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フレンドシップス・サイエンスガール  作者: 吉野ムラ
第5章 知覚の怪異
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⑦アイスと強敵

 翌日には、物化は普通に学校に来ていた。僕は放課後に西門に呼び出して、いつもと同じ駅の方面へ歩き出した。

 市民病院は駅から歩いて二十分程度の場所にある。駅から市民病院ゆきのバスが出ているが、僕たちが駅に着くころにちょうど駅のバス停を出てしまい、それを見た物化は足を休めず病院の方へ向かった。陽はまだ高く蒸し暑いが、首の汗を拳で拭って僕はそれに続いた。

 市民病院に到着すると、受付で面会の許可証をもらってエレベーターに乗り、五階にある病室に着く。

「いらっしゃい、二人とも」

 澄奈央さんはリクライニングベッドから身を起こして、にこやかにそう言った。

 ひょっとして実は大怪我をしていたのではないかと少し不安だったが、そんな様子はどこにも無く、普段と同じ白い花柄のパジャマ姿だ。

 病室は個室で、車いすの他に大きな医療機器なども置かれていないため、がらんとしていた。

「ここまで暑かったでしょう。椅子がそこにあるから休んでいて。今お茶でも出すから」

「いやいや、大丈夫ですよ。飲み物だったら自分で買ってきますから」

 ベッドから降りようとする澄奈央さんを止めて、僕は脇にある椅子に腰掛けた。

 すぐ横のサイドテーブルには花瓶が置かれ、ヒマワリなど色とりどりの花が豪華に飾られている。今朝に伯父さんが置いて行ったものだろうか。

「入院早々に押しかけてしまって済みません」

「高校生がそんなこと気にしなくてもいいの。それよりも、二人ともテスト勉強は大丈夫? ちゃんとはかどってる?」

 この間の土曜日のことはまだ澄奈央さんに話していない。僕は「ええまあ、その……」と語尾を濁した。

「そう。――あ、でも二人ともちょっと遅かったかもね。ちょうど昨日までは、太田先生もこの病院に入院されていたのよ」

「そうだったんですか」

 学年主任で社会科教師の太田先生は、六月に階段で怪我をして以来ずっと学校を休んでいた。はじめは自宅で療養のつもりだったが、すぐに病院に運ばれて入院したと噂では聞いている。

「確か、腰を痛めたんですよね。学校ではみんな体重が原因だとか言っているみたいですけど、そんな入院するほど酷い怪我だったんですか」

「ううん。腰はそれほどでもなかったみたいだけど、階段から落ちたときに、本当は頭も打たれていたそうなの。太田先生に自覚が無くて気づくのが遅かったから、本当にかなり危ない状況だったんだって」

「そんなことが……。けど、もう退院されたんですよね?」

「そうそう。なんだか、お医者様がたも驚くような『奇跡的回復』だったそうよ。後遺症も何も無くて、昨日まで入院していらしたのもただ検査のためなんだとか」

「澄奈央!」

 黙って立っていた物化が突如声を上げた。

「……済まなかった」

 そう言って場で小さく頭を下げる。

「えぇ?」澄奈央さんは驚く。

「どうして物化ちゃんが?」

「あの女に、迂闊うかつに近づけさせるべきじゃなかった。おかしな奴だとは思っていたが、いきなりあんな事をするなんて思わなかった」

 物化は下を向いて、スカートを両こぶしで握っている。

「――それじゃあ、」

 その姿に、澄奈央さんはまっすぐ物化を見て言った。

「お詫びに教えてくれる? 二年前に、物化ちゃんの周りで何があったのか」

「なっ……!」物化がびくりと体を震わす。

「どこでそれを!」

「お父さんに頼んで、物化ちゃんの中学の先生から聞いたの。物化ちゃんと同じ学年の子の、急な転校があったそうね」

「それは……、」物化は答えない。

 二年前――。やはり二年前に、物化の周りでは何かがあったんだ。

「和義くん、」

「はい?」

 澄奈央さんはポケットをまさぐり、丸い布製の小銭入れを僕に差し出した。

「悪いんだけど、下の売店でお茶を買ってきてくれる? ちょうど切らしちゃって」

「お茶、ですか。わかりました」

「うん。ありがとう。アイスくらいならその中のお金で買ってもいいから、ね?」

 そう言って小銭入れを握らせた。言いたいことはすぐに分かった。僕は黙って、追い出されるようにその場を後にした。



 売店は一階の階段付近にある。お茶を買ってまっすぐ戻ったら、きっと五分もかからないだろう。それはきっと澄奈央さんも分かっているはず。

 だから僕はお言葉に甘えて売店ではお茶とカップアイスを買い、エレベーターの近くの飲食スペースの、ソファーの隅に腰を下ろした。

 やや傾いた陽が窓から差し、冷房は病室よりも効きが弱いが、汗が冷えてきているので暑過ぎずむしろ丁度良い。汗が完全に引くくらいには、カチカチのアイスも少し溶けて食べやすくなるころだろう。

「あら、和義さん?」

 声がして、僕は驚いて顔を上げる。

「奇遇ですね。あるいは、これも会いたいという意志のお陰でしょうか」

 希未はそう言って方向を変えて歩み寄る。服は制服のままだが、鞄を持っていないところをみると一旦アミティエに帰ってからここに来たのだろうか。

「意志のお陰か。それは、つまり、僕は希未さんの意志でここまで来たってこと?」

「いいえ。和義さんが私に会いたいと思い、私が和義さんに会いたいと思ったからでしょう。言うなれば相思相愛、あるいは以心伝心、とどのつまりが因果応報というものですよ」

 言うと、魅惑的な笑みを浮かべてソファーの反対側に座った。

 今のも冗談、……なのか?

