③CF(前編)
「はーい。ここが我が家でーす」
御言は商店街とそれを横断する道の交差点、その角に位置する店を示した。
そこは怪しげな占い屋――ではなく、廃屋じみた骨董品屋でもなく、異国風の造りのパワーストーン屋でもない。
店先にあるのは赤いテント、背の低いのぼり、積まれた布団、
「ここは――……布団屋?」
看板には「神代ふとん」の文字。
「そうだよ。私の家、お布団屋さんなの」
見間違えや道を間違えたわけではなさそうだ。
家に来いと言われて最悪、宗教施設のようなものに案内されるのかとも思ったが、まさか普通の商店街の、それもごく平凡な布団屋に招待されるとは。
「さぁさぁ、奥にどうぞー」
店の横を通り抜け、奥の扉に招かれる。
室内も至って不審な点は無く、案内されたのはただの6畳程度の和室だった。
扉は内側からならば鍵を使わずに開錠できるし、部屋も特別気密性や防音性に優れているとも思えない。その気になれば逃げ出せるし、通りに面しているので大声を出せば外の人間が気付くだろう。
御言は「ちょっと待ってね」と言って和室から出ていった。とんとんと階段を上がってゆく音が聞こえる。
「よし」
足音が一旦止むと、物化が立ち上がった。
「何をするつもりだ?」
「決まっている。家宅捜索だ」
「令状は?」
「ある訳がないだろう」
そりゃそうだ。
「じゃなくて、そんなところを家の人にバレたらどうするんだよ」
「どうもこうも無い。何か証拠がつかめれば私は帰る。協力する気が無いのなら、お前はここで大人しく壺でも羽毛布団でも買わされてい――」
物化が僕の制止を聞かず奥の戸を開けると、
「あら、どうしたの? お手洗い?」
御言ではない、中年の女性が驚いていた。間抜けたことに物化ものけ反って驚いている。
女性はグラスの乗ったお盆を手に持っている。
「お邪魔しています」僕は立ち上がって会釈する。
「御言さんのお母さんですか?」
「ええ。娘がいつもお世話になっています」
幼く見える顔つきや茶かかった髪の色など、確かに御言とよく似ている。
「あの子のことだから、どうせお茶も出していないと思って。店も忙しくないから気にせずくつろいで頂戴ね」
「いえいえ、こちらこそお構いなく」
世話になるも何も、まだ出会って一日しか経っていないわけですし。
それから御言母は麦茶の入ったグラスを置いてまた店に戻っていった。
階段を下りる足音がして、物化は少しあわてて元の位置に戻る。
足音が鳴りやんで、少し間をおいて戸が開く。
「じゃーん!」
「え?」
入ってきた御言の姿を見て、僕も物化も言葉を失った。
ポンチョと言ったら正しいのだろうか。いや――、ベルスリーブというものとは違うだろうが、なんというか、頭からシーツをかぶったような……。幻想的な感じのハープ奏者とか、絵画に描かれている神みたいな、そんな格好だ。
あれか。実は私女神なんですー、とか言うのだろうか。
「実は私ね、預言者だったの」
惜しい。
って、そうじゃない。
「預言者? ……というと、神の言葉を預かる人のことか?」
「……驚かないの?」
驚いているさ。服装も発言も、その変なポーズも。
御言は指揮者のように両手を開いて立っている。強風が吹いたら真っ先に飛んでいきそうだ。
そして数秒間そのままでいたかと思えば、次は手に持っていた厚めの本を広げた。
「こほん。えっと……、わ……我々……人間の意識は、現実に一度も見たことのない、感じたことのない出来事を妄想することができる。その能力をあ――有している」
そう、本をチラチラ見ながら話す。――というか、ほとんど読んでいる。
「そして、それらの元となっているのは、神が人間に与えるじょ……上位の観念? ……である。我々が見たこともない景色、聞いたこともない音色を妄想することができるのは、その元となるものを神が与えているからである。原則的に、『無』から『有』は生まれない。ここでいう『神』とは、『我々の理解を超越し原則にとらわれない存在』という仮想の概念である」
途中からは本から目を離さずに完全に読んでいた。
「さて、えっと…我々の認識する世界では――」
「ちょっと待った」
僕は挙手して御言の朗読を止めた。
「急に何の話? その本は?」
