16.地雷の上でタップダンス
翌日。
グラジアへの報告の為、キリは王都の大通りを歩いていた。
前回訪れた革具屋の脇を過ぎて、今度お邪魔するのは薬屋だ。
大通りから一本裏道に入った所にある小さな薬屋は、看板がなければ見過ごしてしまいそうなくらい古びた一軒家。
扉を開くと、蝶番が軋んだ音を立てる。
薬の変質を防ぐ為か、カーテンの閉められた店内は薄暗く、人の出入りもそう多くないのだろう、空気も良くはない。
ただし掃除は行き届いているのか、埃っぽさは全くなかった。
店内は無人。
店に入ってすぐ目に付くカウンターにも人影はなく、小さな呼び鈴が置いてあるだけだ。
扉を閉めて、キリは商品の並ぶ棚に視線を走らせた。
キリ自身も薬を扱っていただけあって、本来の目的よりも商品の方に目が行ってしまうのはご愛嬌だ。
小さいとはいえ、王都の薬屋だけあって品揃えも豊富。
物珍しさにしげしげと棚を見つめていると、突然声をかけられた。
「……あんた、客かい?」
「おっと」
物音に気付いて出てきたらしい老女が胡乱げな顔をしていて、キリは慌てて顔を上げた。
そうだそうだ、のんびりしている暇はない。
随分前に暗記させられた、この店の合言葉を口にする。
「えーと、鼠退治に使えるような薬ってある?」
「餌に混ぜるやつかい?それとも」
「匂いで呼ぶ奴」
「……やっと来たね」
やっととか言われた。
目を細めた老女に中に入るよう促され、キリはカウンターの奥へと通される。
家の中には薬を扱う場所独特の薬草の匂いが漂っていて、少しだけ懐かしい気分だ。
いつかあの家に戻れる日は来るんだろうかと遠い目になりつつ、キリは示された扉を開ける。
部屋の中には、眼鏡の壮年の男性が一人。
老婆と親子かとも思ったが、どうやら違うようだった。
「ああ、待っていましたよ」
どうやら、随分と彼らを待たせていたようだ。
いやまあ当然か、あんだけ城内で騒いでれば多少は耳にも入ってくるはずだ。
キリに椅子を薦め、男性はさっさと本題に入った。
「尻尾を掴まれた、という話ではなさそうですね。やはり同盟の話が出てきましたか」
「まあ、当然だよな。そっちも想定して妨害してたんだろ?」
「そのようですね。で、どことの話が出てます?」
だいぶ騒ぎになっていたようですが、との言葉に、キリは生ぬるい笑みを浮かべた。
やっぱり、ばっちりしっかり漏れている。
人の口に戸は立てられない、とはよく言ったものだ。
メモを取る体勢になった男性を前に、キリは歯切れ悪く切り出した。
「あー。まずは、グラジア周辺の小国家群。名前は色々上がってたけど、有力なのはガイティスとローレシア」
「まあ、その辺りが妥当でしょうね。そこそこの規模の戦力を有しているとなれば自ずと限られる」
「あと、竜人族」
ぴたりと筆の動きが止まった。
真顔だった男性の眉間にも、僅かに皺が寄っている。
「……そこが出てきますか」
「まあ、大騒ぎの原因だよな」
「実際に彼らと接触する算段は?」
「細かいことは聞いてないけど、算段はつけてるみたいだ」
キリの言葉に、男性は暫く顎に手を当てて考え込む。
そして、ややあって「少々お待ちを」と言うと、部屋の隅にあった箱から何やら取り出してくる。
何本かのケーブルと幾つかの四角い箱、手の平大くらいの大きさの丸い器、小瓶に入った液体。
箱の一つには何やら涙形をした結晶体と、つまみのようなものが付いている。
目を瞬くキリの前で、男性は手馴れた手つきでそれを組み立て始めた。
器と箱をケーブルで繋ぎあわせ、器に液体を注ぐ。
そして何やら箱の側面にくっついている結晶体に触れて何事か呟いた。
すると、何やら液体が揺らぎ始める。
黙って見ていたキリも、流石にそこでぎょっとして声を上げた。
「え、何これ?」
「見ていれば解りますよ。ただ説明するよりその方が早い」
いやよく解りません!
