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17.死を纏う獣


それは岩壁に完全に溶け込んでいた。

何者かに呼びかけられたかのように動き出した巨体は、脈動するかのように斑な体表を淡く明滅させ、地を這うように進む腕、と言うべきなのか、鰭のような形状をしたその前足は、節くれだった指に水かきを渡したような姿で、濡れた地面を泳ぐように身を捩らせて前進する。

蛙のように伸びた両足を引きずるようにして、太い尾びれを左右に振りながら進むそれは、地面を濡らす水が滴り落ちてくる場所の下へと身体を移動させると、でっぷりと丸みを帯びた頭をもたげた。

「……ッ」

フランカとレイモンドは同時に吐き気を覚えて呻きそうなる口を押さえる。

もたげた頭の、地面を這う胴体には、ぽっかりと開いた口内を無数の逆棘で埋め尽くし、その一本一本が独立した一つの生き物のようにうごめいていた。

やがて、うめき声のような音が当たりを包み、それが目指した穴から赤黒い水が勢いよく噴き出す。

「なんだよ、あれ…」

それはあまりにも冒涜だった。

生き物だったものが水流に流されバラバラになり、押し流されるままにたどり着いた先で、獣の穴へと押し込められる。

大きな口に直接、赤い濁流を受けながらしかし、獣の口では受け止めきれなかったものはその全身へと降り注ぎ、ぬめる体へとまるで衣のようにへばりつく。

獣が身を捩り、咀嚼する音が洞窟内を反響して、ぐちゃ、べき、という生々しい音に、フランカはとうとう耐え切れずに目を背け背後でうずくまった。

獣は身を伏せると、次は地面を転がる残滓を舐めとるように、ずるずると身を捩りながら地面を這う。

やがてレイモンドたちの元へ、吐き気をもよおす最悪の腐臭が届いた。

レイモンドは父の手記を思い出す。

奴らは人の身体に竜の血を輸血して、濾過機のように使っている。

毒の溜まった体はゴミのように廃棄され、そこに人の姿は残っていないという。

レイモンドはようやく、この地下の水たまりが、やつらにとっての廃棄所であることを理解した。

「それが獣であるならば…」

絞り出した言葉を聞いてジョンが振り返る。それは、ハンターたちの誓いの言葉。

「我々に狩れぬ道理などないのだ」

怖気づいた体を何とか奮い立たせ、レイモンドは背負っていた大鎌を抜いた。

闘いの合図はジョンが投擲した火炎瓶だった。

油をたっぷり入れた壺の導火線に火をつけて、括りつけた紐を振り回して遠心力で飛ばす。

技術の必要な道具だが、すでに伝説とも呼ばれるジョンにとっては朝飯前のことである。

肌を焼く炎の痛みに、獣が身を反らせて慟哭した。

「ァァアアアアア」

「…っ、きっも」

それは人の声の様で、嘆きとも怒りともつかない。

レイモンドはまず、畳んだ刃の中ほどを握り、獣の胴体や鰭、足などを切りつける。

しかし驚いたことに、浅い切り傷は脈動と共に傷口が塞がり、あるいは新たなる皮膚となって、すぐさま修復されていく。

一度距離を取れば、身体を切りつけられたことに憤るように、獣は身を震わせ転がり、死肉を周囲にまき散らす。

「浅い傷じゃ無理だ。けど、たぶん無駄ではないと思う」

レイモンドの報告と己の観察を元に、ジョンは静かに思考する。

そして、レイモンドに再び切りかかるようにと手で合図を送った。

次はもっと深く、あるいは別の場所をと狙うレイモンドの後ろで、ジョンは両手で槍を握りなおす。

今日はいつも愛用している斧へと変形する武器は置いてきた。

力の入らない今、あれを振り回すのには無理があるからだ。

代わりに、左肩へと盾を固定し、先が三又に分かれた長柄の槍を用意していた。

本来であれば片手に盾を、もう片手に槍を握って戦う武器だが、今のジョンには一番軽い槍を両手で持ってちょうどいい。

代わりに、この武器には少しばかり仕掛けがあった。

「やっぱりこいつ、傷が…ジョン?!」

横回転で身を振り払う攻撃から逃れるために跳躍したレイモンドの眼に、突進するジョンが映る。

献血により弱っているジョンの無謀すぎる攻撃に目をむいたのもつかの間、回転攻撃の直後でふらつく獣の、レイモンドから受けてまだ癒えきらぬ傷めがけてジョンは深く槍を突き刺した。

