13.一難去ってまた一難。
魔法使いが前線から帰還した。
その一報が入ったのは、キリがティンドラに帰って一月。
開戦から一月と半分が経とうとしている頃の事だった。
その知らせが入った時、キリとコーネルはちょうど昼休憩中。
訓練メニューの構成について対立し、議論を戦わせていた。
食堂においては見慣れた光景なので、他の隊員たちも特段気にすることなく食事を続けている。
そこへやってきた隊員の一人が告げたその一言に、キリとコーネルは仲良く嫌な顔をした。
「うげ」
「何だと?」
その後お互いに顔を見合わせてコーネルが顔を顰め、キリは肩を竦め。
親衛隊の面々が揃って苦笑するまでが、予定調和のお約束だった。
第二王女親衛隊の面々で宮廷魔術師アシュトル・ウォートを好ましく思う者は少ない。
それは王女の教育係として最も身近にいる男性であるから、という理由が一番を占めるが、ただそれだけというわけでもない。
第二王女親衛隊の隊長、イージス。
国軍指揮下第三特務隊隊長、という肩書きを持つ彼女だが、アシュトルはその第二特務隊の隊長である。
つまりは国軍の隊長同士なわけだが、昔っから第三と第二の特務隊の折り合いは悪いのだ。
第二は魔法使いを主眼とした隊、第三は戦士を主眼とした隊。
戦場では対極とも言うべき戦力を振り分けた二つの隊は、事あるごとに比較され、お互いを意識させられていた。
まあ簡単に言ってしまえば、お互いにライバル意識があるのだ。
イージスとしてはそのつもりはないのだろうが、アシュトルはしっかりとイージスをライバル視している。
そのお陰か、イージスに対しても手酷い言葉をかけることが多く、それが隊員の反感を買っているのだ。
加えて、アシュトル自身の態度がまた偉そうなのも拍車をかけている。
悪口雑言は当たり前、歯に衣など着せる気もなく他人を見下した言葉が発言の5割を占める。
それでいて王族やそれに近しい者に対する態度は完璧で、隙も見せない。
実力は確かにあるのだが、それ以外が非常に残念と評判だ。
ついでに特務隊のみならず、親衛隊内のことにまで口を出してくるのがまた憎たらしい。
地位としては同程度であるイージスにはそんな素振りがないこともあり、隊員は事あるごとに二人を比較してはアシュトルの悪口に花を咲かせていた。
キリとしても、アシュトルの印象はこの世界にやってきた初っ端から最悪だ。
その点では、親衛隊内でも話が合うことが多く、良かれ悪しかれ隊員との距離を縮める切欠にもなっていた。
さて、それはともかく。
前線から帰ってきた魔法使いは、戦況をこのように報告した。
策を用いた善戦により現在は何とか食い止めているが、それも時間の問題である。
開戦当初に比べて、相手方の攻撃も様子見から攻勢に転じ、戦いがより激しくなってきている。
正面衝突により戦力は疲弊を見せ始めているし、膠着状態から攻めの姿勢へ転じる隙もない。
早急に近隣国と手を組み、背後もしくは側面より敵国を叩くなどの方策が必要だ、と。
考えるまでもなく、当然の結果だ。
軍事大国であるグラジアに比べ、ティンドラはお世辞にも軍備に力を入れているとは言えない。
隣り合っているがゆえにその脅威に対抗するための配備や対策は為されてきたが、正面衝突となれば押し負けてしまうが必然だろう。
そして、そんな報告を受けた国軍の上層部は、現在新たな同盟の締結や密使の処理にてんてこまいしている真っ最中らしい。
予想できる事態なんだから前々から打診しとけよとキリは思うのだが、どうやら以前から同盟を組もうとする度に妨害があって、難航していたらしい。
十中八九グラジアの仕業だろう。用意周到な奴らだ。
そうでなくても、保身のためにのらりくらりと答えをかわしていた国も少なくなかったのかもしれない。
だが、こうして実際に戦争が始まって状況が切迫すれば、相手もその戦法を取れなくなる。
停滞していた同盟の話が一気に動き出した、といったところなのだろう。
それでも、既に同盟を締結していた幾つかの国では、少なくない数の援軍が動き出しているとの話だ。
それも状況を決定的に変えられるとは思わないが、ないよりはマシだろう。
と。
聞こえてきた噂話はこんな所。
そのうち親衛隊も遊撃部隊あたりで駆り出されるかもな、なんて笑えない冗談を交えつつ、隊の空気はまだ和やかだった。
