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霧雨のまどろみ  作者: metti
序章
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4.遭遇とか邂逅とか、そんな感じの





その男性は、一見すると人…のような何か、だった。


少々垂れ気味な印象の黒の瞳、白いターバンに半分ほど隠された漆黒の髪、綺麗な小麦色をした肌。

先ほど聞こえた声は落ち着いたバリトンで、柔らかい面立ちの彼によく似合っている印象だ。

そこだけ見れば暑い地方にでも住んでいそうな優男だが、人と言い切るには少々無視できない要素が彼の身体を彩っている。


まず、尻尾がある。

蜥蜴のような透明がかった水色の鱗に覆われた、立派な尻尾がある。

次に、尻尾同様に煌く水色の鱗が、彼の小麦色の肌のそこかしこを護るかのように覆っていた。

目立つのは晒されている左頬と、そして完全に鱗に覆われているらしい左腕。

左腕にはその特徴がよく現れているらしく、指の先には鋭く硬そうな鉤爪が生えている。

最後に、通常の人間であればつるりとした広い額である筈の場所に、一本の角が雄々しく存在を主張していた。



「気分はどうかな。顔色はよくなったようだが、熱が出ていたんだぞ」



気遣うように掛けられた言葉に、はっと現実に立ち返ったキリは、ああそういえば、と遅れながらも思い出す。

この世界には、幻人、亜人といった、ヒトに近くヒトとは違う種族が存在するのだということを。



残念ながら、キリの暮らしていたティンドラ王国内でそういった種族を見かけることは少なかった。

そもそも亜人や幻人たちが自らの里からあまり出てこないことに加え、亜人や幻人といった者たちが好んで住む厳しい気候の場所から離れた場所にあるこの国では、元々あまり馴染みのない話なのだ。

それでも街に出れば冒険者や商人といった者たちの姿を見られたのかもしれないが、残念ながらろくすっぽ街に出ることも許されていなかったキリは、こうして実際に姿を見るのもこれが初めてだった。


とはいえ、だからといって物珍しさにじろじろ見るのは失礼だろう。

恐らく自分を助けてくれたのだろうこの人に、まずはお礼を言わないと。


王女や上司などにしていたように軽く目を伏せて、頭を下げる。



「ありがとうございます。熱はもうすっかり下がったようです。私は――」

「キリ・ルーデンスだろう。ティンドラの第二王女の婚約者の」


さして何でもないことのように告げられた言葉に、思わず目を瞠った。

困惑するキリに気付いたのか、男は軽く笑みを浮かべて言葉を続ける。


「私は、カナート・ルーデンスの知己、フォミュラという。色々と話を聞かせてもらっているよ」


カナート・ルーデンス。

思わぬところで出てきた義姉の名前に、目を丸くする。

続けて告げられた名も、息抜きと称して義姉が付きあわせてくれた茶会(実際は殆ど茶会の作法のテストだった。息抜きなんてよく言ったもんだ)で、度々聞いた名だ。


確か、亜人の一派に属する、竜人という種族だと聞いた覚えがある。

魔力も高いうえに力も強いが、数が少ないが故に、山の奥などの他の民族の手があまり入らない場所に集落を作って住んでいる種族だったはずだ。

その中でも一風変わった性格で、好んで人里に出てきては気まぐれにその力を貸したり、時には気に食わない者たちに制裁を加えたりと、まあ好き勝手に人間の事情に首を突っ込んでいるらしい。

そんな一筋縄ではいかないという青年の話を、まるで英雄譚を語るかのように茶会の話のネタにしていた義姉は、そんな彼の気まぐれに助けられて以来、連絡を取り合っているのだとか。


それが、今目の前に立っているこの男性?

思わぬことに言葉を失うキリに、彼はこう付け加える。


「加えて、君は有名人だからな。親衛隊の制服を着ていたし、すぐにわかったよ」


穏やかに目を細める彼の言葉は、恐らく嘘ではないのだろう。


…だが、あの家へ預けられた事情が事情だ。

義姉が進んで自分のことを話したとは思えないが、と首を捻るも、ここで今真実を知る術はない。



今はとにかく与えられた情報を噛み砕いていくしかないと、キリは言葉を選んで口を開く。


「そう…だったのですか。あの、フォミュラさん。幾つかお聞きしたいことがあるのですが」

「ここは竜人族の者が暮らす里だ。あの辺りの空を飛んでいて、崖下に落ちていく君を偶然見つけた」


質問の意図を先回りして汲んでくれたらしい彼は、この状況に至った経緯を簡潔に説明してくれた。

簡潔すぎる説明にむしろ少々拍子抜けしながら、キリは再度頭を下げる。


「ええと…まずは、助けて頂いてありがとうございました。あの状況でまさか生き残れるとは思いもしませんでした」

「当然のことをしたまでだ。……まあ見つけた手前、見捨てるのも寝覚めが悪いしな」


微かに笑みを含んで告げられた言葉に、曖昧な笑みを返す。

素直に感謝させてくれよと思った後に、言外に「そんなに気を使うな」と窘められたのだと気付く。

聞いていた通りの人ならば、確かにこういった雰囲気は苦手としていそうだ。


ならばさっさと話題を切り替えた方がいいだろうと判断したキリは、そのまま交渉に入る。


「ろくにお礼もできずに申し訳ないのですが、私はできるだけ速やかに王都に戻らねばなりません。もし許していただけるのなら、この里の大体の位置と、王都までの道を知りたいのですが――」

