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フレンドシップス・サイエンスガール  作者: 吉野ムラ
第4章 論理の魔法
21/32

⑤襲撃

 見回っている教員に捕まらないよう、隙を見計らってキャンパスを抜け出す。

 時間にはあまり余裕が無いそうで、キャンパスを抜けてからは昼下がりの炎天下をただ黙々と走る。人気ひとけのない住宅街に制服姿でいるのは目立つのではないかと心配していたが、幸運にも警察に補導されるようなことは無かった。

 しかし、ペースは抑え気味であったとはいえ元々の体力差が大きいため、キャンパスから出て十五分も経つと物化は既に疲労困憊ひろうこんぱいの様子であった。

「ちょっと待ってください」

 先を行く間島さんを呼び止め、物化がついてくるのを待つ。

「この暑さですし、このあたりで少し休憩できませんか?」

「……そうだな。しかし目標の地点はもうすぐだ。俺は一旦先に向かう。10分以内には戻るが、それまで休憩していると良い」

 そう言って、間島さんは歩いて突きあたりを左折していった。


 少しして追いついた物化に休憩を取ることを告げると、物化は無言で道脇の僅かな日陰に入って、うな垂れたまま座り込んだ。首や前髪がぐっしょりと汗で濡れ、路面のコンクリートに幾つもシミを作っている。

「そこの自販機で飲み物でも買ってくるよ。物化さんは水でいい?」

 反対の道脇にある自販機を指さしてそう尋ねるが、返事は無い。

 僕自身かなり喉が渇いていたこともあり、返事を待たずに道を渡って自販機でペットボトル入りの水を二本買った。

 戻ってそのうちの一本を渡そうとすると、物化は逆に硬貨を二枚差し出した。

「100円だったから、これだけでいいよ」

 そのうち百円玉を受け取り、五十円玉をペットボトルと共に手渡す。物化はこちらを見ずにそれを受け取るが、余程疲れているのか、すぐには飲む気配が無い。

「そんなに疲れているんだったら、もう大学に戻った方が良いんじゃないか? まだ6月だからって、これだけ暑ければ熱中症にかからないとも限らないし」

「……断る」息を整えて物化が答える。

「だけど――」

「帰りたければ一人で帰れ」

 そう言って膝に手をついて立ち上がり、

「オカルトは、科学を愚弄ぐろうし人を騙す」

 顔を上げる。

「私はそれを許さない」

 その眼は真っ直ぐ、確かな決意が込められているように見える。

「それは…僕だって……――」

 詐欺行為が認められるわけはない。当たり前だ。誰だってそう思うだろう。

「私は認めない」

 なら、オカルトは? 認めないのはただ気に食わないから?

 確かに、物化ならそのくらいのことでキレたりするかもしれない――


 ――だろうか?


 本当に?

 根拠はあるのか?

 ――ある訳がない。そりゃそうだ。

 僕は、まだ全然、物化のことを分かっていないんだ。




「休憩は十分か?」

 戻ってきた間島さんに、僕は水を飲んでいる物化を見て「多分、大丈夫です」と言った。間島さんは「そうか」と答える。

「目標の地点までは五分もかからない。ここからは歩いて移動しても問題無いだろう」


 案内に従って住宅街を抜け、道路を一本渡って、やや奥まった地形の雑居ビル通りに出る。建物はどれも薄汚れており、半分以上は看板もかかっていない、廃墟に近い状態に見える。大学のあるこの地域は都市の中心部からはかなり距離があり、主要な居住区から少し外れただけでも人通りはぐっと少なくなるようだ。

