④示すは態度
その後、僕は学校に戻って体育館と音楽室に行ってピアノのメーカーと品番を書き留めた。他にもピアノがあるかもしれないと思い音楽教員に尋ねたが、チェック漏れは無かった。学校にあるピアノはグランドピアノが音楽室と体育館に一台ずつと、アップライトピアノが音楽準備室に一台だけであるそうだ。
帰ってからは家でインターネットを使い、その品番の商品が実在することを確認した。
学校のピアノも改めて近くで見ると大きく感じたが、メーカーサイトを見てみると、それでもグランドピアノとしては中くらいの大きさであるらしい。確かに音楽ホールと比べたら体育館は小さいだろうけど……。才氣じゃないが、音を出すためだけにそこまで大きい必要があるのだろうかと思ってしまう。
物化に調べた内容を電子メールで知らせると、返信が数分後に来た。「明日の放課後に、自称超能力者を連れて職員駐車場に来い」とのことだ。
僕は「了解した」と返信した。そこまでが昨日の出来事だ。
今日も僕は他の生徒には避けられ続けていた。体育の授業があり、二人組を作って準備運動をさせられたのだが、相手の男子生徒があまりに慎重に引っ張るので、ほとんどストレッチをした気にならなかった。
そして迎えた放課後、僕は才氣と共に職員駐車場に向かう。澄奈央さんの白い車は一昨日と同じ場所に停まっている。
「現れたな、自称超能力者」
物化が車の陰から現れた。どうやら物化の身長はコンパクトカーの全高よりも低い。
後ろ手に持っているのはヒモ――いや、縄?
「自分がインチキだとまだ白状していないのか?」
「インチキじゃないって、何回言わせるんだよ」
「それで物化さん、話ってのは?」
早くも険悪な空気になりそうで、僕は物化を促した。
「まず一つ確認するが、貴様の超能力は重いものほど持ち上げるのは困難なんだな」
「そうだけど、それが何だ?」
「それが貴様の主張する規則性だということだ。だがその規則性が正しいとすれば、貴様は嘘をついていることになる」
物化はまっすぐ才氣を見ている。その目がハッタリを言っているようには見えない。
「車を持ち上げられたのならば、ピアノが持ち上げられなかったはずがない。ふつう車の重さは800キログラム以上ある。それに対して、この学校にあるグランドピアノの重さはせいぜい250から300キログラム程度しかない」
「待った、生地さん。車は確かにピアノよりも重いかもしれないけど、俺は車を持ち上げたわけじゃない。傾けただけだ」
僕は一昨日の場面を思い出す。確かに前輪は地面に着いたままだった。
「ふつう車ってのは、後ろの方が軽いんだぜ」
才氣の言っていることは正しい。澄奈央さんの車はフロントエンジン・フロントドライブだ。重い部品であるエンジンと駆動部が前にあるから、重心は真ん中よりもかなり前の方になっている。
「そのくらい分かっている」
言って、物化は自信ありげに「ふん」と鼻を鳴らす。
「重要なのは前後のどちらが重いかではない。どれだけ重いかだ」
車の前に立ち、平手で窓を叩く。ガラスに脂が付くだろうが。
「この車の重さは約1トン。燃料や荷物があるから実際は1トンよりやや重い程度だろう。それを前後4つのタイヤで支えているわけだが、重心の位置が偏っているため、それぞれにかかっている重さが違う」
なるほど。カーショップに行ったのは車に関する情報を集めるためだったのか。
「まず、横から見た車の重心はここだ」
物化は車の横の、助手席の扉がある位置に置かれた拳大の小石を指す。僕らが来る前に用意しておいたものだろうか。
「そこから――後輪の位置までの距離がこれだけだ」
そう言いながらその場でしゃがんで、手にした縄を車の横に這わせる。
縄の長さはぴったり、小石から後輪の横までだ。
「それに対して、重心から前輪までの距離はこれだけ――」
次に物化は縄を半分に折って置くと、今度は小石から前輪の横までの距離と一致する。
「おおよそ半分だ」
二つ折りになった縄を持って立ち上がる。