これ以上入らないというところで、ジョンは手元の技巧を発動させる。

柄を捩じると先端の三又となった部分が開き、返しとなる刃が深く獣の内部へと突き刺さる。

そのまま柄を引き抜けば、先端が抜けて棒の部分だけが抜き取られた。

直後、獣の身の内が破裂する。

内部で先端部分が爆発して、獣は衝撃にあおむけに倒れて手足をばたつかせて暴れていた。

ジョンの隣へと着地すれば、彼は腰から新たな先端を取り出して、装填するがごとく取り付けている。

「え、えげつねぇ」

ジョンの腰にはまだまだ残弾がぶら下がっていた。

ふと視線を感じて顔を上げれば、こちらを見ていたジョンが、なにをしている、さっさと行けとばかりに獲物へ向けて顎をしゃくった。

どうやら、まだ自分の力だけではあの獣の皮膚を破れないため、レイモンドが先陣を切って傷を入れる必要があるらしい。

「わかったよ、行くよ…」

ぎらつく紫氷の瞳には、戦闘の悦びが灯っている。

どれだけ弱っていても、目の前に居るのはあの伝説のハンター、ジョンなのだと、ありありと見せつけられた瞬間だった。

数度の爆発を経て、それは再び仰向けになって身もだえる。

飛びずさったレイモンドはしかし、爆発にあてられた後ろ脚が不安定にぶら下がっているのを見て咄嗟に武器を変形させた。

開いた大鎌を振りかぶって切り上げる。

すると獣の後ろ脚は千切れ飛び、獣は絶叫を上げながら地面を泳ぐ。

だがその機動力は目に見えて落ちていた。

なるほど、とばかりにレイモンドは、傷を加える場所に狙いをつける。

もう一方の足が千切れ飛ぶと、地を這う獣は己で行き先を選べぬ、打ち上げられた魚となった。

ちらり、後ろを見れば、ジョンの腰にぶら下がる残弾はすでに残り少なく、また、その肩が珍しく上下しているのを見て、彼が息を切らしているのがわかる。

すぐにでもとどめを、と視線を獣に戻せば、暴れ疲れた獣がぐったりと身を横たえ、頭の横の部分を鰓のように開き、呼吸するがごとくぱくぱくと喘いでいるのが見えた。

「ここしかねぇだろ!」

落下に合わせて身を捻り、鎌を叩きつけるように鰓めがけて振り抜いた。

ぷちぷちと鰓を体に張り合わせているであろう神経だか、筋肉だかの筋が切れる感覚が手に伝わる。

レイモンドが着地と同時に飛びのけば、入れ替わるようにしてジョンが槍を鰓の奥へと突き立てた。

柄の後部を押すように深く突き刺し、技巧を開いて引き抜けば、獣の頭部がはじけ飛ぶ。

柔らかい肉が降り注ぐ中、弾けて露出した頭部には、拍動する臓器が一つ。

もはや弱点ですと言わんばかりのそこへ、レイモンドは鎌を大きく振り回して勢いをつけ、叩きつけるようにその切っ先を、どくり、どくりと収縮する、ぬめりを帯びて赤く照るそこへと叩きつける。

渾身の一撃を振り下ろすその姿は、奇しくも大斧を振りかぶるジョンの姿によく似ていた。

重要な臓器を潰されて、雄たけびを上げながら身もだえた獣はのたうつようにしてやがて動かなくなった。

残弾の少なさを確認して、けれどジョンはどこかがっかりとしたような、残念そうにため息をつく。

手ごたえはあった。自分の一撃で倒せていた敵だった。

踏み込みが甘く、爆薬を備えた先端が臓器まで届かなかったのだろう。

レイモンドに後始末を、いや、とどめの一撃を奪われてどこか拗ねた顔を見せるジョンという戦闘狂のハンターに、レイモンドは仕方なさそうに苦笑するのだった。


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