6.クソガキとへたれが仲間になった!
頭の中のどこか遠くで、話し声が聞こえた気がした。
何があったんだろうかと霞む頭に鞭打って気を失う前のことを思い出そうと試みる。
「――しっかし、なんであんな穴ん中でぶっ倒れてたんだ?」
「ラフレローズの毒にやられたんだろう」
「毒?ラフレローズって毒あったのか」
「ああ。竜人は大方の毒素への耐性があるが、彼女は人間だからな」
早めに見つけてくれて助かった、と心底安心したようなフォミュラの声が呟いた。
段々記憶が戻ってきて、恐らく自分は知らない声の持ち主に助けられたのだろうと当たりをつける。
ぱちりと目を開けると、ここ最近はご無沙汰だった、びっくりするほど遠い天井がキリの視界に入ってきた。
どうやら、再び誰かに助けてもらったらしい。
これは20歳と少しにして一生分の運を使い切ってしまったのではないか、と要らぬ心配をしつつ、のっそり起き上がる。
「ああ、気が付いたか」
そんなキリに気付いて近寄ってきたフォミュラと隣にいた男性に、礼を言おうと口を開く。
――のだが、うまく声にならない。
けほっと咳き込むと、フォミュラが何やら飲み物を渡してくれた。
淡いピンクに色づいたそれは、どうやら薬湯の一種らしい。
すうっと清涼感のあるそれを飲み干すと、痛みを訴えていた喉も幾らか楽になった。
一息ついてから、改めて礼を言おうと二人に視線を向けて、キリは少しだけ驚く。
フォミュラの隣にいたのが、人間の男性だったからだ。
しかもどうやら、フォミュラとは親しいような雰囲気だった。
…この里の人間が人間に優しいのは、もしかして彼のお陰なのだろうか。
首を傾げつつ、キリは二人に助けてもらったことの礼を言う。
既視感を抱いたのか苦笑して頷くフォミュラはともかく、隣の男は心底不思議そうに首を傾げて。
「そりゃ別にいいけど、あんた、自殺でもするつもりだったのか?」
んなわけあるか。
思わず叫ぼうとして再び咳き込んだキリに、フォミュラが苦笑を零す。
「まあ、十中八九、お前のとこの末っ子の悪戯だろうな」
「は?」
フォミュラの溜め息交じりの言葉に驚いたのは、男ではなくキリの方だった。
真っ赤な髪に金の瞳と、配色だけでもあまり似ていないように見えるのだが、そもそも。
「竜人族、なのか?あんた」
竜人族の一番の特徴である鱗もなければ、角もない。
背中を見ても、翼も尻尾も見当たらない。
どう見ても自分と変わらぬ人間の姿をしている男を見やって呟けば、男は曖昧な笑みを浮かべた。
日本やティンドラの王都にいた頃には嫌ってほど目にした、アルカイックスマイルとかいう奴だ。
この世界に来てからは、キリもよくお世話になっていた。
どうやら事情があるらしいと察したキリはそれ以上深く突っ込まず、話題を変える。
「まあいいや。…えーと、じゃああんたがヴィルのお父さん?」
「兄だ!俺はまだ百も超えてねーよ」
いや、百年弱生きてれば十分だと思うんだけど。
堪えきれずに静かに笑い出したフォミュラを睨みつけて、男は再び兄であることを念押しした。
まるで、約束を守ってもらえずに不貞腐れた子どもが、親に次の約束を念押しする時のような様子で。
フォミュラに吊られて笑いそうになる頬をどうにか押さえ込み、キリは「解った解った」と頷いた。
そこに助け舟を出すかのように(なっているかは微妙だが)、ようやく笑いの発作がおさまってきたらしいフォミュラが口を挟んでくる。
「しかし、よく見つけたな。村はずれの森の穴の中だろう?」
「…あー。村についた途端、ヴィルが大慌てで飛んできてな。俺も驚いたんだが」
身内、というか当人の仕業だと知って気まずそうに頭を掻いた男は、悪いことしたなと頭を下げる。
…なるほど、ヴィルも予想外の事に驚いたらしい。
あの体格では、流石に大人一人を引っ張って抱え上げるのは難しかっただろう。
一応助けは呼んでくれたらしいクソガキの顔を思い描きつつ、キリは「あー」と言葉を濁した。
「まあ、今回のは事故と言えなくもないし。これに懲りてくれればいいんだけど」
「そうだな。俺からも言っておく」
正直、どう控えめに見てもこの程度で大人しくなるなんて思えないのだが、黙って頷く。
「あー、それで」
まだ何かあるのかと男を見上げると、彼は、罰が悪そうな表情でキリを見下ろしていた。
「あの穴ん中にあった植物な。魔法使った時にうっかり鉢ごと壊しちまったんだわ、悪い」
「…ああ。まあその程度なら」
結局やり直しか、とは思ったものの、助ける時にやってしまったのなら仕方ない。
植物自体はまだ生えているだろうし、少々手間がかかるくらいか、と。
そう考えて頷いたキリの耳に、フォミュラの呆れた声が入ってきた。
「何が『うっかり鉢ごと』だ。『畑ごと』の間違いだろうが」
「うっ」
畑ごと?
ぱかんと口を開けたキリの前で、呻いた男とフォミュラが言い合いを始める。
曰く、あれは故意ではなく事故だから仕方ないとか。
曰く、事故ならば最大限防ぐ努力をすべきだったとか。
多少の誤差ならともかく、畑が半分も持ってかれたのは人災としか言えない、とか。
あーだこーだ言ってはいるが、それは、つまり。
穴の外に置いてあったはずの鉢とか、整備してあったはずの道とか、無事だった区画の畝とか…
…ここに来てからの苦労が、全部、水の泡…?
呆然とどこか遠くを見たまま動かなくなったキリに、男が慌てて謝罪する。
ベッドに座ったままのキリと視線の高さを合わせ、まるで浮気がばれた夫のように平謝りだ。
「あー、わ、悪かったって!その、お前が倒れてんの見て焦っちまって、だから、えー、悪気はなくてだな」
あったらとっくにぶち切れている。
どこか遠くでその謝罪を聞いていたキリは、あまりの反応のなさに情けない顔で黙り込んだ男に、のろのろと焦点をあわせて。
表情のないまま、暗い声で呟いた。
「…手伝え」
「へ?」
「手伝え!畑と道の整備とか植え替えとか!このまま帰るなんて許さんからな!」
半分涙目で睨みつけると、男は戸惑うようにフォミュラに視線を向けた。
面白そうにキリと男を見比べていたフォミュラは、それに気付いて、一つ頷く。
「まあ、当然だな。お前が魔力の制御の訓練をサボっていたからあんな惨事になったわけだし」
「うぐ…」
「存分にこき使ってやれ、キリ。ヴィルにも罰を与えねばと思っていたところだ、二人男手がいれば進みも違うだろう」
保護者の許可も下りた。
なっさけない顔をしたこの男も、竜人族というならば普通の人間より体力があるに違いない。
「覚悟しろ!手作業の非効率性と凡人の苦労をその身体に叩き込んでやる!」
「どうしてこうなった…」
「自業自得だ」
澄ました顔で茶を啜るフォミュラの声が、最後通告という奴だった。