「この本?」
御言は本を閉じて、表紙をこちらに向ける。そこには「Prophets」と大きく書かれている。
海外の小説だろうか? それにしては装丁が地味だが。……いや――
僕は視線を下にずらしていって、見つけた。そこには「宗教法人 クリアフューチャー」と書かれてあった。
「あの……その、あははは……」
御言は照れ隠しのように笑う。
「私もまだよく分かってないんだよね。預言者とかなんとか。だから、これがあれば和義君の質問に答えられると思って」
「それで、その本は、」
「これはCF――クリアフューチャーの活動目的とか、注意事項とかが書いてある本だよ。難しいところが多くて読むのは大変なんだけど……」
ということは、これは教典というものなのだろうか。
「でもこの本によると、私って神様に選ばれた預言者なんだよ。凄くない?」
「ど……どうかな…………」
本当に宗教関係者だったか。しかし別に意外だったわけじゃない。
今はそれより、黒く禍々しい気――というか唸り声が僕の真横で発せられている。
「ん?」
御言が顔を仰げた。その視線の方向を見ると、物化が両手を顔の高さまで上げており、
「ふざけるな!」
思い切り机に振り下ろした。グラスがかちゃんと音を立てる。
「ひぃっ……」御言が短く悲鳴を上げた。
……もう僕の手には負えまい。
「何が神様だ。何が上位の観念だ。全くもって馬鹿馬鹿しい。そんなものをわざわざ設定せずとも世界の構造や仕組み、歴史は科学によって書き記すことができる。宗教なんてものは、科学の未発達な古い人間が、世界を自分勝手に都合よく解釈し創作した物語だ。そんな前時代の遺物など、現代においては文化や歴史的な価値があったとしても、自然科学とは全く無縁の代物だ」
物化は机に乗り出しそうな勢いで言う。
「そ……そんなこと言われても~……」
御言は縮こまって本を盾にしていた。
昨日の話を聞く限り、御言にこれ以上話をさせても得るものは無いような気がする。
「その本、見せてもらっていいかな?」
「おい! そう安々と受け入れようとするな!」
そう言って物化は僕の手をつかんだ。僕のことはどうでも良かったんじゃなかったのか。
「けど、御言ちゃんが僕の現れる場所や、自販機の当たりを予知できたのは本当だ」
「本当にお前は能天気だな。そんなものトリックがあるに決まっているだろうが。自動販売機は何十本か買うごとに一回当たるという設定になっている。数さえ数えていれば言い当てることだってできる」
「そうなのか。――いや、でもあの時は……」
「おい、そこの自称預言者!」
物化が今度は指さして言う。
「本当に預言ができるというのなら、その原理を言ってみろ」
「…………げんり?」
が、御言は本を置いて首をかしげた。これで物化も分かってくれただろう。
「二人とも、とりあえず本の中身を見てみないか?」
本は大きさが教科書と同じくらい、厚みは国語辞典の半分くらいで、白を基調とした装丁のソフトカバーだ。気にしていなかったが、小さく【簡約版】と書かれている。簡約してこの量なのか……。
「さっきの続きはどのあたりに書いてある?」
「結構初めの方だよ。えっと――このへんだったと思う」
右から覗き込んでいた御言が、目次の「預言者とは」という項を指さす。
「どれどれ――」僕はページをめくった。
前項で説明したように、我々は、古今東西あらゆる預言者を崇め、敬うものである。
(中略)我々の認識する世界では、正しい認識と妄想とを明確に区別することは不可能である。それらはどちらも我々の意識の内で完結していることであり、外界との確かな繋がりを示すものではないからだ。
(中略)この世界では現実に、どのようなことが起こるか分からない。我々はそれを「不確定性」と呼ぶ。不確定性により我々はどんな未来にも確かなことが言えない。これは言うなれば「未来にはどんなことでも起こりうる(可能性がある)」ということである。
つまり、我々の意識が行う妄想というものは全て、ただの「ありもしない現実」ではなく「今後に起こりうるかもしれない未来」である。
すなわち預言者とは、その妄想が偶然にも現実と一致してしまう人物であり、言い換えれば「未来に起こる出来事を的確に妄想できる者」なのである。
