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フレンドシップス・サイエンスガール  作者: 吉野ムラ
第5章 知覚の怪異
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⑨リベンジ!

 間島さんが去ってから、僕は聞いた内容を要約しながら物化にメールで伝えた。物化が納得するとは思えなかったが、今はそれしか伝えられることが無かった。

 次にどうやってリベンジをするのか考えた。

 だが、それから丸一日考えても、良さそうな案は一つも思いつかなかった。

 相手にはこちらの常識が通用しない。その気になれば空でも飛べるだろう。

 アミティエで早朝に二人が見たと言っていたのは、おそらく千森だろう。何故そんなことをしたのかは分からないが、十階の高さから飛び降りても死なず、その後の姿を見失っているというのは、間島さんが言っていた妖怪の能力で説明がつく。

 そもそも報復といって、結局のところは何をするのが正しいのだろう。直接本人に苦痛を与えればいいのか、周囲から追い込んで精神的に参らせるのか、あるいは社会的地位にダメージを与えるのか。……などと考えると、こっちまで気が滅入ってくる。

 人を呪わば穴二つ。二つ目の穴を掘りたがるのは、きっと悪いことばかりを考えているうちに、こんなふうに弱気になってしまうからだろう。

 そうして、とうとう何の策も無いままその日付を迎えてしまった。

 朝には延期にすると伝えよう。そう決めて、僕はもう寝ることにした。


 しかし翌朝のこと。携帯電話には物化からのメールが届いていた。

『放課後、雨妙千森を南校舎の多目的室に呼び出せ』

 メールにはその一文だけが記されていた。受信時刻は深夜の二時。

 そして、その日の昼休み。僕はそのメールの通りに千森がいるはずの2年1組の教室前に来ていた。

 着いて見ると、千森は一人、窓際最前列の席に座って、お菓子のようなものを食べていた。

「失礼っ……します……」

 思い切って教室に踏み入れると、ざわついていた教室が水を打ったように静まり返った。

 一方、千森は少しも気にせず菓子を頬張っている。

 突き刺さるような視線の中、僕は教壇を渡ってその前に立った。

「雨妙千森……さん?」

「んー?」ようやく気がついたのか、チョコの付いたクッキーをくわえたまま僕を見上げる。「おお、平良の。何か用か?」

「ええ。今日の放課後、少し時間をもらえないかと思って」

「私の時間が欲しいのか? ふむ、分け与えれるような物とは思えんが」

「いや……その、放課後は何か用事がありますか?」

「無いぞ」

 悪びれたりする様子は無く、警戒もまるでしていないようだ。

「それじゃあ放課後、南校舎の多目的室に来てください」

「ああ分かった」

 そう即答して、また食べかけのクッキーを頬張った。他に弁当やパンなどが見当たらないから、昼食のつもりなのだろうか。

「あ、そうだ」千森がそう思い出したように言う。「コレ、あの女に返しといてくれ」

 鞄の中からコンビニの薄いポリ袋を取り出し、それを差し出す。

「え?」受け取って、中を見ると、そこには一冊のノートと透明のグラスが入っていた。「……これってまさか」

「じゃ、頼んだぞー」

 声は後頭部の後ろで聞こえた。気がつくと目の前の席には誰もおらず、千森は教室から出るところだった。

「ちょっと!」

 僕はすぐに追って教室を出た。が、廊下にもうその姿は無かった。

 ため息を吐いて、いま一度袋の中身を見た。

 ノートは黄色のキャンパスで、表に「英語」と丁寧な字で書かれている。おそらく、ファミレスから千森と共に消えた物化のノートだ。

 そしてこっちは――間違いなく、あのファミレスのパフェグラスだ。見るからに雑に扱われていたようだが、そのせいか口のところから大きなヒビが二か所も走っていた。

 信じられない……。

 もし報復ができたなら、このグラスは絶対に突っ返してやろうと思った。


 放課後になり、僕は荷物を早々にまとめようと急いだ。そんな時――

いたっ!」指に鋭い痛みが走った。

 迂闊うかつにも、無造作に鞄に入れてあったグラスで、指の甲側を切ってしまった。良く見るとヒビの一か所は小さく欠けて、随分と鋭利になっている。

 痛みの割に傷は深く、しばらく出血しそうな様子だ。

 保健室に行くことも考えたが、ひとまず物化との約束を優先させたかった。僕は水道水で傷口を流して、ハンカチで押えながら多目的室に向かった。こんな日に限って白っぽいハンカチだったが、それも今は気にならなかった。