「さて、調査についてだが――」

 間島さんが立ち止まり、雑居ビルの一つを指さす。一階には灰色のシャッターが下りていて、二階の窓から見える室内も薄暗く人気ひとけが無い。

「あそこがマグナの指示にあった連中の移転先だ。見ての通り既に誰もいない。先日の襲撃のニュースを受けて、さらに別の場所に移転したのだと考えられる」

「もう調査は済んだってことですか?」

「いや、今からあそこに侵入する」

 当たり前のようにそう言う。侵入――シンニュウって、新規参入の略とか、しぼりたての牛乳のことではないだろうが。

「そんなこと――って、物化さん?」

 目を離していた内に、物化は既に建物に向かっていた。

「……何なんだよ、もう、」

 そう誰に言うでもなく、僕は後を追った。



 近づいて見ると、一階のシャッターは白色塗料の剥がれたところから赤錆あかさびにじんでいて、もう数年は放置されていそうな状態だったが、二階の窓は割れたり汚れでくすんだりしておらずつい最近まで使われていたように見える。

 向かって正面右端の、横幅1メートル程度の階段を上がると、左手に金属製の扉がある。

 一番に上がった物化は扉のノブをガチャガチャと二、三回引く。かぎはノブの下のシリンダーじょうと、少し上に後付けされた大きな南京錠なんきんじょうで二重にかけられており、当然ながら簡単には開きそうもない。

「離れろ」

 間島さんが最後に階段を上がって来た。魔術で鍵を開けるのだろうか。

「破片が飛ぶ可能性がある」

 言って、左手をノブの上にかざす。

 物化は階段の手前で止まってその様子を見る。

 パチンと弾けるような音がして、光った。それから何かが落ちる音がした。

 ――あれ? 南京錠が無くなっている?

 次に間島さんは左手をおろし、右手を真っ直ぐ水平に伸ばす。

 直後――

「なんだ!?」

 にぶい轟音と衝撃が建物全体を震わせ、思わず顔の前に手をかざした。

 一瞬遅れて背中に強烈な風が吹き付ける。

 恐る恐る手を下ろすと、通路は先ほどよりも明るい。

 扉が、開いているようだ。

「もう大丈夫だ」

 間島さんがそう言うと、物化は真っ先に部屋へ入ろうとして、

「…これは………」

 立ち止まった。

 そういえば扉は引いて開くもののように見えたが、押しても開けられたのだろうか。

 と、そんなことを考えていた。だがそれは全くもって見当違いだった。

「これが……魔術………」

 思わずそう口にした。

 戸の構造なんて問題にはならない。非常識だ。

 鉄製の扉は、錠の位置から「く」の字に折れ、端や角を破壊的なまでに変形させて、蝶番ちょうつがいごと壁から外れて部屋の中央に横たわっていた。



「足元に気をつけろ」

 僕が部屋に入ろうとすると間島さんが言う。

 見ると、扉があった場所の前には、ツルの部分が融けて固まった南京錠の残骸ざんがいらしきものが落ちていた。融けた部分はまだ赤熱していて、その周りの床材が少し焦げている。

 物化は何も言わず融けた南京錠に目を凝らす。それから軽くあたりを見渡すが、もちろん近くに高出力のバーナーやアーク溶接機なんてものは無い。あったとしても、あんな一瞬で南京錠を融かすことなんて出来ないだろう。

「これも魔術ですか?」

「ああ。俺の魔術では、この左手のシルバーブレスレットは熱を意味する」

「その…手の左右や、発動するときの動作には何か意味があるんですか?」

「俺の無意識がどう動かされるか、それは俺自身にもわからない。しかし現状では、この装飾品とポーズの時に最も成功率が高い。俺の場合、動作は無くても発動は可能だが、位置と範囲の指定が困難になることがこれまでの経験上で判明している」

 そう答え、間島さんは部屋へ入った。それを見てすぐに物化も部屋に駆け入り、僕は最後に続いた。


 部屋に残っているのは事務用のデスクと椅子が6つ、大きな棚が2つ、あとは小規模オフィス用の印刷機だ。

 襲撃のニュースを見てから慌ててここを離れたのか、それらの配置は目茶苦茶で、床には延長コードや紙屑が散らばっている。何かを引きずり出したような跡も多く、床を覆っている樹脂製のパネルが一部()がれて、その下のザラザラとしたコンクリートが露出している。

