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霧雨のまどろみ  作者: metti
第一章 竜人の里
19/92

14.予定調和の予想外




音を立てないよう、慎重に窓から外に出る。


早く城を出ようと立ち上がりかけたところで、こちらに近づく足音が聞こえてきた。

慌てて塔の陰に身を潜ませ、行き過ぎるのを待つ。


この辺りには魔法の塔と、城の奥の儀式の間に続く道しかない。

この塔に住む魔法使いだろうか、だとすると面倒だな――と思いつつ、キリは息を殺す。


足音が近づくにつれて、夜風に乗って微かな会話が聞こえてきた。



「――では、人払いはしてあるんですね?」

「当然だわ」


聞こえてきた声に、ぎくりと身を竦ませる。

声が予想外に近かった事でもなく、その内容でもなく、二人の声に。



――聞き覚えのある声だった。

違えようもない。


これは、キリがここに来る原因となった、我侭王女と性悪魔法使いの声だ。



ていうか、人払いしてあったのか。

そりゃ誰もいないわけだ――と頭の隅で思い返しつつ、キリは動くべきかどうか迷う。

この近さだと、梢の揺れる音にも気付かれてしまいそうだった。


ちなみに、現在キリは薬品で髪の色を変え、頬に偽りの傷を付けてある。

女性の冒険者の格好をして髪を伸ばしただけでは、知り合いとすれ違った時にでもばれてしまうだろうと踏んでのことだ。


目の色は変えられないが、髪の色を変えてしまえば、それだけでも印象は大きく変わる。

後はキリのように顔に傷を作るだとか、包帯巻くだとか、奇妙なメイクをしておくだとか、目立つ所に特徴でも作っておけば変装として言う事はないだろう。

そういう目立つ特徴があると、それ以外の目の色、髪の色などの情報に相手の目が向きにくくなる。

つまり、変装さえ解いてしまえば悠々と逃げ出せるというわけだ。


そんなわけで見つかっても上手く言い逃れる準備はしてあるが、できるだけ見つかりたくはなかった。

隠れたままで、行き過ぎるのを待つことを選択する。


彼らの声は、キリがやってきた方向――つまり、城の出入り口に近いほうの廊下から響いてきていた。

段々と近くなる声に、いつでも逃げ出せるような体勢のまま息を殺す。



「――あの召喚陣の門が他の世界と重なるのは、二つの月が重なる夜。つまり、半年に一日だけ。あなたはそう言ったわね」

「その通りです。ついでに、一度に得られるエネルギーには限界があることも」


会話の内容に、キリは思わず目を丸くした。

この召喚陣、いつでも行き来ができるといった類のものではないらしい。


キリがこちらに呼び出されたのは、今から丁度半年ほど前のことだ。

じゃあ帰れるのは最低でもあと半年後か、とキリは計算する。


見上げた夜空に浮かぶ二つの月は、そう遠くないうちに触れ合ってしまいそうな近さだ。


「あとニ週間。…本当に今度こそ失敗しないんでしょうね」

「さあ、何とも言えませんが。あれを使うなら、少なくとも前回のような失敗はしないかと」

「…あれは失敗だったもの。最低限働いたと思ったら、すぐ壊れてしまったし」


はあ、と大きな溜め息。

失敗失敗うるせーなとキリが頬を引きつらせている間にも、二人の会話は進む。


「あれしきのことで壊れる程度のものなら、最初から必要なかったでしょうに」

「それはもうどうでもいいの。あれは実験みたいなものだったでしょう?重要なのは次よ」


言葉を切って話し始めた王女の声は、明らかに沈んでいた。


「戦争が始まれば、お父様は近隣国との関係強化を図るはず。そうなれば、私の意思なんてお構いなしに話が進められかねないわ」

「そもそも政略結婚はそういうものですしね。今まで引き伸ばしたのもだいぶ無理があったんです。早々に手を打たねばなりませんよ」

「わかってるわよ!だから焦ってるんじゃないの」


怒鳴り声と、それを静める声。

遠ざかり始めた声が言う。


「もう一度よ。三度目は許さないわ」

「心得ておりますよ」



それを聞きながら、キリは自分の背筋に怖気にも似た震えが走るのを感じていた。



おい。

何だそれは。


あまりにも。


それはあまりにも、身勝手すぎやしないか?



あんな形で、使い捨てておいて。


まだこれ以上、我侭を通そうっていうのか。




また誰かに、あんな思いをさせるっていうのか――!!





