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フレンドシップス・サイエンスガール  作者: 吉野ムラ
第3章 変異の意志
13/32

②新人類

 放課後になり、帰る支度をしながら1年2組を訪ねようか迷っていると、廊下を歩いていく物化を見つけた。僕は急いでその後を追う。

「二組に行くのか?」

 呼び止めると、物化は不機嫌そうな顔で振り向いた。

「悪いか?」

「悪くはないけど……」

 どうやらいつも以上にケンカ腰だ。

「昼休みに、一体あの子に何を言われたんだ? 友達がいないとか?」

「そんなことはどうでもいい」

 物化はこちらに振り返り、腕を組んだ。

「奴が『意志さえあれば何でもできる』などと言ったから、私は反論しただけだ」

「……それだけ?」

 まあ確かに物化は、その手の精神論があまり好きではなさそうだが。

「人間が自由な意志を持てることは、特に否定することではないだろう。だがそれは物理現象には関係がない。あらゆる現象は突き詰めていけば、高いところから低いところへ、起こるべくして起こっているだけだ」

「けど、それは人の手が加わっていない場合だろう。エアコンは部屋の空気を暖めることも冷やすこともできるじゃないか」

「ふん、何を言うかと思えば。お前は高校生にもなってヒートポンプの原理も知らないのか」

 まるで高校生なら知っていて当たり前とでも言いたげだ。

「あれこそ、実に当たり前の現象しか起きていない」

「そうなのか?」

「そうだ。ヒートポンプの仕組みは、大雑把には『気体は圧縮すると熱くなり、膨張すると冷たくなる』という熱力学の基本法則と、『熱エネルギーは熱いものから冷たいものに伝わる』という熱伝導の基本だけで説明ができる」

 物化は少し機嫌を良くして語りだした。

冷媒れいばいと呼ばれる気体――少し前まではフロンを使っていたが――それを膨張させて外気よりも冷たくすれば、熱伝導により外気の熱エネルギーが冷媒に伝わり外気が冷たくなる。逆に、冷媒を圧縮し、外気よりも熱くすれば、熱エネルギーは冷媒中から外気に伝わっていき外気が熱くなる。結果として、火も氷も使わずに空気を温めたり冷やしたりすることができるというわけだ。当然、応用次第で空気以外のものを温めることもできるわけで――」

「ちょっと待ってくれ。ええっと……」

 丁寧に言ってくれているのは分かるが、こんなところで聞かされて「はい、わかった」と言えるような内容でもない。

 えっと? ヒートポンプっていうのはつまり、熱を汲み出すポンプなわけだから――

「要するに、その気体を使って熱だけを出し入れしているのか」

「そういうことだ。だからエアコンには室外機が必要になる」

 物化は満足そうに鼻を鳴らした。

 ……帰ったら復習しておこう。



 それから物化について1年2組の近くまで来る。

 バレないように見てみると、希未はまだ教室に残っているようだ。

「お前は奴に何か用事があるのか?」

「用――といえば用だな」

 彼女が犯人だとは考えにくいが、犯人でなくとも、僕の悪い噂を流している人物について何か手がかりが掴めるかもしれない。

「まあ良い。先を譲るからさっさと済ませろ」

「物化さんの方は長くなりそうなのか?」

「場合による。奴が何かに騙されているのでなければ、私は文句を言わない」

 あれ? ケンカを買いに行くわけではないのか。

 考えてみれば、物化は相変わらず超能力や預言を肯定しないが、才氣が正体を明かした後や、御言の過去を知ってからは、少なくとも敵対するような態度はとっていない。

 誰彼だれかれ構わず噛み付いているわけではないのだろう。

 ……まあ、僕は初対面でいきなり怒鳴られたけど、あれは僕が澄奈央さんの従弟だと知らなかったからだし……。

 少々頭に血が上りやすいところはあるが、澄奈央さんの言うとおり、悪い奴でないというのはこの一ヶ月でよく分かった。

「あの――、」

「うん?」

 背後からの声に振り返ると、そこに希未がいた。いつの間に気づかれていたのか。

「もしかして、私に何かご用でしょうか?」

「えっと、まあ、大したことではないんだけど、」

 僕は掲示板の書き込みについて、実際に見せて尋ねようとポケットに手をやった。

「実は――、」言いかけたところで、

「それでしたら、少し場所を変えましょう」

 希未は歩きだし、僕と物化の横を通り抜けた。




 希未を追って、北校舎三階の渡り廊下への出口付近に着く。

 三階の渡り廊下には屋根が無いため、雨の日にここから出て行く生徒はほとんどいない。よって雨天時には行き止まりとなっている。

「さて、」

 出口の扉の手前まで歩き、希未は振り返った。

「用というのは、あなたに関する噂についてですよね」

「えっ」意表を突かれて僕は驚いた。

「どうしてそれを?」

「違いましたか?」

「いや…違わないけど……」

 どういうことだ。考えが読まれているのか?