「それで、希未さんも誰かのお見舞い?」

「いいえ。私は別の用事があって来ています。まあ、あまり大声では言えませんが、病院設備を用いた人体実験ですね」

「……それって大丈夫なのか?」

「実験といっても健康診断にオマケが付いたようなものですよ。もう慣れたものです」

 人体実験と聞くとかなり穏やかではないが、当の希未の方は穏やかそのものだ。それは、やはり、チームの人たちを信頼しているからなのだろうか。

「そういえばずっと聞きそびれていたけど、プレゼントの反応はどうだった?」

 先月中ほど、父の日の前日となる土曜日に、僕と希未は澄奈央さんに連れられ父の日のプレゼントを買いに出ていた。

 希未は初めての贈り物にかなり迷っているようだったが、澄奈央さんの助言もあり、男性スタッフにはネクタイ、女性スタッフにはシュシュを贈ることに決めていた。

「反応ですか? そうですね、驚かれました」

「……って、驚かれただけ?」

「研究以外のことには、お洒落も食事もまるで興味が無いような人達ですから」

 何を贈るかを決めるときにもそう言っていた。普段は誰もネクタイなんて締めていないのだそうだ。しかし澄奈央さんは、まっすぐ気持ちを伝えるのならオーソドックスなものが良いと言って、最後は希未も納得していた。

「――それだけに、翌日に全員がネクタイとシュシュを着用していたことには驚かされましたけど」

 結果は、どうやら澄奈央さんの言ったとおりだったらしい。

「喜んでもらえたんだ」

「そう……ですかね。そうだと良いと思います」

 言って、希未は手を合わせてはにかんだ。

 それは普段と違い、まるで小さな子供のようにも見えた。


「そう言う和義さんは、今日は真白先生のお見舞いですか?」

「ああ、うん、そうなんだけど……――」

 僕は先ほど病室であったことを簡単に話した。そして今は追い出されて、時間をつぶすために飲食スペースに来ていたことを。

「――なるほど。つくづく真白先生は強敵ですね」

 希未は腕を組んで、軽く背をもたれた。

「それで、和義さんはこれからどうするおつもりですか?」

「僕が? ううん、もう少し経ったら病室に戻るけど、後は澄奈央さん次第かな」

 テストが近いから長居はさせてもらえないだろう。大怪我で動けないというほどでもないし、入院といってもたった数日だ。

「それなら、澄奈央さんが戻ってくるまで、物化さんとは今のままですか」

「……え?」

「まさか、気づかれていないとでも思っていたのですか?」

 希未がため息をついて呆れた様子で言う。

「バレバレですよ。前まであんなに仲が良かったんですから」

「仲が良いって、僕と物化さんが?」

「他に誰がいるんですか……」

 更に憐れむような目を向けられる。そ……そんな顔しなくても……。

「真白先生を信頼するのは分かりますが、和義さんは、この理不尽な状況を理解しているのですか?」

「理不尽って、それはどういう――」

「簡単な話でしょう。物化さんを奪われて、引き離されているこの状況です」

「え……、ええぇ!」

 あまりに突拍子だったので声が裏返った。

「和義さんは、わざわざ物化さんを病室に案内するだけのために来たのですか?」

「いや、それは……、結果的には僕が案内したみたいになってるけど……」

「本意ではなかったのなら、どうして大人しく従っているんですか」

「どうしてって言われても……」

 言葉を濁していると、希未はキッと横目を向ける。

「和義さん、あなたがこれまで物化さんと一緒にいたのは、全て真白先生に言われたからなのですか?」

「それは違う!」

 言われて、僕は無意識に語気を荒げていた。しかし希未は動じない。

「なら、対抗するべきです。行く手を阻むものは敵です。敵には立ち向かって勝利せねばなりません。相手が強敵であるならば尚のこと、逃げているだけでは始まりませんよ」

「でも――」

「デモもストもありません。思いがあるならそれを表現すればいいと、私に言ったのは和義さんでしょう」

 希未は立ち上がり、スカートを軽く手ではたいた。

「自信を持ってください。そして是非、和義さんの納得のいく形で決着をつけて下さい」

 ポーンとエレベーターのチャイムが鳴ると、「では、私はこれで」と言い、希未は開かれた扉の中へ入って行った。

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