16.涙の導き
冷たい水で顔を洗って戻ると、すでにジョンの仕度は整っていた。
「もう立てるの」
力なく尋ねれば、スッと手を差し出され、その手を取ると、柔らかく握りこまれる。
わずか震える腕を見て、ああ、彼の今の限界はこれなのかと察した。
「大丈夫かよ」
尋ねると、解いた手が今度はまっすぐにレイモンドを指さす。
驚いて顔を上げると、どこか楽し気に目を細めるジョンと目が合う。
お前が、あるいはお前に、という気配を感じて、レイモンドは勝手だと怒るより先に、頼りにされたことへ喜びを感じた己を誤魔化すように頭をかいた。
昨晩、手記を読み終え打ちのめされるレイモンドに、ジョンは久しぶりに口布を外し、あの夜と同じ素顔を見せて、レイモンドと向き合った。
任せる、と短く伝えられたその言葉に、レイモンドは長く思考した。
きっとジョンは、レイモンドが全てを投げ出して逃げるという選択をとっても、同じ顔をしてそれを実行してくれるだろう。
共に行こうと言えば、これもまた同じ顔をしてついてきてくれるかもしれない。
竜の心臓を狙う教会の奴らから守るために彼がこの場に留まると言うなら、自分も留まると駄々をこねればきっと。
そんなことをぐちゃぐちゃと考えながら、けれどレイモンドの脳裏にはずっと同じ答えが居座っていた。
「教会をぶっつぶす。復讐とかじゃない。これ以上、苦しむ人が出ないように、やつらの悪行を全て潰して、血の医療をやめさせる」
その先は地獄だぞ、と彼は言う。
血の医療に縋る者は多い。
万能薬の副作用を考えれば、それは今、病に苦しみ、あるいは万能薬に依存する街の多くを犠牲にして、目を瞑ることになるだろう。
それでも、これ以上やつらの思い通りに犠牲者を増やし続けることはしたくない。
強い決意で言いきれば、ジョンはそうか、と答えて、そのまま眠りについた。
情熱を燃やしていたレイモンドは肩透かしを食らったが、泣きつかれていたのもあって、横になればすぐに眠りに落ちてしまった。
そして翌朝というわけだ。
「昨日はああいったけど、教会のやつらをぎゃふんと言わせるためにはまず何から手を付けたらいいのやら…」
先の展望が何もないレイモンドのボヤキを無視して、ジョンはおもむろに鍛冶屋方面のドアを開ける。
慌てて後ろをついていけば、カウンターにはあの時の老獪な職人が待っていた。
「よう、できとるぞ」
カウンターの武器台に置かれていたのは、折りたたまれた大鎌だった。
魚獣の骨を磨いた刃に、鉄と木を練り合わせる独特の技術で組まれた柄、持ち手の先端にはいつも使っている棍と同じく衝撃を反発させ宙に舞う技巧がついている。
刃の中央がくりぬかれ持ち手となっており、本来なら内側にしかない刃が両側についていた。
「畳んでいる時はここを持てばそのまま振り回せる」
「と言われても、鎌なんて使ったことないけど」
「……」
レイモンドが呟くのを見たジョンが、おもむろに折りたたまれた大鎌を持って振り回す。
鍛冶屋のカウンター前はそういう輩が多いためか充分に広いスペースが用意されていた。
叩きつけるようにブンブン振り回したかと思うと、柄の部分を掴んで大きくぐるりと振り回せば、簡単に開いて大鎌へと変形する。
おお、と思わず感嘆の声を漏らせば、もう一度大きく振り回して折りたたんだものをレイモンドに差し出した。
「わ、軽い」
「非力なお前さんでも楽に振り回せるだろうて」
「一言余計なんだよな」
支払いを済ませて、ギルドの裏庭でしばらく武器に慣れるために鎌を振り回すことにして、ジョンはそれを眺めながら時折動きの手本を見せてくれた。
武器の大きさや使い勝手に慣れた頃、二人を探していたらしいフランカが飛び込んでくる。
「やっと見つけた!」
どうやら彼女はジョン達が森に戻ったと思って森の隠れ家の方を探し回っていたらしい。
街に居るならそう言ってよ、という嘆きを挟んで、フランカは頼まれていた場所を見つけたと誇らしげに報告した。