 多目的室は南校舎の三階西側にある。多目的と名は付いているものの、中には机も何も無く、実質的には空き教室だ。以前は地学資料室だったそうだが、十数年前に地学がカリキュラムから無くなって今のようになったらしい。

 多目的室に到着すると、扉が開き、中から物化が出てきた。

「あれ? 鍵は?」

 使われていない教室には、当然鍵がかかっているはずだ。

「あれだ」と、物化は上を指さす。「この教室の換気窓は構造が古い。少し工夫すれば、外からでも簡単に開けることができる」

「でも、どうやってあんな上まで?」

梯子はしごを音楽準備室から借りている。音楽準備室の鍵は、昼休みにハンドベル部の御言みことに持ってこさせた」

 ハンドベル部か。部活に入っているとは聞いていたが、そもそもそんな部活がこの学校にあったことすら知らなかった。

 ともあれ良いようにパシらされているな……。協力的なのは助かるんだけど。

「それで、これからここで何をするんだ?」

「やる事は体育館でしたことと同じだ。作戦も同様、奴の着地地点を着地前に察知して、そこを狙う」

 物化が教室に入り、僕はそれに続く。

「教室の天井付近の壁の、全6ヶ所にセンサー式の防犯ブザーを設置した。奴を完全に見失ったら、リモコン操作可能な電源タップで全センサーを起動する。そしてブザーが鳴ったところに、このBB弾をばら撒いて奴の動きを止める」

 言って、隅に置いてあった鞄から黄色いBB弾が詰まったボトルを差し出した。

 僕はそれを受け取り、教室を見渡す。面積は普通の教室程度。バレーコートよりも狭く、天井の高さは三メートル程度。壁の至る所にガムテープが貼ってあり、そこに電源コードやブザーが貼りつけてある。

「……でも、相手は物理法則を無視するんだろう? 現にこの間の体育館では、落ちてくるはずの場所に落ちてこなかった」

「お前が聞いた話では、奴は物理法則を無視していると、姿が見えなくなるそうだな」

「そう、だけど……」

「つまり、見えているときには、物理法則に従うということだ。そして、体育館では奴の着地の直前は見えた。着地するときの音も聞こえた。ならば、着地したときに思い切り足を滑らせれば、そのまま落ちて床に転げるはずだ」

「それは――」

 言われてみれば、確かに。妖怪の能力を使って鬼ごっこで勝とうとするなら、相手から完全に見えなくしてしまえば良いだけだ。

 だが千森はそうしなかった。何か、そうできなかった理由があるのかもしれない。

 たとえば、才氣のように能力に制限があるとすれば。能力が切れた瞬間には、こちらからつけ入る隙ができるだろう。

「――分かった」

 僕は鞄を近くに置いた。出血はすこし収まったようなので、水と血でべっとりと濡れたハンカチは、教科書などに触れないようにポリ袋に入れて鞄に戻した。


 ほどなくして千森が現れる。

「なんだ、」部屋に入ると僕と物化の顔を交互に見る。「今日は二人なのか」

「不満ですか」

「いーや別に」

 千森はそう言って鞄を床に放り投げた。鞄はがさっと妙に軽そうな音を鳴らす。ほとんど中身が何も入っていないみたいだ。

「で、私は何のために呼び出されたんだ?」

「鬼ごっこだ」物化がすぐに答える。

「鬼ごっこ? おぉ、この間の続きということだな」千森は嬉しそうに手を叩く。

 物化はほとんど表情を変えず「そうだ」と答えて教室の中央あたりに歩いていった。右手にBB弾の入ったボトルを持ち、左手に小さなリモコンを持っている。僕は念のため、扉を閉めて鍵をかけた。



 ――おそらく、鬼ごっこで物化はほとんど戦力にならない。もともと運動神経は良くないし、大した重さではないにしても、両手に物を持っている。そのうえ、いつでもブザーを作動できるように気を張っていなければならない。

 だから、今日は僕が追い詰めないと。

「よし、」拳を握り、気合を入れる。「始めだ!」

 その掛け声を合図に、物化が千森へ向けて走る。

 千森はそれを難なく振り切り、その勢いで壁を蹴って宙返り。着地と同時に直角に転回して僕の脇をすり抜ける。すぐに振り向いて反対の壁に追い詰めると、物化が左手から迫るのを見て、左に向けて走りだす。僕はすぐさまそれを追う。が、見失った!

