5.狩人
ガス地帯に戻ったレイモンドの身体は驚くほど軽かった。
うっすらと記憶にある、目標とすれ違った地点に戻っても、疲れ一つ見せず、むしろ率先して月下狼の痕跡を見つけ出せるほどだ。
血を得て元気になったのか、血が足りなくて具合を損ねていたのか、今はもう誰にもわからない。
「近いな。このまま追いかける?それとも…」
行く先を予測してどこかで待ち構えるのもいいかもしれない。
自分なりに方法を考えるレイモンドが振り返ると、ジョンは立ち止まって狩猟ノートを開いていた。
駆け寄ってのぞき込めば、ギルドが綴じてくれている地図を開いている。
沼地を大きく拡大したそのページを、ジョンは指でなぞって現在位置とこれから向かうであろう道筋を示し、最後に一点をとんとん、と叩いた。
「そこに追いつめるって?」
レイモンドが理解したことを確認して、ジョンはノートを閉じる。
指定した場所へは確かに、このまま追いかければ追い付くことは可能であるし、追い立てれば逃げていくだろう。
ただ、途中にある分かれ道で、狙いの方向へ向けられるかは賭けのような気もする。
それにそもそも、対面したあの凶悪な狼が大人しく追い立てられてくれるだろうか。
一体どうするつもりなのかとジョンに尋ねようとしたレイモンドの脳裏に、最悪の閃きがきた。
「まさか、あれを使うんじゃ…」
レイモンドの嫌そうな顔を見てもなお、ジョンは当然だろうという表情を崩さなかった。
長いため息をつきながらレイモンドは、脳裏に焼き付けた地図を頼りに、入り組んだ谷に自然とできた回廊を駆け抜ける。
先回りして月下狼の行く先を操作するためだ。
追い立てる役をジョン一人に任せたが、同じ道具を使うなら一人で充分なので問題はない。
「間に合ったか。ええっと…」
レイモンドは道具袋の外ポケット、他の道具とは決して触れ合わないようにと注意して、何重にも梱包されたそれを、指先でつまむようにして取り出した。
月下狼は、毒ガス吹き荒れる沼地の谷底を必死に駆け抜けていた。
奴に付けられた目の上の傷がズキズキと痛む。
何故奴がこんなところにと、猛然と駆け抜けながら何度も後ろを振り返った。
追ってきている。
己の額に傷をつけた、あの幽鬼が背後から追いかけてきている。
言い知れぬ恐怖の中、駆け抜ける先で月下狼は、鼻の曲がるような匂いに気づいて大きく頭を振った。
過敏な嗅覚を痛いほど刺激されて、地面をのたうち回るように転がり、匂いのしない方へと再び駆けだす。
後ろの気配などもうどうでもよかった。
もっと早く、もっと早くあの狂暴な獣から逃げおおせなくてはとぬめる地面を必死にかく。
そうして月下狼は崖の淵から飛び降りた。
針のように突きだす岩を飛び越えて、一段と深い谷のそこへと飛び込む。
自分の尾を追うようにしてぐるぐるとあたりを警戒し、後ろからあいつがついてきていないのを確認して安堵する。
が、それもつかの間の平穏だった。
酷く怯えた獣は地に身を伏せ、崖上から見下ろす圧倒的強者に命乞いをした。
恐怖に潤む金色の瞳には、月を背負って立つジョンの姿だけが映っている。
追いつめられた哀れな獣は、必死に逃げ道を探すが、そこは抜け道のない深い穴だった。
ぶしゅ、と噴出す音にびくりと体が跳ねる。
噴出したガスが白い霧となってあたりに立ち込めるのを、狼は天の助けのように喜んだ。
身を潜めて逃げ出そうと身構え、追手となる存在へと視線を戻せば、それは冷ややかな目でこちらを見ていた。 岩が落ちてきた、と文化を持たぬ獣は認識する。
火を噴く岩が、崖を転がり霧へと触れた瞬間、全身を爆発の熱と衝撃に焼かれ、谷底の暴狼はあっけなくもその命を散らした。
「こんな燃えるんだ、あの煙」
立ち上る爆炎を前に、レイモンドは新たな知見を得て、この地では決して火を扱わないことを誓う。
やがて爆炎が生み出した煙が晴れるのを待って、二人は崖を滑り降りて今回の報酬へとたどり着く。
ハンターとして、刈り取った命を処理することは義務なのだ。
とはいえ。
「うはぁ、丸焦げ。上等そうな毛並みだったんだけど」
爆炎に飲み込まれた月下狼の毛は焼け焦げ、ちりちりになってしまっていた。
爆発の衝撃で、爪や牙にもひびが入っている。
これほどまで損傷させてしまうとは、素材を集める目的だったとしたら、最悪の結果だろう。
売り払って金に換えられる部位は無いかと品定めするレイモンドの前で、ジョンはためらうことなく月下狼の腹部へ短刀を突き立てた。
ぐりぐりと数度の押し引きを経て、月下狼の内部が露呈する。
焼け焦げた匂いの中に、生臭さが混じって辺りは地獄だった。
マスクをしておいてよかったとこれほどまでに思ったことは無い。
中身をかき分けていたジョンの指先が、何かを見つけて引きずり出す。
降り注ぐ月光に照らされた、銀のエンブレムに、レイモンドの眼が見開く。
「お疲れ様です、お二方」
静かに響き渡った声に、弾かれたようにレイモンドは振り返った。
そこには、白銀の髪を緩く結び、教会の装束に身を包んだ美しい青年が立っていた。
傍には彼とは色の違う、けれど同じ教会に所属しているとわかる装束を従えている。
「そちら、わたくしたちが預からせていただきます」
「何の権限で…」
「おや、依頼書にはちゃんとご自身で目を通した方がいいですよ」
「なんだって?」
「それの討伐を依頼したのは我々です」
ぐ、と言葉に詰まるレイモンドの背後から、硬質な音を立ててエンブレムが宙を舞う。
ジョンの指に弾かれたエンブレムは、緩やかな弧を描いて青年の手へと渡った。
「テレサ様」
「やはりそれは」
「静かに」
テレサと呼ばれたその青年に、ジョンの胡乱な視線が突き刺さる。
どうやらジョンには、教会の本当の目的がこのエンブレムの回収にあったと気づかれたらしい、と確信して、テレサは小さくため息をつく。
「きっとあなたが出てくると思ってね。そろそろ一度、顔を見せろと、医療区長様がぼやいてましたよ」
「……」
ふ、と鼻を鳴らして、ジョンは答えることなく帰路へと足を向ける。
その背中を追うそぶりを見せながらも、レイモンドは再びテレサを振り返った。
「アンタらだってハンターだろ。なんでわざわざうちのギルドに依頼出したんだよ」
「彼を呼び出すためだと今、言ったでしょう」
馬鹿にするような響きに眉を寄せながら、レイモンドはなおも続ける。
「だったら次はちゃんと狩猟対象をジョンにするんだな」
言うだけ言って去っていく背中に、テレサは悪態をつこうとして、やめた。
腹を立ててやるのももったいない。
「全て回収しろ」
静かな声に、部下たちは従順に従った。