 天井が低いせいで狭苦しい印象だが、広さは教室よりもやや狭い程度だろうか。

「推測通りだが、既に証拠となるものは持ち出されている可能性が高いな」

「証拠? それじゃあマグス・マグナは証拠も無しに襲撃して、その上でこんな不法侵入や器物破損を続けているんですか?」

「心配せずとも、君が今回の件で損害や不名誉を受けることは無い。たとえ何があろうと、マグナが全力で君の社会的地位を完全に守るだろう」

「そういうことを言っているんじゃない!」

「そうか……。それは、済まなかった」

 間島さんは少しだけ戸惑うようにして、頭を下げた。

 今まで見ている限り、この間島豊仁という人物は真面目で誠実だ。そして組織に対しての忠義心ちゅうぎしんに溢れている。マグス・マグナのことはさておいて、彼が信用するに足る人格であることは何となくだが分かる。

「霊感商法を行っていた証拠はある。被害者も確認している。しかしそれをただ訴えたところで、出来ることはせいぜい個人への賠償や商品の販売停止程度だ。警察頼みでは連中を根絶させることはできず、延々とイタチごっこをするだけだ」

「……そうですか」

 だから僕はそれ以上言わなかった。

 許されるか許されないかで言えば、許されないことだろう。だが、それは「証拠があるなら仕方がない」と思ってしまう僕も同じこと。

 法によって救われる人はいる。だがそれと同時に救われない人もいる。だから僕たちは常にその限界を見つめ、改善し続けなければならない。

 ――が、それで今までに救われなかった人たちの人生が取り戻せるわけではない。失われた命や時間は決して戻らない。お金だって戻るとは限らない。未然に防ぐことができるならば、それに越したことは絶対に無い。

 だから――ひとまずこの場において、僕の判断は「許す」だ。



 がしゃがしゃと音を立て、物化が乱暴にデスクの引き出しをあさる。それから今度は棚の引き出しを、手当たり次第に片っ端から開けていく。

 僕は間島さんと共に室内を見て回る。物化が荒らすのをやめさせないところを見ると、元々同じようなことをするつもりでいたのだろう。

 しかし棚やデスクにはいくつか引き出しごと持ち去られた形跡があり、残されたところには白紙のコピー用紙や使われていない筆記用具があるだけだった。

 やはり、ここまでやって悪事の証拠は何も掴むことができないのだろうか。

 ――いや、待てよ。コピー用紙といえば――、

「その――、」僕は二人の注意を引いて指をさす。

「そこにある印刷機に、印刷の履歴のようなものは残っていないんですか?」

 言うと、間島さんは驚き、同じように物化も「それだ!」という表情になる。

「なるほど、確かにあの手の印刷機やコピー機ならば、内部には何らかの履歴が記録されている可能性は高いだろう」

「あー、でも、流石にそのくらいは消していくかもしれませんけど」

「そうだとしても、マグナに持ち帰ればデータを復元することもできるかもしれない」

 データ復元って……まあ、今時警察でもそのくらいのことはするか。

「協力感謝する。早速、マグナに連絡を取って――」

 そう言い、間島さんが携帯電話を取り出そうとしたところで、



「オイ」


 呼び止める声がした。

 低くしゃがれた、大人の男の声。入口の方からだ。

「君たち、ここで何をしている?」

 男が戸のふちに手をかけて、室内を覗き込むように見ている。歳は見た感じ三、四十歳といったところだろうか。背は僕と同じくらいでやや大柄な体格。グレーのシャツに黒のズボンで、髪は短く、目は細い。

