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フレンドシップス・サイエンスガール  作者: 吉野ムラ
第1章 神秘の定理
2/32

①編入騒ぎ

 オカルトとは、人知の及ばない不可思議である。

 人の目には見えない、計り知れない未知である。

 では、海の底はオカルトなのだろうか。

 氷河の下は、星の内側は、宇宙の彼方は、

 それらを目にした者はいない。

 しかしそれらはオカルトではない。

 そこには人の作り出した

 「科学」という名の秩序がある。

 ならば、秩序があればオカルトではないのか。

 何故オカルトは、不可思議なのだろうか。

 既知であるとは、秩序とは、

 人の知るもの、人知とは何だろうか。




「あー、今日からこの学校に通うことになった、一年生の平良和義たいら かずよしです」


 新緑しんりょくまぶしい五月。

 小さくざわつく体育館のステージ上で、僕は挨拶あいさつをした。人前で話すことが苦手なわけではないが、これ程の人数を前にした経験は多くない。

 ほんの短い挨拶を終え、礼をして横にはける。会場には疎らな拍手が起こるが、司会は気にせずそのまま先を進めた。ステージには生徒指導の男性教員が上がる。


「ご苦労様」

 脇の階段を降りたところで真白ましろ先生、従姉の澄奈央すなおさんが言った。

「さすがに緊張しましたよ」僕はその隣に並ぶ。

 僕が全校生徒を前に挨拶をすることになったのは、たまたま月一回の全校朝会と編入の日にちが同じだったことと、学院長の希望があったためである。

 そして学院長というのは隣にいる澄奈央さんの父親、僕の伯父にあたる人物である。

「どうして伯父おじさんは、わざわざ僕にステージに上がらせたんですかね」

「度胸がつくからじゃない? ほら、和くんって胸板薄いし」

「度胸と体格は関係があるんですか?」

 だとしたら尚更、観衆かんしゅうの前に出る必要なんて無いだろう。目線が怖いなら筋力トレーニングをして体格を良くすればいい、ということになる。

 ――いや、それはそれで正しいような気もする。

「そういえば澄奈央さんは度胸がありますよね」

「え? そうでもないと思うけど、どうして?」

「いえ、なんとなく」

 自覚は無いようだが、やはり度胸と胸囲バストは関係があるかもしれない。

 まあ、しかし澄奈央さんは度胸があるというより怖いもの知らずなのだ。

 小学校から高校までは一貫校で優等生を貫き、大学はお嬢様ぞろいの女子大に規律きりつの厳しい女子寮から通い、常に良き学友がくゆうに恵まれていたそうだ。

 そして大学を卒業したら親のコネで私立高校の国語教師に就く。

 コネと言うのは澄奈央さんや伯父さんは否定しているが、そうであっても他の職員から学院長の一人娘が他と同じように見られていたというのは考えにくい。

 挫折知らずでけがれ知らずの、驚異の箱入り娘。

 それが、僕が知りうる澄奈央さんという女性だ。

「あと、学校で『和くん』は止めてください」

「いけない。そうだったわね、和義くん」

 家にいる時と変わらないように見えるが、やはり外ではしっかりしている。先生としての自覚は十分にあるようだ。と、いうのは少々上から目線だろうか。



 集会を終え教室に着くと、僕は熱烈ねつれつ歓迎かんげいを受けた。

 何人もの生徒に席まで案内され、着けばすぐさま生徒に囲まれる。

 それから授業が始まるまで、授業が始まってからは休み時間ごとに、クラスメイトが代わる代わる現れ質問攻めに遭った。

「出身は?」「血液型は?」「特技は?」「好きなタイプは?」「好きなペットは?」

 集会で既に言ったようなことから「知ってどうするんだろう」と思える事まで、午前中の4時限が終了するまで、僕はただ質問に正直に答え続けた。

「ごめん。少しトイレに行ってくるよ」

 質問地獄が昼休みになってもまだ続きそうだったので、僕はトイレの案内を断って、わざわざ教室か離れたトイレまで駆け足で逃げた。

 向かったのは東校舎一階。職員室があるフロアだ。ここにあるのは教員及び来賓向けトイレのみだが、僕は特にトイレに急いでいたわけでもない。


「あら、どうしたの? こんなところで、」

 正面から歩いてきたのは澄奈央さんだ。授業が終わって、上の階から職員室に帰って来たところなのだろう。澄奈央さんはもう一人の国語教員と共に、一年生に古典と現代文を教えている。

