の民族衣装に身を包んだ壮年の男性だ。

落ち着いた藍色の髪と瞳は穏やかながらも、声音はしっかりとして頼もしい。

そして、当然ながら額からは角が生えているし、背では太い尻尾が揺れていた。


「ええ。私がティンドラの外交官、マエラ・ディメスタ。こちらがティンドラ国王女の――」

「ファリエンヌ・ルースタック・ティンドラと申します。宜しくお願いいたします」


背後の侍女たちが息を飲む音を聞きながら、外交官と王女が頭を下げる。

驚いた態度を表に出さないのは流石といったところか、毅然とした猫かぶりの態度を崩さない。


「キリ・ルーデンス。ティンドラの貴族で、王女の婚約者です。こちらの二人は王女の侍女。五日間お世話になります」


最後にキリが一礼すると、男性が目を細めて微笑んだ。



「ご丁寧にどうも。外からのお客人のお世話を言い付かっております、竜人族のアゲートと申します」


里で何かございましたらお声かけください、と続けるアゲートに、外交官が早速とばかりに何事か話しかける。

会話を続ける外交官と男性の後ろで、キリは広場の奥に視線をやっていた。



広場の一番奥のスペースを占領する、馬車が一台は入りそうな大きさの魔法陣。

恐らくあれが、移動用の魔法陣だろう。


当然ながら、森のこんな浅い場所に里があるわけはない。

祭りの間だけ転移の魔法陣を各所に設置し、限られた者だけが里に入れるよう設定してあるのだろう。

数人の見張りまで立っているのは、万が一にも怪しい者を里に転移させないためか。

それにこれならば、招待した客にも里の正確な位置が解らないままだ。



「……さて、話ならば里でもできましょう。ここにあまり長居してもよくありません」



淡く光る魔法陣を眺めているキリに気付いたのか、アゲートが会話を打ち切った。

キリたち一行に改めて向き直り、背後の魔法陣を示す。


「では、これより竜人の里へとご案内いたしますが――先に幾つかお願いしたいことがございます」


と、改まった彼が続けるのは、恐らく里を訪れる者全員に確認しているのだろう定型句だ。

一行の一人一人と視線を合わせながら、確かめるように告げる。


「ご承知の事とは思いますが、竜人族は他種族との交流が全くと言ってよいほどありません。我々の常識が皆様方の知る常識と食い違う面も多々あることはご承知おきください」


特に、と彼はキリとファリエンヌに視線を巡らせる。


「我々竜人族には人間の国々のような厳密な階級制度はございません。王族、貴族の皆様方に知らず無礼を働く者もいるかと存じますが、多少の事は文化の違いとどうかご容赦頂きたい」


神妙に頷く王女の横で同じように頷いてみせると、彼は満足そうに微笑んだ。

「では、里の方へ移動しましょうか」と、魔法陣の上へとキリたちを導く。


ティンドラでも魔法はそこそこ発達しているが、やはり魔法陣は珍しいらしい。

物珍しそうにしながら陣の上へ移動する侍女二人を視線で追いながら、キリも魔法陣に乗った。



「空間を移動するので気分が悪くなる方もいるかと思いますが、一時的なものですのでご心配なく。……いきますよ?」



そう確認した彼が何事か呟いたのを切欠に、淡く光っていた魔法陣が光を増していく。

……こうして発光する魔法陣に乗っていると、この世界へ来た時の事を思い出すな、とキリは目を眇めた。



そう、あの時もこんな風に、


視界が真っ白に染まって――





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