②過信
午前の授業を終え、昼休みとなる。
希未が悪評を流さなくなってから僕に対する警戒は徐々に弱まってきていた。相変わらず休み時間には僕の席の周りは誰も居なくなるが、最近ではクラスメイトの半分くらいが教室に残っている。……これでも大きな進歩だ。
この分だと二学期になるころには僕もクラスメイトと打ち解けて、普通にイベントに参加したり、普通の友達が出来たりするのも時間の問題かもしれない。
「君が平良和義……だな」
「はい?」
声と共に視界に登場した男子生徒は才氣ではない。
背は恐らく僕よりも高く、声は低い。
それにネクタイの色が違う。緑色は二年生だったはずだ。一年生は赤色、三年生は紺色で、女子のリボンの基調色も同じようになっている。
しかしそれよりも目を引いたのは、その男子生徒が身に着けている装飾品だ。
右手首に黒い大玉の数珠、左には太い銀のキャタピラのようなブレスレット、首から鎖で下げているのは複雑に幾何学的な肉抜きがされた金属の円盤――ファンタジー作品に登場する魔法円や魔法陣といったものだろうか。
「……ええっと……どなたでしょうか?」
突飛な格好に困惑しながら、なんとかそれだけ口に出す。
「俺は間島……間島豊仁だ」
切れ長の目が長い前髪から覗く。
「間島さん…? 二年生ですよね? 僕に何か――」
「単刀直入に言おう。俺は、君と盟友の契りを結ぶために来た」
「……え?」
どこが単刀直入なのだろう。それはつまり、僕の平穏な学校生活を刃物でブスリと一撃に仕留めてやろうと言うことなのか。
「返事を聞かせてもらおう。平良和義よ」
ああ、なんだかまた教室が寂しくなってきたような……。
「あの――、」
目の前で仁王立ちする間島さんに向かって尋ねる。
「具体的に、僕は何をすればいいんですか?」
「明日は、一・二年生合同での大学見学が行われる」
「はあ、そうですね」
なぜこの人はこうももったいぶった話し方をするのだろう。
明日は普段通りの授業は行われず、一年生と二年生は朝からバスで付近の都市にある国立総合大学に行く。午前は学年ごとに大講義室で話を聞き、昼食を学食でとり、午後は個別であらかじめ希望していた学部や研究室等の紹介をしてもらう。そしてそれが終わればあとは帰りの時間まで自由見学となっている。
「明日は午後の個別見学が終わり次第、俺と合流してほしい」
「どうしてですか?」
「話がしたい。それから、案内したい場所がある」
案内したい場所が、大学内にあるということか?
「……それで、あなたは一体――」
言いかけたところで、
「やい! 誰だてめーは!」
購買から教室に戻ってきた才氣が間島さんを指さす。
「そこの痛い格好のお前だよ。誰の許可を得て俺の席に着いてるんだ?」
才氣はズボンのポケットに手を突っ込んで間島さんに迫った。ちなみに僕の前の席は才氣ではなくクラスの女子生徒のものである。
「部外者に名乗る義理はない。失せろ」
対する間島さんは動じずに睨み返す。
「はぁ~? そーゆーのは、ふつう中学までで卒業するもんだぜ」
「表の人間に理解を求める気は無い。だがしかし、盟約の邪魔をするのであれば、事と次第によっては血を見ることになるぞ」
「痛い目に遭わせるってか? 面白え。表に出ろよ。この俺にケンカを売ったことを後悔させてやる」
そう言って才氣は机にパンと紙パックを置いて外に向かう。
「君も来るんだ。平良和義」
どうしていちいちフルネームで――って、僕も行かなきゃいけないのか。
「はあ……」
断る理由も思いつけず、僕は二人の後を追って教室を出た。
向かった先は体育館の西側、体育館裏だ。
裏と言っても他と同様にアスファルトが敷かれているが、金網のフェンスを挟んですぐ隣に雑木林があるため他よりも土で汚れている。
