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霧雨のまどろみ  作者: metti
第一章 竜人の里
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18.はじめてのラブレター




ユルレドは、国境に近いにも関わらず、普段の穏やかな雰囲気を保ち続けていた。

それはきっと、この街に富裕層の別荘が比較的多いからだろう。


年がら年中穏やかで暮らしやすい気候のこの街は、避暑地にもうってつけだ。

特に王国中央部の気温が上がり始めるというこの時期は、別荘を利用する貴族も多い。

恐らくクレイズも、そんな貴族の子ども達に混じってここにやってきたのだろう。




半日かけてユルレドに辿りついたキリは、まず情報収集のために酒場へと入った。

時刻は夕刻、冒険者や傭兵たちが飲み始めるにはまだ早いが、夕食をとる街の人々の姿は多い。


その中で貴族の家に出入りしていそうな商人を捕まえて、キリは話を聞いていた。

珍しい女性冒険者ということも手伝ってか、酒もあってか、商人の口は軽い。

ぺらぺらと漏らされる貴族の情報に、こりゃスパイも楽だろうなと遠い目になりつつキリは情報を引き出し続けた。


そして、一晩経ったその翌日。



「……あそこか」



ぽつりと呟くキリの視線の先には、天井に大きなガラスが嵌め込まれた大きな建物。

ここがクレイズのいるルーデンスの屋敷――では、ない。

ルーデンスの屋敷に直接乗り込む勇気は流石になかったキリは、だったら貴族が集まる場で待ち伏せてしまえと考えたのだ。


この辺り一帯に屋敷を構えている貴族たちが集まる社交場、温室庭園。


商人によると、王都の貴族街でも有名なその庭園では、現在どこぞの貴族の婚約者お披露目のお茶会が行なわれているらしい。

国内の貴族であれば、そこに貴族の中でも指折りの有名どころであるルーデンスを呼ばないわけがない。

恐らく賓客として招かれているのだろうなとクレイズの苦労を想像しつつ、キリは庭園を遠目に溜め息を付いた。



当然のことだが、貴族が集まっているのだから警護の壁は厚い。

下手に潜り込もうとすればすぐにばれるだろうし、だからといって周辺をうろうろして出待ちを敢行するのも十分に怪しい。


とするならば、どうやってコンタクトを取るべきか。



キリが目をつけたのは、お茶会で行なわれる貴族の慣習だった。



貴族のお茶会は、他の貴族に対して自らのアピールを行なう場所でもある。

その最たる方法が、手紙だ。

お茶会で知り合った相手に対して、今後も付き合いを続けたいという意思表示であり、その切っ掛けを掴むための最初の難関でもある。


当然、形式や渡し方、美しいとされる文句や手紙に付ける香りや花の意味など、貴族特有の知識がなければマナー違反として手紙は受け取ってすらもらえない。

だが、キリにとってみればそんな物は基本中の基本だった。


昔は散々苦しめられた記憶のある慣習だが、こういう時はその知識に感謝だ。



茶会の終わる時間を見計らって庭園に向かったキリは、堂々と庭園のある通りを歩きながら庭園から出てくる人間達を観察する。

手紙を運ぶ役目を担う侍女は、主である貴族が乗る前に馬車に乗り込んで、手紙を選別するはずだ。


庭園を見学しにきた冒険者のフリをして立ち止まり、キリはタイミングを計る。

そして、見覚えのある馬車に近づいてきた侍女をちらりと視界に納めたところで、身を翻した。


「おっと」

「きゃっ」


手紙を運ぶ侍女の背には、渡す際の目印として黄色のリボンが付いている。

『うっかり』剣の柄をそこに引っ掛けてしまったキリの目の前で、彼女は盛大につんのめって転んだ。

案の定ばさりとぶちまけた手紙の束を見て蒼白になる侍女の目の前で、『貴族の事情など知らない冒険者』であるキリは一言謝り、慌ててそれを拾い集め始めた。


――まさか、こうも堂々と衛兵の目の前で手紙をどうこうするとは思うまい。

流れるような手捌きで偽の手紙を手紙の束に紛れ込ませ、キリは侍女に手紙を返した。


こういう時は、細工されているという疑念を抱くような間を置かずに手紙を返すのが鉄則だ。


「悪かったな」

「い、いいえ、こちらこそ…」


大切な預かり物を落としてしまった、という自らの失態に動揺しているのか、彼女はキリの事など目に入っていないようだった。

渡された手紙が汚れなかったか、うっかり落としたままになってはいないか、と何度も確かめる姿にちょっと罪悪感を感じつつ、キリはその場を離れた。


この後は恐らく、今まで以上に慎重に運んでくれるだろう。

自分の主――クレイズの下まで。











その晩。


手紙を汚してしまったと平謝りする侍女を下がらせて、クレイズは机の上に置かれた手紙の束に視線を向けた。

自分に寄せられた好意の数ではあるが、この全てに返事を書くのだと思うと、決して浮かれた気分にはなれない。

その好意の裏に打算が見え隠れしているとなれば、尚更だ。


ただ、手紙をくれた貴族の中には既にお互いを知っている者もいる。

とりあえず後回しにしてもいい手紙を分けておくか、と気の乗らないまま手紙の束を掻き分け、クレイズはふと見覚えのない名に首を傾げた。


基本的に、茶会で手紙を交わせるのは参加した本人からだ。

当然挨拶くらいは交わした相手からだし、見覚えのない名前というのはあり得ない。

侍女が名前を把握していないのは仕方ないが、一体どこから紛れ込んだのか。


訝しく思いつつ封筒を眺めるが、名前以外は変わったところのない、マナーもきちんと守っている手紙だ。

何か危ないものでも入っているかもしれない、と考えて振ってみても、カサカサと紙の擦れる音が聞こえるだけだった。


人を呼ぶべきか、それともこっそり中を見てしまうか。


周囲からは慎重な性格だとよく言われるが、クレイズだって冒険心溢れる年頃だ。

あて先は恐らく自分だろうし問題ないはずと屁理屈をこねて、手紙の封に手をかけた。



予想に反して――か、予想通りと言うべきか。

中身は、便箋が一枚のみ。


そして、内容も、たった一行だった。



『ゼンマイ仕掛けの鼠が、明晩獲物に襲い掛かる。蝶は羽根をもがれぬよう早々に発つべし』



彼の学友なら、意味が解らないと一蹴して捨てるような文だ。

ただ、クレイズは賢明だったし、ついでに、聡い子どもだった。



この手紙が、どうしてここにあるのか。

文面より何より先に、クレイズはまずその意味を考える。


紛れ込んだのか、紛れ込まされたのか。

どちらにせよ、誰が書いたのかは解らない。

問題は、誰に宛てたのか、だ。


自分であるならば、話は早い。

ただ、自分でなかったとしても、この手紙がここにある意味はあるはずだ。

手紙の様子からして、この茶会の手紙に紛れ込ませたのは一目瞭然。

つまり、茶会に参加した貴族の誰かに宛てたものであることは確かだ。


その上で、手紙の文面を鑑みると。




がたりと貴族らしくもなく音を立てて立ち上がったクレイズは、一瞬の迷いの後にこの家の執事頭の下へと向かった。

長年ルーデンス家に仕えてきた、秘密を漏らす心配のない、経験のある人物。

両親からも信頼されている上に、彼はクレイズがここに来るに当たって全ての責任を負っている。

動くにせよ留まるにせよ、彼に相談するのが一番だと考えたからだ。



窓から差し込む月の光だけが、無人になった部屋を照らしていた。




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