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霧雨のまどろみ  作者: metti
第一章 竜人の里
20/92

15.むやみに首を突っ込むな





翌日ティンドラを発ったキリは、フォミュラと合流するために国境へ向かった。

国境の周辺は現在緊張状態にあるが、外から入ってくる者に対しては慎重になっても、外へ出て行く者に対しては大した注意を払っていない。


魔法陣は、検問で見つかったところで、その価値がわかる人間などそうはいないだろう。

陣魔法と呼ばれる、魔法陣を使用して行使する大規模な魔法は、一般には浸透していないからだ。

変装も解いたことだし、姿を理由に捕まる可能性も低い。



あれから三日。


キリが魔法陣を盗んできた件については、今のところ大きな騒ぎにはなっていないようだった。

あの会話からしても、これだけ経って気付かないということはないはずだ。

それでいて噂の一つも聞かないところを見ると、恐らく彼らは魔法陣に関する事は伏せておきたいと考えたのだろう。

キリにしてみれば、好都合この上ない状況だった。


魔法陣と構築式さえ手元にあれば、ティンドラにはもう用はない。

竜人族には魔法を使う者も多いと聞くし、このまま地道に勉強と研究を進めていけば、きっといつかは帰れるはずだ。


と、思っていた。




「――何のつもりだ?」

「こっちの台詞だ」




目の前には怒気を放つ男。

背後には泣きじゃくる幼い姉妹。


姉妹を庇うように二人と一人の間に立ちはだかり、キリは腰に手を当てながら男を睨みつけた。



――フォミュラがいれば、どうしてこうなった、と天を仰いでいたかもしれない。








天気は良好、旅路は順調。

予定通り、というか順調すぎるペースでティンドラの領地を抜けたキリは、無事に国境の検問がある街までたどり着いていた。


一度戦争が始まれば最前線となるのだろうその町は、予想に反して大勢の人々が行き交っていた。

仕事を求めてやってきた傭兵達や武器商人たちの姿も見えるが、一番多いのは避難民のようだ。

ざっと見た限り、グラジアからティンドラへ移動する人間の方が多く見える。


グラジアは山に囲まれて避難しづらいから、ティンドラを経由して他国へでも渡るのだろう。

知識からそう導き出しつつ、キリは湧き上がるやりきれなさに知らず歯を噛み締めていた。


避難民の殆どは、いわゆる貧民層だ。

王都でも貧民街と呼ばれる場所こそあったものの、キリは立ち入ったことがない。

――想像と情報でしか知らなかった現実が、目の前で確かな質量を持って存在していた。


これまでフォミュラと多くの街を巡ってきたと思っていたが、どうやらまだまだ知らないことが多いようだ。

貴族の世界でもない、竜人の世界でもない、この世界のことをもっと知る必要があるんだろう。



ふと浮かんだ考えに、何考えてるんだろうな、と自嘲する。

どうせ帰るっていうのに。



事務的な手続きと共に検問を通って、合流場所へと足を向ける。

約束の夕刻まではまだ余裕がある。

折角だから露天でも冷やかしていようか、そう考えた時だった。


罵声と共に、微かな悲鳴が聞こえてきたのは。







殴られ、顔を腫らして啜り泣く姉妹を認めた途端、キリの足は勝手にそちらへ進んでいた。

姉の方に掴みかかろうとしていた男と姉妹の間に割り込んで、「おいこら」と声を上げる。


