舞踏会に着て行くドレスを
大丈夫大丈夫と、何度か自分に言い聞かせて、決意を決めてドアをくぐった店の中。目の前にずらりと並ぶ絢爛豪華な布、布、布……。に、くらりと失神しそうになる。すれ違う際に、剥き出しの腕やふくらはぎに触れるいかにも上等な布の肌触りが、明らかに普段自分の着用しているものとは格が違うのだと教えてくれる。きらびやかな店内の明かりに映えて、目の端で布や装飾品の輝きがちらつく。
私は、店員の胡乱な瞳など極力気にも留めない素振りを装って、悠々と店内を歩く。たとえ、どんなにぼろを纏っていても、自分は客なのだし、客である以上は堂々としている権利がある。と何度も何度も自分に言い聞かせて。
まったくもって情けない。幼少の頃は「お友達のお屋敷」程度に思って気軽に出入りしていた王宮なんぞで行われる舞踏会に行くために、今ではこんなに大決意をして、継母や義理の姉の目を盗んで分不相応な店に、内心の惨めな思いを隠しながら入ってこなければいけないなんて。昔なら出入りの商人が、屋敷でパパっと採寸を済ませ、目の前に色々なデザイン画を広げて見せて、どれでも気に入った衣装を、と言う風ですんだのに。今では予算が都合のつくすれすれの物を、値切りに値切って買わなきゃいけないのだろう。考えただけでもため息が出る。
(だけど、これを乗り切ればそれも終わりよ)
と、意気込んでいるのは正直自分に自信があるからだ。王宮で開かれる舞踏会。王子様のお嫁さん探し……は正直どうでもいい。むしろどうでもいい。が、王宮には古今東西の金持ち商人や貴族等がどっさりと集まるのだ。その中から一人くらいなら、自分にもひっかけられるだろう。今までいかがわしい書物や、街中のおかみさんたちの井戸端会議で仕入れた知識と手練手管を駆使して。もしそれでも駄目だったら、王宮勤めの多少給料が安くても真面目で手堅い公務員でいい。とにかく、誰か捕まえなくては。このご時勢、零落した貴族の娘が生き延びるにはもう、自分を売り物にして婚姻によって立て直すしかないのだ。
(義母さんや義姉さんは今までの無駄遣いによって舞踏会用の資金なんてないでしょうけどね)
私はそう考えて内心でほくそえむ。散々贅沢の限りを尽くして私の家の金を使い果たした継母と義理の姉二人は舞踏会の招待状に目の色を変えたものの、なにせもう家計は火の車。今は知り合いを片っ端から当たって金策に励んでいるのだろう。
(私名義の口座とお父様名義の口座分けておいて貰って、本っ当に良かった)
お父様名義の口座はどんなに勝手に使い込めても私の方は無理だったろう。そんなに預金はないけれども。
いつの時代もお金は大事だ。堅実さも大事。やっぱ相手は真面目な人にしよう。それか、軽くてもすっごいお金持ってる人の遊び相手として引っかかった振りして、慰謝料を巻き上げるのもいいかもしれない。
じろりといかにも邪魔気にこちらを見る店員を無視して、私は布地選びに専念する。自分の肌の白さを引き立てて、光に当たると本当に金糸のように輝く髪に映える色を。肌触りや質感も大事だ。肌触りが悪ければ、ふとした拍子に相手が触れた時、失望するかもしれない。それに、安物は、やっぱり見た目で分かってしまうのだ。
自分が今は落ちぶれていたとしても、良家に生まれて良かったと思うのはこのような時だ。昔から上等なものには慣れ親しんだ自分なら、間違いなく上等で上品なものを選べる自信がある。流行のドレスの形は、城に下女として勤めに出ている友人に調査済みだし、顔見知りの仕立て屋のお爺さんに無理を言って借りてきた型紙もある。数年に渡る内職のお陰で裁縫の腕には自信があるので、布と糸さえそれなりの価格で手に入れてしまえば、あとは経費はかからないのだ。
いくつかの布の吟味した結果、空色と青の中間のような落ち着いた水色の生地を選ぶ。色自体は落ち着いているが、全面に銀糸が織り込んであってそれが光に反射する度にきらきらと光り、布自体に光りをちりばめてあるようで美しい。しかもそのちりばめ具合が多すぎもせず少なすぎもせず、絶妙な加減で品が良かった。
