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霧雨のまどろみ  作者: metti
第一章 竜人の里
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9.のんべえたちの夜



酒場に下りてから、数時間。

まあこうなるよなぁ、と、火照った身体にワインを流し込みつつキリは辺りを見回した。


視界に入ってくるのは、付近のテーブルでぷんぷんと酒の匂いをさせつつ、ばたばたと倒れている男達。

死ぬほど飲まされた上に賭けに負け、更に一部は吹っかけた喧嘩にも負けて、立ち上がる気力もなくなってしまった残念な奴らの成れの果てだ。


まさに死屍累々といった体だが、絡んできたのは向こうなので心は痛まない。

キリにしてみれば、むしろ付き合ってやったんだから礼くらい言えと言いたいほどだった。

まあ、賭けに勝って懐が暖かくなったのは嬉しい誤算だったけれど。


隣で一部始終を目撃していたフォミュラが、心底呆れたようにグラスを傾ける。


「絡まれた時は焦ったが…見かけによらないな。ザルとは思わなかった」

「全く酔ってないわけでもないんだけどな。てゆーか昼間あれだけ目立ったんだから、酒場なんかに下りてきたら絡まれるのくらい予想できただろうが」

「む…そうか。次から気をつけよう」

「そうしてくれ」


ていうかあんたも相当な強さだな、とキリはちらりとテーブルに並んだボトルの数を数える。

飲み比べで負けた方の奢りだと解っていなければ、酒場でのタダ働きを覚悟する量だ。

いくら薬の代金があるとはいえ、この量では半分ほどで吹っ飛んでしまうに違いない。


「竜人は基本的に毒素に強いからな。酒は風味を楽しむものだ」

「ああ、そういや畑の事件の時も、そんなようなこと言ってたな…」


便利だなぁと呟くと、「酔いを経験できないのは残念だがな」と返事が帰ってきた。

確かに酔うのって心地いいもんな、と、キリは火照る頬にグラスを押し付ける。

酒に弱い友人は匂いだけで気持ち悪くなると言っていたが、どれだけ飲んでも酩酊した事のないキリにはよく解らない感覚だった。


きっと自分がラフレローズの毒にやられた時もそんな感じだったんだろうなぁ、と考え、ふと気になっていたことを思い出す。


「――そういやさ」

「ん?」

「イシュのことなんだけど」


告げれば、少しだけフォミュラの肩が強張ったのがわかった。

ああやっぱ聞かれたくないことなのかな、と思いつつ、けれどキリは言葉を続ける。


「あんな風に身体に特徴が出ないのって、やっぱ珍しいのか?」

「…そうだな。私が知る中では、彼だけだ」

「ふーん。親が竜人と人間とかじゃなく?」

「その場合も大抵は竜人の特徴が強く出るからな。…あれは本当に例外だ」


ふーんとわざと気のない声で相槌を打てば、フォミュラの強張りも少しは緩んだようだった。


「あんたとも随分仲がいいみたいだけど」

「そうだな。…やはり他の里ではあの容姿がどうしても人目を引くようでな。昔からよくあの里で過ごしているから、必然的に私が面倒を見ていた」

「ああ、やっぱり。イシュといるとなんかあんたお母さんみたいだもん」

「…せめて父と言ってくれないか」


複雑そうに眉を寄せたフォミュラに、思わず笑い声が零れる。

洗い物をするからと宿の女将さんも引っ込んで静かになった酒場に、それは思ったより大きく響いた。


「竜人はみんなヴィルくらいになると親と離れて暮らすんだってな。家族の繋がりってあんまりないのか?」

「そうだな…どちらかというと、子どもはその家族だけでなく竜人族全体の宝なんだ。だから、家族の繋がりが希薄なのではなく、竜人族全体が一つの家族のようなものだと捉えた方が近いだろうな」