「ええっと、僕たちはここにあった事務所に用があって伺ったのですが……」

 僕は進み出て、そう嘘を吐いた。流石に「証拠品を漁りに侵入した」とは言えないだろう。会話が聞かれていなかったのなら幸運だけど。

「ひょっとして、ここの関係者ですか?」僕は念のために尋ねる。

「いいや違うよ。ただの通りすがりだけど」男は即答した。

 もしやこのプリンターを回収しに来たのかとも思ったが、白昼堂々とそれは無いか。

 となれば、音を聞いて駆け付けた付近の住人だろうか。

「近所の方でしたら、ここにあった事務所がどうなったか、何か知りませんか?」

「知らないよそんなの。またすぐに移転しちゃったみたいだからね」

 男はそう言ってそっぽを向いた。どうやら真面目に質問に答えてくれそうではない。

「とにかくさ、勝手に入っちゃあ駄目じゃないか。君たち高校生でしょう? 学校抜け出してこんなところに来てるんじゃないの? 早く帰りなよ。ほら、今なら学校には言わないでおいてあげるから」

「こんな奥まった道に、車で、一人で通りすがりか?」

「……なんだって?」

 間島さんが窓のから下の様子を眺めながら尋ねる。窓に近づいて見ると、この建物の前の歩道脇に、ここに入る時には無かった白のワンボックスカーがランプを点滅させて停車している。

「助手席には誰もいないようだが、見張りは既に車外に出ているのか?」

「な……何を言って……――」

「一人だけか。それならば都合が良い」

 そう言うと、間島さんは左手を窓の方へ向ける。

 バン! と外で爆発音がしたかと思えば、車はボンネットから小さく煙を上げていた。ランプの点滅も切れている。

「業者がいなくなったのは昨日から今日のうちだ。それにもかかわらず、お前はこの事業所が『休業』なのではなく『移転』だと、ここへ来る前からあらかじめ知っていた。そして、用を済ませればすぐにここを去るつもりでいたから、車は緊急停車のままにしていた」

「な…………なな……何が言いたい?」

「これからお前を、幸福プライムの関係者として組織に引き渡す」

「そ……組織ぃ!?」

 男が一歩後退し、間島さんは前進する。

「車はエンジン部を大破させた。既に組織に緊急連絡が入っている。大怪我をしたくなければ、無駄な抵抗はやめてここで大人しくしていろ」

「こっ……このガキが――!」

 男は激昂げきこうし拳を作る。それに対し間島さんは表情を変えずに、右手を前に――

 出そうとしたところへ――


「貴様かあぁぁ!!」


 左横から物化が雄叫おたけびを上げて男に突進する。

「物化さん!」

「貴様が! これまで何をしてきたか言え!」

 両手で男の胸ぐらをつかみ、力いっぱいに引いて揺さぶる。

「はぁ!? いきなり何言って――」

「いいから吐け! 二年前に、貴様が何をしたか!!」

「やめろ…離せっ……この女っ!」

 男は腕を持ってそれを乱暴に振り払う。物化は投げ飛ばされ、体側を床に叩きつけるが、すぐに立ち上がり再び男の方へ。

 それは全くの無謀だ。僕は咄嗟に駆け付け、立ち上がった物化の腕をつかむ。

「離せ! 私はコイツを……コイツを許しておけない!」

「無茶だ! 駄目だって!」

「うるさい! いいから離――」

「あ――、」

 止まろうとしない物化を後ろに引くと、軽い身体はいとも簡単に引っ張られ、勢いよく尻もちをついた。

 僕は振り返り、ますます激怒しているであろう物化を見て、

「ごめん、物化さ――」

 当惑する。

 物化は、歯を食いしばり、眉をハの字に寄せ、

 泣きそうな目でこちらを見る。

 分からない。どうしてなんだ! なぜ――?


「動くな」


 耳の後ろからの声に、僕はそのまま硬直する。

 顎の下にひやりと冷たい気配を感じる。

 動けず、息が詰まる。

 この、身をすくみあがらせる感覚は――

「離れろ!」

 間島さんが手を上げようとするが、

「動くなっつってんだろ!」

 男がそれを制止する。

 僕の首に鋭利な金属が――ナイフの刃が当てられている。

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