私がそれを手に取った瞬間、元からいい顔をしていなかった店員が余計嫌な顔をした事でも、それが際立って良い品だという事がなんとなく分かった。こういう店舗形式の店は元々地元の成金や民衆の中でもちょっとお金を持ってる人が行くところで、間違っても貴族やなんかが足を運ぶわけはないのだけど、それでも店の面子とか、いざという時の為とか、または店主のコレクター精神の為に、一生自分の店に来る客層には売れそうもない品を二、三用意しておく場合がある。店の奥の方で眠っていたこの布はそういう類のものなのかもしれなかった。
私がその布を指して呼んでも、店員は三度ほど聞こえないフリをした。三度目でかなり大声を出すと、ようやく渋々のっそりと来て、私の全身を上から下までじろりと一瞥する。いかにも、私に分不相応を自覚しろと言っているようだ。私はその視線にも無頓着を装って平然と目の前の布を指し示す。
「この布、ください」
このくらいで、と予算を言ったら嫌気が差したような顔で見られた。
「無理です。原価割ります」
うんまあ、予想通りの反応。貧乏人がなんか言ってるよー、って。生粋の貧乏人がこんないい布見分けられるかっつーの。一応落ちぶれても私貴族よ? 貴族。という啖呵は切っても仕方がないから切らない。変わりに猫なで声で媚びる様な目をして言う。
「じゃぁ、いくらくらいまでなら下げられますぅ?」
最初に提示した金額はもちろん最初から無理だって分かってて吹っかけた金額だからいいとしても、原価割れ寸前までは値切りたい。どうせこの店に置いて置いても宝の持ち腐れじゃない、とは流石に言えないけれど。嫌われまくって、もう二度と来るなと思われてもいいように普段行かないような遠くの店に来たのだ。もうわかったからさっさとその金額置いて帰ってくれと言われるまで粘りつくす。そんな自分を悪質だな、とも冷静な自分は思うけど、なりふり構っていられない。ここぞと思う時になりふり構っていたら、大切なことをを逃してしまう。
「別の布とかでも、お似合いになりそうなのがいっぱいありますよ」
店員はそもそも値切るとか値切らないとか以前に私なんかにこの布を売らないために他のものを薦める作戦に出る。
「どうしてもこの布が気に入っちゃって」
「いやでもこれは特別でして」
「そこをなんとか。全部買い取るってワケじゃないんだし、ドレス一着分でいいので」
「でも高いですよ?」
「いくらくらい?」
と言われた値段は明らかに価値が分かってないからって目玉の飛び出るような値段をふっかけられる。
「嘘でしょー」
と私は冗談のように笑顔で流してあげる。「他の店で似たようなの見たときはこれくらいでしたよ」という正規の妥当な価格は分かってんですよ? という牽制も忘れない。それでちょっと私の事を見直したようだ。ちょっとだけ真面目に相手する気になる。チャララチャッチャッチャチャッチャラー、店員の信頼が 3 上がった。は、どうでもいいとして。
「でもそれだと私の予算からはちょっと高いんで、もうちょっとまかりません?」
とカマトトぶって聞くとやっぱり嫌な顔。
「高いと言われてもこちらも商売なんで」
「そこをなんとか。これくらいで……」
と正規の料金を知ってながらこれはちょっと図々しすぎるだろう、という金額を挙げて店員を白けさせる。店員の好感度が 5 下がった。
「いや、それは……」
お話にもなんないという顔をしているのだけど、私は敢えて気づかないフリをして長話を始める。
「ホント、必要なんです。ちょっと聞いてください。私、本当は貴族の娘なんですけどね、幼い頃に母親が死んで、後妻に来た継母が……」
と嘘のような本当の話を始めるけど、あまりにもうそ臭いので店員は信じないで話半分に気を散らして退屈そう。で、ここに来て他の客の登場。結構羽振りが良さそうな女の子で、興味深げにそこそこチープな棚を楽しそうに物色。店員さんにとっては良い獲物。だけど私はその袖を引っ張って延々続ける身の上話。放さない。そうしている間に客の2人目登場。でも私は放さない。
「ちょっ、分かった。分かったから。君の言う金額は駄目だけど、これくらいなら」
と提示された半ばヤケクソの金額はなかなか私の理想に見合ったものだったので、私はぱっと顔を輝かせて「ありがとうございます」と笑顔のサービス。でも、手は放さないで「もう一声!」。
店員さんの顔が強張る。ぶち切れまであと数分。だけどもう一度にっこり笑って無邪気を装う。拙いこれ以上やると売って貰えずに叩き出されるかな? 慌てて「さっきの金額で」と言いなおそうとしたら、店員さんが「じゃあこれで」と提示した金額は元々の予算より下! やった。 買い!!
