5.大災害、そのに。
あの荒れ果てた畑をどうにかするのは、並大抵の手間ではない。
そう考えたキリは、まず手始めに植物をありったけ採集するところから始めた。
薬草図鑑と植物を見比べて確認し、一種類につき五株くらいずつ、丁寧に鉢植えへと移す。
こちらの世界の植物の知識すらないキリにはそれすらも時間のかかる作業だったが、花が咲く時期だったのも幸いしてか、元々育てられていたという植物の三分の二程度を採集することができた。
五株と少々多めなのは、ヴィルの悪戯を警戒してのこと――ではなく、よく似た違う植物である可能性を考慮して、だ。
貴重な植物かどうかなんてことはキリには全く解らないので、その保存のため、という側面もあった。
それが終わってから、ようやく畑の整備に取り掛かる。
まずは埋もれている道を草の群れから発掘し、区画を分けるのが当面の目標になった。
当然薬草をそのまま捨てるなんて勿体無い事はできないので、薬草として使える部分を採取して保存したり、保存の利かないものは鉢植えに移しながらの作業。
気が遠くなる作業ではあったが、道を整備し終わって区画を一つ二つ綺麗にする頃には、薬草やら染料用の実やらがみっしり詰まった瓶が幾つも家の棚に並ぶようになって。
当然鉢に移したままの植物も大量にあるので、実際に住み始めて一週間ほどでキリの家は薬草の匂いで一杯の家と化していた。
そしてようやっと今日、整備が終わった幾つかの区画に、採集した苗を植え替えようとやってきたわけだが。
「……あんのクソガキ……」
腹の底から呪うようなおどろおどろしい声が出てきたのは、仕方ないと言うよりは当然だ。
ようやく植物の種やら石やらを取り除いて耕し、畝まで作ってあった畑に、大穴が開いているのだから。
しかも穴の底に、わざわざキリの家から持ってきたらしい鉢植えや、シャベル等の道具が並んでいるのだから。
穴が偽装されていないということは、キリが穴に下りた途端に上から何か降らすつもりだろうか。
多少の水くらいならまだしも、土が降ってくる可能性を考えると、迂闊に降りられない。
彼にしてみれば悪戯の範疇なのだろうが、正直洒落になっていないのだ。
地の魔法が使えれば話は別だが、魔力のないキリは、何もできずに埋まるだけなのだから。
しかしだからといって、植物を見捨てるわけにはいかない。
いや、百歩譲って植物を見捨てても、鉢やら土いじりの道具は、欲しいと思ってすぐに手に入るものではない。
先住者の使っていたらしい道具を、大切に使わせてもらっているのだ。
そう簡単に諦められる物ではない。
「なんでこう、物を粗末に扱えるんだ……」
盛大に溜め息を吐いたキリは、恐らくどこからか様子を窺っているのだろうヴィルに向けて声を張り上げた。
「おいこらクソガキ、出てこい!仕事の邪魔すんな!」
当然ながら返事はない。
ぐしゃぐしゃと髪をかき回して周囲に鋭く視線を向けるも、風に吹かれた木々が音を立てるばかりだ。
仕方無しに、キリはひょこりと穴の中を覗き込む。
深さは身長の倍くらいだろうか、落ちたら簡単には上がってこられない深さだ。
全力でジャンプすればなんとか出られるかな、と目算しつつ、小さく息を吐いた。
ちなみに、キリの身体能力はこちらの世界に来てから無意味に強化されている。
キリがそれに気付いたのは、召喚されたその日の晩、怒りに任せて携帯電話を握り締めた時だった。
ポケットに入っていた財布と携帯電話、スーパーで買った飲料水と幾つかのパン、折りたたみの雨傘。
それだけがキリの持ち物だったというのに、うっかりが絶望だ。
粉々に砕けた携帯電話だったものを呆然と見下ろして、キリは呟いた。
「…ありえない」
翌朝、早くに起き出してルーデンス家の裏庭の森へ入り、キリは自分の身体能力を確かめた。
恐る恐る、ちょっとだけ力を入れて跳んだら、森の木々の梢に頭を突っ込む羽目になった。
走り幅跳びの飛距離は、控えめに目算しても、ずっと昔中学校で計った時の10倍ほどになっていた。
握力は昨日見た光景の通りだろう。この世界にあるかは知らないが、リンゴくらいなら簡単に握りつぶせるに違いない。
よくよく考えれば、視力も良くなっていた。
眼鏡はかけていなかったものの、お世辞にも目がいいと言えなかったキリの視界は、昨日までよりずっとクリアだ。
聴力はどうだろう、と耳をすませて聞こえた水音を辿っていったら、徒歩で二十分くらいかかった。
人間が徒歩で歩くと時速4キロ程度と言われているが、そうすると一キロ以上離れた場所の水音を聞き取った事になる。
無茶苦茶だ。
ありえない。
けれど、助かったのは事実だった。
元の世界では別段運動が得意だったわけでもない。
それなのに、たった一ヶ月剣を握っただけのキリが、生まれてからずっと剣を握って生きてきた親衛隊の人々を押さえ込めたのは、この身体能力のお陰に他ならない。
…だったらちょっとでいいから魔力もつけてくれれば良かったのに、と考えるのは、いささか我侭かもしれないけれど。
閑話休題。
とりあえずは目の前の穴の中の物をどうにか救出しなければならない。
理由をこじつけて誰か応援でも呼んだ方がいいだろうか、と思案していた、その時。
げしっと背中を蹴られた。
「ぅっわあああああ!?」
覗き込んでいれば、当然、落ちる。
辛うじて頭から落ちる事だけは避けたが、着地したのは穴の中だ。
きっと上を見上げると、穴の上空にあった黒い影が消える。
大声で文句を言ってやろうと息を吸い込んだ途端、嫌な匂いが鼻をついて、キリは眉を顰めた。
何だ?
匂いってことは、ガスか何かか?
焦るキリの脳裏に、薬草辞典の一文が浮かんでくる。
――この植物は日の当たらない場所に置くと、人体に有毒な気体を発生させます。
気体は日の光で分解するので通常害はありませんが、一度に大量に吸い込むと死の危険があります。
必ず屋外の日の当たる場所で育ててください。
ここにあるということは、ヴィルが手を出すのも容易な場所にあったということだ。
つまり、外。
でもって、おそらくこの悪戯が行われたのは夜。
それからずっと日陰になっていただろうこの穴の中で、気体が分解されるはずもない。
「……おいおいおい」
色々命の危機には瀕してきたが、流石にこの死因はないわ。
慌てて穴から出ようとして無意識に大きく息を吸い込み、今度は咳き込んだ。
呼吸器官に害があるらしく、咳で呼吸もままならない。
「…っ」
まずいやばい苦しい。
せめてどの植物か解れば鉢ごとぶっ壊してやるのに――いいや、もうそんな場合じゃない。
もういい鉢全部ぶっ壊してやる、と涙目になりながら一歩踏み出そうとして、キリは膝から崩れ落ちる。
悲鳴どころか、きちんと息も吸えないせいで、咳さえもできなくなってきた。
息苦しさに、思考はぐるぐる空回りする。
あー嫌だマジ嫌だこんな死因、絶対天国のじいちゃんばあちゃんに笑われる。
いやそもそも元の世界に戻ってすらいないのにこんな志半ばで死ぬとかほんと勘弁。
そういえば火事のときって煙にやられて死ぬ人もいるらしいけど、こんな感じなのかなー…。
ぐるぐるしていた思考が、だんだんと霞がかってくる。
何やら地の底から響くような震動を感じたのを最後に、キリは意識を失った。