「一応自己紹介をしておいてやるよ」
才氣は屈んで何かを拾い、また立ち上がって振り返る。
「俺は『シード』の伊能才氣だ。お前は、俺と同じコンペの参加者なんだろ?」
「『シード』……なるほど。ならば、お前が超能力者か……」
間島さんは顎に手を当てて、見下すように構える。
「いつまでそうしてカッコつけてられるかなっ!」
「才氣!」
才氣が手にした小石を間島さん目がけて投げた。
「――っと」
そして、顔に当たる数十センチほど手前の空中で制止させてみせる。
石の大きさは5センチほどで、駐車場の砕石のように角張っているものだ。
「お前がどんな技を使うのかは知らないが、俺の超能力は人間一人くらいならどうにでもできる。降参するなら今のうちだぜ? まだ俺にケンカを売る気なら、俺はお前を屋上の高さまで持ち上げて、泣いて謝るまで下ろしてやらねえ」
才氣が「さあどうする」と言い、手を下ろすと石はその場でぽとりと落ちる。間島さんはそれを目で追い、それから片膝をつけて拾い上げる。
「体詠唱による出力制御――いや、補助具も無しにこの精度で行えるとなれば、体詠唱の中でも特に高レベルの代謝詠唱によるものか。あるいは――」
何かを呟いているようだが、何を言っているのかは分からない。石に仕掛けがされていたとでも思っているのだろうか。
「さあどうすんだよ。裏の世界の住人さんはさぁ」
才氣の勝ち誇るように言うと、間島さんは立ち上がり、石を持った右手を真っ直ぐ横に伸ばした。
「なんだ? お前も石を投げるのか?」
「――そうだな」
そしてゆっくり、手首だけで、指先で投げるように石を真横に放った。
石が消えた。
がん! と鈍い金属音がした。
それからミシミシという軋むような音と共に、細い木がフェンスに寄りかかるように倒れる。
幹がフェンスに乗り出し、葉や枝がばらばらと落ちた。
……何が起きた?
僕は恐る恐るあたりを見る。あの石はどこにも落ちていない。そう遠くまで飛んで行ったとは思えない。
一体どこにいったのだろうと視線を上げ――、目を疑った。
「な…なんだ……これ……?」
木が倒れている場所のすぐ横。フェンスの金網に、突き破られたような穴が開いていた。
丈夫そうな鋼線が千切れて曲がって、穴の直径は15センチほどもある。
「魔術だ」
そう、間島さんが答えた。
「石に運動エネルギーを与えて打ち出した。俺の魔術では、この右手のブラックオニキスは『運動』を意味する」
石が? このフェンスも木も、さっきの小石でやったっていうのか!
「超能力者よ、」
間島さんが低くそう呼ぶ。才氣は体をびくりと震わした。
「お前が俺を屋上の高さまで持ち上げるならば、俺はお前を空間ごと50メートル上空まで打ち上げる」
「なに……?」
「その覚悟が無いのであれば、今回のところは見逃してやろう」
僕は倒れた木の方を見る。腰あたりの高さで幹が大きく削り取られて、そこから木全体が傾いている。
そして、そのすぐ奥にある太めの木の幹には、先ほどの小石が深々と突き刺さっていた。
「それから、これは忠告だ」
立ち尽くす才氣に、間島さんは見下した視線を向ける。
「知ってか知らずにかは追求しないが、能力を使っての脅迫、威圧の行為は規定違反にみなされる。非力な超能力者ごとき俺の敵ではないが、このことを他の組織に公表されたくないのであれば、今後、俺の任務を邪魔立てしないことだ」
言って、回れ右をして昇降口に向かう。それを才氣は追いかけない。
「待ってください! あなたは一体――」
「俺は、魔術師だ。魔術結社『マグス・マグナ』に所属している。これ以上のことは言えない」
「まっ――」
マグス・マグナだって! 魔術結社!?