「下だ!」物化が叫んだ。

 違う。消えてない。急転回と同時に身を屈めて、僕の股下を潜り抜けたのだ。

「くそっ」振り返るころには手は届かない。

 なんて無茶苦茶な身体能力だ。

 同じような攻防が二、三度続き、そのたびにそれを思い知らされる。こんな場所でなければ、もうすぐにでも諦めていただろう。

「甘い甘い」

 二人の間を潜り抜けた千森が後ろに跳んで間をとる。しかし壁に阻まれ背中をぶつける。高校生三人が走りまわれば、この教室は驚くほどに狭い。

 僕は腕を広げ気味に接近する。背後に気を取られた千森は、一瞬遅れてそれに気付くも、逃げ場はもう無い。

 ――跳んだ!

 反射的に手を伸ばして進行方向を塞ぐ。

 すると意識が、濃い霧にかかったような感覚に襲われる。

 ビー!

 右前方のブザーが鳴った。

 僕は一心不乱にボトルの口を突き出した。勢いよく飛び出したBB弾が木の床を跳ねて散らばる。そこへ足が落ちてくるのが見えた。それで――


 ――どうなった?


 目の前には、誰もいなかった。

「いやー、なかなかアジな真似をしてくれるじゃないか」

 千森は窓際に立って、愉快そうに腕を広げている

「どうして……? 物理法則無視は使えないんじゃ……」

「物理? 無視? なんだそれは?」千森は小首をかしげた。「私は無視なんてしてないだろう? 今だってお前たちに話しかけてるじゃあないか」

「いや、そうじゃなくて……」

「私は自ら望んでお前たちと関わっているんだぞ。そうでないと、私からお前たちに話しかけることができなくなるからな」

「な……何を馬鹿馬鹿しいことを――」物化が困惑しつつ反論する。「なら貴様はこう言うのか? 誰とも関わろうとしなければ、貴様は誰にも気づかれず、何物にも触れられない――と、」

「そうだ。思ったよりも話が分かる奴だな」

 千森は腕を組んで感心した。

「ふざけるな!」物化は手を伸ばす。が、ひらりと簡単に避けられる。

「ああ、まだ鬼ごっこの途中だったな。それとも今日はここまでか?」

「もう一回やろう」

 僕は物化にそう言った。

「一か八か、上手くいけば隙が作れるかもしれない」

「……、分かった」

 返事を聞いて、僕は鞄からそれを取り出し、千森に見えないよう後ろ手に持った。



 僕も物化も疲労している。それに、そろそろ誰か外の人に気付かれるかもしれない。どちらにしても、これが最後のチャンスだ。

「行くぞ!」

「望むところだー」

 千森の動きは相変わらず人外じみている。しかし、どうもさっきよりも単調になっている気がする。相手も意外と疲れているのだろうか。ただ飽きてきているだけのようにも見えるが。

「おっと、」しかし近寄るとフェイントで振り切り、距離を取られる。そして「なんだか小腹が空いたな」と言って両手を腹にやった。

「このっ!」物化がすぐに切り返して千森に迫った。

 千森はまた後退して身軽に避ける。

「おお?」が、背後のBB弾に足を滑らせた!

 チャンスだ! ――いや、まだだ。

 物化が踏みとどまり、リモコンを操作した。床の上に千森はいない。

 ビー!

 ブザーが鳴った。なか後方の位置。

 僕はそれを右手に持ち、音が鳴る方へ思い切り投げた。


「こ、こんなところにイチゴパフェが!」


「へ?」

 振り向いた千森が両手を伸ばしてそれを受け取る。

 血みどろのハンカチが詰まった、細長いパフェグラスを。

「あっ――」

 グラスは受け取った衝撃で完全に形を失い、破片となってハンカチと共に落ちる。

 自ら望まなければ触れることもできない。ならば、自分から触れようとしたときには、千森は物体に否応なく接触するはず。

「い……痛い!」千森が驚き、手のひらを見合わせる。

「それは良かった」

 物化が拳を振り上げた。千森は目を丸くしたままそれを見上げる。

「反省しろ!」

 ゴツンと鈍い音がして、千森が「ぎゃん」と悲鳴を上げた。

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