「静止状態の物体を二点で支えているとき、それぞれの点にかかる重さの比は、物の重心からの距離と逆の比になる。重心からの距離が片方より2倍長ければ、かかる重さは2分の1、半分になる。これはモーメントのつり合いから求められる。そうだな考え方としては――、テコの原理と似たようなものだと思えばいい」
テコの原理といえば、支点・力点・作用点の3点を決めた時、支点から力点までの距離が、必ず支点から作用点までの距離よりも長い――だったか。
「さて、今回扱っているのは四輪車だが、真横から見れば二輪として考えても差し支えは無い。前輪から重心までの距離と、重心から後輪までの距離の比は1対2。したがって、この1トン超の車は、前輪には660キログラム以上、後輪にはその半分の330キログラム以上の重さがかかっているということになる」
ようやく言いたいことが分かってきた。
物化は更にまくし立てる。
「物を持ち上げるには最低でもその重さに釣り合う力が必要だ。つまり、いくら後ろが前より軽かろうと、330キログラムの物を持ち上げる能力が無ければ、この車の後輪を持ち上げることは不可能だということだ」
才氣がはっと息をのんだ。
「ようやく理解できたか。つまり貴様の超能力は、300キログラムに満たないピアノを持ち上げられないはずが、330キログラムを超える物を持ち上げたということになる。これは貴様の示した規則性に合致しない。矛盾している!」
「――だ……だけど! それがどうだって言うんだ!」
「ふん、醜い開き直りだな」
物化が一度、ただ感心していた僕を見て、また続ける。
「力が本物ならばこんな矛盾はありえない。ではなぜ重いものを持ち上げられて、軽い物が持ち上げられないのか。答えは簡単だ。それは貴様が使ったのが超能力などではなく、特別な条件が必要なトリック、つまりは手品だからだ」
「なんでそうなるんだよ!」
「貴様の超能力では説明がつかないからだ! 車はタネを仕込んでいたから持ち上がったというだけのことだ。子猫に怪我を負わせて車の下に放り込んだのも、事前に貴様がやったことなのではないのか?」
「違う! そんなはずあるわけ――」
糾弾され、才氣は狼狽える。
「何か問題があるなら聞くだけ聞いてやる。しかし無いなら――」
物化は縄を顔の前まで持ってきて、両手で引っ張ってぴしりとやる。
無いなら、どうするんだ?
「大人しく縄につけ!」
物化は両手で投網のように縄を振った。「縄につけ」ってそのままの意味かよ!
「うわっ! 何すんだ!」
才氣はそれを身軽にかわす。
「往生際の悪い!」
再び両手を振りかざす。
「いや待て待て! 違うんだって!」
「言い訳無用だ! 言っておくがこのロープは車だって持ち上げられるからな! そう簡単には切れん!」
話を聞く気はどこへやら。
「逃がすか!」
「だからやめろって!」
物化が縄を振り回し、才氣は東校舎の方へ逃げ出した。
「何を突っ立っている! 貴様も協力しろ!」
「え? もしかして僕も追いかけるの?」
「当たり前だ! 二手に分かれるぞ!」
物化は怒鳴りながら才氣を追う。僕は――まあ、仕方ないか……。
僕は北校舎の昇降口に先回りした。才氣はまだ下足に履き替えていないからだ。
そして昇降口から一番近い階段を上る。
東校舎に逃げたということは、二階か三階の渡り廊下を通って北校舎に来るはずである。
「待てぇー!」
声が小さく上の階から聞こえた。読みは当たっていたようだ。
となればこの階段で追い詰めるのが最適だろう。
「おお、もう来てたのか」
すぐに才氣が現れた。僕は一応、ポーズだけでも才氣を止めようと階段を数歩上がる。しかし才氣は僕の横を軽やかに抜けて、踊り場まで降りて振り返った。
「アイツまだ追ってくるぞ。脚は遅いけど。早く帰ろうぜ」
「才氣、僕に何か隠しているだろう」
僕は才氣の目を見て言った。
「それは……」
才氣はやや目を泳がせるが、すぐにこちらを見返した。
「でも、俺はイカサマなんてしてない!」
訴える才氣の目は真剣そうに見える。
しかし隠し事について否定しないところを見ると、まだ信用は出来ない。
嘘は吐いているのだろうか。だがそれはどこだ?