何これ、なんかの魔法儀式か何か?
疑問符を飛ばすキリをよそに、よく解らない装置は稼動を続ける。
完全に水面の揺らぎが収まった辺りで、男性はつまみをくるりと回した。
『――信号確認。何かあったか?』
声と同時に、水面にこの部屋のものとは違う景色が映りこむのを見て、キリはぽんと手を打った。
「通信装置か」
「その通りです」
うわー、完全にテレビ電話。
いやこの言い方も古いのか。映像付き通信機?
でもそれにしては、電波とか飛ばすためのアンテナのようなものは付いてない。
外見としては、水鏡的なアレと機械技術が合体したようなものだろうか。
組み立て式なのは通信機だとばれないようにするためなのだろうが、持ち運びにも便利そうだ。
グラジアって本当に何でもあるなと呆れながら機械を眺めるキリの横で、男性は会話を始める。
「ディアノス殿下のご意向を伺いたい案件があって連絡したのだが」
『殿下の?まさか……』
と、そこで通信先の相手が黙る。
興味深げに水面を覗きこんでいるキリに気付いたらしい。
『ああ、例の婚約者殿か。少し待て』
「頼む」
「……どういう扱いされてるんだ私は」
確かにちょっと特殊な立ち位置に置かれてるのは解るが。
グラジア軍の諜報組織の中での会話のはずなのに、この認知度はどうなのだろうか。
人影の消えた水面を見ていた男性が、キリの言葉に片眉を上げる。
「貴方は殿下の個人的な協力者、ということになってますからね。別に顔写真付きで情報が回ってるわけじゃないですよ。…あ、写真ってわかります?」
「わかる。そんな事になってたら私はあの野郎をぶん殴るぞ」
「……実際殴られたと聞き及んでますが」
「ああ、殴った」
頷くと、男性は複雑そうな表情でこめかみに人差し指を当てた。
呆れている、というよりは、理解できない、といった表情。
「……第二皇子とはいえ、王位継承権を持つ王族相手にとんでもないことをなさいますね」
「私はそもそもグラジアの国民でもなければティンドラの貴族でもない。国や身分に縛られていない以上、血筋に対して敬意を払う義理はない」
「……では、個人に対する敬意は」
「先に無礼を働いたのはあっちなんだからある筈ないだろう」
憮然として険しい表情で答えるキリを見て、何か思うところがあったのか。
男性は「……何をされたのかは聞きません」と深く突っ込まない道を選択したようだった。
と、
『――話は終わったか』
機械の方から聞き覚えのある声が届いて、キリは顔を顰めた。
同時に、男性が深々と礼をする。
彼なりの敬意なのだろうとは思うが、その角度だと多分見えないぞ……。
心の中で突っ込みつつ、キリは男性と水面の向こうとのやりとりを見守ることにした。
「呼び出しに応じて頂きありがとうございます。実は……」
『ああ、知っている。ティンドラが竜人族と同盟を結ぶって?』
「はい」
流石、耳が早い。
――いや、キリの予想通り盗聴器が付いているのだとすれば、キリが知ったと同時に伝わったはずだが。
どこなのかは知らないが、付いてるとすれば剣帯とかだろうか、とちらりと視線を落とす。
『こちらでも考えたのだがな。キリ』
「……なんだよ」
『交渉しよう。……マードック、少し席を外してくれないか』
承知しました、という返事と共に、男性は部屋を出て行った。
取り残されたキリは、暫く渋面で遠くから水面を眺める。
『……顔くらい見せたらどうだ?天井しか見えん』
促されて渋々、キリはディアノスと水面ごしに対面する。
キリの渋面に肩を竦めて、彼は笑みを浮かべた。
『久々だな。元気そうじゃないか』
「……本当に交渉する気あんのか?」
『いや、ない』
な い の か よ !!!!!!
