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フレンドシップス・サイエンスガール  作者: 吉野ムラ
第2章 運命の確率
11/32

⑥雨中の預言

 真昼に近づき、太陽は今最も高くまで登っているはずだが、空はますます陰気さを増していた。

 大会は各種目の午前の部がほとんど終了し、午後の部には準決勝以降の試合を残すのみとなっている。

 が、それすら間に合うかどうか甚だ怪しい。

 ソフトテニスはやはり進行が遅れているそうだ。どうやら大会が始まった直後に、一つのコートのネットワイヤーが切れそうだったのを交換していたためらしい。


 僕は御言と物化を昼食に誘いに4組に向かっていた。御言からのメールによると、二人は弁当を取りに教室に戻ってきているそうだ。


「さあ、次の預言は何だ? 今度こそ破ってやる」

「えぇ~、とりあえずご飯にしようよぉ」

 教室ではまだそんなやり取りをしていた。しかしその様子は、つい二、三日前よりも随分と仲が良さそうに見える。

 二人がテニスでペアを組んでいたのは、御言がクラスで孤立している物化と仲良くしているように見えたからなのかもしれない。

「う~ん……―――」

 御言がまた祈りのように手を合わせ、目を瞑って唸っている。

 僕は4組の教室に入り、御言に声を掛けようとしたが物化が無言でそれを制した。

「――あ、」御言は手を下ろして窓の外を見た。

「雨、降ってきたね」

 いつの間にか降り始めていたようだ。預言ではないが。

「二人はどうする? このまま教室で食べるのか?」

「お前はどうするんだ?」

「僕は、才氣と合流してから考えるつもりだったけど、この天気だからな……。みんな教室に戻ってくると思うから、僕がいると色々と迷惑になりそうで……」

 敬遠するのはせめて打順が回ってきたときだけにしてほしいものだ。


「そういえば、御言ちゃんは僕に普通に接してくれているけど、変な噂は聞いたりしなかったの?」

「聞いてたよ。『平良和義に刃向かうと、最悪の場合国家を敵に回す』とか言われてるよね」

 また酷くなっている……。次くらいには世界政府か、銀河連邦でも敵に回すのだろうか。

「だから最初に会う日は二人きりになれるだけじゃなくて、私が無事に家に帰れることも預言できたからあの日にしたんだよ」

 なるほど。それで引っ越してきてから三週間も接触が無かったのか。

「でも実際の和義君は、全然そんな感じじゃないよね」

「当たり前だよ。でもありがとう」

 全く、誰がそんな出鱈目でたらめを流しているのだろう。



 そうしているうちに雨足はどんどん強まってきていた。風も強く、遠くで雷まで鳴り始める。

 僕は御言と物化と三人で、二階の渡り廊下を渡って南校舎に向かっているところだった。

「あっ――」

 その時、御言は突然に何かを思いついたように声を上げた。


「ひが――でる?」


「え?」

 僕も物化も立ち止まる。

 火が出る? というと、出火?

「どこかで火事が起こるってこと?」

「えぇ! そ……そうなのかな……?」

 こんな時に限って曖昧あいまいな預言なのか。

「おい! それは本当か? 場所はどこだ?」

 物化が御言の前に立って問いただす。

「ほ……本当だよ。場所は――」

 御言は恐る恐る続ける。

「ここ――この学校」


 か細い声でそう言う。しかし、はっきりと聞き取れた。

「学校のどこだ?」

「うう~ん……よく分かんない……」

 物化が続けざまに尋ねるが、御言は下を向くだけだった。

「時間は?」

「時間は――あ、30分後くらいだと思う」

 それだけ答えて、御言はまた頭を抱えて唸る。物化が「他には?」と続けて詰め寄っているが、答えは返ってこない。

 なんてこった。あと30分でこの学校が火事に――?

「それなら、今から先生に言って早くみんなに避難させないと、」

「待て!」

 物化が僕の腕をつかんだ。

「どうして? 今は預言を破るとか、そんなことを言っている場合じゃないだろう」

「なら訊くが、お前は先生たちにどうやって説明するつもりだ?火事になると預言されたから生徒を避難させろ、とでも言うのか?」

「それは―――」

 ……確かに、それで信じてくれる人はいないだろう。

 伯父さんならば説得できるだろうか。いや、流石にいきなり預言者だの何だの言っても僕が心配されるだけだ。

 澄奈央さんならば信じてくれるかもしれない。しかし澄奈央さんを説得し、それから伯父さんの説得にあたっていては時間が足りないだろう。

 そうだ。僕は今全校生徒から恐れられているのだから、僕が独断で生徒を帰らせれば――いや、それでもどの道教員側との衝突は避けられないか。

 駄目だ……僕たちに生徒を避難させることはできない。しかし、だからといってこのまま何もしないで誰かが被害を受けるのは気分が悪い。


 何か、手は無いのか……?


