2.殴りたい、その笑顔
「アホか!特攻にも程があるわ!」
――と叫んだキリを、誰も責められまい。
それほどに、キリにとっては予想外な展開だった。
そもそも、キリ・ルーデンスに戻るつもりなど二度となかったのだ。
だからこそ、生存を相手に悟られるリスクを侵しても、魔法陣を盗むことを決めた。
盗む前であればともかく、今になってそんな事を言われてもどうしようもない。
「そもそも成り済ませって、無茶だろう!?外見はまだしも、本人を良く知ってる奴らの中に飛び込んで、騙しきれるわけない!」
「本人がそれを言うか?」
反論しかけ、キリはぐっと押し黙った。
発信機があるのなら、ユルレドに行ったことも知られているはずだ。
今更赤の他人だと主張するには無理がある。
「…まあ、正直、スパイとして送るのが本物か偽者かなんてことは、俺たちには関係ないがな」
そりゃそうだ。
本人であろうがなかろうが、本人として振舞えればそれだけで十分だろう。
「が、本人がいるなら協力を取り付けたほうが早かろう。本人資料だの何だの、機密情報を手に入れてくる手間も、教育の手間も省ける」
「……私がスパイ仲間を売るとは考えないのか?」
「代わりなど幾らでもいる。逆に言えば、お前を得るのに伴うリスク、という形で納得済みだ」
あーそうでしたねーと遠い目になりつつ、キリは嘆息した。
彼らにしてみれば、キリが進んで情報を渡すかどうかさえ、どうだっていいのだ。
発信機があるなら盗聴だって朝飯前だろう。
要は、王都や城などの守りの堅い場所に入り込む為の手駒が欲しいだけなのだから。
選択肢が残ってさえいるのであれば、絶対にこんな提案蹴ってやるのに。
そう拳を握るキリを尻目に、男はあくまでも同盟という言葉を使い続けるつもりらしい。
「これはあくまで【同盟】だ。お前が首を縦に振らなければ成立しない」
「そんだけそっちに有利な条件ばかり並べといてか?聞いて呆れるな」
「欲しいもの何でも一つ、はこちらに有利か?俺はてっきり、命でも賭けさせられると思っていたんだがな」
「どーせ用が済んだら口封じだろうが。ないのと同じだ、そんな条件」
そう吐き捨ててやれば、「それは困った」と男は肩を竦めた。
別段困っていない風に見えるのが余計に癪に障ったが、男に動きが生まれそうだと踏んで、キリは口を挟みはしなかった。
期待通り、男はそのまま言葉を続ける。
「どうやら根本的に信用がないようだな」
「今更何言ってんだ」
本当に今更だ。
半眼で突っ込むと、男はふむと腕を組んだ。
「では、約束に一つ追加だ。俺は今武器を持っていないし、今後もお前と接する時には武器を持たない。お前は別に持とうが構えようが構わん。誠意の証にはならんか?」
「…あのビームサーベルは?」
「隣の天幕だ。お前の剣と荷物もそこにある」
その言葉に、キリは視線を泳がせた。
…流石に、男がここまで『同盟』とやらに拘るのはちょっと不自然だ。
キリが自分から同意しようが強制しようが、裏切りの可能性は変わらない。
そもそもキリに選択肢がないことを解っていて、敢えて選択させるのは何故だ?
悩んだところで、答えは出ない。
黙り込んだキリをどう取ったのか、男は言いたいことだけ言って話を切り上げた。
「さて、こちらから呈示する内容は以上だ。悪いがこれ以上の譲歩はできん。…俺は待つのは嫌いでな、できれば答えはすぐ欲しいものだが」
「……せっかちな男は嫌われるぞ。せめて五分くらい待てよ」
キリの返事に、男は片眉を上げて笑みを浮かべた。
仕方ないなとばかりに座りなおし、腕を組む男を横目に、キリは必死で頭を回転させる。
逃げ出す事さえできれば、こんな提案に乗ってやる選択肢はない。
だが、タイミングよくヴィーが帰ってくるとも思えないし、そもそもキリを見つけられない筈だ。
ヴィーに解らないなら、フォミュラには尚更解らないだろう。
自力でどうにかしようにも、縄は解けないし剣は取り上げられている。
足の力だけでどうにか再び森に逃げ込んだとしても、発信機が一つとは限らない。
キリに協力する気がないと知られれば、次は無事でいられる保証もない。
また、キリが提案を呑むフリをしてティンドラに戻り、ティンドラに寝返ったとして。
ティンドラに、味方はいない。
寝返って保護してもらえると考えるのは楽観的過ぎる。
ティンドラの人々、…特にあの魔法使いは、召喚の陣が盗まれた事に気付いているだろう。
一度でもグラジアに加担した事実があるのだから、それにかこつけて殺されかねない。
それならまだ、形だけでもグラジアに協力した方が生き残る確率は上がるはずだ。
少なくとも、キリに利用価値があるうちは殺されない。
逃げ出すチャンスも、できるだろう。
それに、もし。もしも、だが、この提案を受け入れれば。
あの王女と魔法使いが呼び出そうとしている【二人目】を、助けられるかもしれない。
形だけでも自分が婚約者として戻るのであれば、彼らが二人目を呼び出す必要はないはずだ。
あの日からニ週間と言っていた。
…まだ、間に合うかもしれない。
それに、帰還の陣について、更に情報を手に入れることもできるかもしれない。
魔法陣が発動できる期間が決まっていた事にすら気付けなかったのだから、情報はあるに越したことはない。
…キリが加担すれば、恐らくこの戦争はグラジアが勝つだろう。
約束が信用できない以上、もしかしたらクレイズも殺されるかもしれない。
けれど、でも。
反対に言えば、キリはクレイズとルーデンス以外の人間がどうなろうと、困らない。
加えて、自分が生き残る為には、一時的にであれど、提案を呑む以外の方法が思いつかない。
長い沈黙の後、キリは口を開いた。
「…本当に、ルーデンスから手を出さない限りは何もしないんだな?」
「契約書類でも書くか?」
「そんなもんあった所で何の役にも立たんだろうが。確認だ」
「ああ、約束しよう。そちらから我らに何かしない限り、ルーデンスに手は出さん。お前の命も、報酬もな」
相変わらずのふざけた調子だったが、男は確かに頷く。
それを見届け、不承不承。
渋い表情を崩さぬまま、キリは彼の提案に頷いた。
「契約成立だな」
にやりと笑んで、男はキリに手を伸ばし、身体を拘束していた縄を解く。
やっと自由になったキリは、無言のまま手を握っては開き、身体の調子がいつもと変わりないことだけ確認して。
とりあえず最初に、男の頬を張り飛ばした。