「滝の裏だったよ。もう、大変だったんだから。最初は瀧の上から探し始めたんだけど何にもなくてさ。あの夫婦竜の子供が狩りの練習をしてる所をかいくぐり、簒奪者共の爪から逃れるように逃げ込んだ先で…」
「ちょっと待った、頼まれてたって?」
「ああ、一昨日の祭りの後でさ、ジョンからこのメモ貰って」
言ってフランカが見せたメモには、滝のある場所周辺の地図と、地下への入り口を探してくれと頼む小さな文面が添えられていた。
「たぶん、教会の奴らが隠してる、例の地下遺跡にもつながってるよ」
フランカの誇らしげな声を聞いて、レイモンドは勢いよくジョンを振り返る。
目が合ったジョンは、片眉をちょいと持ち上げるだけだった。
どうやら彼には、レイモンドが復讐や教会を諦めて逃げるという選択肢が最初からなかったことをとっくに見抜いていたらしい。
「……~っ」
喜んでいいのか照れていいのかわからず見悶えるレイモンドを見て、フランカは頭上に疑問符を浮かべるのだった。
仕度を整えて一同は森へと戻った。
隠れ家を渡って数日かけて鎌を手に馴染ませ、いよいよ滝の裏の洞窟を目指す。
入り口には、フランカと調査員が用意してくれた簡易の隠れ家が用意されていた。
「音がうるさい上に時折聞こえる咆哮が厄介で一晩過ごすには向いてないけど、荷物を預けるにはちょうどいいんだよね」
とのことだ。
言葉通り、保存食や非常用の道具が積まれたそこには、時折誰かが訪れている痕跡も残っている。
調査員たちが時々利用しているらしい。
「さて、と」
改めて、怖がる愛獣を簡易の隠れ家に残し、一同は唸り声を上げる洞窟へと足を踏み入れた。
ぬらついた壁だと思っていたが、どうやら岩ではなく何かの岩石らしく、硬質なそれが光を反射して濡れているように見えるだけだった。
時間をかけて風か、あるいは水に削られた岩壁には、植物が根をお張ることもできずにむき出しのまま、時折くぼみに溜まる水が、水滴の音を反響させている。
ランプを腰に下げて降りてきたものの、洞窟の上部には発光する石が敷き詰められ、ふわふわと宙を漂う綿毛のような生物がその身に宿す光や、足元を這いまわる掌はあろうかという虫たちが、洞窟の中を淡く照らしてた。
地下へ、地下へと下っていけば、岩だらけだった足元が、土の床かと思われる安定した足元へとたどり着いた。
「思ったより広いな。迷子になりそう」
壁に賭けたランプの灯りを頼りに、狩猟ノートに新しい地図を書き込んでいく。
地下洞窟には地上の岩陰でも見かけるような、爬虫類型の牙獣も見受けられたが、今は彼らを狩っている場合ではない。
多層構造の洞窟を地図に記すのに苦戦しながら、同じく書き込んでいるジョンのノートをのぞき込めば、地図に加えて、見かけた原生生物や大型の牙獣種についてのメモまでしていた。
なるほど、これが伝説のハンターである。
「マッピングは私に任せて、二人はとにかく目的の物見つけちゃってよ」
頼りになるフランカの言葉を聞いてしかし、目的、とレイモンドは改めてジョンを見た。
洞窟を探せ、と指示をしたらしい彼は、どうやらここにある何かを探しに来たらしい。
レイモンドにすら語らないそれを求めて、一同は再び地下へと歩みを進める。
何も語らないジョンよりも、レイモンドが気になったのは新たに背負うことになった大鎌の方だった。
刃の部分に埋め込まれた例の宝玉が、地下に降りるたびに共鳴するような気配がする。
一度、武器を構えて見たり、フランカにそのことを話してみたが、彼女はそれを感じ取っていないらしい。
気のせいかと歩みを進める中、ある階層に付いたとたん、武器が脈動するのをはっきりと感じ取った。
「今の…っ」
前を歩くジョンに確認しようと声をかけるが、人差し指を口元に宛てられ、静かに、と合図されてしまい、慌てて身をかがめる。
視線の先には、地下道にしてはやけに開けた場所。
しかし、そこには確かに、なにかがいる。