奥歯を噛み締め、震える手をぎゅっと握り締めた。


会話の声はいつの間にか聞こえなくなっている。

微かに響く靴音は、儀式の間の方へと遠ざかっていく。



――行かなくてはならない。

魔法陣を破壊するのは無理かもしれないが、構築式と魔呪の記された紙さえ奪ってしまえば、すぐに召喚を行なうことはできないはずだ。

例え単なる時間稼ぎに過ぎなかったとしても、


少なくとも、今回の召喚だけは必ずふいにしてやる。





衝動に任せて立ち上がろうとしたキリの手を、何か生暖かい物が這った。


びくりと肩が震えた。

音を立てずにいられたのは運がよかったとしか言いようがない。



「……、ヴィー」



どうやらポケットから顔を出したヴィーが舐めたらしい。

脅かすなよと胸を撫で下ろしながら頭を撫でると、指に頭をこすり付けてきた。


残念ながら、キリに爬虫類の表情はわからない。

けれど、どこか、なんとなく。


心配してくれているかのような仕草で頬を摺り寄せるヴィーに、少しだけ力が抜けた。

同時に、肩に力が入っていたことに気付いた。


小さく笑い、気を取り直して一つ息を吐く。



さて、城から脱出しなければ。

余分な荷物も増えた事だし、用心するに越した事はない。


フォミュラと約束したとおり、ヴィーと一緒に、無事に帰らなければならないから。



二人の姿が既に儀式の間へと消えたことを確認して、キリは城の出口へと歩き出した。










再び傭兵達の間に紛れ込み、キリは城を出るために門番に名を告げた。

当然名前は偽名を使っているが、傭兵なんて往々にして出自が知れないものだ。

多分使われることなんてそうそうないだろう。


門番が名前を書いていると、門の外から人影がやってきた。

また傭兵でも来たのかと何気なく視線をやり、キリはぎくりとする。


コーネル、だった。


こんな時間にどこ行ってたんだと目を瞠り、慌てて深呼吸する。

今のキリは、この人間を知らない。


彼は門番の影に隠れたキリには気付かずに、欠伸をかみ殺しながら門番に声をかける。


「戻ったぞ。遅くまでご苦労だな」

「はっ、これはコーネル様。お疲れ様です」


門番は仕事の手を止め、ぴしっと敬礼をして男を迎える。

そういや親衛隊ってエリートだったか、と思い返しつつ、かつての友を控えめに観察する。


以前に比べて痩せたように見えた。

戦争間近で忙しいのかな、とも思ったが、親衛隊に回ってくる仕事なんて微々たるものだ。

女にでも振られたか、と考えて、こいつにそんな甲斐性ないなと思いなおす。

きっと、戦争を控えて隊長のしごきが厳しいのだろう。ざまあ。


思い出し始めると止まらなくなって、こんなんじゃ駄目だと目を瞑って想像をかき消す。

コーネルは門番の挨拶に満足して通り過ぎようとしていたようだったが、ふと足を止める気配があった。

何事かと目を開くと、彼はぎょっとしたように目を瞠って門番の処理を待っていたキリの姿を凝視していた。


「な、え、キ……!?」

「…」


おいおいこれだけ変装しててもばれるのかよ、と内心どう切り抜けようか迷ったキリだったが、どうやら相手は変装を見抜いたわけではなかったらしい。

キリの髪の色と女性用の服という格好を見て、あからさまにほっとした顔をすると、先刻の失態を誤魔化すようにコホンと咳をした。


「――失礼。知り合いに似ていたもので」

「…そうですか」


そりゃ殺したはずの奴と同じ顔が歩いてりゃぎょっとするわな。

あの時の事を思い出して殴りたい衝動に駆られつつも、キリは視線を外して冷たく返した。

うっかりすると何を漏らしてしまうか定かではなかったからだ。


だが、コーネルは一向に去る気配がない。

それどころか、じっとこちらの顔を見ていたかと思うと、こんなことを言い出した。


「…つかぬ事を聞くが。君、兄か弟はいないか?」

「いません」


門番の処理が終わったのを見届けてさっさとそこを去ろうとするが、そのキリの肩を「待て!」と慌てた声が引きとめた。


「そっ、そにょ、よかったら、名前を教えてくれないか」


噛みやがった。

呆気に取られる門番、悔しそうに顔を真っ赤にして固まるコーネル。

キリはというと、今にも噴出しそうな笑いを、頬の内側を噛む事で必死に堪えていた。


…。

うん、そういえば女性にあんまり免疫なかったよな、こいつ。

このへたれ臭、嫌いじゃなかった。



落ち着くために、すっと息を吸う。

そして、


「生憎、お貴族様に名乗るほどの名は持ち合わせておりませんので」


お貴族様、に強くイントネーションを付けて言い放ち、再び踵を返す。

背後から慌てた声が聞こえたが、キリは今度こそ立ち止まらなかった。


「あっ、おい」

「それでも知りたければそこの台帳でも何でも見たらいいと思います。では」


偽名だけどな。


それ以上引き止める声はせず、だからキリもさっさと門を離れた。

十分に歩いてから、ふっと小さく息を零す。




夜道を歩きながらぼんやりと空を見上げると、満天の星がもの寂しげな光を放っていた。


覚悟はしていたけれど、いざ実際に会ってしまうと、どうしようもなかった。

思い出さないようにしてたのになぁ、と自嘲する。

里での生活は楽しくて、だからそのまま無かった事にできるかなと思ったのに。



見上げた夜空は、遠い。

見えるのに、手が届きそうなのに、遠かった。



目を瞑ると聞こえてくるのは、蔑むような冷たい目と罵声。

けれどそれに混じって、微かに浮かんでくるそれは、辛かったけど楽しかった日々の、記憶の名残。


まず出会いからして、遠巻きにする他の隊員とは一線を画していた。

「テメー気に食わねぇ、ぶっ潰す」発言を皮切りに、積極的にこっちに絡んでは挑発してきて、ぶつかりあった。

事あるごとに突っかかってきては馬鹿なことで言い合って、アホみたいに剣を交わして、憎まれ口を叩いて。

飲めないのかと挑発されたお礼に酔い潰してやったこともあった。


嫌いじゃなかった。

…こっちはお前のこと、嫌いじゃなかったんだよ。



コーネルのばーか。

ぽつんと呟いた言葉は、星には届かず、ぽとんと落ちた。




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