「しかしいつまで居座るつもりかな、宮廷魔導士殿は」
「数日は滞在する予定だと聞いたがな」
「とっとと前線に帰ればいいのに……」
「一度死ねばあの性格もなんとかなるんじゃないか?」
「無理であろう。奴の性悪は魂の奥深くまで刻み込まれていると見る」
こんな、多少行き過ぎた冗談を飛ばしあうくらいには。
いくら戦時中とはいえ、ここは前線から離れた安全な王都の中だ。
前線に出ている隊長を心配する声は多かったが、その程度のものだった。
それは、軽口をたたきながら噂を聞いていたキリも、そう変わらない――はずだった。
そのまま他の隊員たちと午後の当直を終わらせて寮に帰る頃には、空は赤く染まっていた。
他の隊員に別れを告げて自室に入ったキリは、ばたりとベッドに突っ伏す。
枕に顔を埋めたままの呟きは、小さなくぐもった声。
「……報告しないといけないのか、これは」
グラジアのいけ好かない皇子との契約は、忌々しい事にいまだ有効だ。
定期報告がないので契約そのものは緩いが、報告義務がある数少ない条件の一つが、「どこかと同盟を結ぶ構えを見せたら報告」である。
この流れでの報告は正直どぎつい。
まず対象国のリスト作りから始めにゃならんのではないか、と既にうんざりしている。
ティンドラの周囲はともかく、グラジアの周囲は元々一つの大国だった国が分割されて作られた小国が集まっているのだ。
グラジアへ奇襲を仕掛けるにはもってこいの位置にある国々だが、如何せん数も多い。
記録するなんて証拠になりそうなものは残したくないが、全部暗記もできれば勘弁してくれ。
とりあえず今日聞いた話の中に出てきた国々の名前を反芻しつつ、キリは気だるげに嘆息した。
と、ベッド脇に立てかけた剣と机の上に放った隊服の上着が目に入って、動きを止める。
早めに吊るさないと皺になってしまう、が――キリはそのままごろりと寝返りを打って、天井を見上げた。
掃除係によって壁も床も磨き上げられて、嫌味なくらい、真っ白だ。
ただ、天井までは流石にどうこうできない。
経年劣化の賜物だろう、薄黄色の染みが広がる角をじっと見ながら、キリは別のことを考えていた。
――どうして最近、こんなにもやもやとした気分が晴れないのか。
全てとは言わずとも、大方のところは上手くいっているのに。
答えは特別考えるまでもない、上手くいっているからだ。
コーネルとは前以上に遠慮のない口論ができるようになったし、親衛隊にもうまく馴染めてきた。
ルーデンス家からもこの一月で何度か夕食に呼ばれて、家族らしい家族の食卓も囲んでいる。
第二王女や王家はこの一ヶ月口を噤んだままだし、刺客が来る様子もない。
グラジアの隠密への報告も三回ほど行ったが、当初増やされていた監視の目は減る一方だった。
多少のアクシデントや予想外はあったとはいえ、一月でこの状況にまで至ったのは予想以上の収穫だ。
もしかしたら親衛隊に入ってからの最初の一月をもう一度ハードモードで繰り返さないといけないのかと思っていただけに、拍子抜けせざるを得ない。
だからこそ。
考えていた以上に、この国の中にも、自分の居場所はあったんじゃないか、とか。
……このままスパイを続けて、いいのだろうか、とか。
そんなことを考える余裕まで出てきてしまうわけで。
だけど、今はまだ、考えたってどうしようもないことなのだ。
例えば、ティンドラに寝返ってグラジアの情報を売ったところで。
ルーデンスはキリを保護してくれるかもしれない。
上手く口先三寸で、逆スパイのような真似をしていたのだと、騙れるかもしれない。
けれど、キリが今持っている情報を与え、ティンドラに組したところで、ティンドラがグラジアとの戦争に勝てるのかと聞かれれば、それは恐らく無理だ。
寝返ったところで、ティンドラがグラジアの属国にでもなってしまえば、それは意味がない。
逃げ場をなくしたキリは、処分されて終わりだろう。
……キリは、死ぬ為に生きているわけではない。
帰って、やるべきことがある。
生き汚く、泥を啜ってでも、できる限りの精一杯で生き延びなければならないのだ。
そのためには、まだ、グラジアに協力しなければならない。
例えそれが不本意なことでも。
「…………」
――ふ、と。
息を吐いて、キリは勢いよく身を起こした。
放りっ放しだった隊服を壁に吊るし、砥ぎ石を手にして剣を抜く。
