猫の魔法使い?
「くっさ」
「うっさい」
一通り吐き終わった私に黒猫が優しくない言葉をかけるので、私はとりあえず睨みつけるのだけど、どこ吹く風でのんびり前足で顔なんて洗っている。確かにその仕草は可愛いが、先ほどの所業を考えると迂闊に可愛い可愛いと思ってられない。というか、さっきさらっと成り行きに任せて言っていたけど……。
「あんた、魔法使いだったの?」
「ただのネズミが喋るかっつーの」
「全然気づかなかった」
感心して言うと、黒猫はやっと顔を洗うのをやめてちらっと私を見てから大きく伸びをした。
「嘘に決まってるじゃないか。魔法使いなら猫に食われたりする前にどうにかするって」
「はあ?」
「まさか君まで一緒になって信じる程おめでたいとは思わなかった……」
「生意気!」
と私は一つ黒猫の頭を引っぱたく。黒猫は「いてっ」と一声叫んで、それからちょっと、どうしてか分からないけれどちょっと笑った。殴られといて。こいつ、マゾ?
「魔法使いって言うのはもちろん嘘だけど、魔女については結構調べてたんだ。伯爵の書斎で、伯爵と一緒に勉強したんだよね」
「なんでまたアンタまでそんなオカルトな」
「なんでって」
心外だと言うかのように黒猫は、当然のようにヒゲをツン、と揺らす。
「君をあの魔女から守る為だよ」
私を、守る為?
へー。……。
私が余程意外そうな顔をしていたのか、黒猫は気分を害したように前足で自分の吐き出したネズミの尻尾をこっちに蹴りよこしてきた。
「ちょっと! やめてよ」
「それより、逃げ出したはずの君がなんでこんなところでもたもたしてるのか、って話なんだけど」
私がのけぞって嫌がるのをちょっと満足そうに見遣ってから、黒猫は落ち着き払ってそう言う。
私は母の遺産のネズミの尻尾からなるべく身を離すようにして、後ずさりしながらネズミを睨んだ。
「ドワーフのおっさんたちに騙されたのよ」
「ああ。会ったんだ」
「知り合い?」
ようやく尻尾から充分な距離がとれて、例の銅像の台座に腰掛けながら私は問いかける。
「ちょっとだけね」
黒猫はそっけなくそう言っただけで、別に詳しく語ろうとしない。考えてみると、こいつは何を知ってるのだろう? いつもなんでも知ってそうな、偉そうな顔をして、私に指図してくる。
知ってるのなら、全部説明して、教えてくれてもいいはずなのに、何も語ろうとしない。なんだか私、結構なトラブルに巻き込まれている気がするのに。義母と王子の会話や、盗み聞きしたドワーフたちの会話を考えるに、父に関わりある何かが起きているはずなのに、何も語ってくれない。なんて不親切!
「で? 王子が本当の王子じゃないって?」
ちょっと腹が立って、盗み聞きした会話から得た情報を小出しにしてかまをかけてみた。
黒猫は、いつものようにクールにちらりと私の顔を見て、聞こえないフリをするかと思いきや、ぴょん、と驚いたように跳ねて、私の膝に両手を乗せてきた。
「思い出したの!?」
「は? 思い出す?」
「……なんでもないよ」
私の反応にすぐに自分の見当が外れた事に気がついて、黒猫はすぐに両手を外して、何事もなかったかのように顔を洗う仕草。
ないわけないだろ。
私はその両手を掴んでバンザイの形にして引っ張った。びろーん、と二足歩行に無理やりされた黒猫はぎゃー、セクハラ! などと非難の声を上げるけど聞き入れる気はない。
「思い出すって?」
「やめろー見るなー正面からみるなー足をおろせー」
「思い出すって?」
「わかった! 説明する! 説明するからとりあえず下ろせ! な?」
黒猫が余りに悲痛な声を出すので、私はその両手を下ろす。けれど、すぐに逃げられないように尻尾を掴んでやったら嫌な顔をされた。
「君ってホント……」
「何?」
「いいけどさ」
「で? 思い出すって?」
はあ、とネズミは大きくため息をつく。
「僕の口からは説明できないんだって」
言うから私はまた黒猫の両前足を掴もうとしたら、待った待った! と慌てて黒猫が叫んだ。
「どうして君ってそうなんだよ! 僕だって好きで言わないわけじゃないの。これは、君が自分で思い出さなきゃいけないんだよ。それが、魔法を解く鍵なんだ」
「どういうこと?」
うーん、と黒猫は難しい問題に直面したように困った声を出す。
「漠然としたたとえでしか説明できないんだけど。ある魔女がとても強い魔法がかけたんだ。伯爵は自分の魔法でそれを解きたいと思った。でも、伯爵の力じゃ強い魔女の魔法を解く事はとてもできなかった。そこで、自分の娘が15歳になってその時起こったことを全て理解できるようになったらこの魔法を解く力を得る、という魔法を自分の娘にかけたんだ。魔法は、例えば限定条件を付けるとそこで限定された分だけ威力を増すからね。……年月をかける、ってところが伯爵の意図した限定なんだろうけど、僕はまあ、その娘が本当にそれを理解できるか出来ないかのかなりのリスキーさがかなりの限定要素を生んだんじゃないかなと思うけどね」
へっ、と黒猫は鼻で笑った。感じ悪い。私が馬鹿だっていいたいのか?