一体何のつもりだ、と全力で睨みを利かせたキリに対して、ディアノスは珍しく、困ったような気が乗らなさそうな表情で言葉を紡ぐ。
『先に言っておくが、こちらとしても、こんなスマートじゃないやり方しかできないのは不満なんだ。ただ、元老議会のジジイどもがやいのやいの五月蝿くてな』
「……とりあえず話せよ」
『ああ。ま、報酬から行こう――まず、この同盟の件が無事終わったら、間諜からは解放してやる』
報酬から先に口にするのは、この男の交渉の手管の一つなのだろうか。
キリにしてみれば、依頼内容の胡散臭さを増すだけで何の意味もない気がするのだが。
どちらにせよ、こんな条件を出してくるという事は。
「……既にとんでもねえ地雷臭なんだけど」
『ジライ?』
「土に埋めといて踏んだら爆発する兵器。……つまり、まともな話じゃないだろって言ってんの」
よく解らない顔をしているディアノスに険しい視線を投げると、彼は「ああ、否定はせん」と珍しく素直に頷いた。
『ただ、今回の取引を受けない選択肢はないと思え。命令だ』
「……そんな一言で私を無理やり縛れると思うのか?」
『約束どおり中身は見てないが。預かっていた荷物、どうなってもいいのか?』
「……」
この野郎。
睨むを通り越して殺気を放ち始めたキリに、ディアノスは『そう怖い顔をするな』とわざとらしく肩を竦めた。
彼にしてみれば、たかが旅荷物にこれだけ執念を燃やすキリの態度はおかしく見えるはずだ。
旅の日程も終わりに近かった為、それほどの金額を所持していたわけでもないし、キリだって魔法陣さえなければ失くしても仕方ないかと諦められる程度の荷物だ。
彼が預かると言い出した時も、別段キリがそれに未練を示すと思ってのことではなかっただろう。
だが、預ける時に「絶対に中は見るな」と念を押したことがよくなかったらしい。
どうやらあれで、この荷物がキリに対する切り札になりうるらしい、という認識を向こうにも与えてしまったようだ。
しくじったな、と渋面で内心舌打ちをするキリに、ディアノスの声が届く。
『まあ、考えようによってはお前にとってもチャンスの一つだ。聞く気があるなら話だけでも聞くといい。こちらとしても、万が一の場合の一手、その程度の保険だ』
「……」
万が一。
それはつまり、失敗を許されないということではないのか。
とてつもないリスクを背負わされる予感に口を噤むキリをよそに、ディアノスは言葉を続ける。
『そもそもの話、今回ティンドラが竜人族に同盟を持ちかけるという話だがな。我々が何かするまでもなく、竜人どもがそんな同盟を結ぶとは思えん。体よく追い払われるのがオチだろう』
そりゃそうだ。
そもそもそこまでして竜人族がティンドラを助ける義理はないはずだし。
仏頂面のまま視線を合わせようともせず話を聞いていたキリは、ディアノスが続けた『だが』という言葉に視線を戻す。
『それを言うなら、よりによって開戦直後のこの時期にティンドラと接触する理由も向こうにはないはずだ』
「……まあ、そうだよな」
時期は、祭りと運悪く重なってしまっただけだとしても。
竜人族がどんな考えで、ティンドラとコンタクトを取ったのか。
それが解らないからこそ、キリだってこの同盟の行く先が見通せずにいるのだから。
ディアノスも、それは同じなのだろう。
行く先が見えないから、それが杞憂であったとしても、対策を打たざるを得ない。
『万が一にも竜人が参戦するような事になれば、長期化は必至だ。我々としても長期戦、戦争の泥沼化はあまり好ましくない。この同盟は確実に破綻させなければならん』
だが、と。
彼は言う。
『人の出入りが厳しく規制されている以上、我々が直接竜人どもの下へ乗り込むことはできん』
「そうだろうな。身元の保証されている者しか行けないわけだし」
『だから、万が一の場合の判断、行動は同行するお前にしかできない』
「……もったいぶってないでとっとと言え。そこまでして、お前は――グラジアは私に何をしてほしいんだよ」
嫌な予感――というより、悪寒が背中を走っていく。
