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フレンドシップス・サイエンスガール  作者: 吉野ムラ
第5章 知覚の怪異
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①不和と違和

 我々はその眼で光を感知し、

 その耳で音を感知できる。

 また、我々が見るからこそ、

 ある波長の電磁波は光として存在し、

 我々が聞くからこそ、

 ある周波数の振動は音として存在できる。

 両者は等しく正しい、真実である。

 それはたとえ、幻覚さえ。

 すなわち、我々が幻を見るときには、

 幻はまた、真実でもある。




 7月下旬に行われる期末テストまで残り一週間と二日。その土曜日。

 僕は昼下がりの閑散としたファミレスの、壁際のテーブル席で黙々とノートに向かって数学問題の解答を書き綴っていた。

 正面には、同じように黙々とペンを走らせる物化ものかがいる。

 ふと気を抜くと目が合いそうで、勉強に集中しているのとは別の奇妙な緊張感にさいなまれている。ジュースを飲み込んだところから喉が渇き、冷房が効いていないのではないかと疑うくらいに手に汗をかいている。

 ええっと、この問題はどうだったかな。これで合っていただろうか。と、心の中でわざと気を逸らすも、その効果の程はうかがえない。

 なぜこんな事態になったのかと言えば、話は半月ほどさかのぼる。


 □ □ □


 大学見学のあった日以降、学校で僕が物化と話すことはほとんど無かった。

 声をかけても返事は無く、当然向こうから話しかけてくることも無い。物化は僕との接触をあからさまに避けているようだった。

 僕はそれを誰かに相談したりはしなかったが、学校で見ていた澄奈央すなおさんは真っ先にその変化に気が付いた。

 とはいえ詳しい事情を話すわけにもいかず、しかし誤魔化すにも誤魔化しきれず、不信感ばかり与えてしまっていたことだろう。

「何かあるなら、一度きちんと話し合わなきゃ。せっかく仲良くなれたんだから」

 と、――恐らく物化の方にも同じように言っているのだろうが、それでも僕はもう一歩を踏み込むことが出来ないままでいた。

 そんな状態が二週間も続き、とうとう業を煮やしたのだろうか。昨晩、部屋をノックし入ってきた澄奈央さんは唐突に言い放った。

「明日、テスト勉強をするなら物化ちゃんと一緒にしない?」

「はい?」

 聞けば、物化は5月にあった中間テストで英語と社会科の成績が悪く、その後に補習を受けるほどだったらしい。代わりに理数系の科目は非常に優秀だったそうで、だからお互いにとって損は無いとのこと。

 ――まあ、その魂胆こんたんは誰が見たって明らかだろう。

 しかし誰でもない澄奈央さんの頼みだ。それに僕だって物化と喧嘩がしたいわけじゃない。だから僕はその提案を受けることにした。

「ホント? よかったぁ~。それなら、早速物化ちゃんにも連絡するわね」

 そう言って、澄奈央さんは部屋から去って行った。


 □ □ □


 まったく、きっかけは澄奈央さんの手助けのつもりだったのに、結局は余計に気を遣わせてしまっているのが何とも不甲斐ない。

 ――そうは言ったものの何を話せば良いのか……。

 僕は顔をノートに向けたまま、上目遣いのようにして正面を見る。


 生地物化いくち ものか

 髪は黒。長さは肩のあたりまでで、毛先がいくらかハネ返っている。

 瞳の虹彩こうさいは彩度の高い茶色で、眼力がある。

 背は低く、見たところ150センチ程度しかない。

 今日の服装は丈の長い半袖のTシャツに七分丈のパンツに、普段と同じスニーカー。

 学校へは実家からバスと徒歩で通っている。

 兄弟には中学生の妹がいる。

 教室では基本的に一人でいる。球技大会前後からは御言と一緒にいることも多い。

 科学と数学が得意で、英語と社会科が苦手。


 そして、『幸福プライム』と『二年前』。

 ここから推測するに、物化は二年前にその悪徳業者から何らかの不利益を被った。

 だからオカルト詐欺を許せなかった。

 しかし、その矛先であったはずの『幸福プライム』は、つい先日に間島まじまさんの属する魔術結社『マグス・マグナ』によって検挙され、消滅した。

 目的が幸福プライムに対する復讐だったのならば、それは間接的に達成できたということだ。だが実際には、それをあまり喜んでいるようには見えない。

 では、本当の目的は?