「ああ、テレパシーや予言ではありませんよ? あなたが携帯電話を取ろうとしたのを見て推測しただけです」

 いやそれより――、

「それにしても困りました。まさか同級生から情報を得ないような偏屈な生徒と、編入早々に仲良くなるなんて思いませんでしたから。真白先生をもっと早くからマークしておくべきでしたね。歳も離れていますし、長いこと会っていなかったようなのでそれほど注意することもないと思っていたのですが」

 ――この女子生徒は誰だ?

「井炭寺希未さん…………だよね?」

「はい?」

 大人しく引っ込み思案でどこか冴えない人物――では、まるでない。

「――そうですね。あの画像を持っているなら、こうすればわかりますか」

 言って、女子生徒はメガネをはずして髪を手で分けた。

 僕は思わず見とれてしまった。

 そこには、あの画像のままの美少女が立っていた。



 表情が、顔つきが違う。いや人格が?

 少なくとも「雰囲気が違う」なんて言葉では不適切だろう。そのくらいの変容ぶりだ。

「私は、そのままでは何かと注目を集めてしまうので、普段は目立たないように大人しい生徒を演じているんです。驚きましたか? それとも見とれているだけですか? まあ、どちらでも構いません。今回私は、あなたと取引をしたいと思っています」

「取引?」

「はい。その契約と言ったら良いでしょうか」

 希未は堂々と、はきはきと話す。背筋が伸びたせいか、昼に会った時よりもさらに背が高くなったように見える。

「あなたは私に質問があるのでしょう? 取引に応じてくれるのなら、私はあなたの質問について、お答えできる範囲で何でもお答えします。その代わりに私には、あなたの親しい人間だけが知っていることを教えてください」

「僕の個人情報なんて知ってどうするんだ?」

「個人情報というほどのことでなくて結構です。休日にどこかに立ち寄ったとか、そこで買い物をしたとか、その程度のことで構いません。私はそのことについての余計な詮索をしませんし、情報を悪用するつもりもありません」

 悪用されるような情報は渡さなければいい、ということか。

「それで、僕にはどんなメリットがあるんだ?」

「あなたは、この学校に来てから何かしらの組織の関係者に接近されている、その理由について知りたいと思っているのではないですか?」

「なっ……ど――」

 どうしてそれを? と尋ねようとしたところで、希未はすっと手を差し出した。

「……分かった」僕はその手を取る。

「はい。これで契約成立ですね」

 その小悪魔的な笑みのなんと魅力的なことだろう。僕は思わず目をそらした。



「えっと、それじゃあ――」

 気を取り直して、ひとまず質問すべきは今回の件だ。

「僕についての悪い噂をネット掲示板に書き込んだのは、井炭寺さんだよね?」

「はい」

 あっさり認めやがった!

「どうしてこんなことをしたんだ?」

「それは、あなたに友達を作らせないためです」

「はぁ?」思わず聞き返す。「僕に友達を作らせないため?」

「はい。もっと言うと『余計に』作らせないためですね」

 希未に悪びれる様子は無い。かといって僕をからかう様子でもなく、淡々と質問に答えている。

「何のためにそんなことを?」

「それは、私があなたとあまり仲良くしたくないからです」

「……僕に嫌われるために悪い噂を流したのか?」

「いいえ。当初は正体を明かすつもりがありませんでした。接触も避けてきましたし」

「ならどうして?」

「それは、伊能いのうさんや神代じんだいさんが、あなたに接近したことと同じ理由です」

「え?」

 才氣や御言が僕に近づいた理由――というのは、

「つまり、組織の意向で僕と交友を深めること……?」

「はい。あなたの一番の友達になることです」


 どういうことだ? 一番の友達に――?

「なら、井炭寺さんはどうして――」

「ですが、私が犯人だと勘付かれてしまったのなら仕方ありません。一番の友達になるのは諦めます。ただしそれを組織に言うわけにはいきませんので、あなたには、私が組織に逆らっていることがバレないように協力してほしいのです」

「そんなに簡単に諦めても良いことなのか?」

「いいえ。ですが、一度嫌われてしまうと仲良くしづらいでしょう。それも、仲良くしたくもない人と。組織に逆らうつもりはありませんが、誠心誠意を尽くすつもりもありません。利害関係以上のものは望んでいませんから」

「はあ……」

 話が見えない……。

 聞いた情報から整理すれば、希未が悪い噂を広め、僕を生徒たちの間から孤立させたのは、つまりその「一番の友達」になるための競争相手を減らすため。

 それから、希未の言うことが正しいとすれば、才氣や御言が僕に近づいた目的は「僕の一番の友達になること」で、それを指示したのは彼らの所属する組織、シードやCFだということになる。