「なんというか、休み時間を貰いに来ました」

「……? どうぞごゆっくり?」

 そう言って、澄奈央さんは職員室に入ろうとする。僕は反対に二階のトイレに向かおうとするが、


「おーい!」


 背後、渡り廊下の方の入り口から女の子の声がした。

 振り返ると一人の女子生徒が見えた。背は低く、髪を肩まで伸ばしている。

「探したぞ。ここにいたのか」

 女子生徒はこちらに向かってきた。やれやれ、また質問タイムなのか。

「悪いけど、今は少し」

「聞け、澄奈央。私が良いことを教えてやろう」

 お断りしようとしたが、女子生徒は僕には目もくれずに澄奈央さんに話し始めた。

 目的は僕ではないのか。少々自意識が過剰だったかもしれない。

 いや、それはどうでもいい。それよりも、澄奈央さんを面と向かって呼び捨てにするのは一体どういう了見なんだ。

「テコの原理と言うものがあるだろう。あれはな――」

「ちょっとそこの、」

 僕は女子生徒を呼び止めた。

「先生に向かって、呼び捨てにするのは良くないんじゃないのか?」

「…………」

 話をさえぎられて、女子生徒は無言でこちらを睨んだ。茶色く大きい意志の強そうな瞳がぎろりとのぞく。

「まあまあ二人とも、ケンカは駄目よ」

「いえ、僕はそんなつもりでは……」

 見ると、女子生徒の方は目を逸らした。コイツ……。

物化ものかちゃんも、他の人の前では呼び捨てにしないって言ったでしょう」

「――うぅ……」

 澄奈央さんに言われると女子生徒、物化は少しうなってうつむいた。どうやら本人に言われるのにはこたえるのか。

「そんなことより、だ。今日は授業で――」

 そうかと思えば、物化は僕をまるで無視して澄奈央さんと話し始めた。

 ひょっとすると、この女の子が澄奈央さんの言っていた「最近仲良くなった子」なのだろうか。

 だとしたら、ここは一つ、こちらから歩み寄っておいた方が好印象か。

「えっと、物化さん? 澄奈央さんとは仲が良いんだね」

 友達感覚であるなら、「真白先生」と呼ぶより「澄奈央さん」の方が適切だろう。

 僕は出来るだけフレンドリーに、気を悪くしないように話しかけたつもりだった。が、物化は澄奈央さんをかばうように僕の前に立ち、そしてまた睨んできた。

「何だ、貴様は」

 貴様って……丁寧に言っているのだとしたら随分と古風な女の子なのか。

「僕は平良和義。今日からここに通う編入生で――」

「それは集会の時に聞いた。わざわざ繰り返すな。貴様はくちばしの曲がった愛玩鳥あいがんちょうか」

 まあ古風なわけが無いな。丁寧なはずも無いし。

 期待はしていなかったけどね。こっちは丁寧に答えようとしたってのに。

「あいにく私は貴様に興味が無い」

「ま…まあそう言わずにさ。僕はまだ学校の事とか、この街の事とかをよく知らないんだ」

「案内役なら他を当たれ」

「別に案内が要るってわけじゃない。だけど、ほら、ここで会ったのも何かのえんだろう」


「『何か』とは何だ?」


「えっ……?」

 返す言葉が咄嗟には出なかった。「何か」が何って――。

「それは――つまり、この縁が将来何らかの結果に繋がるだろうってことで……」

「ならば『縁』とは何だ?」

 続けて問われる。僕は何とか言葉をつなげようと、思いついた言葉を言う。

「そうだな――…縁というのは人と人の巡り合せ――間接的な繋がりのことだよ。目には見えない糸のようなものだな。男女の縁を、運命の糸と表現するだろう?」

「見えない糸か」

 外国人でもいない限り、あまりこんなことを説明する機会は無いだろう。しかし咄嗟とっさの思いつきにしては上手く説明したつもりだったが、分かってもらえただろうか。

「……ふん」

 あ。鼻で笑いやがった。

「何が見えない糸だ。馬鹿馬鹿しい」

 それどころか罵倒された。

「それはピアノ線か? グラスファイバーか? 蜘蛛くもの糸か? 何にしても、私はそんなものを誰かと渡しあった覚えはない。興味が無いと言ったろう。ナンパなら他を当たれ!」

