遺跡侵入作戦(4)
俺達は、遺跡の地上部分の入口付近まで到達した。しかし、そこには魔法障壁が張られていた。
そこで、特攻に志願したのが、くの一のシノブちゃんだ。
シノブちゃんは、遺跡の入口で、犬の頭を持った人型の魔獣に遭遇していた。
(こんな奴、うちが一人でぶっ叩いてやるわ)
一撃目は防がれたものの、そこで折れないのがシノブちゃんである。
(それ、地獄突きや)
シノブちゃんは、五指を揃えた貫手を魔獣の喉元へ放った。それは、凄まじい早さで以って、相手の喉笛を掻き切ろうとしたが、寸でのところで魔獣の右手に握られてしまった。
しかし、これは囮であった。シノブちゃんは手を取られた瞬間に、右手を強く引き戻した。勢いで魔獣が前のめりになる。
「よっしゃぁ。今、必殺の、くの一延髄斬り!」
シノブちゃんの強烈な回し蹴りが、魔獣の首筋の後ろにヒットした。<ゴキリ>という嫌な音がして、魔獣が地面に倒れ伏す。
その瞬間、<パチン>という音がして、魔法障壁が消滅した。
「くの一クン、やったね」
俺の隣にいた、魔導師のミドリちゃんがそう言った。そういや、目の前の薄透明な膜のようなものが無くなって、すっきりしたように見える。
「じゃぁ、続いて突撃っす。巫女ちゃんは、俺達から離れないように着いて来るんだよ」
「はい、分かりました、勇者様」
巫女ちゃんは、俺に言われて、早足で駆け寄ってきた。
そして、俺達四人が遺跡の出入り口らしき所へと到着した時、そこでは壮絶な死闘が繰り広げられていた。
相手は、犬の頭部を持つ人間のような獣人だった。
念の為に、俺は魔法の眼鏡でチェックしてみると、
アヌビス:Level 80
と、表示された。
「相手は『アヌビス』って言うんだって、ミドリちゃん」
俺がそう言うと、ミドリちゃんは、『異世界魔獣大全』を取り出して、ページを捲り始めた。そして、あるページを見つけた。それを見るなり、彼女の顔から血の気が引いていくのが分かった。
「勇者くん、『アヌビス』って、元の世界じゃエジプトの神様って言われてたけど……。こ、ここでは、『獣神』と呼ばれる、超強力な魔獣らしいよ。知能が高くハイレベルの魔法を使う上に、強靭な筋力も兼ね備えた屈強の戦士なんだ! くの一クン一人には、荷が重いぞ」
アヌビスって、そんなに強いのか! シノブちゃんは大丈夫なのか!?
「シノブちゃん、大丈夫っすか。今、加勢するっすよ」
すると、いつもの元気な声が返ってきた。
「心配あらへんで。獣人か獣神か知らへんけど、こんな奴、うち一人でお釣りがくるわ。せやから、勇者さん達は先へ行ってんか。大事な御用があるんやからな」
シノブちゃんはそう言いながら、アヌビスの攻撃を間一髪でかわしていた。
「ゆ、勇者クン。……今の攻撃、ボクのインパクターと同じだ。自分の攻撃力の上に魔法力を重ねている。まともに喰らったら、ただじゃ済まないよ」
ミドリちゃんが、蒼ざめた顔でそう言った。
「シノブちゃん。無理しなくてもいいから、皆で戦おうよ。俺達はチームなんだから」
俺は、シノブちゃんに向かってそう叫んだ。
しかし、彼女は、
「チームやから、コイツはうちが、……うち一人で、何とかせなあかんのや。先の事を考えると、勇者さん達の力は温存しとかなあかん。それになぁ、こんな奴一匹に手間取ってたなんて知られたら、うちが流星のヤツに笑われるさかいな」
と、アヌビスの攻撃に対応しながらも、俺達に応えた。本当は、声を出すのも惜しいだろう。そんな、ギリギリの防戦……。俺は、言葉が出なかった。
