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霧雨のまどろみ  作者: metti
第一章 竜人の里
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16.ヒーローなんかいないわけで






何で王族が前線(予定地)にいるんだよ!!

しかもお供も連れずに一人でほいほい街中を歩いてるんだよ!!


心の中で絶叫したキリは、はっと自分が置かれた状況を思い出す。



いやいやそもそもこれってまずいんじゃないか?

キリ・ルーデンスはティンドラの王女の婚約者で、つまりこいつにとっては敵国の貴族で、捕虜とか人質にするにはうってつけじゃないか。


そうなれば、キリのとるべき道は一つだ。

しらばっくれるしかない。


気付かれないよう慎重に息を飲み込んで、なるべく自然に聞こえていますようにと念じながら言葉を紡ぐ。


「ええと、人違いじゃないか?私の名はミストで、キリなんて名前じゃないし」

「――では、身内に心当たりはないか。俺の探している【キリ】だが」


表情を変えずに、彼は淡々と言葉を紡ぐ。

消え去らない不穏な気配に身構えるキリを、男は値踏みするように見つめていた。


「出身国とされる国の内外を問わず、有名人でな。面白い噂が色々とある」


例えば、と面白い物を見るような目で男は口を開く。



「婚約者のために、真剣を使ってティンドラ一番の猛者と手合わせしたとか」


ありましたねー!!

お姉さまとの喧嘩に親衛隊巻き込まないでくださいよと切にお願いしたにも関わらずー!!

結局第一王女の想い人でいらっしゃる彼女のところの親衛隊隊長殿とサシで戦う事になりましたねー!!



「気難しいと有名なアルシータの王女に気に入られて、個人的に手紙を送られたとか」


そうでしたねー!!

夜会の際にうっかり迷子になっておられた王女様(若干12歳)を偶然見つけて助けたら一目ぼれされたこともありましたねー!!

お陰で親衛隊の連中にロリコンだの何だの言われて実に迷惑しましたねー!!

ちなみに親衛隊の寮の私室に置きっ放しだからもう焼却処分されてると思うよー!!