 マグス・マグナのようにオカルト詐欺の根絶だろうか。それとも、オカルトそのものを否定することだろうか。

 ――だとして、僕が物化に対してできることは何だろう。

 それ以前に、そもそも物化は誰かの助けを必要としているのだろうか。

「はあ」僕は物化に聞こえないよう小さくため息を吐いた。

 物化は変わらず黙々と机に向かっている。ノートには英単語がびっしりと書き込まれていた。英語の勉強なら、見ての通り一人でも問題は無さそうだ。中間テストの結果が悪かったのは、きっと油断して手を抜いていたのだろう。

「……ん?」

 見ていると、物化は急にぴたりとペンの動きを止めた。

 ……視線に気づかれたのだろうか。と、少し心配したが、どうやらトイレにでも行くらしい。物化は目を合わせないまま無言で席を立って、通路の角を曲がって行った。



 時刻はそろそろ午後の4時になる。6時になればディナーの客が増えるだろうから、ここにはあと二時間も居られないだろう。

 こんな状況でテスト勉強がはかどったはずもないが、今のうちに何か策を考えなければ、今日のこの時間が本当にただの苦行だけで終わってしまう。

 率直に本人から聞き出せば良いのか。しかし「お前には関係ない」と言われたら――いや確実に言うだろう、そうしたら何と言い返す?

 ……駄目だ。ノートに落書きをしていても何も始まらない。

「おお? ようやく何か始めるのか?」

「えっ?」

 恐ろしく可愛らしい声のした方――正面の物化のいた席に、グレーのパーカーを着た女の子がいた。下はベージュの短パンで、片足を椅子に乗せて行儀悪く座っている。見たところ、小学四、五年生くらいだろうか。

「これは何だ?」

 女の子は机に乗り出して僕のノートを覗き込んだ。赤色がかった黒色の、後ろで小さく束ねてある髪が尻尾のように跳ねる。

「……君は、こんなところでどうしたんだい?」

「なになに――『身長150センチ前後』、『普段は目つきが悪い』……」

「いや、そうじゃなくて」

 僕がノートを閉じると、女の子はきょとんとして席に座りなおした。

「ここへは一人で? それとも友達と一緒?」

「なるほど、今回は誰かの身辺調査か。それも面白そうだな」

 ……なんだこの子は、話が通じていないのか? それに「今回は」?

「君は僕のことを、以前から知っていたのか?」

「お、早速私にも探りを入れてきたか。良い良い。答えてやろう。平良たいらの」

 何やら機嫌を良くして、腕を組んでふんぞり返った。

「お前について、初めは何の興味も無かったが、どうやらお前の周りではいっつも面白いことばかりが起きてるみたいじゃないか。それで少し前から興味を持って調べてみたり、行動を観察してみたりしてたわけだ」

 そして勝手にそう話す。早い話がストーカーだろうか。

 しかしこの様子だと、まさかこの子もコンペの参加者――……いや、だがどう見ても高校生ではないか。

 そういえば以前に太田おおた先生が、学校外で僕についての質問をされたと話していたが、ひょっとするとこの子が訊いて回っていたのだろうか。

「それで、今日はここまで僕に会うために?」

「うん? たまたま通りがかったからだが?」

 女の子はひらひらと手を振って答える。

「じゃあ、今僕に話しかけてきたのは一体何をするために?」

「ああ、そうだな。なるほど。私から何かするというのも悪くはないな」

 そう言って一人で納得して腕を組んだ。

 なんだか……全くもって掴みどころがない。とにかく心地が悪い。まるでお互いただ独り言を言い合っているだけのようで、本当に会話をしているのかどうかすら怪しく思えてくる。

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