11.しょーげきの事実
謝るって何だ。
さっぱり綺麗に見捨てておいて、それはないだろう。
あまりのことに、うっかり浮かべていた笑みも消えていたらしい。
それで妙な確信を得てしまったらしいコーネルは、そのままべらべらと言葉を続ける。
「表向き、キリが死んだのは崖崩れに巻き込まれて崖から落ちたから、ということになっている。――だが、実際は違う。あいつは、馬車の御者が巻き込まれるのを助けようとして、代わりに落ちたんだ」
「……違うって事はないだろ?崖から落ちたってのは事実だ」
「この後の話だ。……あいつは確かに落ちたが、多少の怪我をしただけで、死んではいなかった。運良く崖下の岩棚に引っかかってな」
ずっとキリに向けられていた視線が、外される。
言葉を待つキリを前に、コーネルは何度か言葉を紡ごうとしては言いよどみ、
「……落ちたあいつを見捨てたのは、俺たちだ」
最終的に、絞り出すような声がキリに届いた。
キリとしては事実なので「そーだな」としか言いようがないのだが、コーネルにしてみれば随分勇気のいることだったのだろう。
殺した相手の遺族(と思い込んでいる相手)への罪の告白だ、当然かもしれないが。
ちょっぴり反応に困るキリの無言をどう受け止めたか、コーネルは視線を合わせようともしないままに言葉を続ける。
「助けられた筈なんだ、本当はな。それをしなかったのは事実だし、言い訳する気もない」
「……ふうん」
言い訳しないのか。
つまり本当に見捨てるくらい嫌いだったんだなと、ちょっぴり悲しくなってキリも視線を外す。
……しつこいようだが、キリは別にコーネルが嫌いなわけではなかった。
面白い奴だったし、からかうと楽しかったし。
その辺はどうも複雑な思いがよぎりかけたが、「ただ、な」と、コーネルが続けたので、キリは黙って聞いてやることにした。
「少し話が逸れるが。ファリエンヌ様が、どうしてこの歳になっても他国の王族と婚約を結ばなかったか、知ってるか?」
「……政略結婚が嫌だったんだろ?」
「政略結婚自体は別によかったらしい。先日の道中で一度話をさせて頂いたが、仕方ないと割り切っておられた」
それは初耳だ。
目を瞬くキリに、コーネルは一度息を吐いて。
「ただ、その前に一回くらい、本気で誰かを好きになってみたかったんだ、と」
「……」
「キリが死んだと聞いた後の塞ぎこみようは、酷かった。……なんだかんだでお強い方だと思っていたが、あそこまで衰弱していらっしゃるのは初めてだった」
ちょっと想像できない。
ここまで言うからにはコーネルはその衰弱した姿とやらを見たのだろうが、何より美しさに重きを置いてお手入れをしていた彼女がそれを疎かにするとは。
演技――というには、行き過ぎているような気もしないでもないが、どうなのだろうか。
内心首を傾げるキリをよそに、コーネルは「だから」と言葉を続けていた。
コーネルに向けた視線がかちあって、いつの間にか見られていたことを知る。
「……キリは、ファリエンヌ様が本当に好きになった相手なんだ。わざわざ貴族の養子に入れてまで生涯を共に歩みたいと思ったほどに」
一言一言を、噛み締めるような。
一言一句、決して言い漏らすまいと――――まるで、自分に言い聞かせてでもいるかのように。
「謝って許されるとは思っていない。敵討ちと襲われても、文句は言えない」
「だが、もしお前がこの先姿をくらますつもりなんだとしたら」
「――彼女にだけは、本当のことを打ち明けて去ってほしいんだ」
そして、落ちる沈黙。
夜の静けさにざわめく梢、真っ暗な手元で僅かに煌く、降ろされた剣の切っ先。
思わず嘆息した。
こいつは、ほんとに、もう。
痛いくらいまっすぐだ。
「……コーネル」
名前を呼べば、緊張を含んだ視線がこちらに向けられた。
その目を見返しながら、キリはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「言いたいことは解った。お前がどうして謝罪なんて言い出したのかもな」
「……」
「だがな。それなら、存在するかどうかも解らん妹より先に、謝るべき相手がいる筈じゃないのか」
キリの視線に耐え切れなくなったのか、宙を泳ぐ視線。
そんなコーネルに、キリは一つ、大きな溜め息を吐いて。
「この私にだ、大馬鹿野郎」
ぽかんと口を開けたコーネルが「はっ…?」と声を漏らす。
その間抜け面を腕組みして観察しながら、キリは今まで黙っていた分の口を開いた。
「そもそもお前、その謝罪にどんだけの意味があると思ってんだ?あんだけ綺麗さっぱり見捨てて帰りやがったくせに、何か?反省でもしたってのか?」
「……っ」
