14.真実の愛
逃走はすんなりと成功した。
追手という追手は見えず、レイモンドは周囲から「具合の悪そうな男を運んでいる男」として奇異の眼を向けながらも、無事にギルド横の小屋のような部屋へとたどり着く。
「だぁ…っ」
あれだけ血を抜かれたというのに、しかもレイモンドよりも小柄だというのに、ついでに言えば武器を持って行かなかったというのに、筋肉のみっしりと詰まった重たいジョンの身体を、藁にシーツを被せただけの簡易ベッドに投げるように寝かせる。
ギルド職員に報告を、とも思ったが、自ら診療所に出向き献血を行っただけの現状に、何を訴えろというのか。
汗だくで乱れる息を整えながら、明かされた真実の重みに押しつぶされるかのように、寝かせたジョンの上に覆いかぶさって動けなくなったレイモンドの胸元を、ジョンの指が突く。
「手帳…」
そういえばなにかを押し付けられたな、と思い出して探ってみれば、出てきたのは年季の入った手帳だった。
裏に入ったイニシャルは、父親のもの。
中を開いて確信する。
「父さんの、日記…?」
それは見覚えのある丁寧な文字、父の筆跡で記された手記だった。
薄暗い小屋の中、ギルドや鍛冶屋の喧騒を遠くに聞きながら、レイモンドはランプの灯りを頼りに最初のページから読み進めることにする。
幸いなことに、元々倉庫というのもあり、読み終わるまで誰かが入ってくるようなことは無かった。
手記は、父と母の愛の記録だった。
生まれた、息子だった。
そんな一文から始まる日々の記録は、父の独白が混じる、レイモンドと母親への、愛の日々を印した手記だった。
産後の母の様子を心配し、レイモンドの一挙手一投足に喜び、息子の未来を守るためにもと研究に力を入れ、時にはもどかしさに弱気になり、あるいは自分の無力さに打ちひしがれ、それでも家族が居るから立ち直る、一人の男の育児奮闘記だった。
何度も記される愛の言葉に、いつの間にかレイモンドの眼に涙が滲む。
鼻をすすり、嗚咽を飲み込みながら、いつの間にか惨劇の夜に塗りつぶされていた、幸せだった旅の日々を思い起こしながら、レイモンドは黙々と手記を読み進めた。
中ほどまで進んだ時、それまで家族三人だけの世界に、初めて別の名前が出て、その文字列に、レイモンドは息を飲む。
レイモンドがジョンにすっかりなついてしまった。
彼の困ったような顔は珍しく、見ていてほほえましい。
そんな風にして、自然とジョンが家族の中に溶けていく。
ジョンは患者として父の元へやってきて、万能薬に馴染むその体質から、父の実験的な治療法や治験に協力していたらしい。
レイモンドの未来を案じ、研究に打ち込む父の記録には、自然とジョンに対する実験結果の内容も増えてきた。
そして、そのページを開いた時、レイモンドは背筋が凍るような思いでページをめくった。
おぞましい。
そんな一言から始まったページには、ついに父が知ることになった万能薬の真実と、教会がジョンに臨む聖杯としての役割、そして家族を人質にされ、父自身がジョンの心臓に教会から渡された遺物である竜の心臓を移植したことと、その後悔が書きなぐられていた。
家族を守るためにここから逃げなくては。
彼が協力してくれる。こんなに心強いことは無い。
そんな風に終わった手記を閉じて、レイモンドは瞬きすら忘れて呆然とした。
ふと目を上げれば、紫氷の瞳が柔らかくこちらを見ている。
「知ってたのか、俺のこと」
血液不足で指先一つ動かすのが億劫な中、ジョンはゆっくりと頷く。
あの日、森で出会うよりずっと前に、ジョンはレイモンドのことを知っていた。
「どんな気持ちで…」
その後の、落下からの吸血から復讐を申し入れるまでの一連を思い出して、レイモンドは頭を抱える。
手記によれば、彼はレイモンドたちを逃がすことに協力してくれていた。
危険な行動だっただろうに、逃がした赤子がのこのこと戻って来た上に、浅慮に飛び出し自分とぶつかって落下した時のことを想像して、口に苦いものが広がる。
眼を見開いた彼の表情に乗せられた、想像以上の感情を想像して、胃が縮んだ。
「俺が復讐するって言った時に、アンタは俺の両親の死を知ったわけだ」
そこからか、とジョンはつい最近のようにも思える、再会の日を思い返す。
居るはずのない人間が目の前に現れて、死にかけた。
彼を救うためには、彼の母親に由来する吸血鬼の本能を呼び覚ますしかなかった。
首を噛まれた時の驚きを、言葉にできるほどジョンは口が達者ではない。
いっそ、彼が家族を求めてこの地を訪ねたのであればどれだけよかっただろう。
けれど彼は復讐を望み、ジョンはあの時逃がした彼らが、追い付かれたのだと悟った。
自分の選択が、これほどまで彼の心を苦しめるとは思わなかった。
血を抜かれて虚ろな頭で、ジョンは天井を見上げつつ、けれどその脳裏には、手帳には書かれていないあの日の続きを思い返していた。
竜の心臓を移植する前から伝説と呼ばれるまでのハンターであったジョンにとって、人間相手に時間を稼ぐことなど造作もないことだ。
港まで彼らを送り届ければ自分の仕事は終わりである。
竜の血をモンスターが恐れることは研究の成果として知っていた。
事前に航路の安全を報酬に、密航の手配は済んでいた。
あなたも一緒に、と彼女が掴む手と、反対側に抱かれた幼子の穏やかな寝顔を今も覚えている。
だから、振りほどいた。
すまない、と絞り出す声を聞いて駆けだした。
聖杯であるジョンが共に行けば、彼らは血眼になってでも連れ戻すための労力を惜しまないだろう。
ただの研究者と血族一人、その赤子となれば、追手の数はずっと少なくなる。
すぐそばで逃げ回るジョンを追い回す方がよっぽど大事なのだから。
そうして彼らとジョンの運命は別れた。
それを後悔したことは一度もない。
それに、とジョンはなけなしの力で首をかしげて、頭を抱えるレイモンドを見る。
あの日、もう二度と会うことが無いだろうと、今生の別れを覚悟したあの幼子が、立派に成長した姿を見れたことは、ジョンにとってこれほどの幸福は無いのだ。