…何だか泣きたくなってきた。

いいやだが諦めてはいけない、キリ・ルーデンスはもういない。

ここにいるのは、ただのキリだ。


今の生活を守るためなら。

――ああ、私は例え笑顔であってさえ言い切ってやるさ。



「知らん」



半ばやけっぱちな台詞ではあったが、殆ど間をおかずに言い切ってやれば、男は疑念に満ちた目を向けてきた。

それは言ってしまえば、確信が揺らぎ、疑念へと変わった瞬間だ。

その隙を逃す手は無いと、更に畳み掛ける。



「もういいだろ。私には心当たりなんてないし、あんたのそれは人違いだ。約束の時間ももうすぐだし、私はもう行かせてもらう」

「…ふむ。確かに時間は迫っているな」


何かを考え込むように口元に手を当てながらも、男はうっすらと笑みを浮かべている。

その絶対的な余裕さえ感じられる気色悪さに、キリは眉を顰めた。

こりゃさっさと退散した方がいいなと結論付け、立ち上がりかけた矢先にぐいっと腕を引かれる。



「な…っん!?」



驚いて突き飛ばしかけたが、竜人たちと同程度に力のあるキリが彼を本気で突き飛ばしたら、壁まで破って吹っ飛ぶ可能性もある。

王族殺人の犯人にはなりたくないとギリギリで思い留まったが、代わりにするりと入ってきた舌に口内の蹂躙を許してしまった。


そして焦るキリの耳に、こんこん、と扉を叩く音。


「お客さん、そろそろ時間な…」


と、そこでキリたちの姿が目に入ってきたのか、言葉が途切れる。

闖入者に気付いたキリが慌てて抵抗しようとするが、酸欠でくらくらして結局目の前の男に縋りつくはめになった。



それからたっぷり数十秒は経っただろうか。

存分に堪能したらしく、唇が離される。


「ふ、ぁっ…!」


はあはあと荒く息を吐くキリを押さえ込んだまま、男は扉を開けて居心地悪そうにしている主人に視線を向けた。

懐から皮袋を探り、そのまま投げ渡す。



「――二時間追加だ」

「か、かしこまりやした」



「ちょ、ま」と声を上げかけるも、その言葉は再度キリの唇を塞いだ男によって飲み込まれた。

逃げ出そうともがくが、今度はうまく力が入らず容易に押さえつけられてしまう。


ぱたんと扉が閉まる音がして、



「――っの、ド変態!!ふざけんな、話なんか誰が聞くか!!」

「すぐに出て行くのはやめてくれ。私の面子に傷がつく」

「知るか!!勝手に振られてろっ」

「好くなかったか?」

「死ね」


躊躇うことなく突き飛ばしておけばよかった、と心底後悔しつつ、キリは力任せに相手の手を振りほどいた。

あっさりと振り払われるとは思わなかったのか、顔を驚きに染めた男を尻目に、机の傍に置いてあった荷物を引っ掴む。


同時にその腕を捕まれたが、今度こそ迷いなくキリはその手を振り払った。

腰に刷いた長剣に手をかけ、暗い笑みを浮かべて言い放つ。


「それ以上近づいたら斬るぞ。例えアンタがどんだけ偉くてもだ」

「…やれやれ。嫌われてしまったか」

「当たり前だ」


硬派軍人と見せかけてプレイボーイかこの野郎。

女の敵め、と内心毒づきながら、キリは万が一にも後をつけられないように、と駄目押しをする。


「そもそも!あんたの探してるキリ・ルーデンスって男だろ!?キスまでしといて今更私が男だとでも言うつもりか、あんた!?」

「キリ・ルーデンスは男、か。俺は一言もそんなこと言ってないがな」

「っ、は!?」


一瞬心臓が止まるような心地がして、言葉が詰まった。

慌てて口を開く。


「…あんたの探してるキリ・ルーデンスって、ティンドラの王女の元婚約者じゃないのかよ?」

「まあいいだろう。そういうことにしておこう」



何だその意味深な台詞は!!



キリが頬を引きつらせている間に再び伸ばされた手が、今度はぱしんと見えない壁に弾かれる。

予想していなかったらしい男は片眉を挙げたが、キリも一瞬驚いて目を丸くした。

そして、ああそういえばヴィーがいるんだっけ、とその存在を思い出す。


ヴィーが折角作ってくれたチャンスを不意にしてたまるかと、そのままキリは扉の取っ手を引っつかんで押し開けた。


そのまま振り返りもせずとんずらしようとしたキリの背に、「まあ待て、忘れ物だ」という声と共に何かが放り投げられた。

それを察知して慌てて身を捻ったキリの手元に、ぽすんと皮袋が落ちてくる。

ずっしりとまではいかないが、そこそこの重さを持つそれから硬質な金属音がして、キリは眉を顰めた。


「報酬だ。予想以上に情報を貰った礼と、まあ、怒らせた詫びだな」

「いらねーよ。次会った時その首貰うだけで十分だ」

「随分と嫌われたものだな…まあ、それなら置いていくがいい。…ああ、それと」


と、男はそこで何かを思い出したように言葉を続けた。

口を挟む暇もなければ、立ち去るタイミングも与えない、絶妙な間で。


「――ここからティンドラに入って東に、ユルレドという街があるのを知っているか」

「…だから何だ」

「あそこには貴族の別荘があったな。確か、ルーデンスとかいう」

「…」

「現在、末子が滞在しているとの情報が入っていたが――事実であれば、十分襲撃に足る理由だと思わないか?」



テーブルを挟んだ反対側から投げつけられる、笑っているはずなのにどこか鋭い視線。

室内に落ちた沈黙の中、キリは半ば男を睨みつけるように視線を戻した。


そして。

一つ溜め息を吐いて、手にしていた皮袋を投げつける。





「――私の知ったことじゃない」

「そうか。なら忘れるんだな」






そうさせてもらうよ、と。

口にしてその場を離れながらも、キリは最後まで、一気に凍りついた空気と警戒心を解こうとはしなかった。






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