遺跡侵入作戦(11)
俺と巫女ちゃんは、ほの明るい水の中で、最大のピンチを迎えていた。
それは……『尿意との戦い』である。
「ゆ、勇者様。ま、まだ底には、着かないのでしょう……か」
巫女ちゃんがモジモジしながら俺に訊いてきた。
「そ、そうだね。早く着くと、いいなぁ」
俺は硬い笑顔で答えた。
(くそっ、この世界では、大小便は出ないっていう設定だったじゃないか。どうして、こんなところで、尿意に苦しまなくてはならんのだ)
作者のやつ、設定を忘れて、勝手にこんなイベントを作るなんて。なんて、ヒドイやつなんだ。
「ねぇ、巫女ちゃん。この異世界って、『おしっこしなくていい』っていう設定だったよね」
「は、はい。確かに、そのような設定だったと思います」
「じゃ、じゃあ、なんで今こんなにションベンしたいんだろう」
「こ、この世界が……うう……正常に近づいている、せい、ではないで……しょうか」
「せ……正常って、昔はおしっこ出てたの?」
俺は、こみ上げる尿意を必死に抑えながらそう訊いた。
「は、……はい。くぅん……む、昔のこの世界では、お小水が、出ていた……出ていた時期もあったの、です……ですよ」
どうやら巫女ちゃんも、我慢の限界に近づいているらしい。
「そ、それに、ここの清浄な地下水のせい、かも知れなせん」
「地下水のせい、かもって?」
くぅ、キツイなぁ。俺は股間を押さえながら、巫女ちゃんに尋ねてみた。
「邪の者が侵入するまでは……、このような清浄な水が、世界に、あ、溢れて、い、い、いたので、す」
「じ、じ、じやぁ、おしっこしなくなったのは、邪の者のせい、なの?」
「そ、そうで、っす。汚れた水と空気に順応して、世界をこれ以上汚さないように……、アマテラス様が配慮して下さったのでしょう」
「こ、ここの水は清浄だから、昔の異世界の環境に……戻っている、と……」
俺は、前かがみになりながらそう訊いた。
「ある種の禊なのかも知れません」
「身体から汚れた水を出す、ってやつかなあ?」
「よ、よくお分かりで……」
巫女ちゃんがそう付け加えたきり、会話が続かなくなった。それどころじゃなくなってきたからだ。いよいよタイムリミットが近づいている。
「うう、……アマテラス様。か弱い我らをお救い下さい。お、お願いです、アマテラス様」
巫女ちゃんの必死の願いに答えてくれたのか、俺達の目の前に、光るものが現れた。
「な、何だろうこれ?」
「な、何でしょう?」
俺が、光る物体を手に取ると、それは2リットルサイズほどのPETボトルだった。
ま、まさか、これにしろとでも! うう、しまった。力んでしまった。漏れてしまう、うう。
「み、巫女ちゃん。これにしろ、ってことだろうと、お、お、思うよ。俺は、まだ大丈夫だから、先に使ってくれて、いいよ」
俺が蒼い顔でそう言うと、巫女ちゃんは、顔を真赤にしてこう言った。
「と、殿方の前でお小水をするなど、恥ずかしくて出来ません。勇者様、堪忍して下さいませ」
最後の方は悲鳴に似ていた。まぁ、そうだろうなぁ。俺でも恥ずかしいんだ。女の子じゃぁ尚更だろうな。
「じ、じゃあ、俺は後ろを向いているから」
「それでもダメです。音が聞こえてしまいます」
「それじゃ、耳も塞いでいるから」
「それでも、ダメですぅ」
そう言う巫女ちゃんの目の端から、涙が溢れ出ていた。くぅ、俺だって泣きたいよ。
(うぉぉぉぉぉ、もう我慢出来ない!)