「どうしてそんなことが指示されているんだ?」

 才氣は「分からない」、御言の場合は「組織の将来のため」だということだったが。

「私の所属する組織では、資金のために、あるコンペのようなもの参加しているのだと聞いています」

 つまり、僕はいつの間にその争奪戦コンペの審査長に抜擢されていたのか。

「参加条件は『規定の組織に属していること』と『靴間学院の生徒であること』です。また組織のうち、あなたに接触して良いのはその条件を満たす人物だけです」

「けど、資金なんて一体どこから? 例えば井炭寺さんが僕と友達になって、どこかの誰かが得をするのか?」

「そこまでは知りません。ですが、他の組織も同じように、自分たちのためにあなたに仲間を接近させているのだとすれば、お金に限らずとも各組織に共通する、何らかの利益があるはずです。そして恐らく、これにはあなたのお祖父じい様とお父様が関わっているはずです。あなた自身、その心当たりはあるのではないですか?」

「心当たりと言っても特に――……」

 まさか僕に友達が出来ないことを見越して、景品を賭けて組織に競争させてまで友達候補を集めたとか――……そんなわけないか。

 そうだな――。組織が奪い合うほどの資金、といえば、例えば国家予算だ。これなら普通の人にはどうしようもないが、僕の身近にはそれに関与できる人物が二人もいる。

 この件は何としても、父さんにきちんと確認しなければいけないだろう。



 だが、それより先に、今は希未に訊いておくべきことがある。

 今までの二人の共通点は組織に関わっていることだけではなく、それぞれ超能力者、預言者という超常的な力の持ち主であることだ。

「それで、井炭寺さんは、一体何者なんだ?」

 ならば、今、目の前に立っているのはどんな非常識な人物であるのか。

「流石に理解が速いですね。助かります」

 希未は感心したように言う。

「私の所属する組織は意志科学研究所、人類進化研究室――通称『チーム新人類しんじんるい』です」

「人類進化研究室……?」

 思っていたのと違い、あまりオカルトな感じがしない――

「はい。そして私はチームの観察対象、現時点で最も進んだヒトであり、人類進化の可能性そのものである『新人類』です」

 ――というわけでもなさそうだ。


「新人類……って、それは、つまり人間じゃないのか?」

「まあ、酷いことを言いますね。私は今より進んだ人であって、れっきとした人間ですよ」

 ……確かに人間以外には見えないが。

「人は日々進歩、進化しています。何千年、何万年と言わずとも、つい百年や二百年前の人類と比べても、私たちは寿命が延び、背が高くなり、頭も良くなっています。より人間的に強く賢く、美しくなっているのです」

「そうなのか?」

 二百年前と言えば江戸時代だ。その頃の人間と比べて、現代人が進化しているというのか。

 確かに、寿命は延びているし、平均身長は上がっているようだけど。


「ふん」

 横でずっと大人しくしていた物化が鼻で笑う。

「馬鹿馬鹿しい。進歩したのは科学だ。人は医学や科学技術によって以前よりもずっと健康的に過ごせるようになったというだけで、遺伝子的には何も変わってはいない。むしろ、遺伝的な病気や機能不全でも生き残れるようになったのは、しゅのレベルで考えれば退化に近い」

「いいえ。それは確かに進化です」

 物化はむっとするが、希未に全く引く姿勢は無い。

「ナメクジは巻貝の仲間でしたが、貝を退化させることで、地上での個体数を増やすことに成功しました。これは種としての進化です」

「つまり、貴様は自分がナメクジだと言いたいのか?」

「種としての進化は物質的なことだけでは語れないということです」

 挑発にも簡単には応じそうにない。

「現代の人の主な進化とは、人間以外の動物から、より遠ざかることにあります。ですから、脚が遅くとも二足歩行に慣れたのは進化ですし、服を着るため体毛が薄くなるのも進化です。より人工的な環境に慣れることは人類にとっての進化なのです」

「……なるほど」

 人間が「自分たちは他の動物と比べて特別である」と思いたがる傾向は確かにあるだろう。それが進化に関わりがあるとは思わなかったが。

「じゃあ、進化した人である新人類は、現代人よりも貧弱で病弱ということなのか?」

「いいえ。そんなことありませんよ。現代人は昔の人よりもずっと健康ですし、足も速いし力も強いです。きっとどんなスポーツをやらせても、同じだけ練習をさせれば現代人が勝つでしょう」

「どうしてそんなことが分かるんだ?」

「それは、私が新人類だからです」

 希未は胸を張り、胸に手を当てて言う。

「私は現代の全ての人間の上を行くことができます。方法さえ教わればすぐにワールドレコードを更新できます。勝負事で私に勝てる見込みがあるならば、私は絶対に負けません」

※六十年代生まれの方々とは関係ありません。

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