手入れの仕方もおっかなびっくりだったあの頃が懐かしいな、と思いつつ、いまや習慣になったそれを黙々と行なう。
グラジアへの報告はとりあえず明日あたりに行くとして、今夜はどうしようか。
食堂へ降りて、同盟国に関する情報収集が無難だろうか。
王都に帰ってきたというアシュトルの動向も気になる。
隊長ではないが、報告にわざわざ王都まで帰ってきたと聞けば、警戒もしようというものだ。
また何か企んでいるんじゃないか、そこに王女も絡んでいるのではないか。
もしそうだとしたら、一体何を企むというのだろうか。
柔らかな布で拭き上げて手入れを終え、刀身に曇りがないことを確認する。
鞘に収めて一息吐いた所で、
「入りますよ」
「ってはあ!?」
ノックもなく唐突に開いた扉に、キリは素っ頓狂な声を上げた。
それよりその声だ。
忘れもしない、唐突に召喚されてこの世界に降り立ち、呆然としていたキリに、「いつまで馬鹿みたいに間抜け面晒してるつもりですか。貴方が馬鹿なら用はないんですが」という第一声を投げつけてくれやがった性悪魔法使い。
アシュトルだ。
っていうか、
「お前も隊長も何なんだよ急に!最近は唐突に帰ってきて人の部屋を訪れるのが流行なのか!?」
「何の話ですか。暇を持て余しているだろうあなたに使う気などありません」
「あーそうかい、忙しくて相手のアポも取れない身は辛いな全く」
「貴方に慮られると虫唾が走ります」
これだよ!!!!!
王女と一対一するの以上にこいつと顔合わせるのが本当に嫌なんだよ!!!!!
と、内心で絶叫しながら、キリは顔の筋肉を引きつらせて笑みを維持する。
「で、お忙しい身の宮廷魔導士様がわざわざ何の用だよ」
「貴方がここに戻ってきた理由の申し開きを、一応聞いておこうと思ったんですよ」
…まあなあ、と思わないでもない。
アシュトルにしてみれば、キリの行動は意味が解らないだろう。
まず、密かに魔法陣を盗み出した犯人がキリだとは解っているはずだ。
これで、アシュトルに頼らずに帰る方法を探そうとしているのだろうと見当がつくだろう。
生存していること、帰ってくる気はないことも、きっと知ったはずだ。
――だというのに予想を裏切って、キリは再度キリ・ルーデンスとして城に戻ってきた。
これは不自然だ。
行動原理として、まるっきりおかしい。
それに対する疑問や不審は、当然のことだ。
それを理由に疑われるのは、キリとて承知のことだ。
だから、何とか騙すしかない。
ちょっと考えて、キリはさくっと切り札を切る事にした。
「……半年に一回」
「は?」
「二つの月が重なる夜にしか、扉は開かないんだろ?」
アシュトルの目がすっと細められた。
その氷のような冷たい瞳を見上げながら、キリは言葉を続ける。
「その夜はこの前過ぎた。あと半年は帰れない。半年後に準備が整っていなければまた半年後を待たないといけない――なら、それまでにできるだけの準備をしておきたい、と思うのはおかしいことじゃないだろ?」
「縛られることを承知で、わざわざ帰ってくる理由は?」
「情報源は近いほうがいい」
隙あらばお前を利用する、と言っているも同然だ。
顔を顰めるアシュトルに、「それに」と続ける。
「縛られてるって言ったって、戦争の最中だ。『死ぬ』のなんて簡単だろ」
「……少し見ない間に随分開き直りましたね」
「お陰様で。『記憶喪失』の間に色々経験したもんでね」
「そうですか。ま、そういうことにしておきましょう」
見逃しておいてやる、とばかりに鷹揚な態度を取るアシュトルに、今度はキリが据わった目を向けた。
そういうことにしておくしかないんだろ、と悪態を吐きたくなるのを抑えつつ、口を開く。
「次は何企んでるか知らないが、私がここにいる以上好き勝手にはさせないからな」
「……ああ、できるものならどうぞ。まあ心配せずとも、当分は何も起こりませんが」
「そう願うよ」
「ま、その前に油断してぽっくり逝かないよう、精々気をつけてくださいね」
「こっちの台詞だよ!?」
キリのツッコミに肩を竦めたアシュトルは踵を返し、ぱたんと扉が閉まる。
こつこつと音を立てて去っていく靴音が階段を降りて殆ど聞こえなくなったところで、キリはベッドに崩れ落ちた。
枕に顔を埋めながら、盛大に溜め息を吐く。
これから訪れるであろう波乱を、脳裏に思い描きながら。