「ああ、その必要はないだろう」


戦力の少ない集落に攻め入られる危険を考えて、少数民族の里の場所は秘匿されている場合も多い。

里の位置について拒否される事は想定していたが、まさかそんな答えが返ってくるとは思いもしなかった。

驚きに「え」と声を漏らすと、彼は穏やかに細めていた瞳に、唐突に悪戯っぽい光を宿す。


たったそれだけなのに、印象が大きく変わった。

穏やかな印象だった先刻までとは打って変わって、油断ならない、と表現するのが相応しい笑み。

なるほど、義姉の言葉通り、一筋縄ではいかない相手のようだ。


次に告げられることを警戒して口を噤むキリに、殊更ゆったりと紡がれる言葉。



「君は知らないだろうが、王都に君が行方不明になったという知らせが届いてから、既に三日が経過している」

「…そんなに経っているんですか」

「ついでに、王都では既に君が死亡したという説がほぼ通説になっている。かの王女に近づこうとする輩の数も増えてきて、親衛隊が苦労しているという話も聞くな」



…どうしてたった三日でそんな話になってるんだ。

とうとうあんぐりと口を開き、ついでに目も真ん丸くして呆気に取られたキリに、目の前の彼は肩を竦めた。


「どういう経緯かは知らないが、どうやら君の最期を目撃した人たちがいるようだからな」

「……。なるほど」


考えてみれば、おかしいことでもない。

彼らにしてみれば、捜索隊が出てきて万が一にもキリが助かる確率を減らしたかったのだろう。

あの状況で放っておかれれば、彼らの言葉が真実になるのはそう遠くはなかったはずだ。

皮肉にも、現実にこうしてキリは生きているわけだが。



「私は、君の事情は大体把握している。望んで婚約者になったわけではないことも、――こちらへ来てから決して幸せな生活を送ってきたわけではないことも」



驚いて顔を上げたキリを見下ろしながら、彼は言葉を続ける。


「そして、できれば異世界からの客人である君を、このまま放っておきたくないと思っている。この世界に生まれ、この世界を愛する者の一人として」

「…それは、つまり」

「丁度いい機会だし、ここで暮らす気はないか?君も好き好んであんな場所に戻りたくはないだろう?」



ああ、やっぱりそうくるか、と思った。


確かにキリにしてみれば願ってもいない話だ。

あの場所へ戻るくらいなら、どこか知らない場所で新しく生活を始めてみるのだって悪くはない。

彼の言葉の真意は計り知れないし、その意図がどこにあるのかも掴めないけれど、一考の余地はあるはずだ。


――だが、今回ばかりは既にキリの返答は固まっていた。



「……それができたら、そもそもこんな茶番には乗っていませんよ」



その答えが全てだった。


キリには、不本意な状況に抗いねじ伏せるだけの力がない。

キリが望まずとも、場がキリを必要とするならば、出て行かなければならないのだ。

そうしなければ後で手痛いしっぺ返しを喰らうのだということは、この数ヶ月で身に沁みて知っている。



「君がそれを望まないのなら、それもいいがね。状況というのは変わるものだ」

「…」

「君が『死んだ』ことで、今まで君を縛っていた状況と言う鎖は解かれた。君は一度舞台を降りたのだから、このまま逃げるも再び舞台に上がるも、君の自由だ」

「…けれどこのままでは、私を喚んだ人が困るでしょう」


おやと彼はキリを見降ろす。


「貴方にとって、彼女たちはそこまで義理立てしたい人たちなのか?」

「…」

「冗談だ、そんな顔をするな。…困りはしないさ。彼女達にしてみれば、結婚の時期を延ばす理由さえできればそれでいいんだ。婚約者が死んだという事実は、十分な理由になる」


反発は飲み込まざるを得なかった。

彼の言う通りなら、この状況が一番有利に働くのはあの王女達だ。

自分の面倒を見なくても良くなった分、喜ぶことはあれど困ることはないだろう。



「少々予想とは違ったようだが、君は与えられた役目を果たした。そして今、初めて自分の意思で選択できる余地を得た。……誰かのためではなく、自分のために」



それは、まるで。


審判のように。

門番のように。


彼は問う。



「君はこれから、どうしたいんだ?」



試されている。

そう思ったのは、別段確信があってのことではなく、ただの直感に過ぎない。

ただ、答えを待つ振りをしてこちらを見据えてくるその黄金の瞳が、一瞬油断ならない光を灯した風に見えた。


答えを誤れば、ようやく示された選択肢は消されてしまうかもしれない。

慎重になるべきだと頭のどこかが警鐘を鳴らした。


けれど、黙り込んだのはそれだけが理由ではなかった。



答えに迷う必要などなかった。

最初から、キリが持つ答えなどたった一つなのだから。


示された選択など関係ない。

状況が許すというのなら、今すぐにでも。





「私は、」






元の世界に帰りたい。







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