 な……なんなんだ、この女は……。

「ケンカは駄目ったら」

 澄奈央さんが物化の横に立って止めに入るが、

「澄奈央は黙っていろ」

 今度はいう事を聞かない。

 それを見て僕もさすがに苛立いらだちを覚える。澄奈央さんが怒らないのを良いことにコイツが好き放題しているのを、これ以上許すべきではない。

「おい、呼び捨てにしたり命令したり、澄奈央さんに失礼なんじゃないのか」

「それだ! それはこっちの台詞だと言っているんだ!」

「僕は君と違って、澄奈央さんの失礼にあたるようなことはしない」

「そんなことはどうでもいい!」


 思わず「は?」と言いたくなった。

 いいや、だが落ち着け。どうにも噛みあっていない。このままではいけない。コイツは何が言いたいのか分からない。

「何か、僕の言ったことに問題があるのか?」

「貴様は、澄奈央の何なんだ?」

「は?」思わず言ってしまった。

「だから、なぜ編入も間もない筈の貴様が、担任でもない教員を名前で呼ぶんだ!」

 …………なんだ、そんなことか。

 確かに、よく考えれば不思議なことかもしれないが、そこまで気にする内容だろうか。

「ああ、それなら、僕は澄奈央さんとは親戚同士なんだ」

「はぁ?」

 僕が答えると、物化は目を丸くして澄奈央さんの顔を見上げた。

従姉弟いとこ同士なの。和義くんは今、私の家で一緒に暮らしているのよ」


「な……なにぃぃぃー!!」


 他の階まで響きそうな声で物化は叫んだ。職員室にいる先生達も驚いていることだろう。

「って、うわっ」

「それは本当なのか!」

 物化は僕の胸ぐらをつかんできた。手が小さいのかそれほど苦しくは無いが、

「や…やめろよ、ネクタイがよれるだろう」

「答えろ!」

 だが澄奈央さんの前では誤魔化ごまかすのも難しい。

「本当だよ。でも家には伯父さんも伯母おばさんもいるし、僕はただの居候で、」

「本当に一緒に暮らしているのか! このナンパ男が!」

 正直に答えたのに、掴む手が一本から二本に増えた。さすがにちょっと苦しい。というかナンパはそっちが勝手に言い出したことだろうが。

「この野郎、澄奈央が少々抜けているのを良いことに、澄奈央の部屋に忍び込んだり、風呂を覗いたり下着を持ち出したりしているのだろう!」

「するか! 好き勝手言うのもいい加減に――」

 僕は物化の手首を持って剥がそうとする。

 その時、


「あ! いたいた! こっちこっちー!」

 渡り廊下で誰かが叫んだ。


 

 何だろうと思って見てみると、

「どこどこ?」「そこだって!」「あーホントだ!」

 何人…いや何十人もの生徒が、狭い廊下を押し寄せるように迫ってきた。

 人の群れはみるみる廊下を埋め、僕たちは包囲される。

 嫌な予感がする。とりあえず、呆気にとられている物化の手を離させる。


「ねえ、あなたが平良和義くん?」

 そのうちの一人が尋ねてきた。

「そうですけど、あの、なにか御用ごようが――」

 言いかけたところで、

「ねえ、私が校舎を案内してあげようか?」

 今度は後ろから声をかけられた。

「いや、それならクラスの人に」

「じゃあ一緒に昼食にしない? 良い場所があるんだけど」

 今度は後ろから手を取られた。

「はい?」

購買こうばいだったら、ここからの最短ルートがあるよ。一緒にどう?」

 次は反対の手。

「いや、あの、」

「テラスに行かない? あそこの自販機じはんきの品ぞろえが一番よ」

「天気が良いから少し校舎周りを散歩なんてどう?」

「今の時期は中庭の花がきれいなのよ」

「だから、その……」

 澄奈央さん達は、どうやら輪の外に逃れたようだ。いや、弾き出されたのかもしれない。

 というか誰なんだこの人たちは? 一体どうなっているんだ?

 まさか、もう僕の身元が知られてしまったのだろうか?