何故そのような偶然が起こるのかといえば、それは神に選ばれているからとするほか無い。(後略)
そこから先は、歴史上の預言者と、その預言の内容や起こった出来事について詳しく書かれていた。モーゼやノストラダムスといった僕でも知っているような名前から、聞いたこともない中国人や日本人らしき名前まで載っていたが、今は読む必要が無いだろう。
僕は本を閉じ、左にいる物化の方を見た。
物化は顎に手をやって、それから腕を組む。
「まず、不確定性というのは何でもアリだということではない。これは単に、ある原因に対する結果は、実際に結果が出るまでは一通りに決定することができないという意味だ」
「そこは何というか、もっと大規模で長期的な目線で見て、という話じゃないか?」
ぽかんとしている御言に代わって尋ねる。
「まあ、そうだな。現実で不確定性はほとんどミクロな世界でしか見つけられないが、その影響が、マクロな――比較的大きなものにまで及ぶ場合があることは否定できない。粒子の状態が不確定なせいで、例えば動物が生きているのか死んでいるのかも、不確定としか言えない場合があり得ないとは言えない。そういう有名な猫の実験装置があるだろう」
「あー私知ってる。電子レンジに猫を入れちゃうんだよね」
御言が思い出したように手を挙げて言うが、多分違う。
「ふん。まあそれは良いとしよう」
物化も特に突っ込む気は無いようだった。
「じゃあ今回は納得がいったのか?」
「馬鹿を言え。書いてあることはどう考えてもおかしいだろう」
「そうなのか?」
僕にはどこがおかしいのか分からなかった。
「その本によれば、人の妄想は偶然に得られるもので、その妄想が的中するというのも偶然に起こることなのだろう。それではどこにも必然が無い。根拠が何一つ無いだろうが。これのどこが預言だ?」
「偶然でもなんでも、言ったことが当たるから預言なんじゃないのか?」
「だから、偶然に当たり続けるからそれを信じろと言うのか? コインを投げて10回連続で表が出ていれば、次に出るのは確実に表だと言われて信じるのか? 全財産を賭けても不安にはならないのか?」
確かにそれは信じられないけど、
「けど例えば天気予報は、もちろん当たらない時も多いけど、あれは預言をしているようなものじゃないのか?」
「天気予報はただの統計と分析の結果だろう」
「だとしても、例えば天気予報で『100%の確率で雨が降ります』と言って、本当に雨が降れば、それは結果的に預言と同じことなんじゃないか?」
「その次の『降水確率100%』では外れるかもしれないだろう」
「つまり次も当たれば良いということか」
言うと、物化はこちらを睨んだ。
「どうしてそこまでコイツの肩を持つんだ? コイツがお前に近づいた目的は一体何だ?」
「そういえば、まだちゃんと聞いていなかったな」
物化が「はぁ?」と呆れているが、僕は何となく推測、いや確信できていた。
「御言ちゃんが僕を呼び出したりしたのは、そのCFってところに頼まれたからだよね?」
「――え? うん、そうそう。よく分かったね」
やはりそうだ。
「それで、どうしてCFがそんなことを頼んだのかは?」
「うーん……、理由は詳しく言ってくれなかったんだけど、私に頼みに来た人は『CFの未来がかかってる』って言ってたよ」
「その人に連絡は取れる?」
「ううん。定例会の時に会うだけだから、連絡先とかは知らないんだ。今度会うのは次の定例会だから、夏休み前くらいかな?」
「――そうか……」
CFの未来がかかっている――か。これはやはり、僕の父さんとお祖父さんが関わっていると考えるのが自然だろう。僕の転校の理由もそこにあるのかもしれない。
しかし自分たちの未来を背負うはずの御言に何も言わないということは、部外者の僕が直接尋ねても答えは返ってこないだろう。
だから恐らく、今のところ得られる情報はここまでだ。
才氣の所属する『シード』の方は、才氣が通う支部の人間は誰も理由を知らないといった様子だったらしい。どれだけトップダウンな職場なのやら。
それにしても、一体、僕の知らないところで何が行われているというのだろうか……。