超能力の説明は僕達には確認のしようが無い。
ピアノの話は、物化が嘘を暴いたように見えたが、しかし数々の超常現象は手品で説明がつくのだろうか。三年生の不良の件も、澄奈央さんの車の件も、いくら「種の分からない手品」だと言っても不可解な点が多すぎる。
だとすれば、あとは――
「そんな奴……に……耳を貸す必要は……無い!」
物化がぜいぜいと盛大に息を切らしながら廊下から現れる。
「と……とうとう……追い詰めた……」
息どころか足もフラフラである。どれだけ全力だ走ってきたんだ。
「悪いが俺は縛られる趣味は無いんでな」
「この……インチキ超能力者が――」
物化は踊り場にいる才氣に狙いを定めて、
階段から身を乗り出し、
「あ――」
勢いよく空中に倒れ込んだ。
僕は反射的に身体を向けて、前進して、受け止める。
その瞬間に、後ろに反った上半身ごと下に落ちる。
これは――無理だ。
僕はそのまま床か階段かに背中を強くぶつける。
頭をぶつけないように気をつけねばなるまい。
物化は無事だろうか。
無事だと良いが、場合によっては僕にとどめを刺すのは物化かもしれない。
我ながら随分無謀な自己犠牲をしたものだ。
…………。
あれ?
「あっぶねえなー二人とも、」
衝撃も痛みも来なかった。
――超能力だ。
僕は、物化を抱きとめたまま空中で静止していた。
僕と物化はそのまま静かに踊り場に着地した。
立ち上がると、直前までの不思議な浮遊感のせいで上手く立てず壁に手を突いた。
物化はまだ床に座り込んでいる。才氣は手を貸そうとしたが、払いのけられて睨まれていた。が、よく見るとその目は微かに涙ぐんでいた。落ちそうになって怖かったのだろうか。こうして見ると少しは可愛げがあるのに。
「本当に助かったよ。ありがとう」
「おう。このくらいは朝飯前だ。食前酒ってやつか?」
朝から酒を飲むのかよ。
「それはそうと、才氣――、」
僕は少しもったいぶって、二人の注意を引いた。
「超能力に目覚めたのは、中学の合唱コンクールがあった頃だろう?」
そのまま三人で帰路についた。偶然にも三人の帰る方向は皆同じ、駅方面だった。
言いだしっぺは僕だ。てっきり二人からは反発があるものだと思っていたが、特に異論は唱えられなかった。
特に、才氣を追いかける時にはあれほど興奮していた物化だったが、階段で助けられてからはすっかり気が抜けていた。
やはり、あれほど自分で否定しようとしていた超能力に助けられたことが屈辱的だったか――いや、単に超能力が否定できなくなったのがショックなのだろう。
「でさぁ、どうして俺が超能力を中学の頃に身に着けたって分かったんだ?」
才氣が歩きながら尋ねる。
「どうしてって、まずは態度が怪しかったからね。超能力については自信満々なのに、所々で挙動不審だし説明が言い訳がましい。僕は才氣をあまり信用していないけど、嘘は下手みたいだからね。あー、これは褒めているんだよ、もちろん」
「そうだったのか……。いや、褒められてる気はしないんだが……」
自覚が無いらしい。才氣は芸能人には向かないタイプだな。
「ただそれだけなら、なんとなく疑わしいだけだった。嘘の正体がハッキリと分かったのはついさっきだ。――物化さん、」
呼ぶと、物化は少しだけ顔をあげてこちらを向いた。
「どうして僕にこの学校のピアノを調べさせたんだ?」
「身近にピアノがあるところと言えば、通っている学校くらいしかないだろう。その男は音楽が嫌いだそうだからな」
「そう。でもこの高校のピアノならば才氣が持ち上げられないことはありえない。それはさっき物化さんが言った通りだ。つまり才氣が持ち上げられなかったピアノは別の場所にある。それは、体育館よりも大きな音楽ホールなどの会場にあるはずだ」
