遺跡侵入作戦(10)
地下二階の黒魔術師をミドリちゃんに任せて、俺は巫女ちゃんの手を取って走っていた。
よそ見もせずに目的の石碑に着くと、確認もそこそこに、俺達は石碑の裏に開いていた穴に飛び込んでいた。
穴はトンネルか何かの入口だったらしい。傾斜した坂道にはなっているものの、壁面はツルツルしていて、俺達は物凄いスピードでトンネルを下って行った。
「うわぁ~~~、ああ~~~~」
俺は絶叫を上げながら、トンネル状の坂道を滑って──いや、滑り落ちていた。それでも、巫女ちゃんの手はしっかりと握って離さない。あと少して地下三階だ。道を作ってくれた皆に負けないように、頑張らなくては。
とは、言いつつも、いつまでも続くジェットコースター状態に、俺は気が遠くなりそうになっていた。
五分ほども下ったところだろうか。いきなりトンネルが終わった。
「あ~~~、あれ?」
という間に、俺達は空中に放り出されていた。
下は? と見れば、一面の水である。
「うわあああ~~~、おーちーるーーーー」
と言うことで、俺達は地下の水溜り──いや地底湖に、見事に飛び込んでしまった。
「う~~~、ブクブクブク」
と、俺と巫女ちゃんは、水の中を搔き分け搔き分け水面を目指して、ジタバタしていた。
「ぷふぅわあ」
やっとのことで水面に顔を出すと、俺は、目一杯深呼吸をした。
「大丈夫ですか、勇者様」
心配そうに俺を覗き込む巫女ちゃんに、俺は、にっと笑うと、
「大丈夫」
と応えた。
あー、着地点が水で良かった。石の床だったら、大怪我をしていたところだ。
「勇者様。ここの水は特に問題はないようですね。湧水のようです。きれいで美味しいですよ」
巫女ちゃんがそう言うまで、俺は水質について何も考えていなかった。有害物質が含まれているとか、この前のような水生魔獣なんかがいたら、ひとたまりもないところだ。あー、危ない危ない。
(さて、陸地はどこかな?)
「巫女ちゃん。祭壇のある方向は分かる?」
俺がそう訊くと、巫女ちゃんは、何故か申し訳なさそうな顔をしていた。
「あのう、それがですね……この下のようですの」
「へ? 下。……それって、水の中って事?」
「どうも、そのようですわね」
何と、地底湖の底に祭壇が隠されていたとは!
「巫女ちゃん、泳ぎって得意?」
俺は、恐る恐る、隣に浮かんでいる彼女に訊いてみた。
「一応は泳げると思いますが。そんなに得意ではありませんの」
「だよねー。俺もなんだ。……どうしよう」
俺が考えこむと、
「すいません、すいません。わたくしが至らないばっかりに、勇者様にご迷惑をかけてしまって。お恥ずかしい限りです」
と、彼女はずぶ濡れの顔を水面で上げ下げして、更に水浸しになっていた。
(しゃーないか)
「とりあえず、岸に上がろうよ。濡れたままじゃ、体力も消耗するし」
「そうですわね、勇者様。しかし、どっちの方向へ行ったら、乾いた地面があるのでしょうか?」
巫女ちゃんが、重要な点にツッコミを入れてきた。
はて、遥か彼方の遠すぎてよく分からないところまで、水。水、水、水である。
そう、その地底湖は水で満たされていたが、岸辺のようなものは見当たらない。
「あ、あはは。もしかして、ここって水しかないのかなぁ……」
「そ、そうかも知れませんわね、勇者様」
そうか、そうなんだ。水だけなのか。天井が明るいだけまだマシかも知れないが、このまま水面を漂ってるばかりじゃぁ、何も進展しない。かと言って、岸を目指すにも、どっちへ行けばいいのかも分からない。
このままじゃぁ、そのうち体力がなくなって溺れてしまう。
残された道は……。
「仕方がない。潜るかぁ。巫女ちゃん、素潜り出来る?」
俺は一抹の不安を抱えながら、巫女ちゃんに訊いてみた。
「スモグリって、何ですか?」
予想通りの答えが返ってきた。
「あのね、潜水具とかの道具を使わないで、水の中に潜るんだよ。当然、息は止めておかなけりゃあならないんだけど」
対する巫女ちゃんの答えは、こうだった。
「わたくしは、アマテラスの巫女。祭壇のある森からは出たことがありません。穢を落とすために水浴びをすることはありますが、潜るほどの深い川や泉は無かったのです」
だよねぇ。今現在、ここにミドリちゃんがいないのは、物凄い痛手だ。すぐに応援に来るとは言ったものの、彼女の戦い自体、勝てるかどうかも分からないのだ。当てにしない方がいいだろう。ここは、覚悟を決めないといけない。
「じゃぁ、巫女ちゃんは、ここで待ってて。俺がなんとか下まで泳いでみる」
俺は、巫女ちゃんにそう言うと、思い切って潜水を試みた。
地底湖の水はものすごくきれいで、透明度も高かった。水底の方に、淡く光る部分がある。その所為で、水の中でも充分明るくて、遠くまで見渡せた。
更に水中を潜ってみると、光っているのは、大きな泡のような物だった。その中には、不確かだが石の構造物のような物が見えた。きっと、あそこが祭壇だろう。