「…わかるようなわからんような。けどまあ、イシュとヴィルを見てると、繋がりが薄いってわけでもなさそうだな」

「ああ。あの二人は仲がいいな」


その後、フォミュラは色々話してくれた。


ヴィルは彼の兄弟の中でも特にイシュに懐いているのだとか。

実はヴィルがあの里に修行に来たのは、離れて暮らしているイシュがあそこによく来るからという理由なのだとか。

…最初ヴィルがキリに酷くちょっかいをかけていたのも、イシュと同じ人間の姿をしていたキリが気になって仕方なかったからのように思えるとか。


そんな話をぐだぐだと続け、宴もたけなわ、そろそろ部屋に戻ろうかという流れになった時だった。

残ったワインを一気飲みするキリを見ていたフォミュラが、徐に口を開いた。


「君は、元の世界に帰りたいと言ったな」

「ん?…ああ」

「そこは、君がそんなにまでして帰りたい場所なのか?」


ぱちくりと目を瞬く。


「そんなにって?」

「魔力もないのに一から魔法を学び、研究しようとするくらい、だな。この世界もそこまで悪くないと思うのだが」


問いかけるフォミュラの声は、雑談と取るべきか真剣と取るべきか迷う声音だった。

一瞬判断に迷った末、キリは「あー…」と言葉を濁す。


「別に、この世界が嫌いってわけじゃないんだけどな。里で出会った皆は優しいし、お酒も美味しいし。ああ、惜しむらくは米がないことだけど、まあそりゃ仕方ない」

「では、なぜ?」


空になったグラスの底に残る、微かな赤。

手に持ったそれをくるりと回せば、ゆらりと揺れた。


「やり残してきたことがあるんだよ」


それは、どこか遠くへ思いを馳せるような独白。

真剣な顔でじっと続きを待つフォミュラに気付き、キリが苦笑を浮かべる。


「……ま、たいしたこっちゃないけどな。こればっかりは帰らないとどうにもならんから、死に物狂いで帰るのさ」

「……そうか」


フォミュラはそれ以上追求してこようとはしなかった。

キリの後に続いて席を立ち、穏やかな笑みを浮かべて振り返る。


「君の世界の話も、またゆっくり聞かせて欲しい」

「……そうだな」


幸い時間はたっぷりある。

そのうちに、と笑い返し、キリは自分の部屋に戻るため席を立った。






そういえば、フォミュラが誰から事情を聞いたのかをまだ教えてもらってないな、と思い至ったのは、部屋に戻ってからだった。


異世界だの何だのという単語が飛び交う以上、あの場で話すには少々躊躇われる話ではあったが、昼間、特に人目がある場所だと更に聞きにくい話題だ。

ただ、やっぱり一度確認しておきたい話題でもある。

一方的にキリの事情ばかりを知られているというのも、何だか居心地が悪い。

誰が勝手に話してくれやがったのかくらいは知っておいても罰は当たらないはずだ。


一番の候補は知り合いだという義姉だが、そもそもルーデンスの家族にそこまで詳細なことが知らされていたのだろうか?とキリは疑問を覚える。


養子に入れるときに、異世界の住人だなんてことをわざわざ知らせるだろうか。

確かに、何も知らない状態でルーデンスに放り込まれたキリは、通貨の単位すら知らなかった。

一般教養の勉強もルーデンスの家に入ってから行なっていたわけで、平民の出だと告げた所で疑問に思われたのは間違いない。


…だが、だからといって異世界の住人だと告げたりするものだろうか。

そして、それをあの義姉がホイホイと家の外に漏らしたりするものだろうか…?



「……わっかんねーな」



何か違うところで、誰かの思惑が動いているような気がする。

そんな予感だけはするものの、その正体は未だ掴めないままだった。


もやもやとした気分のまま寝台に入ったキリは、それからも少しの間うんうんと唸っていたが、日中の疲れもあったのか、そのまますとんと眠りに落ちていった。




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