「音楽ホール? それが何だ? もったいぶらずに早く言え」
「ふつう音楽ホールにあるピアノは、学校にあるものよりも重いんだよ」
やはり二人ともこのことについて知らないようだった。この誤解は、二人ともに楽器の知識が無かったことで起きたとも言える。僕だって知ったのは昨日だけど。
「学校にあるピアノは300キロくらいだったけど、そういった大きな会場にあるピアノは、ものによっては500キロを超えるものもある。だからそのピアノが持ち上げられなくて、澄奈央さんの車を傾けることができても、超能力で持ち上げられる重さの限界値が330キロ以上500キロ未満だとすれば、この件に関して矛盾はしていない」
「そうそう! 俺の能力の限界って丁度そのくらいなんだよ」
才氣は納得がいったという様子だが、物化の方は更に表情を暗くした。僕はそれを気にしながらも続ける。
「合唱コンクールの頃だと思ったのは、それくらいしか才氣がグランドピアノに近づく機会が思いつかなかったから。でも大方、合唱コンクールが嫌で、本番に会場にあったピアノを壊そうとでも思ったんじゃないか? それが予想外に重くて持ち上がらなかった、と。それから、能力を初めて使った時のラジカセっていうのも、コンクールの練習中の出来事なんじゃないのか?」
練習が嫌だから再生機器を壊す、というのはいかにも中学生らしい発想だろう。
「そこまで分かってたのか……。なんつーか、やっぱりお前って凄い奴なのか?」
「いいや、僕一人じゃ分からなかったと思うよ。物化さんのおかげさ」
僕はそうフォローしたが、当の物化はまだ不満そうだ。
「さておき、どうしてこんな嘘を吐いたんだ?」
「それは……別に……大した意味なんて無いって。つい出来心で――っていうか……」
出来心ねえ…。どうやらまだ隠していることがありそうだ。
「あと一つ、才氣について気になることがあるんだけど」
「な……なんだ?」
「それは――、いや、やっぱりいいよ。僕はただのクラスメイトなんだし、あまり深く詮索するのも悪いだろう」
「ちょ……待ってくれよ! 嘘を吐いたのは謝るって! だから――」
「そう。才氣のその態度だよ」
「――へ?」
見事に引っかかった。
「どうして才氣は、そこまで僕の信用を買おうとするんだ?」
「それは……そんなの、お前と友達になろうって思ったからだって、」
「なぜだ? 才氣は僕の親のことは知らなかったんだろう?」
「な……仲良くなるのに理由なんていらないだろ?」
「まあ、確かにそうだね。でも仲良くならない理由があれば話は別だ。無意味に嘘を吐く相手と今後仲良くできるかどうか、僕は不安だよ」
「ぐ…………」才氣が返答に詰まる。
だんだん尋問のようになってきた。
カツ丼屋にでも立ち寄るべきかと考えていたら、そのうちに駅に到着した。
駅舎の奥には最近建ったというマンションが見える。10階建てだそうだが、周囲に高い建物がほとんどないので飛びぬけて大きく見える。
才氣は、少しの間立ち止まって唸りながら悩んで、それから大きくため息を吐いた。
「分かった。全部話すよ」
どうやら観念したようだった。
「俺、実は芸能人だったんだ」
「……は?」
……いやいや、この期に及んでそれは、無いだろう。
「今度は何の冗談だ?」
「いやホントだって! ホラ、これ名刺、」
才氣は鞄を漁ってカードケースを取り出し、そこから紙を一枚取り出した。受け取るとそこには「株式会社『シード』 サイキックタレント・伊能才氣」と書かれていた。
芸能界には詳しくないが、この「シード」という名は聞いたことがある。確か、超能力者とか霊能力者とか、その手の胡散臭い芸能人が多く所属していたはず。でもまさか本物の超能力者がいるとは。