店員さんは苦々しい顔で、苦笑いさえ浮かばない。ホント、すいません。この埋め合わせはいつか必ず。と心の中で拝んで無事会計を済まして店を出る。
そして、店から少し離れた場所で待っていると、遅れて女の子二人が店から出て来て私に合流。手にはそれぞれ布の包み紙を持って。
「あれ? 買ったの?」
って聞いたら苦笑して「さっきの見てたら可哀想になっちゃって」「ちょうど欲しいものもあったし」と見知らぬ客のフリをしていた友人二人は言う。良い子たちだ。
「ご協力、ありがとうございました」ってお辞儀をしたら「楽しかったからいいよー」って笑ってる。
私は精神的疲労に大きくため息をついて、大事に大事に布地を抱えて家に帰る。帰り道で糸を買って、型紙を受け取って、早速裁縫に入ろう。あまりもう、時間がない。
数日かけてドレスは見事出来上がった。もう、自信作。自分で言うのもなんだけども、他に見たことがないくらい綺麗。可愛い。たぶん世界で一番自分に似合うと思う。そのくらい、自信作。
薄汚れた自分の部屋に輝かんばかりのそれを掛けて、徹夜続きで疲れた私は有頂天のまま居眠りをした。
目を覚ますとドレスは消えていて、階下の無駄にでかい吹き抜けになっているホールで大騒ぎする声。嫌な予感に慌てて立ち上がって駆け出すと、寝起きすぐの足はもつれて少しけつまずく。それさえもどかしくてよろよろとしたまま駆ける。
階段の手すりから身を乗り出して確認したホールには予想通りに馬鹿母と姉2人。とりあえず姉2人が着てみる作業はもう終わったようで、不機嫌に脱ぎ捨てられたドレスが床に落ちている。やめてやめて、伸ばさないでー、と叫ぶ機会はもう終わってるか…。残念に思いながらそれでも一応ドレスが無事だったことに安堵したその時、上の姉が癇癪を起こした。悪魔の癇癪。なんど私があれに苦しめられたか。癇癪は暴挙となって現れる。聞こえなくてもまるで彼女の声が聞こえたように鮮明に分かる。
「なんで私に着れないのよ」
やだやだやめてやめて!
私は慌てて階段を駆け下りるが間に合わない。姉はすぐそばの暖炉に駆けて行って、私のドレスを放り投げる。ぱっと火が明るく燃え上がり、ドレスの銀糸が水色の表面を一瞬眩く輝かせる。そして、赤い炎の中に飲まれる。
私が最後の一段を踏んだ時には既に、暖炉の炎は私のドレスを全て包み込んでしまっていた。
もうやだ、やっぱこいつら私の疫病神だ。最悪、地獄に落ちろ。
どんなに思っても、もうドレスは帰ってこない……。