「こんな往来で暴力沙汰はやめとけって。親子か何だか知らんが、子ども相手に本気で手ぇ上げるなよ」

「ふ、ふざけるな!!俺を機械人なんかと一緒にすんじゃねえ!!」


機械人?と思わず振り返って確認する。

二人はキリの視線にびくりと脅えたが、逃げ出そうとはしなかった。

遠目からでは見えなかったが、確かに首元から幾つもの金属やコードが覗いていた。


実は機械人を見るのは初めてだ。

生物好きとしてはじっくり見せてもらいたいところだが、今はそんな場合ではないと視線を男に戻す。



「ああ、親子じゃないのか。そりゃ悪かったな。けど、それなら何だって他人に暴力なんて振るってやがんだよ」

「人間のお前には関係ないだろう!」

「あんた、女子どもや老人は大切にするもんだって教わってこなかったのか?」


口を開いて三言目は、既に呆れた声音だった。

こいつ話を聞く気ないな、と悟って、キリはできるだけ穏便な対応をしようと決めたのだが――


「ふざけるな、こいつらはグラジアの機械人だぞ!!のうのうと生きてていい奴らじゃないんだよ!!」


これには流石のキリも剣呑に目を眇めざるを得なかった。

落ち着かせるための説得の言葉はどこかにほい投げて、考える間もなく口から言葉が滑り出す。



「機械人とか人間とか、クソみてぇな基準で決め付けんな!戦う力も持たない相手を暴力でねじ伏せるなんて、例え戦争中でも許されねぇよ!」



強い声に驚いたのか、男は一瞬目を瞠ったが、すぐに元の威勢を取り戻した。


「お前は流れ者だからそんなことが言えるんだろうがな!ここいらの人間は、昔から機械人の脅威に悩まされてきたんだよ!余所者が口出しすんじゃねぇ!!」

「ほー、じゃあ言わせて貰うけどな、お前にはこの子ども達が脅威に見えるってのか!?あんたのそれは単に弱い者相手に八つ当たりしてるだけじゃないのかよ!?」

「これ以上薄汚い機械人に増えられちゃ困るんだよ!だから――」


あれ、そういやここってもうグラジアだよな?

公の場で大声でそんなこと言っていいのかよ――と、思う間があったかどうか。



「だから、何だ?」

「女子どもは一人残らずぶっ殺してや――あ?」


キリの背後から、朗々と男の声が響いた。

男はさっと顔色を変えたかと思うと、「きょ、今日はこの辺にしといてやる!」とか何とか、三流まがいの台詞をもごもご言って、いつの間にかできていた人だかりの中に紛れていった。



今の声は誰だ、とキリは疑問符を浮かべつつ振り返る。

そして、そこに立っていた先ほどの声の主に、ぽかんと口を開けた。


一言で言うと、でっけぇ。

二メートル超えてるんじゃなかろうかと思うほどの身長と、しっかりと筋肉のついた身体。

機械人らしく、身体の各所を巡る配線が所々むき出しになっていた。


彼は姉妹の元へ歩み寄ると、何事か声をかけて二言三言言葉を交わした。

それから、あっという間に水の魔法で姉妹の傷を治して、男はこちらを振り返る。


キリもそこまで身長が低いわけではないのだが、身長差は大きい。

ぐぎぎと限界まで見上げて視線を合わせたが、ふと、なんかどっかで見たような、と首を傾げた。

だが、それを口にする間もなく、男の方が先に口を開く。



「我が故郷の民を助けてもらったようだな」

「あ、ああ…ていうか、騒ぎを大きくしちゃってこっちこそ悪かったな」

「いいや、あのままでは少なからず犠牲が出ていた。…全く、ティンドラと戦争という話になった途端にこれだ。いっそこの辺の人間が住む領地はティンドラにやってもいいかもしれんな」