「これは…流石にこんなものまで用意していた、という訳ではなさそうだな」
「疑り深い奴だなぁー。何だったら、そこの電話番号にかけて確認してくれよ」
疑われるのは自業自得だろうが。……まあ、確認はまた今度で良いとして、
「それで、これが今回の嘘とどう関係するんだ?」
「あーうん、事務所にそう指示されたんだよ。編入生が来るからそいつと仲良くしろ、って。わざわざ引っ越しまでさせてさ」
学校が県外だと言っていたのはもしかしてそのせいか。
「おかげで今は『アミティエ』で一人暮らしなんだぜ?」
「アミティエ?」
「あの新しいマンションの名前だよ」
才氣は駅の向こうを指さす。
「しかも事務所の存在は隠せって言うんだぜ? だから俺が超能力者だってこともできれば隠しておきたかったんだけど――」
「これで全部バラしてしまったわけだ」
「悪かったな、騙して」
「悪かったなんて、あの演技で騙し切れるのは真白先生くらいだよ」
「馬鹿にしてるのか?」
「先生のことは馬鹿にしていないよ。あんな性格、狙って出来るものじゃない」
「俺だよ! 俺!」
「うーん、才氣は芸能人には向いていないんじゃないかな?」
「って、いきなり酷いな!」
そんな掛け合いをして、僕は思わず笑った。
「はぁ……。これからどうすっかなー……」
一方才氣は頭を抱えた。僕は――才氣を嫌いにはなれなかった。
「僕は事務所に知らせるつもりはないよ。それに、仲良くすることに関しても問題はない」
「ホントか!」
「本当だとも」僕は即答する。
「だから才氣も、変に気を遣わなくてもいいよ。これからよろしく――」
「いやー良かった良かった。助かるなー万事休すってやつ? お前にバレた時点で事務所クビになるんじゃないかってマジで心配だったんだよ」
才氣は浮かれていた。僕は握手を求める手を引っ込めた。コイツは万死に一生を得るチャンスをみすみす棒に振りそうだ。
「帰る。もう私に用は無いだろう」
しばらく黙っていた物化が、そう言って一人で歩き出した。
僕は「待って」と言って回りこむと、物化は睨んできた。
「貴様はどうせ、私に同情でもしているんだろう?」
「いいや。違うよ」僕は正直に言う。
「澄奈央さんから頼まれたんだよ。『物化さんと友達になってくれ』って、」
「なに?」
物化が少し驚いている。その後ろでは才氣が盛大に驚いている。「それ言っちゃうのかよ!」とか言っている。
しかし、物化にはこの方が効果がある。何たって澄奈央さんの頼みなのだ。
「…良いだろう。貴様と仲良くしてやる」
物化が渋々そう言った。後ろでまた才氣が驚いている。リアクション芸人か、アイツは。
「じゃあ、これからよろしく」
僕は手を出して握手を求めたが、物化はぷいと横を向いた。
「勘違いするな。貴様と馴れ合うつもりはない」
ああそう。まったくコイツは……。
「分かったよ。でも、せめて『貴様』じゃなくて名前で呼んでくれないか?」
「ならば平良和義」
どうしてフルネームで……まあいいか。
「お前、ホントにコイツと仲良くするのか?」才氣が尋ねてきた。
「おいおい、才氣も一緒に頼まれていたじゃないか」
「えっ?」
才氣はすっかり忘れていたという表情だが、僕は忘れていない。
「と、いうわけで、この『自称』超能力者とも仲良くしてやってくれ」
僕は物化に対して「自称」の部分を強調して言った。
「『自称』って……お前、さっき自分が浮き上がったのを忘れたのかよ」
才氣が少しうろたえた。僕は勿論忘れていないし、超能力は本物だと思っている。
「けど、超能力でなかった可能性だってあるんじゃないか? 例えば――そう、見えない糸で吊るされていたとかさ、」