「ふん、」

 物化が鼻で笑い、僕の腕を乱暴に放した。

「何が預言だ。馬鹿馬鹿しい」

 そして、今になってその言葉を口にする。

「でも、本当に火事になったら――」

「避難させられないのなら、火事を防げばいいだけのことだ」

 そう言い放つ物化の表情に、曇りは無かった。



「防ぐって……原因だってまだ分からないじゃないか」

「原因は恐らく、落雷だろう」

 物化は外を指さす。相変わらず酷い雨が降り、風が吹いている。

「これだけの雨まで降っていて、湿度が高い。ふつうの火事は起こりにくい天気だ。しかしどんなに雨が降っていようと、落雷による火災は年間に何件も起こっている」

「だけど雷でなくたって、一気に大きな火が上がったら雨が降っていても火事になるだろう。例えば、ガス爆発とか」

「球技大会の日にガスを使っている生徒はいない。どこかにガソリンかカーバイドでも撒かれていない限り、ガス爆発の可能性は限りなく低いだろう」

「ガソリン? 車のバイト?」

「カーバイ『ド』だ。馬鹿女め」

「がぁーん……」

 頑張って会話に参加した御言が小さくショックを受けていた。

「それに、ガス警報器は今週になってから学校の全教室で点検されている。爆発が起こるほどどこかでガスが漏れているなら、今頃とっくに警報が鳴っている」

 そうだった。ちょうど僕のクラスにも、水曜日あたりに点検がされていた。

 ならば、やはり原因は落雷なのだろうか。

「――でも、どうして雷が落ちると火事になるの?」

 御言が尋ねる。

「確かに。漏電ろうでん……ではないよな」

「ふん。貴様らは電熱器も知らないのか?」

 物化が鼻で笑った。

「電気は熱に変わる。ジュール熱というものだ。雷のエネルギー量は平均で1.5ギガジュールほどだと言われている。これは、50キログラムの石炭を燃やし尽くした時に得られる程度のエネルギー量だ。もちろん全てのエネルギーが熱に変わるわけではないが、ジュール熱により高温となったものから出火して、建物の火災につながることは何も不思議ではない」

 石炭50キロがどの程度の量なのか分からないが、ヒーターに入った数リットルの灯油だけでも一軒家くらいなら十分燃えるのだから、確かに火事になるには申し分ない量なのだろう。


「それで、火事はどうやって防ぐんだ?」

「落雷で火災が起きるのは、落雷を受けた比較的燃えやすい部分が、瞬時に大きな熱を発生させて燃えてしまうからだ」

 こんな状況だというのに物化は少し楽しそうだ。

「熱が発生するのは雷の電気エネルギーを、その部分が消費してしまうから。そして電気エネルギーの消費が起こるのは、その部分に電気抵抗があるからだ。つまり火災を防ぐためには、雷を抵抗の小さいもので受け止め、燃えにくいものに誘導し、そこでエネルギーを消費、発散させれば良いということだ」