 ほどなくして僕は解放された。

 というのも、あの場所が職員室のすぐ前だったからである。

 あの後すぐに数人の先生が現れ、編入生にあまり迷惑をかけないよう、職員室前で騒がしくしないようにと生徒達を注意した。

 解散してから僕は改めてトイレに逃げ込み、時間をおいてばれないように外に出た。伯母さんに弁当を持たされていたが教室に帰るわけにもいかず、途中に購買でパンを買って、今は人気ひとけの少ない南校舎三階に来ている。

 何か座れるものはあるだろうか。無いならそれでもいいんだけど。


「あれ?」

 掃除道具入れの裏に何か――、あれは、パイプ椅子いすだ。

 どうしてこんな所に椅子があるのか分からないが、これで立ち食いせずに済みそうだ。

 僕はパイプ椅子を開いて立てる。

 背もたれのクッションは剥がれ、座る方のクッションもすっかり弾力を失っているというオンボロぶりだが、とにかく僕はそこに座ってパンの袋を開けた。

 しかし、もうあんなに広まっていたのか。情報化社会とは恐ろしい。

 一応、クラスの人達にはあまり広めないように言ったはずだが、人に口に戸はたてられないということか。そういやさっき携帯電話のカメラを向けていた人もいたな。顔写真データを拡散させるのは勘弁して欲しいなあ。皆のマナーと良心に祈るしかない。

