10.先住者は魔女っ子だったらしい
予定通りに旅路を終え、無事に里に戻ってから、更に一月ほどが過ぎた。
薬草を育てて薬を作り、街に卸す生活にも少しずつ慣れてきた頃、キリは魔法について学び始めた。
とはいえ、魔力が皆無なので実践することはできない。
あくまで理論的に魔力を理解し、魔法陣の構成を理解するためだ。
ただ、やはり基礎と応用には大きな隔たりがある。
何の記号が何の要素を表すだとか、そういう定義は事実ではなく解釈に拠るのだ。
同じ魔法でも術者によって魔法陣の構成が違ってくるという記述に、キリは頭を抱えた。
これもしかして協力者を探すほうが先だろうか、と。
それでも、千を知るにはまず一から。
そう意気込んで基礎から学び始めたのはいいものの、目指す場所まではまだまだ遠そうだった。
イシュやヴィルが出すちょっかいにも負けず、なんとか知識を詰めこんでいた、そんなある日。
「……あれ?」
キリがその小道に気付いたのは、多分偶然だった。
水を汲みにやってきた里の外れの小川の脇に、きちんと踏み固められ、道として作られた地面。
普段は上手い具合に茂みが隠していて気付かなかったが、今日はそこから一人の女性が出てきたのだ。
他の竜人たちに比べて恰幅のいい、肝っ玉も据わっているおばちゃん竜人。
「クマルさん?」
「おや、キリ。珍しいね?こんな時間に洗濯かい?」
「あ、うん。ヴィルの奴がまた悪戯しやがったんで。クマルさんは……どこに行ってたんだ?」
どこかへ用事があったにしては、手ぶらだ。
茂みの向こうを視線で示しながら首を傾げると、ああ、と彼女は笑った。
「フォーも、こんな所までは流石に案内しなかったか」
「っていうか、こんな所に道があったんだな」
「そうなんだよ。ちょっと来てみるかい?」
元来たほうへ向かいながら手招く彼女に応じて、キリは川に流されないよう洗濯物を脇に避け、立ち上がった。
導かれるままに彼女のあとをついていく。
そのうちに視界が開け、案外と見晴らしのいい場所に出た。
村の近くにこんな場所があったのか、と驚きながら、キリはそれを目にする。
「墓地……」
こんな小さな村で、墓石なんて立派なものを作れるわけもない。
少し太めの木の枝を削って十字に縛り、盛り土の上に立てて目印にしている。
古いものなのか、その多くは随分とぼろぼろになっていた。
「ま、いっくら長生きだっていっても、いつかはアタシたちも死ぬからねえ」
「……クマルさんは、よくここでお参りを?」
「ま、長生きした分思い出も増えるからねえ。たまーに報告に来てやるのさ」
そう言って墓地を見つめるクマルの目は、なんだかとても優しい。
懐かしい人、大切な人が眠っているのだろうか、と黙ってお墓を見つめていると、クマルがおもむろに口を開いた。
「……あんた、フォーとは親しいんだろ。だったらカナの話を聞いたかい?」
「カナ?」
「フォーの恋人だった人間だよ」
初耳だ。
目を丸くして首を振ると、クマルは「おや」と意味ありげに笑った。
「あんたが住んでる家の先住者なんだけどねぇ」
「そうなのか?」
「もう何十年も前の話さ。ようやく次にあの家を使う人間が来たか、と思ったんだけど」
竜人といえども、ゴシップ話が女性の好物であることは変わらないらしい。
そんなんじゃないよ、と苦笑して否定すれば、彼女は残念そうに「そうかい」と肩を竦めた。
「この里に住むものは、皆あの子のことを知ってるよ。唯一知らないのはあの子が死んだ後に生まれたヴィルくらいだね」
「…どんな人だったんだ?」
「いやあ、フォーが話さないものをアタシが先に話しちゃってもねぇ。けど、まぁ…そうねぇ、アタシが知ってるあの子は、いつもいつも一生懸命だったねぇ」
「へえ…」
「何しろ遠いところから来たってんで、最初は言葉も通じなくてさ。毎日毎日必死で勉強してたのは覚えてるよ」
言葉が通じなかった?
驚いたキリが問いかけようとしたのを遮って、クマルは言葉を続ける。
「あの子は魔力が強くてねぇ。魔法の腕はこの里でもピカ一だった。あのフォーを差し置いてね」
「は、はぁ…」
「だから、あの家は魔法の研究をするにはもってこいだろ?本や道具も揃ってるし、広さも十分あるはずだ」
ああ、それで頼みもしなかったのにあんなに魔法道具が揃ってたのか、と頭の片隅で思う。
キリが活用できているのなんてほんの一部でしかないが、それでもあるとなしとでは大違いだっただろう。
特に、初歩魔術や魔術理論の本が置いてあったのは助かっている。
「まあ、それでも最後までできなかったことがあってねえ。最後まで精一杯頑張ってたけど、最期の瞬間は酷く悔しそうだったさ」
「……そうなんだ」
「キリ、あんたも最近魔法の勉強してるんだってねえ。何がしたいかは知らないけど、根詰めすぎないように気をつけるんだよ」
そこで初めて、あ、心配してくれてるのか、と気付いて、キリは目を瞬いた。
ここに来てから子ども扱いをされることの多いキリとしては、少し照れくさい。
それでもその言葉には素直に頷いておく事にして、湧き出た疑問を解決しようと口を開きかけ、
「おっと嫌だよ。アタシったら話しすぎちゃったみたいねぇ。ごめんね、邪魔したわ」
はっと沈みかけている太陽に視線をやったクマルの言葉に、それを遮られた。
「あ、いや。それはいいんだけど」
「じゃ、アタシは一旦戻るよ。畑の様子を見てやらなくちゃ」
せかせかと去っていくクマルの背を見送り、ぽつねんとキリだけが取り残される。
動く気配もないキリの頭を占めているのは、つい先刻聞いた『カナ』という女性の事だ。
魔法に詳しかったということや、「あの」フォミュラの恋人だったということなど、色々興味は尽きない。
が、キリが気にしていたのはそこではなかった。
キリがまだ、王都で勉強にいそしんでいた頃に。
自分の世界の言葉に似た言葉がないかと思って、一度王都の図書館をさらっと浚ってみたことがあった。
翻訳の魔道具を外して大きな図書館をさまよい、丸三日ほど自由時間を費やして得られた結論は。
「……この世界って、統一言語だったような気が…するんだけど」
もしかして自分が見逃していただけか?
それとも、外の国の本が図書館に入っていなかっただけなのか?
はたまた、限られた場所で暮らしていた、独特の言語を用いる少数民族の出身だったのか?
うーんと腕を組んで唸りながら、キリはもやもやとした気分のまま帰路についた。