「で?」
一発殴って続きを促す。黒猫は恨めしげな顔で私を見上げた。
「すぐ殴るの、やめたほうがいいよ。……で、魔女はその魔法に気づいて焦った。一度かけてしまった術を取り消す事はできないし、かといって、まだ発動してない魔法をその場で消す事もできない。おまけに、手っ取り早く君を消そうと思っても、伯爵が君にもう一つかけた術が邪魔をして、君を殺すことはできない」
「もう一つかけた術って、さっき義母さんに言ってたやつ?」
「そう。魔女が決して君に危害を加えられない守りの術。魔法使いでない伯爵が二つの強力な術を使う為には、大きな代償を必要とした。伯爵はそれを、自分の命と引き換えに行ったんだ」
私はなんともコメントし難く、へー、と気が抜けたように呟いた。
「危害加えないって、殴られたりしたけど……?」
「それは、術がかけられる前じゃない?」
「そうだっけ? よく覚えてない」
「多分そうでしょ。伯爵はその頃もうやつらに目を付けられていて、表立った反発をしていなかったから表立った制裁は加えられなかったけど、代わりに監視の役目で後妻として魔女たちが君の家に来た。君たちはその頃から一緒に暮らしていたはずだよ」
いつの間にか、頭ががんがんと痛くなっていた。後頭部の上の方を絶えずハンマーで殴られているような痛み。
耐えられなくなって、両手で頭を抱えてうずくまると、黒猫は大きくため息をついた。
「君、とうに15歳なんて過ぎてるのに、何も起こらなかったろ? 魔女は君の父さんのかけた魔法が発動しないように、君に魔法をかけたんだ。君が昔の事を思い出せなくなるように。あのことを思い出そうとすると頭痛くなるでしょ? 無理して僕から聞きだしたりしたら頭爆発するよ?」
なんて恐い事を!
「魔女を倒したから、魔法も解けたかと思ってたけど、やっぱ駄目だったかー」
黒猫はがっかりしたように呟いた。
「そういったって、どうすりゃあいいのよ」
黒猫はちょっと考え込むように押し黙って、ただ尻尾を左右に揺らしていた。
「他にいい方法があればって、思ったんだけどなあ」
はあ、と大きくため息をついて、小さくひとりごちる。
「え?」
「独り言だよ。君、ランプ落としてったろう? 逃げるとき」
「あ。そういえば」
すっかり存在感なくて忘れ去ってた。
「そこの茂みの下に埋めてあるから」
「あら。保管しといてくれたの」
「当たり前だろ」
猫は非常に四足動物らしい動きでしたたたた、と前足で土を噴水のように掻き出しで、側で少し待っていたらすぐにランプを掘り出してきた。
「さあ、魔女が君にかけた魔法を解いてもらうんだ」
「了解!」
ランプを擦ると、砂まみれになってすっかりテンションだだ落ちになった精霊が出てきて、私は意向を伝える。
精霊が「イエッサー」と言うと同時に強い風がひとつ吹いて、その瞬間、私は幼い頃の記憶が鮮明に蘇ってくるのを感じた。
城で遊んだ子たちの記憶。
私と王子二人で料理人見習いの男の子の仕事場に入り浸っていた。彼が皮を剥くのを手伝いもしないで、石段に座り込んで無駄話をしては彼に迷惑な顔をされていた。
三人で、悪戯をたくさんした。
花園も、三人で見つけて、三人でそこで遊んだ。
たまに、王子の従弟が私たちの邪魔をしに来ることがあって、不快な思いをする事もあったけれど、概ねあの頃は楽しかった。
そう、王子の従弟。思い出したわ。
彼がどうして、今『王子』と呼ばれているのか。
本当の王子は、私が一緒に遊んだ王子はどこにいるのか。
わたしは知っているはず。当時、幼かった私は何が起きたか理解が出来ていなかったけど、今は簡単に推察ができる。
彼にかけられた魔法を解く方法も、私は知っているはず。
お父さんが教えてくれた魔法の呪文。
「君、ガラスの靴は?」
黒猫の問いかけに、私はスカートのポケットを探る。
「もちろん、持ってるわ」
「いいね」
「ええ」
ポケットからガラスの靴を取り出して、その場で足を滑り込ませる。
これは、魔法の靴。
かん、かん、かんと三回かかとを鳴らして、魔法を解く言葉を唱える。
「私の知ってる王子様を返して」
何か硬質なものが砕ける音がした。私と黒猫が見守る前で、少年の石像にひびが入る。
灰色のものがぱらぱらと散ると、そこには一人の青年が立っていた。
……全裸で。