それは焦燥感となって、キリにそんな言葉を吐き出させた。
ディアノスの方も、それ以上長話を続ける気はなかったのだろう。
一つ頷いて、本題に入る。
『間諜からの解放。その代償としてお前がやることは一つだけだ。竜人の里で、万が一同盟が締結する方向で話が進み始めたら』
言葉を切って、一呼吸。
『要人――とは言わん。竜人族を一人、お前の手で殺せ』
ざっと体中の血の気が引いた音がした。
一気に渇いた口の中で、もつれる舌をなんとか動かす。
「…………そ、れは」
『国の代表が出向いた先で暴力を振るう。これほど単純明快な敵意の意思表示はあるまい』
「殺す必要、あるのかよ」
『その一件で竜人がティンドラに敵意でも持ってくれれば、こちらとしては万々歳だからな』
そりゃグラジアにしてみればそうだ。
けれど、――けれども。
それは。
唇を噛んで俯いたキリを、ディアノスはじっと観察していた。
やがて、徐に口を開く。
『――まあ、当然そんなことをすればキリ・ルーデンスは国家反逆者だ。見つかれば唯ではすまない』
「……」
『どころか、下手を打てばその場で拘束されて極刑なんて話も有り得る。竜人族の掟についてはよく知らんがな』
当然、グラジアからの助けは来ない。
その場をうまく逃げ遂せたところで、追っ手が掛かる可能性も少なくない。
衝撃に言葉を失っていたキリが、搾り出すような声でようやく口を開く。
「……地雷どころの話じゃねーだろ、それ……」
『文字通り、竜の尾を踏み潰しに行け、という話だからな』
勿論そうなった場合、こっちとしてもできる援助はする、と彼は言った。
キリに発信機をつけておけば、余程のことがない限り位置は探知できる。
例え竜人の里には進入できずとも、その近くで待機して逃走を手伝うことは可能だ。
自力で里から脱出さえすれば、後の心配は必要ないようにしておく。
大体そんな趣旨の話を右から左に聞きながら、キリはなんとか脳みそを回転させる。
まず、もしそんな状況になったときの一番の心配、は。
……ルーデンスの家族を巻き込むことになるのは間違いない。
竜人族への同盟要請は秘密裏のものだから、表立って処刑されることこそないかもしれないけれど。
これから社交界デビューするグレイズや、婚約者のいるカナートにとっては、取り返しの付かないことになりかねない。
いや、それだけじゃない。
そもそも、竜人族に対して剣を向けるというのは。
フォミュラを、イシュを、ヴィルを、――里の皆を裏切る事になりはしないか。
素性も知れないキリを受け入れてくれた彼らに対して、剣を向けることになりはしないのか。
…それは。
それだけ、は。
歯を食いしばり、目を伏せる。
水鏡から顔を背けているため、表情は恐らく見えていないだろう。
部屋の中を沈黙が支配する。
暫くして、返答がないことに焦れたのか、ディアノスが『まあ』と口を開いた。
『そもそもそんな事態にはならないことを、こちらとしても願っているがな。俺としては貴重な王宮内の情報源が失われるのは惜しい』
「……」
『お前の状況はこっちで把握するから、別段連絡は要らん。恨みつらみでも言いたくなったら独り言でも呟いておけ』
じゃあな、健闘を祈る――という言葉とほぼ同時。
波紋の広がった水鏡が、天井を映す。
通信が切れた、ということか。
ディアノスは結局、キリの返答を聞かなかった。
それはつまり最初の言葉どおり、交渉するつもりがないということなのだろう。
これは、命令だ。
ディアノスは荷物のこと以外何も言わなかったが、失敗すれば恐らく一番最初に呈示された報酬とやらもなかったことにされるだろう。
そもそも期待していなかったからそれは構わないが、一つだけ。
自分の身の安全については、期待してはいけないだろう。
ディアノスはああ言ったが、万が一成功したとして、逃走の援助なんて期待できるわけがない。
そんなことをしてまでキリを助ける理由が、グラジアにはないからだ。
だからもしも『最悪』の状況になった場合、キリはそのまま使い捨ての駒にされる。
――知らず握り締めていた服の裾が、ひどく皺くちゃだった。