しかぁし、俺の息が続かなくなった。俺は慌てて水面へ急いだ。
「ぷっふぁー。ぜいぜいぜい」
「勇者様、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫。はぁはぁはぁ。大丈夫だよぉ」
俺は巫女ちゃんに心配をかけないように、空元気を見せた。
「水の底の方に大きな泡があって、その中に祭壇のような石組みがあったよ。きっとそれが、『アマテラスの祭壇』に違いない」
俺は、大きく肩を上下させながらも、ようよう巫女ちゃんにそう言った。
(どうする。やっぱ、潜るしかないかぁ)
「よし、酸素の補給完了。もっかい行くぞ」
俺は大きく息を吸い込むと、もう一度水中に挑んだ。
透明な水を懸命に掻いて、徐々に深く潜って行く。目的の泡まで、後十メートル? と言うところで、息が苦しくなっていた。
これ以上は、もう駄目だ。俺は、両手足をバタバタさせて、水面へ急いだ。
「ぷっはー。はあはあ、ぜいぜい。やっぱ、きっついなぁ。巫女ちゃんは大丈夫だった? 水面で変なこととか無かった?」
口をパクパクさせて酸素を補給しながら、俺は巫女ちゃんに尋ねてみた。
「わたくしは大丈夫ですよ。ただ浮かんでいるだけですから。それより、勇者様の方が苦しそうです」
どうやら問題なさそうだな。それよりも、自分の方が危うい。
「まぁ、さすがに二回も素潜りを続けりゃ、疲れるわぁ。さてさて、どうしたものか」
俺は、一休みも兼ねて、当面の方策を考え始めた。
「仕方がない、もう一回、潜ってみるかぁ」
俺が潜るために大きく息を吸い込もうとした時、巫女ちゃんが懐から一個の珠を取り出した。
「勇者様、これを」
「巫女ちゃん、これって何?」
俺が尋ねると、
「魔法力貯蔵球ですわ。魔導師様に防御の魔法を込めてもらっています」
「えっ? 防御魔法って、『シルド』のことか」
「はい、施術者の周りに球状の防護障壁を張ってくれますよ」
ふ~ん、球状の防御障壁ね。……球状の障壁! もしかして、それで潜ろうって言うことか。
「巫女ちゃん、魔法の使い方って知ってる!」
俺は巫女ちゃんの肩を掴むと、ブンブン揺すぶった。
「ああ、勇者様。痛いですぅ」
「あ、あああ、ゴメン」
「魔導師様の言う事には、『シルド』系の魔法なら、呪文を唱えるだけで使えるそうですよ」
と、巫女ちゃんは、解説してくれた。
くそっ、何だよ。そんないいものがあるんなら、最初っから言ってくれれば良いのに。
「あのう、すいません、勇者様。わたくしが言おう言おうと思っているよりも先に、水に潜ってしまったものですので」
「え? あ、いいよいいよ。気にしないで。大丈夫だから」
とは言ったものの、二度の潜水による疲労は、少なからず俺の体力を奪っていた。
「では唱えますよ。『シルドスフィア』」
巫女ちゃんが呪文を唱えると、球状の膜のような物が広がって、俺達を泡のように包んだ。とは言っても、腰から下は、水に漬かったままだった。その重みの所為かどうだかは知らないが、俺達を包んだ泡は、ゆっくりと水の中に沈んでいった。
「うわぁ。きれいですね、勇者様。ほら、見て下さい」
そんなのはさっき潜った時に見たよ……などとは言わず、
「そうだね。あそこの底のところ、光ってるよね。そこに、大きな泡みたいな物があるんだけど。多分、その中が、アマテラスの祭壇だと思うよ」
と、やさしーく、巫女ちゃんに言った。
潜るのと違って、息が出来るのはいい事だ。俺達二人を包んだ泡は、ゆらりゆらりと湖底へ向かっていた。しかし、こんなにゆっくりじゃぁ、底に着くまで何十分もかかってしまうぞ。
まぁ、魔獣もいなさそうだし、今更慌ててもしようがない。しかし、こうも水に漬かっていると、腰から下が冷えてしようがない。
そして、とうとう来るべきものが来てしまった。尿意である。
う、マズイぞ。こんなところでお漏らしは出来ない。それに、してしまったら、俺は、漏らしたションベンの中にいることになる。それだけは、何としても避けたかった。
俺が進退窮まっているころ、巫女ちゃんが何かもじもじし始めた。
「あ、あのう、……勇者様」
と、巫女ちゃんが、済まなそうに俺に声をかけた。何だか悪い予感がしたが、俺は巫女ちゃんに訊き返した。
「何だい、巫女ちゃん?」
俺は、できるだけ平静を維持しつつ、そう言った。
「あの、え、えっとぉ、……お、お小水がしたくなってきたのです。どうしましょう……」
ど、どうしましょうって、こっちがどうにかしてもらいたい方だよ。
「あ、ははは。じ、実は、俺もションベンしたいなぁって思ってたんだ」
「勇者様もですか。……でも、こんなところじゃ、わたくし、恥ずかしいです」
「お、俺だって恥ずかしいよ。湖底に着くまで我慢できそう?」
「な、何とか頑張ってみます」
「そ、そう……」
そう言ったきり、俺は二の句が告げられなかった。こっちも限界に近づいていたからだ。
ゴールを目の前にして、俺達は、ある意味、最大のピンチを迎えていた。