「それくらいならもっと他にできることがあるよな?自己満足の謝罪なんて必要ないぞ」
唇を噛んで戸惑ったように黙り込んだコーネルに、キリは追い討ちをかけるように言葉を紡ぐ。
「あと、これ以上妄言を言いふらすようなら私にも考えがあるぞ。以前貴様が酔っ払って綴りだしたファリエンヌ王女への愛の手紙の内容を一言一句暗唱してやるとか、お前が勝手に挑んできたいろんな勝負の勝敗が50戦3勝35敗12引き分けになることとか」
さすがにこれだけ言えば、コーネルもキリが偽者だなどとは言えないはずだ。
予想通り、その言葉を聞いて、驚いたように目を見開くコーネル。
少しの間躊躇うように口を開きかけては閉じ、キリが視線で促してやると、ようやく口を開いた。
「ほ、本物……なのか?」
「コーネル、お前ほんとに私が偽者だと思ってたのか?」
「だ、だってお前、じゃあ何で否定しないんだよ!?」
「いや、なんか面白い事言い出したからとりあえず聞いてやろうと思ってな」
うん、楽しかった。
からかいを含んだ言葉を投げてやると、コーネルは混乱しているかのように頭を抱え込んだ。
「ちょ、ちょっと待て。待て」
「何だよ、殺したはずの奴が生きてた事がそんなにショックか」
「いや、それはいい。問題はそこじゃない」
「ん?」
「キリ、お前、……女だったのか?」
一瞬思考がフリーズした。
しかし慌てて何とか口元に笑みを作り、コーネルの奴を睨みつける。
「喧嘩売ってんのか?」
「ああもうそれでいい。いいから違うっていうなら確認させろ」
「はあ!?」
いやいやいやちょっと待て。
真顔で迫ってくるコーネルを腕力で何とか押し留めながら、キリはなんとか説得を試みる。
が、どうやら妙な確信を持っているらしいコーネルは、びっくりするほど引き下がろうとしない。
うわー面倒な事になった、と額に手を当てるキリと、いまだ混乱の最中にいるような顔をしつつも食い下がるコーネル。
……どうやら、この話の収拾をつけるには、かなり時間がかかりそうだった。
さて、とりあえず長話ならば場所を移そうという話になって。
やってきたのはコーネルの部屋だ。
さすが貴族様のお部屋、と言わんばかりにふかふかと座り心地のいい椅子に足を組み、キリはコーネルを睨みつける。
コーネルはといえば、向かいのソファで難しい顔のままキリを観察していた。
奇妙な沈黙の中、「さて、」と口火を切ったのは、キリ。
「色々言いたい事はあるが、そもそも何でお前、私が女だと思ったんだ」
「……二週間くらい前、だったか」
二週間前の夜――つまり、キリがイージス隊長と夕食を取った夜。
コーネルは、キリの部屋を訪ねてきたのだそうだ。
ノックしても返事はない、なのに部屋の鍵は開けっぱなし。
不審に思って中を覗いたら、キリが隊服姿でぐーすか寝ていたと。
呆れながらベッドの近くに近寄っても気付く気配は皆無。
おまけに傍の剣と剣帯をうっかり蹴飛ばして音を立ててしまっても、起きる気配もなし。
いよいよもって呆れたコーネルがキリを起こそうと肩に手をかけたとき、
ぽつりと一言、寝言を呟いたそうだ。
おにいちゃん、と。
で、驚いて手を引っ込めたコーネルは、改めてキリを観察して、違和感に気付いた。
まず、喉仏らしきものが見あたらないこと。
普段は喉元まである隊服で隠れているのだが、その時は寝ている間に息苦しくなったのか、一番上のフックが外されて首元が緩んでいる状態だった。
次いで、触れた肩が異様に薄く、華奢に感じたこと。
剣を振るう時のあの馬鹿力を秘めているにしては、筋肉がついていなさすぎた。
もうその時点でだいぶパニックになったコーネルは、それ以上の確認をすることもできず、とりあえずキリに毛布をかけて部屋を出て行ったらしい。
けれど、疑い始めると今までにあった様々な違和感が浮き彫りになってきて。
今日までの二週間キリを観察し、出した答えが「今キリとしてここにいるのは女性」だった、と。
その上で、今までの状況やキリの境遇などから推測した答えが、あれだった、と。
訥々と語るコーネルの説明は、そんなところだった。
米神を押さえて視線を逸らしたキリをなんとも言えない顔で見下ろしながら、彼は再度確認を取る。
「……本当に、本人なんだな?」
「……」
否定しようにもできない状況が恨めしかった。
本人だと証明できる証拠は、既に相手に渡ってしまっている。
実は全部嘘でしたー、なんて話は今更通じやしないだろう。
ああもう。
こんなことならいっそ、話せる部分は全部、話してしまおうか。
そもそも最初からして、無理がありすぎたのだ。
いつかは来る日が今来たと、そう考えるべきだろう。
そして、沈黙の中。
「解ったよ。全部話す」
キリは、大きく一つ溜め息を吐いた。




