3.匂いたつ泥濘
浮いたからだが抱き留められる。
ジョンが飛ばしたフックショットの引力に体が引かれた。
ぐるりと体が回転し、ジョンの盾が岩にぶつかり高らかな音を立てた。
壁に叩きつけられる衝撃がジョンの身体に吸収される。
フックショットを解除すれば、崖を滑るように地面に着地した。
ふぅ、とジョンが安堵の息を流すのに、レイモンドは気まずげに礼を言おうと口を開く。
「あの、ありが…」
しかし、言い終える前に頭を掴まれ強く地面へと沈められた。
直後、二人の頭上を地中獣の尾が薙ぐ。
尾が削った岩のかけらが降り注ぐ中、鋭い視線を地中獣へ向けるジョンに、戦いがまだ終わってないことを思い出した。
「悪かったよ」
短く伝えて、双刃を構え直せば、隣で満足そうに鼻を鳴らす音。
笑ったのかと横顔を盗み見たが、首元まで覆う口布のせいで表情は読み取れない。
二人が落ちた崖をぬるりと降りてくる地中獣に対して、しかしレイモンドは構え直した武器を向けながらも攻めあぐねる。
そんなレイモンドの隣でジョンはおもむろに、自身の武器である盾の技巧を開いた。
中から機構を引き抜き、腰の装備から似たような形の別のものを差し込み、盾を閉じる。
パチン、と踊るように雷が跳ねた。
「なるほどね」
その一連の動作を見つめて、全てを理解したレイモンドは駆けだすと、再び地面に武器を突き立てて飛翔する。
飛び越えるレイモンドの動きを、どの器官で察知したのかわからない長い虫は、削り取る形に並んだ無数の牙をうごめかせて天を仰ぐ。
素早い動きで硬い鱗をつつきながら逃げ回るレイモンドを追って暴れる地中獣の足元で、ジョンは振り回される尾を盾で受け止め、その衝撃を技巧の中に溜めていく。
彼が獣と距離を取り、短剣を盾へ差し込み武器を変形させるそれが合図だ。
レイモンドは一際高く飛びあがり、準備していた音響弾を地中獣の口めがけて打ち込んだ。
音波の振動に揺れた地中獣の身体が大きく傾いで、無数の歯がうごめく大きな口をジョンの方へ向けて倒れこむ。
巨大斧へと変形させた武器をジョンが大きく横へ薙ぐと、無数の歯に触れた刃からぱちりと火花に似た、光が散る。
横一閃に続き、身体ごと回転させる横薙ぎをもう一閃、武器の重さを利用した勢いを殺さぬよう高く振りかぶった斧を、ジョンは渾身の勢いで叩きつけた。
口腔に叩きつけられた斧がわずかに皮膚を裂いてめり込み、ため込まれたエネルギーを放出するために、盾の技巧が開く。
バチバチバチ、と稲光にも似た轟音を立てて、口腔を這う粘膜を通じて雷電が地中獣を襲った。
体内から焼き尽くされた獣は、雄たけびを上げのたうち、やがてこと切れてその長大な体をぐったりと地に投げ出すのだった。
「あっぶねぇ、巻き込まれるかと思った」
木の上にフックショットでぶら下がっていたレイモンドが、ジョンの側へと降り立つ。
全てのエネルギーを放出して大人しくなった斧の技巧を閉じ、元の剣と盾に戻して背負いなおしたジョンが、そんなヘマをするものかとばかりにため息をついて、獲物から素材を剥ぎ取るために歩き出した。
地響きが収まった森の中から、狩りの終わりを告げる照明弾が立ち上る。
打ち上げたレイモンドは、ハンターが許可されている範囲の素材を回収し終えて、同じく素材を愛獣へと積み込んだジョンを伴い、その場を後にした。
一番近い隠れ場に戻ると、どっかりと腰を落とす。
同じく焚火の側へ静かに腰を下ろしたジョンへチラチラと視線を送るが、ジョンの方は疲れを癒すためか、焚火をぼんやりと見つめ、時折眩しげに目を細めていた。
「あの、さ…」
先ほどの失態を謝罪するべきかと口を開くレイモンドを遮るように、フランカの声が遠くから聞こえる。
「いやぁ、助かったよ。友達の調査員がずいぶんと困ってたんだ。あ、これ、報酬ね」