土地的に旨みもあまりない、と零す男は、どうやらグラジアの軍人らしい。

堂々たる威風にしっかりとした矮躯、所々に古傷も見える。

年齢は軍人にしては若そうだが、腕も相当立つのだろう。


最低でも将校クラスだろうな、と値踏みしつつ、キリは曖昧に相槌を打った。

一通り思考をまとめたのか、男は顔を上げてキリに視線を移した。

そして、少し怪訝そうに目を眇める。


だが、それも一瞬のこと。

次の瞬間には、表情から怪訝さは失せていた。


「礼も兼ねて、茶の一杯も奢ろう」

「は?いや、私は…」


目を丸くして遠慮しようとするキリだったが、男は有無を言わさぬ勢いでキリの手を取る。

そして、あっという間に距離を詰め、身体を強張らせたキリの耳元で囁いた。


「ティンドラから来たのだろう?話が聞きたい」


これは、頼みごとではなく命令だ。

そう直感したキリは、逡巡してから「30分だけなら」と答えた。


男はキリの返事に満足そうに頷き、「こっちだ」とキリを促す。



連れてこられたのは、古びた喫茶店だった。

男が主人に何事か話すと、主人は心得たように頷き、そのまま小さな個室に通された。

恐らく、会議や密談をする際に使われるような場所なのだろう。


部屋の中には、小さなテーブルと椅子、茶菓子が用意されていた。

卓に着き、薦められて茶を飲みながら一息吐く。


さっさと済ませてしまおうと、キリは黙ったまま茶を啜る男に視線を向けた。


「――で?ティンドラの内政やら軍事行動について聞きたいんだろ?」

「話が早くて助かるな。傭兵か?」

「別に、普通の旅人だけど。あんたみたいな、いかにも軍人って身体の奴に声かけられれば、そういう目的だろうなってことくらいは解るよ」


それもそうかと頷いて、男はティンドラの状況について様々な質問をしてきた。

それに答えながら、キリはふと違和感を覚える。


軍備の状況とか食糧事情とか、軍事的に意味のあるだろう質問があまり飛んでこない。

どちらかというと、内政に深い見識があるのだろうと思わせるような質問ばかりだ。

…これではまるで、勝った後のことを考えているかのよう。


これから戦いに赴く軍人がこんな質問するか?という疑問がむくむくと首をもたげてきた辺りで、男は一旦質問を打ち切った。

冷めてしまったであろうお茶を飲みつつ時計をちらりと確認し、「ふむ」と一つ息を吐く。


「こんな所か。…時間はまだある、少しゆっくりしていくといい」

「用が終わったならいいだろ。私はこれで」

「ならば菓子だけでも食べてゆけ。この茶菓子はグラジアの王室御用達の品だ、滅多に食べられないと思うが?」


…別に甘い物に飢えていたとか、そんなんじゃない。


だけど、だけど!

この世界では砂糖は高級品で、市民の口には滅多に入らないシロモノなんだ!

里で暮らしていた頃にはついに一度も口にしなかったし、王都や旅先で買おうにも高いし場違いだしで店に立ち入る勇気は出なかった。

王女の婚約者でいた頃は嫌と言うほど手に入ったのが嘘のようだ。



ちょっと心が揺らいだのを見て取ったのか、男は立ち上がりかけたキリに茶菓子の皿を差し出してきた。

数秒迷った末に浮かせた腰を椅子に落ち着けると、低い笑い声と共にカップにお茶が足される。


笑うぐらいなら何か言ってくれればいいものを、と居心地の悪さを味わいつつ、キリはお茶菓子を口にした。



暫く静かな時間が流れ、壁の時計が時を刻むリズムだけが耳に残る。

数分して、ようやく男が口を開いた。



「しかし、男前だったな」

「…は?」

「さっきの口論だ。男顔負けの迫力だったぞ」


男装していた頃に染み付いた口調は、未だに抜けきらない。

というか、女言葉とは言わずとも、今更元に戻すには抵抗があった。

…いやまあ、昔だってそんな色気のある喋り方はしてなかったけれど。


男の言葉には、とりあえず曖昧に笑みを浮かべて誤魔化す。


「仲裁慣れしているように見えたが」

「そうか?まあ、旅してれば厄介事に出会うことも多いしな」

「旅をしていれば、か。なるほど、上手い言い訳だ」



その言葉に含まれた不穏さに気付き、キリは眉を顰めた。

こいつ、一体何が言いたいんだ?


キリの不審な様子に気付いたのか、はたまた最初からそのつもりで言い出したのか。



「まあ、あんな場所にいれば厄介事の処理の一つや二つ、朝飯前だろうが」



男は、そこで始めて笑みを浮かべる。

まさしく、にやり、という形容が当てはまる、――相当に人の悪い笑みを。



「なあ?キリ・ルーデンス」



見覚えのある顔。

将校クラスの実力。

内政に関する質問。

王室御用達のお菓子。


=王族




……。


やっらかしたああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!







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