「ええっと……それはつまり……?」

 どこかに紙とペンが無いだろうか。もしくは理解するための時間か。

 御言は既に目を回して壁に寄りかかっている。

「ふふん。要するに、だ」

 物化は腰に手をやり、胸を張って言う。

「避雷針を作ればいい」



「才氣ー!」

 僕は北校舎一階の廊下で、ようやく才氣を見つけた。

「おー和義。遅くなって悪かったな。ちょっと体育館のトイレが混んでてな」

「そんなことより、ちょっと来てくれ」

「え? 良いけど、何かあったのか?」

「まだ分からない。けど才氣を連れて来いって、物化さんに言われたんだよ」

「アイツが?」

 才氣は嫌そうな顔をする。

「なら訂正する。これは僕の頼みだ」

「そんなこと言わなくたって行くって」

 才氣が笑って僕の来た方へ歩き出した。

 どうやら才氣はいつも通りで、僕が焦っているだけだった。

「場所は?」

「場所は掲揚台――旗を立てるところだ」



 僕と才氣が南校舎一階の出口に到着する。掲揚台この出口の真正面にある。

 この雨を見越してか、ポールの旗は既に外してあるようだった。

「おーい!」

 外から御言の声がする。見ると、物化と御言がこの豪雨の中、傘も差さずにこちらに向かってきていた。

「アイツら何やってんだ?」

 物化が手に持っているのは、また縄のようなもの―――いや、

 あれは、テニスのネットワイヤーだ。


「うえぇ~……ビショビショだよぅ……」

「……ちゃんと……連れてきたようだな………」

 外から南校舎に戻ってくると、二人は全身びしょ濡れで、物化はさらに息まで切らしている。……本当に大丈夫なのだろうか。

「……おい、……そ……そこの自称……超能力者、」

「だから俺は本物だっての。深呼吸しろよ」

 物化にしては珍しく、言われたとおりに深呼吸をして息を整える。

「貴様の超能力は、離れたものに電気も熱も伝えないそうだったな」

「そりゃあ物理的には完全に離れてるからな」

「つまり、その超能力で持ち上げたワイヤーが雷を受けても、それを使っている貴様には何の危険も無いということだ」


 物化が再び雨の中を飛び出し、ポールにワイヤーを括り付けて戻ってくる。

「ったく、仕方ないな」

 才氣は南校舎の出口外のギリギリ雨に濡れないところで、念を送るように手を前に突き出す。

 すると括り付けられたワイヤーはポールをどんどん上に上がって行き、一番上に着くと今度は何も無い空中をポールにつながったまま上がって行く。

 そして最後にはポールの上にワイヤーがまっすぐ延び、避雷針が完成する。

「意外と遠くてキツいんだけどコレ……」

「もう少しだ。我慢しろ」

 時計を見ると、御言の預言からちょうど30分くらいが経とうとしていた。

 天気はますます悪化していた。

 雷は徐々に激しさを増し、空がストロボのように光っては、大きな太鼓を叩くような音や、何かが崩れるような音を響かせていた。

 その間御言は校舎内で、体をハンドタオルで拭いたり体操服の裾を絞ったりしていたが、物化は才氣のすぐ横でじっとポールを見つめている。

 その表情は真剣そのものであるが、しかしよく見ると楽しそうでもある。

 僕はその後ろで――出口の戸のところから状況を見ていた。


 …………、

 ……時間が、進むのが遅い。

 才氣がワイヤーを持ち上げてからまだ数分と経っていないが、もう5分も10分も経っているように感じる。

 物化の真剣さにつられて緊張しているのか、妙に脈拍が上がっているのが分かる。

 外は変わらず雨風が吹き荒れている。

 旗を揚げる紐がポールをかんかんと打ち付けている。

「な…なあ、」

 緊張感に耐えかねて、才氣が僕に話しかける。

「これ、いつまでやってたら――」


 その時、




 世界を割るような音が、光が、目の前で炸裂した!





 

 視界が焼き切れたように暗転し、視力を失う。

 耳の奥が痛み、耳鳴りがする。

 心臓が飛び出しそうなほど跳ねている。

 まさか……まさか本当に――――

 視力が戻ると横で才氣がひっくり返っていて、物化は――

 物化は両手の拳を握りしめて、息を震わせて、目を見開いていた。

「――ふふ……ふふふふ………」

 それから、やがて声も出さずに笑い始め、


「……やった……やったあぁー!!」


 両拳を高く上げて思いきり叫んだ。


 あれほどの衝撃に驚かない人間はいない。

 御言なんか、校舎にいたのにまだ両手で頭を覆って震えている。

 けど、きっと物化はそれ以上に嬉しいのだろう。

 それも多分、学校を守れたとか、預言を覆したとかではなくて、

 純粋に自分の試みが成功したからだろう。

 だからあんなに子供のように喜んでいる。

「見たか! 本当に落ちたぞ!」

 跳び上がるようにこちらを振り向き、瞳を輝かせていた。

 声がまだ震えていて、上ずっている。

「あ……ああ、まさか本当に落ちるなんて……」

「本当だ! 本当に……――」

 そう繰り返しながら、今度は気が抜けたようにその場でよろけて座り込む。

「大丈夫か?」

 駆け寄ると、物化は下を向いたまま、まだ静かに笑っていた。

「良かったな」と、僕は小さく言う。

 心からそう思った。




 気を失っていた才氣を保健室まで運び、物化と御言はタオルや着替えを貰いに同じく保健室に行っていた。

 僕は自分の弁当を回収して、自分の教室に戻ろうとしていた。

 そこで初めて気がついた。

 雨が上がって、空も幾分明るくなっている。

 そして、僅かな雲の切れ間から、

 この学校にだけ陽の光が降り注いでいた。


 ……なるほど「陽が出る」――か。


 僕はひどく脱力し、焦っていた自分を少し笑ってしまった。

 物化に教えるのは――また今度でいいか。



 その後、球技大会の午後の部は予定通りに行われた。

【小解説】

カーバイド:主に炭化カルシウムのこと。水と反応して可燃性ガスを発生させる。保管時は水気厳禁。


※注意※

雷が鳴っているときに高い木やポールの近くには絶対に近づかないでください。

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