俺は覚悟を決めた。大容量のPETボトルの蓋を開けると、巫女ちゃんに背を向けて、ボトルの口に一物を突き刺した。そのまま、溜まっていたモノを放出する。「はぁ~~~~~」なんて至福の時間なんだ。俺は天にも登る気持ちだった。
放尿を終えた俺は、ゆっくりと振り返った。そこには怨嗟の眼差しで俺を見つめる巫女ちゃんがいた。
「ゆ、勇者様だけ、楽になるなんて、ヒドイですぅ」
「だったら、巫女ちゃんもPETボトルを使えばいいじゃないか」
「そんなの恥ずかしくって、で、できません。し、しかも、勇者様が使ったものを。勇者様は、わたくしに女を捨てろというのですかっ」
いや、別にそんな大げさな話ではないと思うのだが。いや、彼女にとっては一大事なのかもしれない。しかし、それを俺にどうしろと言うのだ。
俺は、もう、ほとほと困ってしまっていた。
すると、巫女ちゃんは、もう一度アマテラスに祈りを捧げ始めた。
「高貴なるアマテラス様。その慈悲深い心で、矮小なる我らをお導き下さい。我らに救いを。アマテラス様、お願いですっ」
もう最後の方は叫び声になっていて、如何に巫女ちゃんの窮状が悲惨かを物語っていた。
祈りが終わってしばらくすると、また目の前に光る物体が現れた。
「また何か出てきたぞ。今度は何だろう?」
俺が訝しげに見ていると、巫女ちゃんは、
「今度こそ、わたくしを救ってくれる物に違いありません」
と言って、物体を手に取った。
光が収まった時に現れたのは……、
「またこれですか! アマテラス様、ヒドイですぅ。こ、これは……これは試練なのですか!」
彼女は悲痛な叫びを上げていた。何故ならそれは、二本目の大型PETボトルだったからだ。
「しかたがないよ、巫女ちゃん。それにしろってことだと思うよ」
俺は、なるべく彼女を刺激しないように、そっと声をかけた。
「勇者様。これは必ず越えなければならない試練なのでしょうか。アマテラス様は、そうまでしてわたくしをお試しになっているのでしょうか」
巫女ちゃんの声は震えていた。俺も、気の毒には思うけれど、これ以上どうしようもない。PETボトルを使うか、お漏らしをしてしまうかの二択である。どちらも、巫女ちゃんには受け入れがたいと思うのだが……。
とかなんとかやっているうちに、いつの間にか、シルドで出来た泡は、湖底の祭壇の直ぐ側まで来ていた。
「み、巫女ちゃん。やったよ。祭壇に着いたよ。これで、何とかなる」
「……っそ、そうです、ね……」
ああ、巫女ちゃんは既に限界を通り越していた。後は気力だけが頼りだ。
俺は、自分達の乗っている泡が、遺跡を包む透明な壁に接触するのを待って、その接触面に手を伸ばしてみた。
俺の手は、泡をすり抜けて、祭壇を包む気泡の中に入っていった。
(行けるぞ)
「巫女ちゃん、どうやら入れるみたいだよ」
俺はそう言って、いち早く祭壇の泡に乗り込んだ。そして、前かがみになって苦しそうにしている巫女ちゃんの手を取って、中に導き入れようとした。
しかし、どうやっても彼女は泡の壁を通り抜けることが出来なかった。
「どうしてでしょう、勇者様。どうして、わたくしが入ることが出来ないんでしょうか……」
巫女ちゃんは、必死の形相で俺を見つめていた。つぶらな目には涙が溜まっている。
「もしかしたら、不浄の物が残っているからじゃぁないかな」
俺は、思いつくことを言ってみた。
「不浄の物というと……、まさか、してからでないと入れないのでしょうか……」
巫女ちゃんは、呆然としていた。
「どうも、そうらしいっすね。俺は後ろを向いているから、巫女ちゃんはPETボトルを使ってよ」
俺はそう言って、後ろを向いた。その背中に、巫女ちゃんが声をかけた。
「ゆ、勇者様。……ま、間に合いませんでしたぁ」
「え? 間に合わなかったって……もしかして」
「出てしまいましたぁぁぁぁぁぁぁ」
そう言って、至福の表情を見せた巫女ちゃんは、泡の壁に寄りかかったのである。
すると、今度は泡の壁を通して、するりと彼女も中に入ることができた。
「やったよ、巫女ちゃん。侵入成功だよ!」
そう声をかけた俺に、巫女ちゃんはニタリという笑みを見せた。
「勇者様、ここでのことは、わたくしと勇者様だけの秘密ですよねぇ」
俺の背中に、気持ちの悪い感覚が走った。
「う、うん……」
俺は、ようやっとそれだけを答えることが出来た。
「もし、約束を破ったら、……その時は分かってますわよねぇ」
そう言いながら、黒い微笑みを浮かべた彼女の顔を、俺は一生忘れることが出来なかった。




