19.14へ行け
キリがこの作戦を決行するのに見込んだ期間は、二日。
いくら国境に近いとはいえ、人の足ならユルレドから国境まで半日は掛かる。
工作をする時間を考えれば、普通ならばギリギリの日程だ。
それでも強行軍で移動を行なえば、体力面で強化されているキリにとっては決して難しくはない。
だからこそ、フォミュラに向けた手紙にもそう書いた。
実際、工作が順調だったお陰で時間に余裕はあったし、出発時間から考えても、順調に行けば、夕方には国境に着いていてもおかしくない日程だ。
その筈だった。
ユルレドと国境を結ぶ街道は、森を大きく迂回する形で作られている。
国境近くの街道ということもあって雰囲気は物々しく、行き交う人々の姿もあまりない。
それが災いしたか。
ユルレドを発ったキリが急ぎ足でそこを通りかかった時、森に潜んでいたらしい賊が行く手を塞いだ。
こいつらを撒くために森を突っ切るなら、恐らく森で夜を明かすことになる。
国境に着けるのは、翌日の昼になるだろう。待ち合わせにはギリギリだ。
小さく舌打ちし、ぼそりと呟く。
「……まずった。足止めは計算に入れてなかったな」
相手は五人か、森に仲間が潜んでいるならばそれ以上。
女性の一人旅を狙ったと考えるなら道理は通るが、キリは嫌な予感を抱かざるを得なかった。
このタイミングでのこの足止め、こいつらは本当にただの賊か?
グラジアの手の者が既にティンドラにいる可能性もありえるのではないか?
街道で対峙し、警戒を緩めないまま、キリは彼らを観察する。
格好は確かに山賊と言っていい、装備も軍人に比べれば貧弱だ。
だが、違和感があった。
山賊にしては不自然な、統率された動き。
キリの不意を突けたにも関わらず、問答無用で襲わなかった彼等。
そして、対峙しているだけで先ほどから全く進展がない、この状況。
「金目の物は全て置いていって貰おうか。従わないなら殺す」
台詞もどこか芝居がかかっている。
いや、湧き出る疑念ゆえにキリがそう感じているだけの可能性もあるが、この際それは問題ではない。
とにかく、出会ってしまった以上、キリに彼らを放っておく選択肢はなかった。
この街道は、ユルレドから王都へ向かう際にも通らねばならない。
期せずして露払いの形になるが、クレイズが危険な目にあう可能性は減らしておきたかった。
言葉を交わす時間も惜しい、とばかりに無言で剣の柄に手をかけたキリに、男達は視線を交わした。
手にしていた獲物を構えた彼等を見据え、重心を低くしてすぐ飛び出せるように構える。
緊迫した雰囲気の中、最初に動いたのは、キリだった。
手をかけた剣を引き抜く――ことはしない。
視界の開けたここで戦うべきか、さっさと森の中へ飛び込んで一旦撒くべきか。
数秒の選択の後、キリは迷わず木々の梢の間に飛び込んだ。
理由はニつ。
一対多数で戦うのであれば、邪魔の多い森の中の方が相手の連携が取り辛くなること。
森の中に彼らを引きつけておけば、それだけでクレイズが襲われる心配もなくなること。
伏兵が潜んでいる可能性もあったが、一対一で戦えるなら恐れることはない。
背後で木立を揺らしながら追ってくる足音を聞きつつ、キリは森の奥へと走る。
フェイントが功を奏して初動が遅れたのか、彼らの立てる音は予想よりも僅かに遠い。
これなら撒くのも可能だな、と内心ほっとしつつ、キリは一旦走る速度を緩める。
そしてぐっと身体を低くすると、地を蹴って木の枝へと飛び乗った。
枝から枝へと飛び移るくらい朝飯前のキリにとっては、邪魔がない分空中の方が動きやすい。
梢は目くらましになるし、足場さえ気をつけていれば躓く心配もないのは強みだ。
彼らからやや距離を稼いでから、キリは次の行動に移った。
先ほど飛び上がる直前に拾った石を進行方向に投げ、自分は地に降りて木陰に隠れる。
梢の揺れる音を頼りに追いかけているようなら、騙されてくれるだろう。
予想通り目の前を走り抜けていく彼らの背を見送り、キリは最後尾の男に足を引っ掛けた。
転びかけた男のみぞおちに容赦なく蹴りを叩き込んでふっ飛ばし、それに気付いて足を止めた男達の中でも一番近い男に突進する。
流石というべきか、その男は反射的に武器を構えたが、キリはその手首を抜き放った剣の鞘で弾き、股間を容赦なく蹴り飛ばした。
悶絶して転がる男には目もくれず、キリは他の男達との距離を測る。
気付くのが遅くなったらしい先頭の男からは、ざっとニ十メートルは距離があった。
残りの三人が固まる前に、あと一人くらいは倒せるだろう。
そう踏んで、キリは股間を蹴り飛ばした男のすぐ横にいた男の鳩尾めがけて鞘を突き出す。
流石にそれは避けられてしまったが、無理な体勢で避けようとした相手はバランスを崩した。
続けてラリアットをかまそうとしたキリだったが、ふと怖気を覚えて動きを止める。
右手奥に鎖鎌を持った男、正面奥に短剣を持って走りこんでくる男。
キリの動きを止めたのは、そのどちらでもなかった。
突然キリの背後に生まれた気配。
根拠もなく、ただ勘だけで横に飛び退ったキリがいた場所を、鋭い風が凪いでいった。
「ほう、いい反応だ」
聞き覚えのある声に目を見開く。
間違いない。
「お前…っ!?」
「おっと、お喋りしている暇があるのか?」
あの巨体で、どうしたら音も気配もなくこんな森の中で背後を取れるのか。
顔を驚愕に染めて振り返ったキリの視線の先で、大柄な機械人がにやりと笑んだ。
次の瞬間、低い唸り声のような機械音。
反射的にしゃがみこんだが、軽い衝撃がキリを襲った。
「い゛っ!?」
どうやら奴が振ったらしいビームサーベルが、ちりっとキリの髪を焦がして頭上を通り過ぎる。
間一髪、当たったら即死だ。
というか、殺す気か!殺す気なのか!?
あの場で殺す素振りがなかったから、てっきり生かしたまま何かさせたいんだと思ってたんだが!
まさかあれか、騒ぎにしたくなかったから泳がせておいて、こっそり口封じか!?
一気に冷えた背筋に追い討ちをかけるかのように、距離を詰めた男達がキリを取り囲む。
舌打ちひとつ、キリはしゃがんだバネを利用して一番近くにいた男に特攻を試みた。
サーベルを振り切った体勢の男に、勢いよく背中から体当たりをぶちかます。
普通なら、2mの巨体に細身の女性が体当たりしたところで何ともない。
避ける素振りさえ見せない男に、キリは体当たりの成功を確信する。
――が。
一度力比べで負けているが故に、男は警戒したらしい。
避ける事はしなかった。
ただ、持っていたサーベルを離して、体当たりの瞬間に後ろへと身体を倒しただけだ。
バランスは崩れるが、その代わり、受ける衝撃は最小限ですむ。
ついでに、体当たり自体は成功したものの、勢いを流されたキリはバランスを崩す。
踏ん張ろうとしたが、泥に足を取られてずるりと足が滑った。
げ、と思う暇があったかどうか。
首筋から全身に走る衝撃。
それを最後に、キリの意識は暗闇へと引きずりこまれた。