 それにしてもこの場所、本当に人が来ないんだな。偶然にしては良い選択だった。これからも使う機会があるかもしれないし、覚えておこう。


「おい」

「はい?」

 パンを食べ終わって、自販機で買ったピクニックを飲んでいたところで、また声をかけられた。今度は男の声だ。

 見ると、あまり素行の良くなさそうな生徒が三人、こちらに近づいてきた。

「何かご用ですか?」

「そこは俺の特等席だ。退いてもらおうか」

 三人のうちの一人、髪を立てた長身の男が言った。

 はて、特等席とは、まさかこのパイプ椅子ではないだろうな。

「ここにあったのはこの古くて壊れたガラクタのようなパイプ椅子だけですよ。こんな椅子に座るくらいなら、教室の椅子の方がはるかにマシです」

「てめえ!」

 長身男が息巻いて言った。何か怒らせるようなことを言っただろうか。

 後ろにいる髪を五分刈りにした男も何か喋ったようだが、滑舌かつぜつが悪くて聞き取れなかった。あともう一人の前髪が長い男は携帯電話を見ている。

「あなた方のお目当てのものはここには初めからありませんでしたよ。僕が運び出したわけじゃありません。ですから、」

「舐めてんのかてめえ!」

 どうしよう。すごまれてしまった。

「リョースケ待て!」

「あぁん?」

 前髪男が長身男を制止した。しつけがなっているようでよろしい。

「コイツ、話題になってた転校生だぞ。なんでも、超有名人の孫だっていう――」

「超有名人の? この冴えねえ顔した奴がか?」

 冴えていなくて申し訳ないね。って、そうじゃなくて、

 やはり既に情報が出回っているのか……。

平良政義たいらまさよし? 何の番組に出てる奴だ?」

「芸能人じゃなくてリョースケ、政治家だぞ。知らねえのか?」

「知らん」

 まあそういう人もいるか。

「結構前に総理大臣に選ばれるかもしれないって言われてたらしい。あと、今はその息子も政治家やってるみたいだな」

 前髪男が二人に携帯電話の画面を見せている。後ろの五分刈り男も驚いているようで何か言っていたが、滑舌が悪くて聞き取れなかった。

「でもまあ、一年のくせに生意気な理由が分かったぜ。要するに、いいとこ育ちのお坊ちゃんってわけだな」

「お坊ちゃんだから生意気というのは論理が破綻はたんしている気がしますけど……」

「るっせぇんだよ一年ボーズ!」

 丁寧に接したつもりだし、生意気だと言われても心当たりは無いのだが。

「いいか? 学校には学校のルールってもんがあるんだ」

「校則なら知っていますよ」

「ちげぇよ。ルールはルールだ」

 ふむ、横文字にこだわりがあるのだろうか。マイウェイを守りたいお年頃なのか? 違うか、マイウェイをプロテクトしたいエイジか。

「とにかくてめえはもうここには近寄るんじゃねえ。分かったか?」

「困りますよ。折角せっかく見つけたのに」

「グダグダ言ってんじゃねえ!」

 長身男が壁を蹴った。

 うわ、どうやら完全に怒らせてしまったようだ。

「いっぺん痛い目見ないと分からねえようだな……」

 これは…まさかの戦闘ムード。立ち上がらなきゃいけない空気だ。

 とほほ、穏便に済ませるはずだったのに。

「3対1で勝てると思ってんのか?」

「分かりませんが、できれば怪我はしたくないので、」

「コイツ、良い度胸だな」

 そう前髪男が言った。

「オーゥオゥヤンノカ? アァ?」

 滑舌男がそんなようなことを言っている。

「なら遠慮なく行くぜ!」

 長身男を先頭に三人が迫ってきた。さて僕の護身術でどこまで対応できるものか。


 そう思うや否や、男たちは順に宙を舞った。

 一人は腕を掴まれて投げられ、一人は胸を押されて突き飛ばされ、もう一人は何もしないままただ後ろに弾き飛んだ。


「え?」


 男たちはそれぞれ三方に飛び、壁や床に体をぶつけていた。

 やったのは僕じゃない。その中心にいる人物だ。

「大丈夫だったか? 転校生」

 その男子生徒は言う。

「あ――うん、助かったよ」

「そっか。助かったか。良かった良かった」

 僕より背は低く華奢きゃしゃな体つきで、顔つきもどちらかというと幼い。

「君こそ怪我はしなかったのかい?」

「大丈夫だ。まあとにかくここからは離れようぜ。先生に見つかっても面倒だ」

 そう言って、男子生徒が階段に向かうので、僕も昼食のゴミを拾って彼について行った。

 


 気づけばもう昼休みも残り少なく、教室外を出歩く生徒も少なくなっていた。

 男子生徒と僕もまっすぐ北校舎一階にある教室に向かう。


「俺の名前は伊能才氣いのう さいき。才氣って呼んでくれ。クラスはお前と一緒の1年3組だ」

 見覚えがあるとは思ったが、同じクラスだったか。

「北舎三階は、あの三年生がいつもたむろっているところなんだ。転校生も覚えておいた方がいいぜ」

「僕も和義でいいよ。ところで、」

 それよりも、彼には気になることある。

「才氣は華奢きゃしゃに見えるのに、随分とケンカが強いんだな」

 強いというか、あれはそんな次元ではないような気がしたが。

「あ――ああ、その……俺、少林寺しょうりんじ習ってたからさぁ」

 才氣は目を逸らして言う。怪しい…。何か後ろめたいことがあるのだろうか。

「僕は少林寺拳法には詳しくないんだけど、それは自分より大きな男を片手で軽々(かるがる)投げ飛ばすことができるものなのか?」

「おうよ! じゅうよくごうせいすってやつだ」

 多分違うと思う。そもそもそれを言うなら柔道だろう。

「少林寺なら、片手で軽く押しただけで男を宙返りさせることができるのか?」

「相手の力を使っているからな。それが少林寺のゴクイだぜ」

「じゃあ、背後から迫ってくる相手を全く触れずに突き飛ばすこともできるのか?」

 仮に可能だとしても、それはもう拳法でもなんでもないような気もするが。

「それは……その…………」

 才氣は顔に汗をかいて返答に詰まっている。確実に何かを隠している。

「でもまあ、」僕は助け舟を出すつもりで言った。親切なクラスメイトにいきなり意地悪く接する気はない。

「別に無理に話せとは言わないよ。君と僕とはさっき出会ったばかりで、ただのクラスメイトなんだから、」

「いや待て! …分かった」

 何が分かったんだ? キックボクシングとムエタイの違いとかか。

 才氣は真剣そうな顔をして僕の前に立った。そして言った。


「俺、実は超能力者・・・・だったんだ」


「……は?」

 彼は自信たっぷりに言うが、僕には分からなかった。それはもうまるっきり。オイカワとカワムツの稚魚の違いくらい分からなかった。

「って言っても、なったのはつい最近な。お前が引っ越してくる、つい一週間くらい前だ。だから俺がこの学校に来たことと、超能力者だったことは関係ないぜ」

 彼は何を言っているのだろう。川魚の話でないだろうが、一週間前だの何だの、そんなことは、そもそも比較にならないほど些末さまつなことではないだろうか。

 なんだ。つまり、男たちを弾き飛ばせたのは、その要因なのは、

「……超能力・・・?」

「そうだ。超能力だ」

 ああ、えっと、そろそろ教室に戻らないとな。

 動揺した僕の脳は、しかし冷静に思考の放棄ほうきを選んでいた。

5/16 一部加筆および修正

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