「勇者クン、ここはくの一クンに任せて、ボク達は先に行こう」
ミドリちゃんが、歯噛みしながらそう言った。シノブちゃんの覚悟が伝わったからだろうか。
俺も覚悟を決めた。
「シノブちゃん、ここは任した。でも、危なくなったら逃げるんだよ。シノブちゃんも、大事なチームメイトなんだから」
「おう、任された。こんな奴、さっさと倒して追っかけるさかいに。期待しててや」
ピッタリとしたライダースーツの美女の返事は、相変わらず元気いっぱいだった。
「よし、行くぞ!」
俺はそう声をかけると、遺跡の入口へ駆け込んだ。
それを見届けたシノブちゃんは、アヌビスと再び対峙した。
「おっしゃあ、これでサシの勝負が出来るな。あんた、ほんまは喋れるんやろ。何とか言ったらどうや」
シノブちゃんは、そうアヌビスに問いかけた。
犬頭の獣神は、しばらく押し黙っていたが、その獣の眼をギラリと光らせると、おもむろに口を開いた。
「人間の戦士よ。この状況で仲間を気遣うとは、天晴な精神。このような戦士に遭うのは、久方ぶりか……。面白い、真剣勝負といこうか」
それに対してシノブちゃんは、
「そうこなあかんわ。うちも久し振りに本気出させて貰うで。それと、うちは『戦士』やない。『くの一』やで。よう覚えときや。尤も、あんたに、そないな時間が残っとるとは思えへんがな」
と不敵に応えると、両手を握って、<ボキリ><ボキリ>と指を鳴らした。
アヌビスも、首を左右に振ると、<ゴキリ>という音が聞こえた。
「ほな、手加減無しで行くで」
シノブちゃんは、そう宣言すると、かき消すようにその場から消えた。
一瞬の後、彼女はアヌビスの背後に現れると、横殴りの手刀を首筋に放った。風を切る音が聞こえるような、そんな凄まじいチョップだった。
アヌビスは、それを振り向きもせずに左手で受け止めると、そのまま大きく振りかぶった。シノブちゃんが身体ごと宙を舞う。そして、その女体が、地面に叩き付けられる。
「かはっ。や、やるなぁ。受け身をとっても、凄いダメージや」
それを聞いたアヌビスは、
「たかが人間の女に、わしが遅れを取ると思うたか。そうれ、もう一度」
アヌビスはシノブちゃんの右手を握ったまま、もう一度振りかぶった。腕に引きずられて空中に舞ったと思う間もなく、再び地面に身体が叩き付けられる。
「うおっ。さすがに二度目はキツイなぁ。でも、まだまだ倒れんで」
シノブちゃんは、ダメージを負いながらも、負けん気だけは強かった。
「それ程にしておけ、人間の女よ。受け身をとったとはいえ、骨の二・三本にはヒビが入っているはずだ。折れたものも、あるかも知れん。今のうちに手当をすれば、死ぬことはないだろう」
アヌビスは、シノブちゃんの右手を離さずに、そう語った。しかも、腕を捻ってしっかりと関節をキメてある。
「そう言われて、うちが降参したら、お前はどうすんねん?」
シノブちゃんがそう訊くと、
「もちろん、先ほどの人間達を追いかけて、根絶やしにしようぞ」
アヌビスが、当然のように応える。
「へっ、それはあかんで。そんなん、うちが許すと思うか? 勇者さん達は、うちの大事な仲間なんや。絶対に、手出しはさせへん。お前、ここで一番強いやっちゃろ。ここでお前を潰せば、勇者さん達は楽に地下に行ける。違うか?」
と、シノブちゃんは不敵に言い返した。
「その通り。わしは、この地上部分のマスターじゃ。確かに、わしより強いのはおらんか……。いや、あいつがいたな……。まぁ、いいか。人間の女よ、お主には、そろそろ大人しくなって貰うぞ」