「はあ?」才氣が怪訝そうにする。
物化は――
「――ふん、」
また、鼻で笑った。
「馬鹿馬鹿しい。落下中に見えないほど細い糸で括られれば、体のその部分にはとんでもない圧力がかかる。場合によっては肉や血管が切断されるだろう。それを防ぐには糸を太くするか本数を増やせばいいが、人間を自然に支えられるほどの大きさがあれば、どんなに透明度が高いとしても屈折や反射から何かがあると認識することはできるだろう。透明度100パーセントのガラス玉が完全に不可視であるわけがない」
懇々と語りだす物化。
「じゃあ、突風が窓から吹き込んだとか」
「確かに風で人は飛ぶ。トルネードは車や家まで飛ばす。一般には、35メートル毎秒かそれ以上の風速があれば人は飛ぶとされている。だがこれは、強めの台風の最大瞬間風速に匹敵する超強風だ。そんなものが何の前触れもなく、それも室内で突然に吹いてたまるか。死人が出る」
「なるほど。ならやっぱり超能力か」
「それは……そんなもの――!」
やはり物化は意地でも認めない。しかしそれならそれでいい。
「思うんだけど、否定するにはまだ情報が足りないんじゃないかな?」
「情報が……?」物化が聞き返す。
「そう、情報が。だけど、足りないのならこれから集めればいい。才氣の言うことが本当か嘘か、これから時間をかけて検証していけばいいんだよ」
才氣の言うように、友達になる理由なんて何でも良いのだ。きっかけは誰かの頼みでも事務所の命令でも、相手を観察するためでも構わない。と、僕は思う。
「だから俺は嘘なんか――」
「もちろん、そんな理由で一緒にいたくなんかないと言うなら仕方ないけど、」
才氣が不平を言うのを制して僕は促す。
「どうかな、物化さん?」
物化は少し考えて、それから僕と才氣の方を見た。
「分かった。そこの自称超能力者とも仲良くしてやろう」
どうやら僕の言いたいことは伝わったようだった。
「ちょっと待て! なんだそれ!? つーかなんで上から目線なんだよ!」
「貴様と馴れ合うつもりもないからな。私はただ、貴様のトリックについて情報を集めたいだけだ」
「はぁ? こっちから願い下げだ! なー和義、こんな奴と関わるのはやめようぜ」
「それは僕が困る。才氣は僕を困らせるのか?」
「困らせたいのかって……お前なあ……」
「冗談だって」
僕は笑って、才氣もつられて笑う。物化は相変わらずの仏頂面だが、さっきまでより機嫌は悪くなさそうだ。
「二人は電車?」と尋ねると「私はバスだ」「俺は徒歩だぞ」とそれぞれ短く答える。
「そうか。ならここまでだな。また明日」
「おう。また明日な」才氣は手を振って跨線橋に向かう。
「物化さんも――」僕は黙ってバス乗り場に向かう物化に声をかける。
「また明日」
呼び止められて物化は少し驚いて、小さく「また」とだけ言った。
帰りの電車で、携帯電話で「シード」について調べた。探してみると才氣の顔が見つかった。
芸能人と言うのは本当だったようだ。
しかし、この事務所がなぜ才氣にあんな指示をしたのだろうか。
【小解説】
モーメントのつり合い:
物が静止(または等速運動を)している場合、
どこでもいいので好きなところに軸の位置を決めたとき、
その物体にかかっている全ての力について、
(力の大きさ)×(軸からの距離)がつり合うというもの。
(ただし力の向きは軸の回転方向で釣り合うようにする。)
今回の場合、
軸は前輪、
かかっている力は重心にかかる重力とタイヤの接地面からの反作用
となる。
……なので、実は後輪より後ろのバンパーなどを持ち上げた場合はもっと簡単に傾けられます。
超能力って一体どこを持ちあげるんでしょうね。