13.過去の形
祝祭を終えて小屋で目を覚ましたレイモンドに、ジョンが告げた行き先は、森ではなかった。
「診療所?」
ジョンの言葉を繰り返したレイモンドに、頷きが返る。
診療所といえば、街の至る所に売られている万能薬を配っている源だ。
そして、ジョンを、正確にはジョンの心臓を狙っている教会のお膝元ともいえる。
本拠地である教会の上層街と呼ばれる、岩崖の上に伸びる大聖堂群ほどではないが、ジョンが自ら出向いたとなれば捕えようと躍起になるのは目に見えていた。
「何か手があるのはわかるけど、せめてあの所長には相談したって…」
言いかけたところで、険しい顔で振り返ったジョンが大きく首を横に振る。
「止められるってわかってるならなんで」
なおも言い募るレイモンドに、ジョンは厳しい顔をしたまま地面を指した。
ここに残して行ってもいいという無言の圧に、レイモンドを残してでも行くというジョンの決意に、戸惑いながらも答えは一つ。
「行くよ。連れてって」
そうして二人は日が昇り始めた早朝に、こっそりとギルドを出た。
ジョンの案内で診療所までたどり着けば、早朝だというのにそこにはすでに長蛇の列ができている。
断続的に聞こえてくる咳の音。
苦し気なうめき声。
隣の者を心配する囁き声を身にまとい、ジョンは迷いなくその列を無視して入り口までを突っ切った。
「ジェイ…っ」
入り口で列を整理していた診療所の制服を来た看護師が、ジョンの姿を認めて顔色を変えると、慌てた様子で中へと駆けこんでいく。
すぐに同じ服を着た別の看護師が現れて、二人を診療所の奥へと案内する。
通された部屋には、酷くくたびれた様子の虚ろな目をした男が待っていた。
「医療区長、お連れしました」
「ありがとう。表はしばらく君たちだけでお願いできるね」
「はい」
案内役が去った後、医療区長と呼ばれた男は、虚ろな目を限界まで見開いて、じっくりとレイモンドの姿を確認して、言った。
「なるほど、面影がある。そうか、戻ってきてしまったか」
力なく肩を落とす医療区長に、ジョンは前へと進み出ると己の腕を差し出した。
「採血を?ああ、そうだな、時間稼ぎにはなるか」
言って、手早く仕度を済ませると、ジョンの腕に針を刺して抜き取った血を瓶に溜めていく。
困惑したレイモンドが言葉を忘れて立ち尽くしていると、血が溜まるのを眺めるばかりとなった男が、ああ、と思い出したようにレイモンドへと向きなおる。
「初めまして、ベルンハルトと言います。彼が君を僕に引き合わせたのは、きっと君の父親のことを説明するためだと思う」
「は…?」
「僕は君の父親と一緒に働いてた。つまり、君の父親も以前、医療教会の職員の一人だったんだよ」
あまりに唐突な告白に、言葉を失って佇むレイモンドを、ジョンが腕を引いて、自分が座る長椅子の隣に座らせた。
「驚かせてすまないね。しかし、彼がわざわざここに来たと言うことは、時間が無いんだろう。手短に事実だけを伝えさせてもらうよ」
言いながら、ベルンハルトは慣れた手つきで一杯になった瓶を新しいものに取り換える。
「先に言っておくが、君の父親も私も、最初から教会の悪行を知って協力したわけではない。少なくとも君の父親と私は、この医療都市に、血の医療に人類の救済を求めてたどり着いたのだ」
椅子に座らされたレイモンドは、意識を周囲に広げる。
棚に並べられた医療器具が、無造作に机の上に放り出され、なかみを露出させる診察かばんが、今まさにジョンの腕に突き刺さる採血針が、記憶の中の両親たちが大切に持ち歩いていた仕事道具に重なっていく。
「血の医療には副作用がある。一度使えば、死ぬまで依存し続けなければならない。使うのをやめれば、肉体が歪に変化し人ではないものへとなって死んでしまう。僕らはその副作用を無くし、健全な治療薬として世界に流通させようと研究していた」
ベルンハルトがまた、瓶を入れ代えて話を続ける。
「原理を知ってしまえばそれは不可能だと今ならわかるのだがね。あの頃の僕たちは、自分たちを過信しすぎていたんだ。万能薬の万能たる部分を少し諦めればいいと、その程度に思っていたんだ。結局、僕らの実験は被害者を爆発的に広げる一助にしかならなかった。万能薬の真実を知った君の父親は、君と君の母親を守るためにここを逃げ出し、僕はせめてこれ以上、少しでも被害者が増えないように、最高効率で万能薬を精製することしかできないんだ」
瓶がまた満タンになり、ベルンハルトは手を止めた。
さぁ、もう行きたまえと言う彼が、針を抜こうとするのをジョンが抑える。
これ以上抜けば立てなくなるぞという忠告に、ジョンは親指で隣を指した。
「ずいぶん仲良く…いや、君たちは最初から仲が良かった」
掠れる声で呟いて、ベルンハルトは作業を再開する。
突然の真実に思考を焼かれたレイモンドは、絞り出すように言葉を紡ぐ。
「万能薬の、真実って…」
「ああ、そうか。知りたいよな。うん、君なら、きっと知っても大丈夫。だからジョンは君をここへと連れてきたんだろう。だから、ね、君、ちゃんと受け止めてくれ。いいかい、万能薬というのは、教会が見つけた竜の遺骸から採血した竜の血を、人間に輸血して解毒したものだ。竜の血が持つ異常な回復力で人の身体を癒し、同時に竜の血によって人は獣へと身を寄せるのだ」
「は…?」
「やつらは竜の血に適合した者の中でも最も適した者に、竜の欠片を埋め込み新たな竜血の精製者を生み出して万能薬を造って来た。次の聖杯はジョンだ」
情報の濁流に飲み込まれそうだった。
教会の行っていることを漠然と非道だと思っていたが、想像以上の冒涜的行為に、吐き気を催す。
「じゃ、じゃあ、何でやつらは血を…その、飲むんだ?ジョンは、やつらがジョンを、餌袋って…」
「ああ、そうか、君も彼女の…そうだね。ならば知る必要がある。君の母親も教区長と同じ吸血の一族なのだよ。彼らにとって竜の血は力の源であり、永遠に近い命を生きるための根源でもある。同時に、最高の美酒の様だ。むしろ彼らは竜血を造る聖杯を見つけ出すために、万能薬で人間を吸い寄せてるのだよ」
これまでの情報に埋もれて動けないレイモンドを前に、ベルンハルトは、さて、と言葉を区切って手早く採血道具を片付けると、ジョンの肩を押してレイモンドへともたれさせる。
「呆けている暇はないよ。限界まで血を抜いたから意識すら危ないそれを持って、早くここから逃げなさい」
「えっ…」
「ああ、これも君に渡すべきだった」
言って、ベルンハルトは引き出しの中から古い手帳を取り出し、レイモンドの懐へと押し込む。
ぐったりしたジョンを肩に担ぐようにして起ちあがったレイモンドは、戸惑うままに部屋から追い出される。
「そこの廊下を左に行って、突き当りをまた左に曲がれば、裏口があるからそこから街の裏通りに出なさい。さぁ早く」
言われるままにジョンを引きずって走り出す。
振り向きもしない背中を見送って、ベルンハルトはいつぶりかの微笑みを口元に湛えた。