僕は驚きを隠せない。だって、それじゃあ――
「昨日の襲撃事件は、あなたたちの仕業なんですか?」
「…………」間島さんは答えない。
「どうなんですか?」
「……無関係ではない。俺が今話せるのはそれだけだ」
そう言い残して間島さんは去って行った。
教室に戻ってからの才氣はずっと溜息を吐いたり、悔しそうに唸ったりしていた。
自分から仕掛けておいて降参したことが余程悔しかったのか、それとも弱みを握られたことを悔やんでいるのだろうか。
普段と比べて口数が異様なほどに少なくなり、放課後になるや否や、「先に帰るわ」と言ってそそくさに教室から出て行った。
追いかけるべきなのだろうか。いや、本人が一人になりたいと思っているのなら、今日のところはそっとしておいた方が良いのかも。
そう思い、普段よりも時間をかけて教科書を鞄にしまい終えたところで、
「あれは――?」
見ると、廊下を物化が駆け抜けていった。
まるで全力疾走だ。その様子は尋常でない。僕は鞄を持って物化の後を追った。
「待って!」
廊下を走って階段を段飛ばしに下り、下駄箱の前にいた物化の腕を取る。物化は既に下足を手に持っている。
「そんなに走ってどこに行くんだ」
「お前には関係ない」
物化がこちらを見ずに即答した。わずかに肩を上下させ、息を切らしている。
「何をそんなに焦っているんだ。今朝のニュースのことなら、物化さんが一人で手を出すような問題じゃないだろう」
腕を抜こうとするので、僕は握る力を強めた。
「関係ないと言っているだろう。離せ」
「違うのか?」
「合っていたらどうだと言うんだ」
「襲撃された場所に一人で行くなんて、万が一危ない目にあったらどうするんだ。オカルトが嫌いなのは分かるけど、もう警察が調べた後だろうし、僕たちにできることなんて何も――」
そう、言ったところで、物化はこちらを振り向いた。
目を剥き、怒りを露わにしている。
「いいから手を離せ」
精一杯の威嚇だ。それが僕に向けられている。
だけど――
「それなら、行って具体的に何をするつもりなのか話してくれ」
なんとなく、物化をこのまま行かせるわけにはいかないと思った。
「そんなものは――……後で考える」
「無計画なんじゃないか。駄目だそんなこと。物化さんらしくもない」
そう言うと、物化は急に抵抗をやめた。
やっと冷静になってくれたか。僕が手を離すと、物化の腕は重力に引かれるままに落ちた。細い手首に赤く手の跡が残っている。少々強く握り過ぎたかもしれない。
「……私らしい――?」
物化は体を少しだけこちらに向ける。
「そうだよ。自分の主張がはっきりしていて、それをちゃんと伝えることができて、用意周到で、誰が相手でもちゃんと対策を考えている。そんな頼りがいのある、心強いのが物化さんだろう」
全然、嘘は言っていない。出会ってそれほど長いわけではないが、僕は物化を本当に信用していた。
生地物化は強く確かだ。
「……何が……だ。馬鹿馬鹿しい…………」
「え?」
声が小さく聞き取れなかったので思わず聞き返した。
物化はキッとこちらを見て――、
「何が『私らしい』だ! 馬鹿馬鹿しい!」
キレた。
声は廊下中に響き渡り、下校しようとしていた生徒たちが足を止めた。
「勝手なことを言うな! 寝言なら寝て言え! お前に何が分かる!」
「な……何が……、何がって……――」
僕は当惑した。
どうして物化が、何にこんなにも怒っているんだ?
「何が『頼りがいがある』だ。何が『心強い』だ。お前は私を利用していい気になっていたのかもしれないが、私はこれまでお前を喜ばせるようなことをした覚えは一切無い!」
「利用? 利用なんて、僕はそんなふうに思っていない!」
「そんなことはどうでもいい」
「なっ――」
「協力する気が無いのなら私に構うな。邪魔をするな!」
――――、
――駄目だ。引き留められない。
こうなっては僕の言うことなんて聞きっこないんだ。
澄奈央さんに言われたら止めるだろうか。だが探している余裕はない。
今できる、何か物化の気を引くこと――
「分かった。協力するよ」
「……何?」
物化が興味を示した。よし、これでいい。
「明日、僕はその襲撃犯と会うことになっている。彼なら何か手がかりとなることを知っているかもしれない。こちらから動くのは、ひとまずその情報を得てからにしよう」
僕は微かな声の震えを殺しながら言った。
何故だろう。
息が震えるのは、――肺に穴でも開いたのだろうか。