二つに分けられた小さな麻袋の中には、ぎっしりと通貨が詰められている。
自然で暮らし、自然と生きるハンターであろうとも、街へ降りて人々の営みに混ざることは多いため、現金が必要になることは必ずあるのだ。
ジョンは受け取った袋の重さを簡単に確かめると、無関心に装備の中へと突っ込む。
「それでさっそくなんだけど」
「もう?今帰ってきたとこなんだけど」
すぐにでも次の任務の話をしようとするフランカに、レイモンドが思わず声を上げた。
肉体的な疲労はあまりないが、動き回るだとか、命のやり取りをした精神的な疲労は簡単にはとれない。
それはフランカも承知しているのか、困った顔で「ごめんてば」と苦く笑った。
「話聞くだけでも、さ。急ぎじゃないんだ。ほら、準備とかもあるし」
フランカの説得に、それでも渋るレイモンドの横で、ジョンが続きを促すように手を招く。
「出たんだよ、北の沼地に!」
まるで幽霊か何かの語り口に呆れる二人を気にせず、フランカは続ける。
「月下狼が!しかもそいつ、左目の上に大きな傷があるって」
ぴくり、とジョンの瞼が震えた。
「傷があったらなんだってんだよ」
「それがさぁ、そいつ昔ジョンが仕留め損なった個体じゃないかって」
「おっさんが?!仕留め損なった?!」
大げさに驚くレイモンドに振り向かれて、ジョンは迷惑そうに目を伏せた。
話に食いついたレイモンドにフランカは満足そうに笑って続きを話す。
「いやぁ、悲劇だったね。なんせ沼地だから。うっかり足を取られて逃げる狼を見失ったんだよねぇ」
クスクスと笑いを漏らしていたフランカだったが、ジョンが立ちあがると怒ったのかと警戒して身構える。
しかしジョンはそんなフランカに構うことなく、愛獣に背負わせる装備の中から何かを取り出すと、レイモンドめがけて放り投げた。
慌てて受け止めたそれは、硬質な鱗を組み合わせ、革を張り付けた上からさらに通気口となる別パーツを取り付けた、口元を覆うマスクだった。
そこでようやく、レイモンドはフランカが話を急いだ真意に気づく。
ジョンとの因縁、沼地、ガス地帯。どれも知るのなら早ければ早い方がいい。
この地域にまだ慣れていない新人ハンターを諭すことを楽しむように、フランカはニコニコと告げた。
「沼地は毒ガス地帯だからね、ちゃんと準備してから行くんだよ」
「…ありがとう」
「よろしい」
明るく笑うフランカの声が、月夜に響いた。
三人に降り注ぐ月の光、それは遠い谷底の沼地にも平等に降り注ぐ。
月の光が薄暗い沼地を浮き上がらせ、夜行性の動物たちが息を潜めて駆けまわる。
火山地帯も近いのか、沼地からは毒を含んだ空気が時折音を立てて噴出して沼地の静寂を切り裂いた。
噴出音に怯えて駆けだす小動物を、音もなく舞い降りた猛禽のハンターが仕留める。
手に入れた報酬を足に掴んで舞い上がり、枯れ木の上で食事を始めた猛禽は、何かの気配に食事のくちばしを止め、その鋭い観察眼と全てを読み取る感覚を周囲に向けた。
そして再び音もなく、仕留めた己の獲物すら持ち去ることなく素早くその場から退避する。
直後、彼のいた枯れ木のそばを、黒く獰猛な獣がゆったりとした歩みで通りすぎた。
ともすれば、美しいともいえる黒い毛並みをたたえた狼は、月の光を浴びてその漆黒の身体を淡く光らせる。
獲物を探すように鼻を上げ、ふすふすと匂いを嗅ぐその相貌の、左目の上に大きな傷。
ぐるる、と唸る湿った息が蒸気となって周囲を舞った。
剥き出しになった牙の間から、粘ついた唾液が地面へと滴る。
と、不意に獣が顔を上げ、鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ。
何かを探し当てた月下の支配者は、金の眼を見開き、獲物めがけて疾駆した。