アヌビスはそう言い渡すと、もう一度シノブちゃんを地面に叩きつけた。骨がきしむ嫌な音が辺りに鳴り響いた。
「ぐぉ、……キッツイのくれてくれるやないか。でも、未だや。うちは、未だピンピンしとるで。うちを大人しゅうさせるんと違うんか、この犬っころ」
そうシノブちゃんは悪態をついた。
「言わせておけば。お主、わしを愚弄するか! もう良い。一気にお主の五体を粉々にしてくれるわ」
アヌビスはそう怒気を孕んだ声を上げると、再度シノブちゃんを宙に舞わせた。
今度こそもう終わりと思われたその時、<ゴキリ>という音が、シノブちゃんの右肩から聞こえた。と、同時にシノブちゃんの左足がアヌビスの首を猛打した。思わず彼女を捕まえていた手を離す。
宙を舞って地面に降り立ったシノブちゃんが、不敵な笑みを浮かべている。
「どや、さっきと同じ場所に、くの一延髄斬りや。お前さんの弱点が首ってのは、最初から分かっとったんや。ちっとは効いたやろ」
地面に膝まづいたアヌビスが、獣の咆哮を上げる。
「ぐおおおおぉぉぉぉぉ。何と、自分の肩を外してしまうとは。お主、正気か?」
そう。シノブちゃんは、空中で自分の肩関節を外すことで、アヌビスの虜から逃れたのである。
「お主、その痛みでは、立っておるのも辛いだろうに。何故だ! 何故、そこまでする?」
首の激痛に堪えながら、アヌビスはシノブちゃんに問うた。
「まぁだ、分かれへんのか。うちかて、半日で引退したけど、『勇者』やったんやで。この異世界の皆を、うちらで助けるんや。それが『勇者』の覚悟や。ま、犬っころには、分からんやろな」
と、彼女は何でもないように応えた。
「さて、うちもさすがに疲れたし、そろそろお終いにしよか。うちの本気、受けてみなはれ!」
シノブちゃんがそう叫ぶと同時に、幾人もの彼女が出現した。
「くノ一影分身。ほうら犬っころ、どれが本物か見分けられるか?」
アヌビスは何人ものシノブちゃんに囲まれて、一瞬は躊躇したものの、落ち着いていた。
「こんなもの、高速移動による残像であろう。であれば、急所を狙って一撃してくる者が本物。それとも、疲れて術が解けるのが先かな。万策尽きたな、人間の女よ」
アヌビスが勝ち誇ったように呟くと、どこから攻撃してこられても対応が出来る自然体の構えをとった。しかし……、
「ブッブー、不正解。正解はな、全部本物ということや。冥土に帰れや、犬っころ。最終奥義、くノ一ボコ殴り!」
何人ものシノブちゃんがそう叫ぶと、何十とも言える拳が周りじゅうからアヌビスに放たれた。
「うぐぉぉぉぉぉ、何とこれは! このわしを上回るとは。そんな事が、ある筈がない。お主、何者だ」
「せやから言うたやろ。もう忘れてもうたんかいな。うちはな、『元勇者』や。三途の河を渡っても、忘れんなや。このぉ、犬っころが!」
シノブちゃんがそう宣言した刹那、無数の拳が一筋の彗星に重なった。それを受け止めた直後、アヌビスの姿は砂のように崩れ、チリに還って行った。
しかし、シノブちゃんも体力が尽きたのか、その場に崩れ落ちるように膝をついた。そのまま地面へと横たわる。
「いったぁ。むっちゃくちゃ痛いでぇ。こんなんじゃ、気絶も出来へん。勇者さん、ちょっただけや。ちょっとだけ、休ませてぇな。そしたら、すぐに追いついたるさかいに。そん時までや。そん時まで……任したで……」
シノブちゃんはそう呟くと、大きな息を一呼吸して目を閉じた。




